カレー
働き始めて、初めての給料が出た。
10日締めで25日払いだという事で、月初めから働き始めたので少ししかなかったが、私は大いに感動した。
何故なら通帳の残高が今まで減るという事はあっても、増えるという事はなかったから。
仕事帰りに銀行により、キャッシュカードでお金をおろした。
花屋により仏壇に供える花を買った。
そして、母が好きだった望月堂のブリュレを買った。
これは、中身はトロトロのプリンでその場でカラメルをパリパリに焼いてくれる。
ミエコさんとタクミの分も買い、家に持って行った。
「誰かに自分で買う」というのも私にとっては初めてだった。
ミエコさんがとても喜んでくれて、先に父の仏壇に供えるわと言っていた。
自宅に帰り、私も花と一緒に仏壇に供えた。
「ママ、私の初めてのお給料で買ったのよ」と一人でつぶやいた。
もし、母が生きていたら喜んで食べてくれただろうか?
少し複雑な気持ちが胸をよぎった。
なんだか、喜ばないような気がした。
「アカネちゃんは、働かなくていいのに」と母の声が聞こえたような気がしたからだ。
心の中で思う。
「じゃあ、ママは私がこのままお金に困ってどうしようもなくなったらどうするつもりだったの?」と。
買って来たお弁当の後にプリンを食べた。
カラメルが、ほろ苦くてそしてプリンが甘くて少し心が和んだ。
翌日、会社に行くとマエダさんが申し訳なさそうに言った。
「今日、義母を病院に連れて行かないと駄目なの。忙しい中申し訳ないけど、お昼までで帰るわね」と。
私やカミデさんやサトウさんもみんな「大丈夫ですよ」と言った。
マエダさんは、お義母さんの介護があるので、たまに途中で帰る時がある。
また今は旦那さんの扶養控除内で働いているので、普段からも時間が短いし、休みも多い。
1年前まではフルタイムで働いていたそうだ。
でも、お義母さんを引き取られたことで時間を短くしてもらったのだとか。
それで、以前から組立の仕事が多くなってきたのともあり、私を雇おうという事になったようだ。
「旦那の収入があるし子供も独立したから短時間に切り替えるのにちょうどよかったよ。イトウさんが来てくれて本当に良かったわ。義母を病院に連れて行くのなんか、平日しか出来ないし」とマエダさんが言う。
「でも、ノグチさんとかは大変よね。お母さんのお世話をしながら営業の仕事なんて」
ノグチさんと言うのは、48歳の男性で独身。
営業に出るついでに自宅の様子を見にいき、間に病院にも連れて行っているのだとか。
会社も黙認しているようなのと、営業職は手当てが一律で決められているので、ある程度は自由にさせてもらっているようだ。
「私、義母と別々に暮らしている時に、休みを取って病院に連れて行くと先生が『もっとお義母さんのお世話が出来ないんですか?』と言われて腹が立ったことがあるのよ。仕事を抜けたり有給とったりしてやっと連れて行っているのに。仕事を私がしないと当時息子を大学に通わせられなかったのよね。じゃあ、私が働かなかったらどこからお金が出るよって思ったものよ」
マエダさんは、ぷりぷり怒りながら言った。
「ノグチさんは、自分でお弁当も作ってきているでしょ。自分は結婚もしていないし兄弟もいないから、出来るだけお金を残さないとと、ずっと言っているみたいよ。今の住んでいる家は昨年お母さんのためにバリアフリーにリフォームしたんだって」
私は、すごく感心して聞いていた。
何故なら私と大違いだから。
もし、母がまだ元気で生きていたら私はここでは働いてはいない。
そして、私がノグチさんと同じ年になった時、もし母に介護が必要になったら・・・。
その時には娘の私がいるから必然的に介護をするだろう。
じゃあ、その後は?
