甘えん坊の日
美しき銀嶺、直訴の巨人アーガイラム死す。
その知らせは瞬く間に暗黒領域全土を駆け巡った。
いや、知らせるまでもなかったかもしれない。雪を被る美しき山頂が削り取られ、まるで古代の闘技場のごとき円形の台地だけが残った。新たな時代の闘争を招くかのように。
次なる巨人王はトパズとトリアナイトの二人。
トパズ王は人間の同盟者と手を組み、暗黒領域の支配を目指す。
トリアナイト王はソルフレアの転生体を名乗る死体啜りの森の主と共に、それを防ぐ。
当然、暗黒領域内の小国はどよめいた。巨人国が別れて戦うということは、この戦いの勝者が暗黒領域の盟主となることに間違いはない。千年続く戦無き『国盗り』の決着が付くかもしれないという時代の変遷に驚き、おののき、あるいは沸き立った。
あるいはまったく別の者が勝利を掠め取ることもありうると予測する国主もいれば、自分がそうなってやろうと野心を高ぶらせる国主もいた。世界の趨勢などどうでもよく、いかにして自分の領地を、あるいは自分の命を守るかに腐心する国主も案外多かった。
だが戦う意志がある者も、ない者も、等しく苦難の運命が訪れることであろう。
そんな激動の瞬間を迎えている中、我は実家に帰るところだった。
『クソ疲れた。早くママさんのメシが食いたいぜ』
「まったくじゃ……あーもう肩がこる」
『俺に乗ってるくせに』
「ええじゃないか。ちっちゃくて軽いじゃろうが」
『態度とケツはデケぇよ』
「なんじゃと!」
そんな雑談をしながら、我はミカヅキに乗って帰途を走っていた。
まだ学校が再開するまで3日ほどあり、パパとママのところでのびのびするのがよいと思っていた。そう思ってミカヅキの背中に乗って学校から家に帰る。駅馬車の十倍以上の速度が出せるので、丸一日、暗黒領域で活動していたこともほとんど誤魔化せる。
だが誤魔化せないものもある。
「……ソルちゃーん?」
玄関を抜けてただいまと言って、そそくさと自分の部屋に行こうと思った瞬間、ママが声をかけてきた。
ママの声は落ち着いている。
落ちすぎてるってくらい落ち着いている。
「は、はいなのじゃ」
「何か言うこと、あるんじゃあないかしら?」
ママがゆっくりとこちらを向く。
その笑顔の下に渦巻いている感情。
それはまちがいなく。
「……えっとぉ、そのぉ……お腹空いてないからごはんちょっとでいいのじゃ」
「【竜身顕現】は使っちゃダメって言ったでしょ!!!!!!!!!」
「ひょえええっ!?」
大激怒であった。
◆
正座である。
正座の最長記録である。勝手に他人の家の羊小屋に忍び込んだときや、野良オオカミとケンカしたときよりも長い。
つまり、人としてこの世に生まれ落ちてから、ママがもっとも怒っている。
ミカヅキも巻き添えを食らい、我の後ろでバツが悪そうに座っている。
「な、なあヨナ。ソルも反省してるようだし……」
「あなたは黙ってて!」
「はい」
パパがとりなそうとしてくれるも、むしろ火に油を注いだだけだった。
ママの激怒にはパパも敵わない。
そして正座のまま長い時間が過ぎて、ママがようやく話を切り出した。
「あのねぇソルちゃん。そんなに使って、バレないわけがないでしょう」
「……うん」
やれやれとため息を付きながらママが言った。
我の背中には【竜身顕現】で生やした竜の翼がそのまま残っている。
ていうか指先も竜のままだ。
「それ、戻せる?」
「多分、明日には……」
特に根拠はない。
だが徐々に普通の人間の体に戻っている感覚はあるので間違いはないと思う。
「ねえ、ソルちゃん。どうしてママが【竜身顕現】を禁止したかわかった?」
「……戻らなくなっちゃうから」
今の我は、竜の魔力が体に馴染みすぎてしまった状態だ。
もし【竜身顕現】をもっと長く使い続けていたら、その状態が基本になってしまうであろう。人間の体の方が特殊状態になってしまう。
「それもあるし、他にどんな代償が起きるか予想が付かないの。特にソルちゃんみたいに体ができあがってない幼い子ほど体が変化しやすいのよ。もっとも……普通はソルちゃんくらいの歳じゃ【竜身顕現】なんて使えないし、使う機会なんてまずないんだけど……」
