♯2 少年と差し伸べられた手
気がつけば、波の音が耳に入ってきた。
その音と共に、身体が波に飲まれているのが分かった。
仰向けに倒れていた俺はゆっくりと目を開けた。
すると――。
「あ゛、あ゛ぁぁぁぁぁ――」
とてつもない激痛が目を襲った。
俺はその痛みに耐えられず、再び意識を失った――。
次に気がつくと、再び俺は仰向けに倒れていた。
だけど、さっきと違って地面が軟らかかった――。
俺は再び目を開けようとした。
だけどさっきの激痛が頭をよぎり、それが怖くて目を開けることが出来なかった――。
しばらくすると、扉が開かれる音と共に喜びの声が聞こえてきた。
扉が開かれて、かつ声が聞こえたということはここは誰かの家か?
その答えはすぐに分かった。
ここは病院というところ――。
どうやら俺は浜辺でのたうち回る姿を目撃され、ここへ救急搬送されたらしい。
ざっとそのような説明を受けたあと、これまたいろいろと質問攻めをされた。
まず、名前を聞かれた。
しかし、分からなかった――。
次に、住所を聞かれた。
しかし、これも分からなかった――。
なぜあのような場所で倒れていたのか、なぜ目が不自由なのか、家族関係はなどなどたくさん聞かれたが、そのどれもまともに答えることが出来なかった――。
そんな俺を見て、医者という存在はある見立てをした。
おそらく、俺は水難事故に遭ったのではないかと――。
そう考えたら海辺で倒れていたことにも納得がいくらしい。
ちなみに記憶を失ったのも、目を開けた際に激痛が走るのもこの事故の後遺症ではないかということだ。
そして記憶に関しては取り戻せる可能性はあるが、目に関しては治ることはもうないだろうとも言われた――。
突きつけられた現実に胸が痛くなった。
そんな俺にさらなる不幸な知らせが告げられた。
それは右脚のアキレス腱断裂と左脚の太ももの筋肉の損傷について――。
少なくともどちらかが治らないと俺は1人で歩くことも出来ないんだとさ――。
これも事故の後遺症かと聞いたんだけど、どうやら医者の見立ては違うらしい。
これに関しては事故以前に負ったものではないかということだった。
さて、身寄りもなく目も脚も不自由な俺は病院に缶詰めにされることが決定した。
だが、その病院生活が非常に苦痛なものだった。
なぜなら、医者という存在にいろいろと尋問され続けたからだ。
看護師という存在には無駄に腕を締め付けられた。
薬剤師という存在には苦い薬を無理やりにでも飲まされた。
まぁでもやっぱり決め手は用意されるご飯があまり美味しくないということだな――。
全体的に味が薄くて食べた気にならないんだ――。
唯一楽しかったことは日光浴とか言って動くイスに乗せられたことだったけど、あれも飽きたしもうどうでもよくなった。
とりあえず、こんな生活をしていたら身体が保たない――。
そう考えた俺は夜な夜な病院を抜け出すことを決めた。
身寄りもないのにどこに行くんだと思われるかもしれないが、そんなの出ていってから考える。
決意を固めた俺は地に足をゆっくりとつけて、そしてゆっくりと立ち上がった。
だが右脚には力が入らず、また左脚には激痛が走り、俺は勢いよく床に倒れ込んだ。
「いってぇ!!」
その時、鼻を強打してしまった俺は思わず大声を出してしまった。
「何してるの?」
冷たい声が俺に浴びせられた。
どうやら、大声を出したせいで看護師に見つかってしまったらしい。
そしてその看護師からはもちろん、医者、薬剤師からもこっぴどく叱られた。
治るものも治らないから安静にしろ、と――。
ついでに、次逃げ出したら脚をベッドに固定すると脅された。
しかし、はいそうですかと引き下がる俺ではない。
抜け出す方法をシュミレーションした俺は、日を改めて病院を抜け出すことを考えた。
それから数日が経ち、俺は再び地にゆっくりと足をつけてかつゆっくりと立ち上がる。
だがやはり右脚には力が入らず、また左脚には激痛が走り、俺は勢いよく床に倒れ込んだ。
そしてまたもや床に鼻を強打したが、今度は声を上げることはしなかった。
さて脚も使えないのにどうやって移動するかだが、脚が使えなくても腕が使えるだろ。
つまり、ほふく前進だ!
たぶん、病院の奴らは俺がほふく前進してまで抜け出すなんて思っていないだろうからな――。
この方法なら絶対にこっそり抜け出せる自信がある!
自信満々な俺は腕を使って、ゆっくりと床を這った。
そして必死に扉を探したのだが、触るところすべて壁だった――。
一瞬、目を開けて扉を探そうかと思ったのだが、あのときの激痛が脳裏に浮かびこのまま探すことを決めた。
そうして苦労しながら扉を探し続けてどれくらいの時間が経ったのだろう――。
やっとのことで扉を見つけた俺の体力は半分以上削られていた。
だからといって抜け出すのをやめようなんて思わない。
俺はそっとドアに触れると、音を出さないようにとゆっくりと押してみた。
しかし、力が弱いためかドアは開かなかった――。
ならば、と俺はドアを勢いよく押してみた。
しかし、開かない――。
まさか、鍵でもかけられてしまったのだろうか――。
いや、そういえば押してダメなら引いてみろって聞いたことがある。
俺は扉のほんの隙間に指を入れ、引いてみた。
すると勢いよく扉が開かれて、ガコンという大きな音を立てた。
――。
やがてゆっくりと扉が閉まる音が聞こえてくる。
しかしその直後、再び勢いよく扉が開かれると――。
「何してるの?」
再び冷たい声が俺に浴びせられた――。
もちろん、俺はこっぴどく叱られた。
それと共に、俺は本当に脚をベッドに固定されてしまった。
つまり、自由に行動が出来なくなってしまった。
その日から俺の地獄の日々は始まった。
医者に尋問され続け、看護師に腕を締めつけられ続け、薬剤師に苦い薬を飲まされ続ける日々が続いたのだから――。
そんなある日のことだった。
いつも通り、俺は日光浴のために動くイスに乗せられていた。
看護師がいろいろと話しかけてきたが、全部無視してやった。
だが、ふと動くイスが動きを止めた。
今日の日光浴はもう終わりか?
そう思っていた俺の身体が突然フワッと浮かび上がった。
――?
そして、何が起こったのか分からぬままに水の中へと放り込まれたのだった。
――?!
あまりの冷たさに心臓が飛び跳ねた。
怖くなった俺は思わず助けてと叫んだ。
しかし、ここが水の中だということを忘れていた――。
肺からは空気が失われ、代わりに水がどんどん侵入してきた。
苦しかった――。
俺は腕をうんと伸ばして助けを求めた。
だけど、ふと思った。
ここで命を落とせば、この苦痛な病院生活からも解放されるのではないかと――。
それに、俺には身寄りがいない。
どうせ助けてくれる人なんかいるはずがないんだ。
そう思っていた――。
そう思っていたのに、誰かが俺を手を強く握りしめてくれた。
嬉しかった――。
だけど、ごめん――。
もう息が保たないや――。
諦めかけたその時、今度は勢いよく水の中から救い出された。
「お゛ぇっ――」
肺からありったけの水が出ていくのが分かった。
あまりの苦しさに、俺は目を開けてしまった。
すると――。
「あ゛、あ゛ぁぁぁぁぁ――」
やはりとてつもない激痛が目を襲い、俺は意識を手放した――。