まさにこの前までと同じ状態なのだけど、若さが違う。
それと、母自身働いていたとは言え、かなり祖父母に頼っていたため、将来年金などは少ないだろう。
実際、母が残してくれた通帳を見ると祖父母が亡くなった後は、ほぼ積み立てなどしていなかった。
私が、母が亡くなった後に使ってしまった貯金と母の少しの年金。
母自身、あまり節約という意識はなかった人だ。
欲しい物は欲しいで我慢しない人だ。
破綻が見えるようだ。
介護などで貯金を使い果たし、母が亡くなりその年金も収入として入らなくなった自分の姿を思い浮かべた。
50歳後半ぐらいだろうか。
その年齢から働くのは絶対無理だ。
ぞっとした。
その状況を思い浮かべたのと、その事をまったく考えなかった自分とそして母の事を含めて。
その日の昼、食堂の私が座っている前のブースでノグチさんと他の営業の人がご飯を食べていた。
私のブースには、私とサトウさんとヤマダさん、そしてカミデさんと今日はいないがマエダさんが一緒に座っている。
他にも営業の人が数名いるが、若い人をのぞき家庭を持っている人が多い。
一人の人が、ノグチさんに言った。
「おっ、今日も自分で使った弁当か?お母さんの介護も大変だから今からでも嫁さん貰えよ」
ノグチさんは「そんなの無理ですよ」と苦笑いした。
「そうだ!イトウさんなんかどう?イトウさんも独身だよね」
いきなり私に話が飛んできて、びっくりしてご飯を詰まらせそうになった。
すると横に座っていたヤマダさんがすくっと立ち上がって言った。
「ちょっと、『嫁さん』に全部家事とかお母さんの介護させるつもり!?あなたの奥さんにも言ってごらんなさいよ!明日になったら離婚届きっと置いてあるわよ!ノグチさんは偉いわよ。少しはあなたも見習ったら」
食堂がシーンとなった。
言った人もノグチさんもバツが悪そうな顔になった。
座ったヤマダさんが、私に小声で言った。
「まったくもう本当に勘弁してほしいわ。うちの旦那も同じようなことを言った事があるの。大げんかよ。うちはまだうちの両親も旦那の両親も元気だけど、もし介護が必要になったら私が全部背負うのかと思ったらぞっとするわ」
「女性が全部するというのは違うよね」と私が言うと
「そう、それが違うという事がまだわからない人が多いの。まだうちの旦那は私が働いているから今は家事には少しは協力的なんだけどね。それでも私の負担の方が多いし、たまに将来の事を思うとこのまま実家かえって一人で子育てした方が楽なんじゃないかって」
サトウさんが口をはさんだ。
「実際、旦那がいないとその分楽になる部分はあるわよ。ただ、私なんか子どもが小さいから正社員もなれない。すぐに保育園から呼び出しあるし。収入の面がきついわ。それと何より離婚するのにはすごくすごくパワーがいるの。結婚する時よりね」
「そうだよね。でも、今でも休みの日に旦那の実家に行くのがきついの。ただでさえ、平日は長時間働いているのに、休みも気が抜けないなんて。孫の顔が見たくて差し入れがあるから来てって電話があるのよ」
みんなでため息をつく。
私にも最近、収入と支出という事がわかってきた。
今更だけど。
「生活」をしていくという事は、とにかくお金がかかる。
子どもを一人育てるのにもお金がかなりかかるという事も。
そして、結婚するっていう事が楽しいってだけじゃない事も。
想像してみた。
絶対にないけどもし私とノグチさんが結婚したら・・・。
お母さんの介護は私一人でしなければならないのか?と。
そして、そもそも私は料理も作る事も出来ない。
きっとノグチさんの方が上手だ。
無理だ~~と頭を振った。
「何してるのよ。アカネチン。」とサトウさんが私の肩をたたいた。
最近、サトウさんとヤマダさんは私の事をそう呼ぶ。
つられて他の女性社員の人の多くも私の事をそう呼ぶようになっている。
「そういえば、アカネチンは料理できないんだよね。今日もコンビニ弁当だし」とヤマダさん。
「そうなんです。作った事がなくって」
