♯3 少女と少女?
最悪――。
真冬の池にダイブしたわたしはものの見事に風邪をひいてしまった。
そのせいで、大晦日と元日は熱を出して寝込むはめになってしまった。
その後は熱も下がり鼻水と咳が出るぐらいには落ち着いたんだけど、お母さんに近づくことだけは許されなかった――。
なぜなら、お母さんは抗がん剤治療を受けているから――。
知ってる?
抗がん剤治療を受けている人はね、普通の人よりも免疫力がガクンと低いってことを――。
つまり、普通の人よりも風邪をひきやすいの。
だけど怖いのはそこではなく、本当に怖いのは風邪をひいてしまったあとの話――。
免疫力が下がっているということは、つまり自分の力で病原菌をやっつける力が弱っているということ――。
そんな人の身体に侵入した病原菌はもちろん悪さしかしない。
最悪の場合には――。
そういうわけでわたしはお母さんと初詣に行くことも出来なければ、年越し蕎麦も食べることも出来なかった。
そして、お母さんと会うことを許されぬまま冬休みは終わったのだった――。
その後は大会があったり試験があったりとなんやかんや忙しくて、気がつけば春休みを迎えていた。
そしてやっと時間を作ることが出来て病院に向かえば、今日に限ってお母さんはダウンしているみたいでこれまた会うことは許されなかった――。
なんか今年は最悪な1年になりそうな気がするな――。
ふと、わたしの視界に柵が入った。
その柵は、この前ダイブした池の周りに建てられたものだった。
たぶん、もう誰も落ちないようにって病院側が対策をしたのかな?
まぁもうどうでもいいや――。
とりあえず、この池を見てたら涙が出てきそうなので今日はもう帰ろう。
そう思っていたんだけど――。
「千尋ちゃーん!!」
背後から大きな声で呼び止められた。
振り返ると、駆け足で近づいてくる看護師さんの姿が目に入った。
あっよく見たら、よくお母さんのお世話をしてくれている看護師さんだ。
「ごめんね、呼び止めちゃって。今日はもう帰るの?」
「はい。今日はおとなしく帰って日を改めようかと――」
「帰るところ申し訳ないんだけど、ちょっとだけわたしに付き合ってくれないかしら?」
顔の前で手を合わせてくる看護師さん――。
まぁいつもお母さんがお世話になっているし、そもそも暇だしいっか――。
ということで、わたしは看護師さんに付き合うことにした。
さて、わたしが連れて行かれたのはとある病室――。
誰か知り合いでも入院しているのかな?
そう思って表札を見たのだけれど、そこには誰の名前も書かれてはいなかった。
なら、ここは空室ということになる。
なんだけど、看護師さんはその扉を3回ほどノックすると――。
「入るわよ」
そう言って扉を開けた。
その部屋のベッドには誰かが横になっていた。
髪の色はワインレッド――。
寝ているから分からないけれど、髪の長さは腰辺りまであるんじゃないかな?
あっよく見たら寝癖があるじゃん。
だけどそんな可愛い一面を見せる一方で脚はベッドに固定されており、また目が不自由なのかずっと閉じられたままであった。
その痛々しい姿に思わず目を反らしてしまいそうだった――。
「連れてきてあげたわよ」
看護師さんの声に反応したのか、ベッドの子がこちらを向いた。
看護師さんはその子の身体を起こしてあげたあと、わたしに手招きした。
そして、わたしはその子の前にちょこんと座らされると――。
「寺島千尋ちゃん。あなたを助けてくれた命の恩人よ」
ん?
わたしはいつ人助けをしたっけ?
うーんと考えを巡らせたが、特に心当たりはなかった。
「――おまえが俺を助けてくれたのか?」
今にも消え入りそうな声だった。
だけど、その言葉でわたしは思い出すことが出来た。
目の前にいる子は、わたしが池から救い出そうした子であったと――。
しかしそれ以上に驚くことがあり、わたしは思わず口走ってしまった。
「――えっ?君、男の子なの?」
その場が一気に静まり返った。
うん、まぁそんな雰囲気になっちゃうよね――。
でもね、わたしからも言わせてほしい――。
髪が腰辺りまで伸びてたら普通に女の子だと思うじゃん?!
それで女の子だと思っていたのに男の子の声がしたらそりゃ驚くじゃん?!
「おまえ、容姿だけで俺を女性だと判断したろ?」
「ち、ちーがーいーまーすー!!」
「嘘だな。声が裏返ってる」
――!!
なんて失礼な人なんだろう。
でも、マジでその通りだから言い返すことも出来ないんだよね――。
だけど、くすくすと笑っているところを見ていると少しだけ悔しくて、わたしは軽く唇を噛み締めた。
「なぁ。おまえ、名前は?」
うーわ、さっき看護師さんが紹介してくれていたのに全然聞いてないじゃん――。
やっぱり失礼な人だ、この子は――。
「わたしの名前は寺島千尋。氷柱中学校に通う3年生。そういう君の名前は?」
「俺の名前なぁ――。当ててみろよ?」
「ちょっと、ふざけないでくれる⁈」
「千尋ちゃん――」
声を荒げるわたしに対して、看護師さんはシーッとわたしの唇に人差し指を押し当てた。
そうだ――。
ここは病院だった――。
「ほら、君も誤解されるようなこと言わない。個人に関することなんだからきちんと自分の口で説明しなさい」
「――分かったよ」
そう言うと、男の子は順を追って説明してくれた。
まず、記憶喪失であること――。
自分の名前ですらまともに思い出せないほど何もかもを忘れてしまったらしい。
次に両脚を負傷していること――。
だから安静が必要なので、このように足を固定されているんだって――。
最後に目も不自由であること――。
視力が失われているわけではないが、目を開けると激痛が走るらしい。
わたしが助けたときに叫んだのも誤って目を開いてしまったからなんだって――。
それを聞いて、わたしは少しだけ笑ってしまった。
「おまえなぁ。人が真剣に話してるのに失礼だろ?」
あーあ、また雰囲気ぶち壊しで怒らせちゃった。
でもね、ちゃんと理由はある。
だって――。
「ごめんごめん。あのとき叫ばれたのは余計なことをされたからなのかなと思ってて――。それが違うと分かってちょっと安心したんだ」
「助けられて叫ぶ失礼なやつがどこにいるんだよ――」
ちゃんと弁明したけど、やっぱり男の子には拗ねられちゃった。
それが可愛くて、またわたしは笑ってしまった。
気がつけば、わたしたちはそのままたくさんお話しをしていた。
だけど――。
「さて楽しいお話中に申し訳ないけど、千尋ちゃんはそろそろ帰らないとね」
「えっもうそんな時間?!」
窓を見ると既に日が沈みかけていた。
この子と話し始めたときはまだ明るかったのに――。
わたしたちはそんなに長く話し合っていたんだ。
「なぁ千尋――」
ふと、名前を呼ばれた。
「俺を助けてくれてありがとな」
そう言う彼は笑っていた。
その顔はとても可愛らしかった。
そんな彼の笑顔を見て、どうしてわたしの胸は高鳴ってるんだろう。
男の子に名前で呼ばれることなんてなかったからかな?
「どういたしまして!じゃあね!!」
その胸の高鳴りを悟られたくなくて、わたしは駆け足で部屋から出ていった――。
寺島千尋
氷柱中学校に通う3年生。
がん治療を受けている母親のお見舞いをするために病院に通っている。