ママがそこまで言って、我の目をじーっと見る。
すごく見てくる。
それはもう、めちゃめちゃ見てくる。
「どうしてやったの?」
「それは……そのぅ……」
「言いなさい」
「く、詳しくは言いにくいというか」
「言いなさい、一から十まで全部」
「……それは話すと長くなると言うか」
「長くっても言いなさい」
ものすごい圧がある。
千年を生きる巨人にも劣らぬ圧力である。
この圧力に負けてすべてをあけっぴろげに話してしまいたくなる。
……いや、言いたくなるのは単に圧があるというだけではない。
ママがママであるからだ。
だがママだからこそ言えぬ。
きっと暗黒領域で起きたこと、これから起こることを事細かに説明すれば、我が本当にソルフレアの生まれ変わりであると理解してくれるであろう。だがそれは、今ではない。
「生半可な理由とか、遊び半分でやったなら……」
「それは絶対に違うのじゃ!」
反射的に叫ぶとママが驚き、そして少しだけ表情を緩めた。
「悪いことには、使ってない?」
「使ってないのじゃ」
「ソルフレア様に誓える?」
「誓うのじゃ」
我の名にかけて、恥じることはしておらぬ。
「うーん……」
ママが腕を組み、我を見ながら悩んでいる。
悩ませていることを申し訳ないと思いつつも、どうか穏便にしてほしい。
「ミカヅキちゃん、本当にそうなのね?」
「わふ」
ミカヅキに確認されるの、ちょっとショックなのじゃ。
いや、だが、仕方ない。
我が本当のことを言えぬのが悪いのだ。
「ソルちゃん。話せる範囲でいいから、ちゃんと話してほしいの」
「…………うん」
悩みに悩んだ末、我は、マを騙すことにした。
本当のことを話しつつも大事なところは曖昧にして、すべてを言わぬことにした。
それが本当に心苦しく、辛い。
「……友達がピンチだったのじゃ」
トリアナイトちゃんが巨人であることや、アーガイラムについては伏せつつ、『無貌の女神神殿』を探索したこと、そこで拾った宝物でトリアナイトちゃんのパパを治そうとしたが失敗したこと、その過程でどうしても【竜身顕現】を使わなければならなかったことなど……重要なことは伏せつつもママに打ち明けた。
聞き終えたママは、難しい顔をしていた。
だがその一方でパパはちょっとにやにやしている。
またママにどやされてしまう……と心配していたが、パパの様子に気付いたママは、妙に恥ずかしそうにしている。
「お前ソックリだな」
「それは言わないで!」
ソックリ?
何のことかわからぬ。
「ママも似たようなことをしたのじゃ?」
「俺たちが冒険者だった頃、ママは【竜身顕現】を使いまくってて仲間から怒られてたっけなぁ……。しかもママのときの代償は過眠で、何日も眠りこけちまってたんだよ」
「パパ!」
「で、眠ってるママを守り続けるのが俺の仕事でな……」
「パパ!!!!!!!!」
気付けばママの恥ずかしい過去の話になっている。
パパによれば、パパとママは昔、人間の国を支配しようとする魔王とかいう謎の魔物と壮絶な戦いを繰り広げたらしい。暗黒領域の中にもなかなかいない強者であったそうで、人間の冒険者のトップクラスの戦士たちが決死の戦いを挑んでようやく倒したのだとか。
「魔王って、どんなやつだったのじゃ?」
「暗黒領域から出てきた魔物の古豪とも言われていたし、邪悪な魔術を極めた人間とも言われていた」
「千年前の勇者の一人が堕落したとかも言われてたけど……正体はわからずじまいだったわ」
うーむ、気になるのう。
ママとパパ、二人に比肩する戦士たちのパーティーとなると、ラズリーや暗黒領域の強者に匹敵するであろう。流石にアーガイラムのような脅威ではなかろうが名のしれた魔物であってもおかしくはない。
「魔王との戦いの後は代償に丸々一ヶ月寝込んでな……目覚めなかったらどうしようって戦々恐々としてて……」
「だからパパ!!!!!!!!!!」
ママがけっこう本気で怒り始めた。
だがパパは動じることなく、ママに向き直った。
「なあヨナ。ソルは、お前と俺の娘なんだ。似てほしくないところも似ちまう。誰かのためにとんでもない無茶をする。もちろん、悪いことをしたら叱るべきだし、命を危険に晒すのはやめてほしいが……」
