劇場型尋問 その1
「…………う…………?……あ」
眼を閉じたままでも分かる、身体全体から伝わる温水の心地よさ。
いつの間にか、風呂に入ってる。貯めた湯に入るのは、久しぶり。プカプカ浮いていて気持ちが……いい。
知らん間に寝てたんだな。あ?でもパンツだけは履いてる。風呂ん中なのに。何で?あ?俺んちの風呂こんなに広かったっけ?
とにかく水で尻に貼りついた安物パンツがうっとおしい。どうせ洗濯すんだしもうぬいじまえ──
「ちょ、やめさな──止めよ。んん、妾に見苦しいものを見せるでない」
湯が入り込む耳を貫く女の声。
「エワッ、がぼっ!?」
急激に頭に血が巡り出す。急に立ち上がろうとしたせいで口に水が入る。
思い出した!ここはあの洞穴ダンジョンで、オレは──
水飛沫を上げて立ち上がる。辺りを見回す。
浸かっていたのは“回復の泉”。
じゃあ、ここはさっきの階層。
場所は分かった。
そんで、向こうの、アンティーク調のイスに座ってる女は誰だ?ヨーロッパとかの中世貴族が舞踏会で使ってそうな、つるつるした白を基調としてごてごてとした装飾がくっついた仮面を付けている。顔が分からん。
隣にも誰かフラフラしながら立って──
「……ウワッあ”ッアッ!!?」
高価そうな椅子に腰かける仮面の小柄な女。その横で身体を揺らす男!
ゾンビ!!さっきの!!
「そう取り乱すでない。妾が命を下さねばこ、此奴は手を伸ばさぬ」
めい?命令?命令ったか今?
この……俺らが殺っちまったコイツは、今この女が支配してんのか?
「哀れな姿で打ち捨てられておったから、慈悲の心を持って我が眷属にしてやったが……死の向こう側から僅かに持ち帰った魂が貴様に大きく反応しておる」
この女。仮面の女が、作ったのか。このゾンビを──
「……ウ"ォッ!!!」
「わぁっあっあばっ!!?」
頭から血を被ったみたいに血塗れのゾンビが!近づいてくる!!
「よさぬか」
ピタリ、とゾンビが振り上げた手が止まる。
「まぁ、こんな具合じゃ。お主に随分と御執心のようでな」
汗が止まらない。眼がかすむ。心臓が破裂しちまう。
「折角作り上げた眷属じゃが、お主を見てから途端に制御しにくくなってのぉ……苛立って仕方ない」
仮面をしていてはっきりとは分からねぇけど、ため息を吐いたらしい女は、椅子の手摺りに肘をつけて頬杖をつく。
「不便で仕方ないし……道半ばで命を落とした眷属の為にも、この不具合は解決したくてな」
女の目線は分からない。だけど、何となく、こっちを睨みつけてることは分かる。
「大体察しはついとるが……聞かせてもらおうか。貴様は此奴に何をした?」
◇
「大体察しはついとるが……聞かせてもらおうか。貴様は此奴に何をした?」
……若干口調がブレてる気がするが中々の演技だ。この女優がテレビに出てたらきっとチャンネルは変えられない。
吸血鬼だから映像には映れないのが惜しい。
『とりあえず一人称は妾とかの偉そうな感じでお願いします』とかいう俺の雑過ぎるお願いでこれを引き出せるのは才能だと思う。
顔を隠せる物も持ってらしたみたいで良かった。異世界では人目を忍んで出かける時に必ず付けていた仮面らしい。高貴な雰囲気がセラさんとベストマッチだ。
……しかし、かなり緊張はしている様子。
仮面と外套の僅かな隙間から見える首筋から汗が滴っている。早い所ケリを付けてしまわないと。
「だ、誰なんだよぉ……お前はそもそも──うあ”わッイッ!?」
「オオオオッ”!!」
余計な質問をしそうな小太り野郎の弛んだ首を引っ掴み、泉から引き摺り出し地面に叩きつける。
いつまでも入ってんな。勿体ないだろうが。無駄に消費されて水嵩が減る。
「……お、お、お主の疑問はどうでも良い。満たされるべきは私の好奇心のみ。控えよ」
