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巨人国の黄昏



 巨人アーガイラム。


 彼を魔物と見なす者は少ない。


 そもそも、一個の生命体と捉えることが難しい。暗黒領域にそびえたつ山領という、そこに当たり前にある風景として溶け込んでいるからだ。


 身長、つまり標高は三千メートルを超え――といっても実際は標高二千メートルほどの台地に鎮座しているので千メートルほどではあるが――、肩のあたりから先は森林限界となって、その上には白い雪と氷による煌めく山頂、あるいは頭部がある。魔物たちはその山領に見惚れて「美しき銀嶺」と暗黒領域を象徴する景観として誇りを抱いていた。当人は「毛が無い」「寒い」と気にしているとしても。


 そのアーガイラムの大いなる体の肩に、氷と鉱石によって作られた宮殿がある。


 そこは肩の宮殿と呼ばれる、巨人たちの政治中枢だ。


「親父殿。あのソルフレア様の生まれ変わりを名乗る小娘……このまま放っておいていいんですかい」


「なんだお前ら。不満か?」


 氷と鉱石でできた青く静謐な空間はひどく簡素だ。

 だがそこに集う十数人の姿は、どれも畏怖を感じさせる堂々たる佇まいをしていた。

 特に目立つのは玉座に座る偉丈夫である。


 彼こそがアーガイラムの分身体である。


 アーガイラムは普段、その大いなる肉体……つまり山そのものを動かすことはない。魔法で編み出した、身の丈二メートルほどの人間の体を作り出して家族、あるいは他人や敵とコミュニケーションを取っている。


 人間体はどこか大雑把な顔つきと体つきをしていた。


 野を駆けて自然と共に生きていた頃の生身の人間のような、太く、かさつき、だが街に住む者には決して持ちうることはできない威厳を伴っている。まさに山領としてのアーガイラムを彷彿とさせる人間の容貌であった。


 そのアーガイラムに跪いて物申している人々の姿は、多種多様であった。目を見張るような美男美女もいれば、アーガイラムと似た野太さを感じさせる者もいる。


 だが全員、共通している雰囲気や気配……あるいは思想があった。


「しゃらくせえ。巨人族に断りもなく暗黒領域の頂点を名乗るようなやつは仕置きをしてやるのが流儀ってもんじゃねえですかい。親父殿」


「隕石の一つでも落としてやりゃあ大人しくなるってもんだぜ」


「馬鹿野郎。貴重な森を燃やすんじゃねえよ」


 巨人であることに大きな誇りを抱き、それに唾する者を倒さなくてはならないとい使命感だ。


「落ち着けガキども。死体啜りの森が鎮まってケンカの機会がなくなったからつまんねえってだけだろうがよ」


 アーガイラムの呆れ気味の言葉に、周囲ががははと笑う。


 彼ら、あるいは彼女らは、アーガイラムの子だ。


 人間のようにアーガイラムが誰かを妻として作った子供、ではない。巨人族は魔物であると同時に、山や岩石、鉱石といった土の属性の精霊であり、自然発生的にこの世に生れ落ちる。大自然の化身たるソルフレアやミカヅキとは力の大きさこそ違えども、極めて近しい存在であると言えた。


 そんな彼らは、家族(ファミリー)を形成していた。


 当然、繁殖のためではない。そして個として強力な生物や魔物は群を作ることは稀であるのに、アーガイラムは暗黒領域に棲むすべての同族を「子」と呼んで庇護し、「子」もまたアーガイラムを「親父」と呼び、敬い、慕っている。その理由はとてもシンプルなものだ。


「まあ……最近、戦果を挙げる機会がねえし、つまんねえのもわかるんだがな」


「俺たちゃ親父と一緒に戦うためにここにいるんだ。『戦え』の一言さえありゃなんでもするってもんさ」


 すべての巨人が、アーガイラムの軍門に下ったからだ。

 その強さ、懐の広さ、そしてシンプルなまでの大きさに巨人たちはアーガイラムに圧倒され、敬っている。


「しかし一部の古豪は本物かもしれないと噂していますわ。確かめる必要はあるかと……結界を通っている者もいるそうですし」


 見目麗しい美女が、そう進言した。

 姿形は人間そのものではあるが、人間離れした美しさだ。

 まるで宝石そのものが人間になったような煌びやかさと静けさを持つ、神秘的な佇まいであった。


「そうだったらむしろ一介の魔物としちゃ助かるんだがな……。そうでなかったときは、不逞の輩が結界を素通りしてることになる。調べなきゃならねえ」


「ソルフレア様でないとすると、一体誰が……?」


 美女の問いかけに、アーガイラムは顎に手を当てて考え込む。


「わからねえ。あるいは月の化身、もっと危うい可能性もある」


「……風の化身、ですか」


 アーガイラムの表情が曇る。


 暗黒領域はその昔、太陽の化身ソルフレアの権勢こそ絶大であったが、他の大地の化身の存在も決して小さくはなかった。


 月の化身は時として太陽の化身と対立することはあれど、地上の矮小な生命を慈しむ善なる存在だ。


 だが風の化身は、善と悪の両面を併せ持つ厄介な存在だったそうだ。


 魔物たちを率いるソルフレアを裏切って勇者を手助けしたという噂も、千年たった今なお、まことしやかに語られている。


「様子を見るなんてヌルいぜ。ブッ潰しちまえばいいじゃねえか。太陽邪竜サマだったなら指詰めるなり腹を切るなりすりゃいいだけのこと。殴った後のことなんていちいち考えて喧嘩なんてできねえよ」