パパがママの手を取る。
そして、優しい声で言った。
「まずはソルの気持ちを、ちゃんと聞いてからでも遅くはないんじゃないか?」
ママは、悩んだ。
悩んだ末に口を開いた。
「ソルちゃん」
「はい」
「ソルちゃんは、自分のやったことを間違ってないって思っているのね」
「……やったことは、正しかったと思うのじゃ。でも」
「でも?」
「ママとの約束を破って、仕方ないで済ませてた自分が……なんだか許せぬのじゃ」
我は、【竜身顕現】を使えば使うほど竜の体に近付くのであろう。
色んな要素が絡み合って、我は前世の特性を再現するまでに至った。もし制御を誤っておれば人間の肉体に戻れぬ領域に踏み込んでいてもおかしくはない。あるいはママのような過眠の代償があるかもしれぬ。もし前世ソルフレアがしていたような「竜眠」をすれば何日どころか何ヶ月か、あるいは一年を超す眠りについてもおかしくはない。
そしてもし我が力をつけた状態で竜眠をすれば、我の周囲だけ限定的な冬……竜冬が訪れていたかもしれぬ。そうなればこの村に夏でも雪が降り積もってりんごの木は大打撃を受けていたであろう。当然避けるべきことだ。
だが何よりも、我は今のこの体が愛しい。
人と同じ五体を持ち、パパと似たような髪と、ママと似たような顔つきの自分が愛しい。
無意識に魂の状態であった我が二人から影響を受けただけで、親から子へと受け継がれたものではない。そうだとしても、似ていることに今は心からの喜びを感じている。
それがなくなるのは、なんだか、とってもいやだ。
「ソルちゃん」
涙ぐんでいる我を、ママがそっと抱いた。
そしてパパも我とママを抱きしめる。
「約束破ったことはダメよ。でも……約束を破ってでも、一緒に冒険して、友達の願いを叶えたかった。そういう友達ができた。そういう経験ができたのは……この家を出て、学校に行って、自分で生活し始めたからこそなのよね」
「そうだな。村にいるだけじゃ経験できなかった」
ママの怒りが引いていくのを感じる。
パパが安心して、優しく我とママの背中をぽんぽんと叩く。
我はようやく気付いた。
そうか、これが成長するということであったかと。
前世の我はずっと、我であった。何かに気付いて行動を改めることはあったが、根本的な価値観とか考え方が変わったことはあんまりなかったように思う。
「我は、悪い子なのじゃ」
己の視座が広くなることは、喜びがある。
けれど自分の愚かさに気付くことでもある。
やったことを後悔はせぬ。しかしこんなに愛してくれるママの言葉を、心のどこかで軽んじていた。
ぐしぐしと涙を拭う。
それを見て、ママがくすりと笑った。
「もう一つの約束は、ちゃんと守ったじゃない」
「もう一つ……?」
「あー、忘れちゃったの? ちゃんとおうちに帰ることって約束したじゃない」
「だって家に帰るのは普通のことなのじゃ」
そんなこと当たり前すぎて、守っているなどという意識さえなかった。
「当たり前だから大事なのよ……。さ、ご飯の支度するからちょっと待ってなさい」
ママが我を放し、キッチンに行って料理を始めた。
すると今度はパパが我の体を抱っこした。
「我はけっこう成長したから重いのじゃ」
「何言ってんだ。全然ちっちゃくて軽いじゃないか」
去年感じたパパの体は、小さくなっている。
否、我の身長が伸びたのだ。
子供扱いするでないと振りほどこうと思ったが、できなかった。
絶対的なものは決して絶対ではない。
我とてそうであったように。
アーガイラムはこの世から去り、子供らは自立を始め、暗黒領域を二分する戦いを繰り広げることになる。
我は大きくなり、パパの身長に近付くであろう。
ママの背丈を追い越すやもしれぬ。
そのときは今と違う景色が見える。過去の景色とまったく同じものが見えないように。
この一瞬は、この一瞬しかない。
「おっ、今日は甘えん坊だな」
パパを抱き返し、台所のママの背中を見つめる。
そんな我の様子にパパが驚きながらも、どこか嬉しそうに言った。
「そういう日もあるのじゃ」
やがて、ハンバーグの匂いがリビングに漂ってきた。




