第1話 私の部屋に来ない?
「裕誠、今から私の部屋に来ない?」
「……ぇ?」
放課後、最寄り駅からの帰り道で、俺の隣を歩く幼馴染――一瀬真結が唐突に提案をしてきた。
「なに? もしかして、私が変なことを企んでるとか思ってる?」
「ぅ……。ううん、そんなことはない」
そんなことはある。
昔はよく互いの家を行き来していたのだが、中学校に入学してからというもの、真結の家に上がったことがない。
中学時代は関わりなんてほぼゼロだったし、高校に入って復縁?して、時々通学を共にするようになったのだが、それ以上の関係にはならなかった。
だから、何かを策略しているのではないか、と疑ってしまうのも当たり前。
「まあ、いいけど。実際そうだし」
「いやそうなのかよ」
「そうじゃなくてさ、来てくれるの? 家に――。裕誠は――」
言葉強く言い寄りすぎて、俺のみぞおち辺りに真結の双丘がぶつかってきてる。
制服の上からでは分かりにくいが、真結は意外と大きなアレを所持していらっしゃる。
それはそれは、今まさにソレが潰れているという感覚を感じるほどの大物。
なんでそんなことを知っているのかって?
幼馴染だからか知らないけど、真結の身体的接触行為が多いから、嫌でも知ってしまうのだ。
男子として、しっかりと感触を味わうのが筋――それを避けるなんてできないからなっ!
「――ぇ、聞い――? おーい。ねぇ、聞いてる?」
苛立ちがまじったような呼びかけで思考を現実へと引き戻されると、顔を軽く上げて俺を見つめるが依然そこにいた。
入学後二ヶ月も経たずしてイケメン先輩に告白されたという素晴らしいお顔が、だんだんとしかめっ面になってきている。
ちなみに、その時の返答はNoだったらしい。
理由は好きな人がいるとか、なんとか。
――あ、真結が早く答えろという雰囲気を爆発させてきた。
とにかく提案の答えを出さなければ……。
そして頭を回転させはじめる。
久しぶりに真結の家に行くのも良いかもしれない。
両親の単身赴任の影響で一人暮らしと聞いたから、気兼ねなくお邪魔できるしな。
よし、決めた――。
「じゃあ、行こうかな」
「うんうん。裕誠ならそう言ってくれると思ってたよ」
さっきまでの苛立ちはどこへやら、真結がすっかり笑顔になった。
女子のめくるめく表情変化は、悪寒が走るほど恐ろしい。
申し訳ないが、親に帰宅が遅れると連絡しておかないと――と、ポケットからスマホを取り出そうとする。
が、その手は真結によって抑えられた。
「――?」
「お母さん達には、裕誠が私の家に泊まるって伝えてるから」
「あぁそうか、ありがと」
「どういたしましてっ」
……。
…………。
………………。
――ん?
「今、泊まるって言った?」
「うん。……もしかして、ダメだった?」
急に家に誘ってきたと思ったら、お泊まりまでさせるつもりだったなんて――。
女子の家に泊まるのは、何だか憚られる。
まぁでも、真結だから良いか。
「いや、ダメじゃないけど……」
今朝、お母さんのテンションが高くて、俺を見るとニヤニヤしていたのを思い出した。
十中八九、これのせいだろう。
だが残念。
幼馴染なんて、お母さんが考えているような関係には発展しないものなんだ……。
それからしばらく住宅街を歩いて、いつもなら真結と別れるはずの三叉路も通り過ぎた。
どことなく漂ってくる、夕飯時特有の香ばしくて芳醇とした匂いが鼻腔をくすぐる。
文藝部の部活がある日はいつも、この匂いを感じながら帰宅しているのだ。
最寄り駅から10分ほどで、真結の家に着いた。
記憶に残っているままの姿の一軒家。
通りかかることも珍しい入り組んだ道沿いにあって、正真正銘の小学校六年生から四年振りで、感動に近いものを感じる。
例えると、夢中になったアニメの聖地巡礼みたいなものだ。
「裕誠、緊張してる?」
突然振り返った真結が、揶揄うように聞いてくる。
「別にそんなことはないけど」
「んー……。ちょっとくらいはして欲しいんだけどな」
そう言い放つと、真結は慣れた手つきで鞄から鍵を取り出し、玄関の扉を開けた。
家の中は真っ暗で誰もいない。
俺が玄関で靴を脱いでいる途中、真結が廊下の電気を付けた。
「靴はそのままでいいから」
昔は玄関が綺麗に整えられていて、つられて俺も靴を仕舞っていたほどだったのだが、親が居ないからか、真結もローファーを置きっぱなしにしていた。
観察すればするほど、真結は一人暮らしをしているんだなって実感させられる。