 荒々しい……いや、もはや凶相とでも言うべき姿の巨人が嘲笑った。


 いつ何時でも剣を鞘から抜きはらいそうな危うさを持ち合わせている。そんな闘争を求める巨人は、この場では決して少なくはない。巨人たちは、闘争を貴ぶ暗黒領域の申し子であると言えた。


「……もう少し礼節を弁えなさい」


 少女に窘められた巨人は、悪びれることなく肩をすくめる。


「人間の姿が便利だからってそこまで人間流にするこたぁねえじゃねえかよ。俺たちぁ魔物なんだぜ」


「兄者の言う通りだ」


「生意気なガキなんざ一ひねりよ」


「軽挙妄動をするな。ようやくあのエンリク一派が落ち着いているのだぞ」


「そうです、兄者も姉者も落ち着きましょう」


「だが異能者どもに潰された小国も出てきたと聞く。暗黒領域を揺るがす者どもは粛清をせねばなるまい」


 闘争を求めるアーガイラムの子らの中も、序列というものはある。

 より古く、より強く、そしてより戦果を挙げた者が「兄」や「姉」という扱いを受け、劣った者が妹や弟となる。そしてより上の兄や姉になれば発言権は増し、山嶺としてのアーガイラムの、鉱物資源や魔力資源の豊富な土地を所有するできる。


 だが、もっとも兄弟姉妹たちを争わせるものは、その先にある。


 区画で区切られた土地などではない。

 アーガイラムのすべてを手に入れる者が、兄弟姉妹の中から選ばれる。

 岩石一つや鉱石一つの精霊ではない、アーガイラムのように「山」そのものの精霊へと進化し、次なる巨人国の王となる者が。


 野心を滾らせている子らは他の兄弟姉妹を出し抜く何かを模索し、水面下で激しい闘争を重ねていた。


「……手前ら、落ち着け」


 その声は、重圧を伴っていた。

 ここはアーガイラムの眼前であると同時に、その大いなる肩の上だ。

 アーガイラムが少しばかり意識を本体に移すだけで、大地を震えさせることができる。

 その声も本体から発すれば山そのものの鳴動となる。


「……失礼いたしました、親父殿」


 巨人たちはその鳴動に焦り、矛を収めた。


 アーガイラムの偉大なる声は、天を貫き太陽まで届く。今でこそアーガイラムは巨人族の王ではあるが、古代においては何の後ろ盾もなく、ただおおらかに暗黒領域を生きる流浪の存在に過ぎなかった。


 だが暗黒領域が窮地に陥り、多くの魔物たちが人々に敗北しようとしたとき、彼は立ち上がって暗黒領域のもっとも高い場所で叫び続けた。


 偉大なるソルフレア様よ、なぜ魔物をお救いになられないのですかと。


 魔力、体力は尽き、皮膚は砂漠のように枯れ果て、喉は破れて血しぶきが飛んでもなお一ヶ月寝ずに叫び続けた声はやがて天を貫いてソルフレアに届いた。


 そしてソルフレアの加護を得た魔物は人間に対して優勢を誇り、繁栄を謳歌した。今でこそ再び人間に押し返されたが、時代を作り上げた開拓者、『直訴の巨人』アーガイラムの功績は今も色褪せることなく語り継がれている。


「ソルフレア様は魔物たちの闘争を尊いものと見てた。喧嘩をするなとは言わねえ。だが……意外とダンスバトルも好きだったんだぜ」


 巨人の子たちは、冗談なのか真実なのか判断できずにぽかんとした表情を浮かべた。

 アーガイラムの子らはまだ若く――と言っても数百歳を超える者も多いが――ソルフレアの時代を覚えている者は少ない。

 少し寂しげにアーガイラムが微笑み、だがそれをすぐに心の奥底にしまい込んで厳しい表情を浮かべた。


「それよりも今は大事ことだ。わかるな?」


「……あの子のことですね」


「ああ。連絡を絶って久しい。死んだならともかく、念話さえ飛ばしてこねえは異常だ。お前らにもわかるだろう?」


 アーガイラムの重苦しい言葉に、全員が静かに頷く。

 だがそれ以上に重圧を伴っているのは、アーガイラムの命令であった。


「いいな。俺たち家族を手に掛けたやつがいるなら……ケジメを付けさせるんだ」


「「「「「応!」」」」」


 怒りに満ちた声で、アーガイラムの言葉に皆が応じる。


 家族の絆は虚飾に彩られ、権力闘争は熾烈になりつつある。「次の王」が決まる時期が近付いていると誰もが薄々理解しているからだ。


 だがそれでも、同胞の危機には皆の心が一つになった。血を分けた家族でもなく、そもそも人間や動物と違って家族という概念さえ持たざる種族であるのに。


(……それがあれば、十分に幸せじゃないか。どうして同族同士で戦いあって……喰らい合おうとするのだろう)


 アーガイラムの子らの末席の一人が、そんなことを思った。


 その悲哀と祈りは、誰にも届くことはなかった。





2巻が3/30発売予定です。よろしくお願いします!

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