♯4 少年と命の恩人
水の中で溺れたあと、俺は再び意識を失った。
意識を取り戻したのはそれから1週間が経った後だった。
目を開けると、やたらと医者たちが喜んでいたのだけは今でも覚えている。
どうやらみんな、俺の意識はもう戻らないと諦めていたらしい。
だから、目覚めた直後はみんな俺に優しくしてくれた。
だが時間が経てば医者に尋問され、看護師からは腕を締めつけられ、薬剤師からは苦い薬を飲まされた。
つまり、地獄の日々がまた始まったのだ――。
いい加減、何か変わったことが起きてほしいものだ。
いや、2回ほど変わったことが起きてたな――。
1回目は少年3人が親を連れて謝りに来たこと――。
どうやら、こいつらが俺を水の中へと突き飛ばした犯人らしい。
動機は、俺を池に突き飛ばすことが世界のためだったから――。
それ以上のことは何も語りはしなかった。
マジで理解に苦しむ動機だったな――。
ってか、こいつら本当に俺に謝りに来たのか?
誠心誠意謝ってるのは親の方だけで、当の本人たちはびっくりするぐらいに棒読みだったぞ?
とりあえず、腹が立ったので適当にあしらって帰ってもらった。
だけどその直後、すごく心がモヤモヤとしたことは今でも覚えている。
邪魔な奴らを追い払って精々したはずなのに、なんでなんだろうな――。
2回目は俺を助けてくれた少女が会いに来てくれたこと――。
実は目が覚めてからずっとお願いしていたことがあるんだ。
それは俺を助けてくれた人に直接お礼を言いたいということ――。
だけどその人はここの入院患者ではなかったために、俺の願いが叶えられることはなかった。
たぶん、心がモヤモヤしたのはこれのせいでもあったんだろうな――。
だがある日突然、その人は俺の前に姿を現してくれた。
正直、この先も俺の願いが叶うことはないのだろうと諦めていたのですごく驚いた。
ついでに、俺を助けてくれた相手が少女っていうのも驚いた。
あと容姿だけで俺を女性と判断したところはかなり面白かった。
まぁそうやって小馬鹿にしてしまったがために最後はそそくさと帰られてしまったけど――。
だが、どさくさに紛れて感謝の気持ちを伝えることは出来た。
その瞬間、俺の心は晴れ渡った。
なのに、時間が経つに連れて再び心がモヤモヤとしていった。
たぶん、これは永遠と続く地獄の日々にそろそろ嫌気がさしているんだと思う。
あーあ、また俺の前に現れないかなぁ――。
俺の命の恩人様が――。
そう思っていたときだった。
突然、ノック音が聞こえてきた。
もう日光浴の時間かよ――。
「瞳くん、起きてる?入るよ?」
しかし、聞こえてきた声は看護師のものではなく――。
「もしかして千尋か?!」
「失礼しまーす」
ガラガラと扉が開けられる音がきこえてくる。
そして、その直後――。
「えぇー?!瞳くん、その目どうしちゃったの?!ケガでもしたの?!痛いの?!」
「うるさいうるさい。一旦落ち着け――。ってか瞳って誰のことだよ?」
「君のことに決まってるじゃん」
「俺の名前が分かったのか?!どこで?!」
「いや君の名前が本当に瞳なのかは知らないよ?」
「――は?」
「ただ名前がないと何かと不便でしょ?だから仮でもいいから名前で呼ぼうかなって!って話を逸らすな!その目は何があったのかきちんと説明してよ!!」
「分かったから騒ぐな――」
とりあえず、俺は大声を出しながら近寄ってきた千尋を座らせた。
千尋がやたらと俺の目を心配しているが、実は今俺は目に包帯を巻いているんだ。
理由は二度と目を開かないように――。
千尋が水の中から俺を助け出してくれたとき、俺は思わず目を開いてしまった。
もちろん激痛が走り、俺はそれに耐えられず叫んだ。
だけど、俺のその叫びを聞いた千尋は余計なことをしたのではないかと心を痛めてしまったらしい。
俺が叫ぶことにより悲しむ人が出た。
今後、俺の叫びのせいで悲しむ人を出したくない。
そう思った俺は目に包帯を巻き、二度と目を開かないという誓いを立てた。
それを千尋に説明したんだけど――。
「何それ、そんなに気にしなくていいのに」
そう言って笑われた。
「おまえなぁ――」
「ごめんごめん。そんなことより、一緒に日光浴に行こうか!」
「面倒くさいからパス」
「よし、膳は急げ!ということで看護師さん呼んでくるから待っててね!!」
「おまっ!人の話を聞けよ!!」
結局、俺はあれよあれよという間に動くイスに乗せられて外に連れ出されたのだった。
しかも、千尋は動くイスを押し慣れていないのかすごく乗り心地が悪かった。
マジで乗り物酔いしそうだった――。
とりあえず、何か話をして気を紛らわそう。
「なぁおまえってこの病院に何しに来てるの?」
「お母さんのお見舞いだよ」
千尋は詳しく教えてくれた。
千尋の母親が俺と同じくこの病院に入院していることを――。
抗ガン剤治療って言うものを受けていることを――。
ちなみに、今日会いに来てくれたのも母親が抗ガン剤治療中で暇だったからという理由らしい。
なんだ、ただの暇つぶしかよ――。
「じゃあ毎日ここに来てるってことだよな?」
「わたしだって出来るなら毎日来たいよ――」
これについても千尋は詳しく教えてくれた。
まずこの病院は関西という場所にあり、千尋の住む場所からはかなり離れているらしい。
どれくらい離れているかというと日が陰る頃にここを出ると帰るのは日付が回った頃であると――。
さすがにそんな深夜に少女が1人で出歩くわけにもいかないので、この近くに住んでいるおばの家で一泊してから帰るらしい。
とにかく、それぐらい離れているので学校が休みでかつ部活動がない時にしか来れないんだってさ――。
「千尋ちゃーん」
遠くから千尋を呼ぶ声が聞こえてきた。
千尋の母親か?
「千尋ちゃん、みっけ!お母さんの治療が終わったみたいよ」
違う、ただの看護師だった。
「ここは変わるからお母さん会ってきなさいよ」
「本当ですか?!」
千尋の嬉しそうな声が聞こえてくる。
その瞬間、俺の心が再びモヤついた。
「なぁ千尋――。また会えるよな?」
そして、気がつけばそう口走っていた。
「うん、また会いに来るよ。じゃあね、瞳くん――」
駆け足の音が徐々に離れていく。
だが、その音はピタッと止まると――。
「次に会うときは一緒に歩けるといいね!!」
そして再び駆け足の音は離れていき、やがて聞こえなくなった。
「なぁ看護師――」
「看護師さん、でしょ?」
「――看護師さん。俺は歩くということが出来るのか?」
「あなたがその気になればね」
俺がその気になれば、か――。