火の玉で支える火の車
革張りの、無駄に高級な椅子の背もたれに身体を預ける。
悲願と計画が叶い、吐叶市を牛耳ることになった暁に「お前も自分の立場に相応しいもん使え」と組長から与えられた高級家具の一つ。かつて使っていた事務所のおんぼろパイプ椅子とは座り心地が段違い。……経費も段違い。良い物を与えてくれるのは評価としては嬉しいが金庫番の立場としては『もうちょっと加減ってものがあるだろ』と一つ文句を零したい。組長相手にめったに言えたもんじゃないが。
まぁしかし、弱小極まる牛尾組が数十年前のダンジョン黎明期の流れに乗じて一気に盛り返せたのが気持ちよくて仕方なかったんだろう。確かにあの時の下剋上というか、周りの奴らが自分達を見る目が変わってゆく瞬間は大層気持ちが良かった。変なことを言うとまた味わいたい位には。
ああ、しかし──
「……金が無いなぁ」
金が無い。この呟きが天に届く度に一円玉でも降ってくれば探索者組合……牛尾組の懐はもう少し暖かくなっていたに違いない。
金勘定を任されてもう何年になるか。牛尾組がまだ警察に金玉握られてた頃にはもう金庫番をやっていた筈。あの時は碌に経理できる奴がいなかったからまだ新入りから一枚向けた程度の若手だった自分にお鉢が回ってきたんだ。一応大卒だったのか決め手だったらしい。ヤクザにまでなって学歴を求められるとは思わなかった。
しかし、今思い返すとよっぽど人材に欠けてたんだな。
そう考えると今は随分と盛り返したものだ。自分が組の経理を引き受けていることには変わりないが、部下が随分増えた。ほぼ全員吐叶市に訪れたダンジョン黎明期のスタンピード後に迎合してきた奴らだが。
まだ信用が浅いから表には出しにくい帳簿なんかは結局自分が処理するしかないが……それでも他の仕事を任せられるおかげで、一時期を思えば仕事は随分楽になった。……その分、新しい仕事も増えたけれども。この後も新入り共に“魔術”に関して講義を垂れてやらないとならない。
まぁともかく、牛尾組は一気にグイグイと成長した。かつて雀の雛の涙だった組への上納金は、今や鯨の潮吹きの如く湧き出ている。湧き出ている……のだが。
組という生き物が急激に成長し肥大した以上、その血液である金も規模を増やしてどんどん回していかないとならない。そうしないとせっかく育った組織が上手く動かなくなり腐ってしまう。そんな勿体ないことはない。
結局のところ、入ってくる金も増えたが出ていく金も増えた。正直なところ規模が大きくなっただけで自分がやっていることはあまり変わらない気もする。
前と同じように、無駄な出費を抑え、ノルマを達成していない組員に上納を急かす毎日。最近はダンジョンで集めてきたとかいう現物での上納も増えた。つい先日も魔石が詰まった袋で納めてきた奴がいたらしい。
その現物は今俺が預かっている。……ただ一つ気になっている点としては、魔石の中には明らかに人の手によって加工された物が混じっていて、中にはペンダントになっている物まであった。
ダンジョンの宝としてそういった形状の魔石が見つかることはままあるようだが……あれは盗ったんじゃないか?何となく臭いが違う。盗品の臭いだ。
ドヤ街のホームレスが売ってる“明らかにパクってきただろ”って自転車と同じ雰囲気がする。
昔は警察に割れると芋づる式にパクられるから駄目だったが、今は“自分達は市の皆様の安全をお守りする為に頑張って活動していますよ”っていう建前で市民共の首根っこ掴んでいるから駄目だ。一応保証している最低限の安全を組が犯す……その先に待っているのはシステムの崩壊。浅はかな金策は返って身を滅ぼす。
……逆に言えば、組合を通してない形でバレないようにこっそり仕事してきたんなら別にいいが。
まぁなんにせよ魔石は金になる。伝手も──
思考を遮る電子音が部屋の中に響く。
卓上の電話が鳴っている。細長いデジタルな画面に表示されるのは内線番号210。
「……おう。なんだ」
わざとぶっきらぼうに電話に出る。番号から部下からなのは分かっている。
《黒田さん、失礼致します。“魔術講座”のお時間まで後十分程でしたのでご確認の電話を──》
「あーおう。分かってる。もう向かうから今日の生徒達並ばせてろ」
それだけ伝えて受話器に向かって子機を放り投げる──のは壊れると勿体ないので普通に置く。
……組の中で“魔術”が達者な人間の一人ということで、こういう講義を定期的に開いている。これがまたいいシノギになる。
ダンジョンが現代社会に出現し、こちら側の人間が魔力の恩寵を受けてからというものの、魔術を扱いたいという人間は後を絶たない。自分に十分な魔力があるかないかに関わらず。
そういう人間に“火球”の魔術を披露しチラシを渡し金さえ払えば教えてやると言えば大抵イチコロ。
魔術と聞いて一発で連想するファンタジックな火の玉は夢見る新入り探索者の脳を焦げ付かせる。
魔術は才能が無いと扱えない、というのをこの時は伝えないのがミソ。そういうのは授業料を貰ってから教えてやることだ。
……しかし、そろそろ他のシノギも考えないとな。
やっぱり実入りはいいのはダンジョンの管理。攻略させたダンジョンを生かさず殺さず管理して、入っていく探索者からは釣り堀よろしく入場料を取り、アガリもその一部を頂ける。魔物が溢れかえるのも抑えられて住民共の評価も上がる。一石二鳥の策。
なのでいい加減管理に乗り出したいのだが……如何せん丁度いいダンジョンが無い。
吐叶市の中には、三つ大きなダンジョンがある。
バブル期に建てられたまま放置された廃ビルの地下に現われた地下遺跡ダンジョン。
鬱蒼とした木々の僅かな隙間を濃ゆい霧が埋める迷いの森ダンジョン。
外見と中の広さが明らかに合っていない、魔術によって空間が歪められた不気味な洋館ダンジョン。
これらの一つでも完全に攻略し、牛尾組の支配下におければ大層な利益が見込めるが、今のところ良い報告は無い。
他所の探索者組合は成功例をいくつも持っているというのに。
ここらの探索者共の質が悪いというのも問題だが、大きなダンジョンはそれだけ攻略が難しい。
かといってちょこちょこ現れる子供の秘密基地みたいなダンジョンを制圧したところで実入りは薄い……
規模が小さく攻略が容易で、それでいて探索者に一定の人気があり、支配下におけば利益が見込める、そんな夢の様なダンジョンがあれば……
再び着信音が鳴り響く。思考を断ち切られ、苛立ちを覚えながらも受話器を取る。
「……もう向かう。そう急かすな。遅刻はしないから」
考え事をしていたら五分程経っていたらしい。さっさと向かうか。
真鍮のドアノブを捻り、自分に与えられた経理部長室に一旦の別れを告げる
さて、ルーキー共にダンジョン魔術の基礎をたっぷり教えてやるとしよう。
まずは火球の魔術からだ。どんな奴でも火を扱えるようになればそれなりの戦力になる──




