見知った顔
「……あ、しまった!」
まずい。
何が起こったか自分でも把握しきれていないが……今はそれより侵入者だ!
「申し訳ありませんセラさん!侵入者がこの──崩れた天井の下敷きになってしまって!掘り出すのを手伝ってもらえませんか!?」
このままあの世に行かれでもしたら……困る!こんなことしでかしてくれた理由も身元が分からない!
「ええ!?わ、分かった!──ᚺᛟᚢᚱᚪᚴᚢᚺᚪᛋᛋᛖᛁ!ᛞᛟᚴᚴᚪᛁᛄᚤᛟᚴᚤᛟᚥᛟᛗᚥᛁᛣᚢ!」
「ᚱᚤᛟᚢᚴᚪᛁ.ᛏᚪᛁᛋᚤᛟᚢᛒᚢᛏᚢᛋᚪᚾᚾᛋᛟᚢᚾᚪᛁᚾᛟᛞᛟᚴᚴᚪᛁ.」
吸血鬼のダンジョンマスターは乗ってきたゴーレムからひらりと降りて、未知の言語で命令を下す……するとゴーレムはすぐに目の前の土と瓦礫の山にその大きな手を突っ込み、土くれと岩の塊を持ち上げ始める。
……ボーっと眺めているわけにはいかない。自分もやるべきことをやらなければ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
脚を動かそうとしたその瞬間、古びたマントをたなびかせながら小柄な吸血鬼が駆け寄ってくる。
「君は一旦下がりなさい!もう事はとりあえず収まったんだろう?」
いや、まだだ。
その優しさは嬉しいけれどしっかりこの眼で襲撃犯がどうなったか確認しないと安心できない。
幸い爆破に巻き込まれた割には普通に身体は動く──
「怪我が酷いのに無茶をさせたんだっ、か、ら……?」
セラさんの、忙しなく動いていた紅い瞳が俺の顔を見据えてピタリと止まる。
この綺麗な瞳を形容する言葉が“ルビーのよう”しか思い浮かばないのが何とももどかしい。
……いや、そうじゃない。
「……あの、顔がどうかしましたか?」
何か付いているだろうか。
いや、血塗れではあるか。
吸血鬼のセラさんにとってはご飯粒を顔中に付けてる状態になるのか?
……急に恥ずかしくなってきた。
思わず顔を拭う。
すぐに頭の怪我から血が垂れるのは分かっているが拭かずにはいられない──
「……?」
血が、垂れてこない。
「サジ君……?おでこ、切ってたよね……?」
その通りだ。額から流れ出す血のせいで視界が狭まって煩わしかった筈だ。
その傷が勝手に塞がっている。
身体を癒す魔術の心得なんて無い。そもそも魔力傾向適正検査受ける金も無かったから自分に魔力があるかどうかも分かっていない。
さっきの、襲撃犯の動きが低倍速の動画みたいに見えたことといい、金属バットを握り潰せる握力や天井を崩してしまった腕力といい、一体自分の身体に何が起こっている?
