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イノウエさん

数か月がたち梅雨の季節になった。

困ったことに自転車だったら、大雨の日だったらびしょ濡れになり、替えの服を持って行かないと駄目なる。

そんな日は、朝にヤマダさんが電話をかけてきてくれて、近くだからと車に乗せてくれるようになった。

お礼を何かしようと一度お菓子を買って差しだしたら、そんなの要らないという。

でも、悪いからというとそれなら私が作っているパッチワークの何かをと言うので、車にもおけるようにと猫好きだと聞いていたので猫の形のティッシュケースを作って贈ることにした。

ヤマダさんは大喜びで

「アカネチン、これを職業にしたらいいのに!」とほめてくれた。

うれしくなってこの事を、タクミに言うと

「無理無理、作るのに何時間かかる?材料費は?それに、自分のオリジナルのじゃなくて誰かがデザインしたものを作っているんだろ。採算合わないよ」と。

がっくりした。

確かに母の人形がフリマで売れたのは、アンティークではないけど作家の1点ものだったからだ。

試しに同じようなパッチワークの作品がいくらで売っているのかと検索したら、タクミの言う通りとても採算が合わなかった。




ヤマダさんにもその事を言うと

「そうだね。でも、たくさん作品があるなら誰かに使ってもらいたくない?ネットじゃなくて実際のフリーマーケットで売ってみたら?私も手伝うよ」と言ってくれた。

家の中には、母の人形たちが少なくなったとはいえ、私が作り続けていたパッチワークが、ただ作っただけで押し入れにいれてある。

勤め始めて最初の頃こそ疲れて出来なかったけど、最近はまたちょこちょこと作り始めたので増えている。


いろいろと探して、10月に市の大きな公園で開かれるフリーマーケットに申し込むことにした。

それと、いつまでもヤマダさんに雨の日だけでも送ってもらうのは気が引けて、みんなのすすめもあり車の免許を取ろうと思う。

ただ、今は教習所に通うのも車を買えるお金もないのでもう少したってから。

ヤマダさんにもその事を伝えると、「それはいいわね!」と言ってくれた。


一気に変わり始めた私自身の環境に驚きつつも、働いてお金を得て生活をしていく事の難しさや楽しさを知り始めていた。


組立の仕事は、単純なものから複雑なものまでいろいろとあったし、終業時間になると手が油とかグリスで汚れていたが達成感があり、私にあっていた。

ただ、カミデさんのスピードにはまったく追いつけなかったけど。


ある日、部品を取りに行ったサトウさんが難しい顔をして、戻ってきた。

「どうしたの?」とマエダさんが言うと


「下の曲げのイノウエさん、社員にしてもらえるんだって」


曲げとはプレスブレーキ(ベンダー)でする作業の事だ。

昔は、男性ばかりだったけど女性でも扱えるような機会になり、下の現場ではイノウエさんが働いている。


「同じシングルマザーで、イノウエさんもよく休むのに」

サトウさんは悔しそうだ。


「サトウさんも言ってみたら?」というと


「向こうは専門職だし、私の場合は誰でも出来る仕事だから無理だと思う」と。


深く考えた事はなかったけど、確かに私にも出来た仕事だけど、カミデさんとかのスピードになれば、もう「職人」と言ってもいいほどで、サトウさんやマエダさんもまだまだ私よりずっと早いし、それに不良品を出さない。