声が少し震えている上に一人称が間違っている。……急なアドリブを入れた所為で驚かせてしまったようだ。申し訳ない。
だが、こいつにこちらの情報は欠片も渡してはならない。
ただ情報を聞き出すだけならこんな回りくどい芝居を挟む必要は無い。……拷問に類する経験は無いが、それでも今取っている方法よりはスムーズに事は進むだろう。
そうして聞き出した後は、こいつが俺にしようとしたように“口止め”してやればいいだけの話。
だが、それはセラさんが望まない。なら駄目だ。少なくとも今は。
前提としてこいつを生かしておかないといけない以上、俺が実は生きていたということも、セラさんがここのダンジョンの主で吸血鬼だということは知られてはならない。
吸血鬼という“人類に仇をなす”存在には懸賞金が掛けられている。この……青年というには少し年を食い過ぎた男が無事に帰ってしまったなら間違いなく報告する。
目の前に犬の糞に塗れた小銭が転がっていたら躊躇いなく拾いそうな雰囲気をこの小太りは纏っている。間違いなくそうする。
だからこいつには、吸血鬼のダンジョンマスターという情報を与えず、俺を殺した……という思い込みによって生じる負の財産を心に抱えたまま、自分の身に降りかかった災難について誰にも話せなくなってもらう……というのが狙いだが……
正直、不安だ。本当は俺がやられたことをやり返してしまうのが一番──
「……い、依頼だったんだよぉ……仕事だったんだよぉ……」
蹲り、地面へ顔を向けたまま、襲撃犯は何かを呟いた。
依頼?
「金に困って……飯が食えないレベルでぇ、実入りのいい仕事が欲しかったんだ……そうしたら向こうから声を掛けてきた。探索者組合も通さないから、仲介料もいらなくて、がっつり払ってやるって……」
組合を通さない仕事。要するにすっかり治安が悪くなってしまったこの吐叶市においてさえ後ろ暗い点があると言っているような仕事。
闇バイトみたいなものだ。
「……誰かに命じられて、何もしておらん他者の命を絶ったのか?」
セラさんのくぐもった声に、演技ではない軽蔑の色が混ざる。
「ち、ち、違う!そんな仕事だってはじめから分かってたら、やってない!受けてない!オレは、ただ……言われたダンジョンでしか取れない?らしい魔石を見つけてこいって、言われたんだ!」
……特定のダンジョンでしか採れない魔石?
確かに魔石自体には違いが存在する。
発生するプロセスも色々異なる。ダンジョン内の魔力が鉱石に染み出し結晶化したもの。魔物の体内で胆石や結石のように作り出されるもの。後は……ゴーレムなどの被造物の内部から動力源として扱われていたものが見つかるなど。等級も様々だ。基本的に強大な魔物の内部から発見されたものは大変希少。
だが、特定のダンジョンでしか見つからない魔石というのにはピンとこない。魔石にそんな違いあるのか?自分が知らないだけで環境によって異なったりするのか?
「……マセキ?」
仮面を被った小さな頭が軽く首を傾げる。セラさんもピンときていないようだ。
「正直、よく分かってなかったけど、とりあえず集めればいいんだろって、何回も入ったことあるダンジョンだったし、引き受けたんだよぉ……あんたが知ってんのか知らないけど、こっからちょっと離れたとこにある……廃ビルの地下にあるダンジョンなんだ」
知っている。
俺が物漁りとして活動していた場所だ。浅層で僅かならが価値が付きそうなガラクタを見つけては拾い、群れから逸れた大鼠を死に物狂いで狩っていた。誰も信用できず、一人で活動する探索者だった──だからそんな中で貴重な魔石を見つけた時は、誰かに見られていないか何度も何度も確認しながら、誰にも奪われないようにひっそりと懐に仕舞い込んだ。
それを、根こそぎこいつに奪われたわけだが。