「ᛋᛖᛁᛏᚪᛁᚺᚪᚾᚾᚾᛟᚢᚴᚪᚴᚢᚾᛁᚾᚾ.」
セラさんの向こうから聞こえていた瓦礫が放り捨てられる音が止む。
同時にゴーレムの無機質な音声が洞窟に響く。
「あ、見つかったようだね……と、とりあえず見に行こうか」
「はい……いや、セラさんは少し待っていて頂けますか。動けないのを確認したらお呼びしますから」
異世界出身でもない、その上魔術も使わなかったところを見るに、魔力も持っていないただの人間があの崩落に巻き込まれてただで済んでいる道理は無いから杞憂だとは自分でも感じるが、念には念を入れよう。
「……私は、もう、死んで無いかどうかが不安になっているんだけど……」
「……俺もです」
心配する理由は違うだろうが、死んでいて欲しくないのは一緒だ。
ゴーレムが一旦指定された行動を中止した、地点に脚を運ぶ。
急いで土や砂が付いた瓦礫を取り除いた所為で砂埃がすごい。
「本当だ居た……これは……」
瓦礫が堆く積み重なっていた丁度真下の辺り。
そこに牛頭は這いつくばっていた。
右脚と左腕があらぬ方向にひん曲がっている……が骨が皮膚を突き破っている様子はない。悪運が強いな。
少なくともコイツは自分の骨が自分の皮を突き破っている所を見なくて済む訳だ。アレは気分のいいものじゃない。
微動する身体から呼吸はしているのが窺えるが、呻き声は聞こえてこない。
意識はトンでいる様子。
「……大丈夫そうだな。セラさん!ご覧になりますか?」
「えっそうなのかい……うわっこれ大丈夫って言わないんじゃないかい!?」
トテテテ、と軽い足音を立てて側に寄って来た白肌のダンジョンマスターは男の惨状に悲鳴をあげる。
……今の“大丈夫”は、襲撃犯は動けそうにもないから近づいても問題ありませんよ、の“大丈夫”だったんだけど齟齬が発生してしまったようだ。
「あ、頭は大丈夫なのかい?」
「え、いや、確かに、誤解を招く変な発言でした。しかし」
「いやそうじゃなくてこの人の。ズタズタだけど牛の仮面の所為で怪我の具合が分からない……」
あ、そっちか。
珍しく詰られたのかと思った。
「確かに。直ぐに外します」
土と砂と血に塗れたゴムマスクに手を掛ける。
……ゴム臭さと不健康な血の生臭さが混じって酷い臭い。
血の生臭さに関してはもう慣れたものだが、他の臭いと混ざると辛い──
「…………あ!!コイツ!!」
「うわビックリしたどうしたんだい!?」
「あっ、も、申し訳ないです」
隣でこの野郎を覗き込んでいたセラさんの耳元で、つい叫んでしまった。
「本当に申し訳ありません……知ってる顔だったもので」
「知り合いなのかい!?友人とか──」
「とんでもありません」
間抜けに舌を出して伸びている馬鹿のスカジャンのポケットに手を突っ込む。
……財布があった。身分証の類は……探索者用のIDカード位か。写真映りが悪い。いや目付きが元々悪いのか。
残念ながら“形見のペンダント”は無い。まだ他にも漁ってみるつもりだが望みは薄いだろう。
「コイツが俺の頭をかち割った奴です。……その後に脚やら腕やらも折られましたが」
結局今し方の戦闘では使わなかった、今は地面に横たえられている“落とし物”のバット。ダンジョンから少しばかり離れた場所で拾ってきたこれは俺を殺しかけた凶器だ。
証拠隠滅の為に探しにくる奴が来ないか見張る為の餌に使えないか回収したものだが……それを死んだ筈の被害者が携えている姿を見たコイツの心境はそれとなく窺える。b級ホラー映画の一幕だ。
……ああ、だからゾンビを連想したのか?
「え、じゃあこの人が前に話してくれた……」
セラさんにはここに流れ着くまでの経緯は話してある。
盗られた形見を探していること、此処にいれば手掛かりは向こうからやってくる可能性があることも含めて。
色白のダンジョンマスターは俺に深く同情し、協力を申し出てくれた。
本当に優しい人だ。
……善意を利用していることに、後ろめたさを覚える位に。
「…………その、どうするんだい……?」
透き通る紅の瞳が揺れる。
不安なんだろう。俺が復讐相手をどうするか。
「……殺したりはしませんよ。そのつもりはないです」
ほっ。っと愛らしい牙が覗く口から吐息が漏れる。
性格上人死には出したくないだろうに、それでも『殺すな』とは言わないのは自分の気持ちを慮ってのことだろう。とことん他者を気遣える人だ。
「ただ、聞きたいことは山程あります」
「それは、まぁ、そうだろうね。じゃあとりあえず回復の泉にこの人を……」
確かに先ずは意識を戻してやらないことには話が始まらない。
……後、どうやって情報を聞き出すか、聞き出した後はコイツどうしようか。
セラさんを巻き込んでの殺しは避けたい。傷つけたくない。
弱みは握ってる訳だからその辺りを活かせばなんとかなるか?いやしかし実際には俺は死んではない訳で、あ、でも今コイツは俺をゾンビだと勘違いしているんだよな?
うーん……
…………とりあえず、やるだけやってみるか。
「セラさん。演劇の経験はありますか?」
「…………えっ?」