イノウエさんとサトウさんは同じシングルマザー同士で仲良くしていたのだけど、その日からなんだか少し溝が出来たような感じになった。


イノウエさんは、シングルマザーでも結婚しないで子供を産んだいわゆる未婚の母。

お母さんと同居しているけど、そのお母さんも働いているので、やはり子どもの調子が悪くなると早引きしたり、休んだりする。

それでも、一人で子育てをしているサトウさんとは、違いお母さんと交互で休むので回数はちょっとだけ少ない。

とても線の細い人でよくあの仕事をしているなと思っている。

それに本当は、こんなところにいるような感じの人ではないようなきれいな人だ。

サトウさんが、あの容姿の事もあってみんな多めに見ているのよという。

そうなんだろうか・・・・。


タイヨウ金属は、パートタイマーでも社会保険には入れるし、ボーナスも出る。

しかし、パートでは退職金が出ないし、やはり年収で考えるとかなり違ってくる。


と朝、車に乗せてもらった時にヤマダさんが言っていた。

ヤマダさんは事務職で正社員だ。

でも、ヤマダさん自身も最初はパートだったそうだ。

子どもが小学校に入った時に、丁度それまで勤めていた先輩社員が辞めた事で正社員にしてもらった。


「小学校に入るまでは、とにかく病気のオンパレードでいくら主人の両親が預かってくれるとは言っても、朝に元気で送り出しても、会社に着いた途端に『お熱が出てますので、迎えに来てください』って電話が入ったりするのよ。だから、難しかったのよね。サトウさんもだからお嬢ちゃんが小学校に入ったら、一度会社に行ってみたらどうかな。」。


今ヤマダさんの息子さんは、学童保育に通っている小学3年生だ。

「学童が3年生で終わっちゃうのよね。来年から一人で留守番させないと駄目で悩んでいるのよ。うちの場合は主人の両親が近くにいるから、ある程度は預けるとは思うけど」


ヤマダさんは、なんだかとても複雑な表情で笑った。


本当に人それぞれいろんな事情があると思った。


最近、備品などを配達してくれるミツモトという業者さんの営業の人が変わった。

とても明るくて感じのいい人だ。


年は30歳ぐらいだろうか。

名前は、エグチさん。


サトウさんが、毎回来るたびに小声で言う。

「ねえ、彼とてもいい感じじゃない?」と。


確かに。

ハンサムとは言えないまでも、すっきりした顔立ちで爽やかな好青年だ。

彼が来るたびにサトウさんは目がハートになっている。


「こんにちは!何か足りなくなっているものはありませんか?」と声をかけられた。

「あっ、そういえば作業用の手袋が少なくなってきているようです。主任さんにも言っているので聞いてください」と答えた。

実際の注文をするのは、ここの責任者である現場の主任だ。

ただ、毎回エグチさんは私たちも声をかける。


「イトウさん、髪型変えたんですね。すっきりしてとてもいい感じですね!」


私は照れた。

彼は、いつもこんな風に気軽に女性社員をほめる。

カミデさんにでもだ。

「お若いですね。やっぱりお仕事されているからでしょうね。うちの祖母とは大違いだ」とか。


カミデさんは、いつも「ホウホウ」と言って笑っている。


確かに私は最近髪型を変えた。

肩まであったんだけど、作業する時に邪魔になりばっさりと切った。

そうかな~と一人でにやけていると、サトウさんに


「ちょっとアカネチン、エグチさん取らないでよ!狙っているんだから」とにらまれた。


エグチさんは確かに爽やかだとは思うけど、社交的過ぎてついていけないというと納得した顔で頷いた。


そうか、サトウさんはエグチさんの事をいいなと思っているのかと改めて思った。

今まで恋愛とかはもちろんした事がなく、今からもなんとかくしないような気がしている。

そういえば、最近サトウさんは100均で揃えているというメイクに気合が入っている。

そのパワーに感心した。


ある日の事だった。

備品を取りに行くと、ひそひそという声が聞こえてきた。


「じゃあ、今度の日曜日の朝9時に迎えに行く」

という男性の声が。


「わかった。子どもも楽しみしているから。」


エグチさんとイノウエさんだった。

なんと二人はお付き合いしていたのか!と驚きつつもそっとその場を離れた。


昼休憩の時にトイレに行くと偶然、イノウエさんに会った。

今まであまり話したことはなく無言で立ち去ろうとしたら


「イトウさん、さっきいたでしょ」。


「はい・・・」


と答えるとイノウエさんが少し困った顔をした。


「当分、内緒にしてほしいの。正社員にしてもらったばっかりだし。本当は付き合う気はなかったのよ。でも、すごく誘われて根負けしたの。それに最近子どもには父親がいるんじゃないかと思って、彼の誘いを受けたの。まだどうなるかわからないから黙っていて欲しいのよ」