すると横でもくもくと弁当を食べていたジンデさんが言った。
「アカネチン、器用なんだからきっと料理できるよ。した事はないの?」
「えっと、学校の調理実習だけです」と答える。
ヤマダさんもサトウさんも「えっ~~~!」と驚きの声をあげた。
実際は、この学校の調理実習も出来る女子が全部してくれて、私自身は洗い物しかしていない。
友達もいなかったため、ワイワイと楽しそうにする輪の中に入っていけなかった。
「コンビニ弁当だけじゃ、栄養偏るしお金もかかるよ。自分で作った方が安く済むよ」とジンデさんが言うと他のみんなも頷いた。
「何が一番簡単かな」と私が言うと
「カレーじゃない?」とヤマダさん。
「そうだね、箱の説明の通りやれば失敗ないよね。ジャガイモとかの皮をむくのはピーラーでいいし、肉と玉ねぎだけでもいいし」とサトウさん。
みんなに「頑張れ!」「頑張れ!」と言われて、その日作ることになった。
丁度、タクミからLINEが入った。
「母さんが、今日晩御飯一緒に食べないかと言っている」と。
私は、みんなが一度料理をしてみたらといっているカレーがいいんじゃないかと言っていると返事をするとしばらくして、すぐに返信が来た。
「じゃあ、母さんが一緒に作ろうと言っている。材料は買っておくって」
その日、仕事を終えタクミの家に行くと、エプロンを持ったミエコさんが玄関で待っていた
「さあ、調理実習開始よ!」
じゃがいもとにんじんの皮をピーラーで向き、包丁で適当な大きさに切る。
玉ねぎを切って目が痛くなる。
玉ねぎをしんなりするまで炒めて、肉を入れる。
水を入れてその他の野菜を入れる。
灰汁を取り野菜が柔らかくなるまで煮込む。
カレー粉を入れて、とろみがついたら出来上がり。
意外と私には簡単だった。
今まで何故、しなかったのか不思議なぐらい。
カレーを3人で食べた。
美味しかった。
自分で作ったカレーは。
食事中、今日会社であった事を話した。
タクミが言う。
「古いオッサンたちだな。俺なんか、母さんが「男の子も出来なきゃダメ」ってうるさくて、料理とか全部一通りできるぜ」
ミエコさんは主に在宅で仕事をしているが、仕事上出掛ける時もあり、そんな時はタクミが家の事をしていたのだと言った。
「あら、じゃあ今度はタクミの料理をみんなで食べよう」とミエコさんが言って3人で大笑いした。
「そういえば、親父も野菜がやたらでかいカレーだけは作っていたよな」
「そうそう、食べるのに大変だったわよ」
「そうなんですね。」
「アカネちゃんは、お父さんに似ているわ。今日見ていて本当に思ったわ」
「本当だよな。男女の違いがあるのになんかじゃがいも向いている姿がそっくりだった」
ミエコさんとタクミがほほ笑んだ。
私の知らない私に似ているという父。
でも、カレーを通じて少しつながった気がした。
タクミが3杯食べて、カレーは完食となった。
食べながらミエコさんが、簡単なものを教えてくれた。
帰る時に料理の本も持たせてくれた。
かなり年季の入った本だった。
ミエコさんが高校生の頃に使った調理実習の本だそうだ。
「まず、ここから始めてみたら?」と。
最初のページに載っていたのは、豚汁だった。
祖母がよく作ってくれていたのを思い出し、明日でも挑戦してみようと思ってみた。
帰りに自転車を漕ぎながら、父はミエコさんと結婚をして幸せだったのだと思った。
そうじゃないとここまで私に良くはしてくれないだろう。
そして、父に似ているという私を懐かしそうに眺める二人の目。
でも、母とはどうだったんだろう。
今日、サトウさんが離婚するのはかなりのパワーがいると言っていた。
お互いに憎みあって二人は別れたのだろうか。
母は父に似ていた私を本当は嫌いだったんじゃないかという思いがまた心にわいてきた。
「違う!」と言って頭を振って自転車を走らせた。
そして、あの暖かい家を出た事で、1人きりになる家に帰ることが悲しくなってきた。
<つづく>
神の手さん
最初、カミデとするかジンデとするか迷っていたので入り乱れている。
「カミデ」に訂正