「じゃあ、先に私の部屋に行ってて。私は飲み物とか準備してから行くね」
「あぁ、分かった」
そうして、真結はリビングへと消えていった。
俺は階段を上っていき、憚りながらも、懐かしい『まゆ』と描かれたプレートが掛けられた部屋に入る。
何をすればいいのか分からなくて、部屋の中を一瞥してみた。
乳白色の勉強机に、純文学小説やラノベが入った棚。
白を基調としたベッドと、そこに置かれた見覚えのあるアザラシのぬいぐるみ。
いかにも女子高生が住んでいそうな部屋だな。
いくら幼馴染だとしても、女子の部屋に入るというのは緊張するし、不思議なことに学校では男としてのアドバンテージが生まれるのだ。
「お待たせー。裕誠はコーラ好きだったよね――」
俺が行き場もなく突っ立っていると、お盆に飲み物を乗せて、真結が部屋に入ってきた。
「――って、なんで立ってるの。座ればいいのに」
「どこに座ればいいのか分かんなかったんだよ」
「幼馴染なんだから、そんなに遠慮することないでしょ――」
スクールバッグを壁に立て掛け、机にお盆を置いてベッドに座った真結が、自分の隣を軽く叩いた。
「ほら、ここに座って」
俺は言われたとおりの位置に座る。
「ねぇ。まだ夕飯決めてないんだけど、ピザとかどう?」
「せっかくだし、良いんじゃないか」
「うん、じゃあ頼んじゃうね」
真結はスマホでピザの注文を済ませて、その後、俺たちは当たり障りのない会話を楽しんだ。
/ / /
「ふぅ、美味しかったっ」
「あぁそうだな」
カーペットの上に空箱を三つ放置したまま、俺たちはベッドに座り込む。
その時、俺のスマホが電話の着信を知らせる音を鳴らした。
俺は重い腰を上げて、床に捨て置かれたスマホを拾い上げる。
「誰から?」
「俺のお母さんだよ」
画面をスワイプして、スマホを耳に当てる。
「もしもし、どうかした?」
「真結ちゃんと何してるのか、気になっちゃって」
「別に、何もしてないよ」
「あら、ほんと?」
母が疑心暗鬼に聞いてくる。
だから、俺は少し声が大きくなってしまう。
「本当だ。真結とは幼馴染なんだから、お母さんが思ってるようなことにはならないよ、絶対」
「まぁ、今のところは信じとくわ。でも――」
話が長くなりそうで、通話を打ち切りした。
すると、いつの間にか背後に立っていた真結に、肩を叩かれる。
「本当に、幼馴染とは、そういうことにならないの?」
「そうだろ。真結だって――」
「――私はそう思わないな」
諭すように否定された。
「それって、どういう……」
「そこにたるぬいぐるみは、裕誠がくれたやつなんだよ。だから、毎晩それを抱いて寝てるの。今でも変わらずに。
ライトノベルとか私に縁は無かったけど、中学校で裕誠が友達と話してるの聞いて、また仲良くなれるかなって思って読み始めたの。それで、高校で同じ文藝部に入れて嬉しかった」
「あぁ」
「ここまで言ったら、なんで私が家に誘ったか分かるよね」
真結がだんだんと妖艶になっていく。
言葉一つ一つが俺に響く。
真結に手を引かれて、一緒にベッドに倒れ込む。
そして、真結の唇が、俺へと近づいてきて――。
「んっ……、はぁ」
たった二秒、たかが二秒のキスが行われた。
「裕誠、嫌だったら逃げて。鍵は開けっぱなしだから」
嫌じゃない。
真結のことが好きかどうかは分からないけど。
これはやめられない。
俺が何も言わないでいると、ふたたび唇が接近してくる。
「……ちゅっ、――んんぅ……っ、んはぁっ」
真結の熱くて荒い息が、俺の首をくすぐる。
「んっ、……ぅむぁ、ふぅっ――ぅんっ」
――――!
そのとき、俺の口内に舌が侵入してきた。
蹂躙するようにねぶりつくし、柔らかくもざらりとした感触が湿っぽく痺れさせる。
俺も応えるように真結の舌を撫でた。
見えないところでのいちゃつきに、全身の感覚が研ぎ澄まされる。
そしてだんだん酸素がなくなる感覚が心地よくて……。
「――んあっ、っはぁ、……ぅはっ」
口同士を離すと、想像を遥かに超える快楽に着いていけないように、俺たちは空気を求めて激しく呼吸する。
なのに、目の前にある唇と隠された舌にまた触れたくて……。
「これは、良いってことだよね……」
頰だけでなく顔まで紅くさせた真結は、ままならない声で言った。
そして――。
「それじゃあシよっか♡」
真結の崩れた表情は、理性をも破壊した。
ただの幼馴染には戻れない――。
そんなことなんて、どうでも良かった。