「はあ」と答えるしかなかった。


イノウエさんは、先にトイレを出ていた。

ああ、サトウさんに何ていおうと思うとため息が出てきた。




サトウさんはエグチさんが来るたびに、張り切りそしてたまに

「今度こそ、気持ちを言おうかと思うのよ!」と段々エスカレートしてきていたが、娘さんが風邪をひいたとかで休んだり、その後自分も風邪をひいたりしていて、タイミングが合わずそのまま2ヶ月は何もなく過ぎた。

私はヒヤヒヤしながらも、イノウエさんから口止めされていたので黙っていた。


そして、ある雨の朝、迎えに来てくれたヤマダさんが車の中で言った。

「実はね、今日朝礼で言うと思うけど、イノウエさんが辞めるの」


えええっ~~~!って私が言うと


「社長はもう怒り爆発よ。社員にしたばかりだから。彼女、結婚するんだって」

私は目を白黒させて

「もしかして、ミツモトのエグチさんとですか?」と聞くと


「あら、違うわよ。なんでも、半年前ぐらいに幼馴染の人と偶然あってとんとん拍子に進んだって。なんでエグチさんだと思ったの?」


私は、2か月前に見た事を話した。

「うーん、そうすると同時進行だったのかも」

「それよりアカネチン、フリーマーケットの打ち合わせをしないと。うちの息子も手伝うって楽しみにしているよ」と言って、話題はそのままフリーマーケットの打ち合わせとなった。


朝礼の時にイノウエさんから、1か月後に辞めるという挨拶があった。


社長はずっと仏頂面だった。


朝礼が終わり、各部署に散っていくときにイノウエさんとすれ違った。


「黙っていてくれてありがとう。子どものためにどちらがいいか考えていたの。エグチさんは少し軽すぎるわ。」と言ってくすっと笑った。


「エグチさんの為にも黙っていてね。次は彼、サトウさんに行くと思うから」


それだけ言うと、さっさと立ち去って行った。


あっけにとられた私が残った。

その後、自分の持ち場に戻った。

そこには怒りに満ちたサトウさんがいた。


「ちょっとアカネチン!ヤマダさんから聞いたんだけどひどいと思わない!」


ああ、きっとばれた。


「これで、正社員の道がなくなったわ!彼女のせいよ!ねっ!ひどいよね!」


「う、うん。でも、まだチャンスがあると思うよ」と答えると


「そうだよね。その時アカネチンも一緒に正社員にって言おうよ」と言いながら、作業に戻った。


その日の午後、エグチさんが注文を取りにやってきた。


「いやー、曲げのイノウエさん結婚されるんですね。せっかく正社員になったのにね」といい、さっさと去って行った。


いつものようにサトウさんが話しかけないので、気になった。

やっぱりばれていたのか?


「サトウさん、いつものように声かけないね」というと


「前に娘を病院に連れていくときに見ちゃったんだよね」と。


イノウエさんと歩いている所!?


「若い女の子と親し気に歩いている所。それに今度事務所のヤマダさんの下に入った若い女の子にも声かけているんだって。一気にさめちゃった」


あきれて声も出なかった。

私は、2か月間のモヤモヤを思い一気に疲れた。

人の気持ちって、複雑だ。

この年齢になって、初めて知る事ばかりとなる。


「そよりさ、ヤマダさんから聞いたよ。フリーマーケットに出品するんだってね。私と娘にも手伝わしてよ!それにあの弟さんも来るんでしょ!紹介して!」と。


私は、その日この話を週末にご飯を一緒に食べたミエコさんとタクミにした。

二人とも私の複雑な気持ちを無視して大笑いしたのだった。


                       

                           <つづく>

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