#1 少女と他愛もない会話を楽しむ母親
はじめまして、またはお久しぶりです。作者です。
またよろしくお願いいたします。
世の中は冬休み――。
わたしは手を温めるためにはぁと息を吐いた。
その息は寒さに負けて真っ白に染まっていった。
そんな白い息を見てわたしは思う。
早く春にならないかなぁ、と――。
「おはよう、千尋ちゃん」
そんなわたしに声をかけてくれたのはと看護師さんだった。
「おはようございます!」
「今日も寒いわね。お母さんはもうすぐ治療が終わると思うからもう少し待ってなさい」
「分かりました!」
と会話を聞いて薄々気付いているかもしれないけれど、今わたしがいる場所はとある病院――。
実は数ヶ月前にお母さんの身体に癌が見つかって、その治療のためにここに入院しているんだ。
お母さんから癌と聞かされたときは心臓が止まるかと思ったけど、ここは全国的にも有名な大病院だからきっと良くなるって言ってた。
お医者さんや看護師さんもきっとよくなるって言ってた。
だから、わたしはみんなの言うことを信じるよ――。
「千尋――」
ふと、聞き覚えのある声がした。
この声は――。
「お母さん!!」
まさかお母さんが直接迎えに来てくれるとは思っていなくて、思わずわたしはお母さんに勢いよく抱きついた。
だけど、その勢いに耐えられなかったのかお母さんは少しだけふらついた――。
「ごめん!大丈夫?」
「大丈夫よ。でもここは病院。もう少し静かにしなさい」
そうやって怒るお母さんはひどく疲れ切った表情をしていた。
それに髪の毛も前に会ったときよりもかなり抜け落ちているような気が――。
確かに抗がん剤の治療は厳しいものだと先生は言っていたけど、ここまでのものなの?
「今日は天気もいいし、お外で話そうか?」
「ううん。お母さん、疲れているみたいだし今日はもう休みなよ――」
「バカねぇ。せっかく会いに来てくれた娘を差し置いて休む母親がどこにいるのよ。それに久しぶりに太陽の光も浴びたいし――」
久しぶりにってことは、お母さんはずっと外に出ていなかったってこと?
そんなにもしんどくて寝込んでいたってこと?
先生、お母さんは元気になるって言っていたよね?
なのに、どうして――。
不安で押しつぶされそうになるわたしの手をお母さんの温かい手が包みこんでくれた。
そして、お母さんはニコッと微笑むとそのままわたしを外へと連れ出した。
今日は全国的に冷え込むでしょうとお天気キャスターのお姉さんは言っていた。
だけどここは風が全く吹いていないので、空気だけが冷たく感じるだけで言うほどの寒さではなかった。
しかも雲一つない快晴のおかげで日の温かさを感じられたので、温かくさえ感じられた。
「あそこに座ろうか?」
お母さんが指差す先にあったのは誰も座っていないベンチ――。
まぁ立ち話も何だし、日当たりもよさそうだから文句なし!
わたしはベンチに座ると大きく背伸びをしてみせた。
お母さんも同じようにベンチに座ると大きく背伸びをした。
「ねぇねぇ。明日は大晦日だけどお母さんもおばさんの家でお蕎麦を食べるよね?」
「わたしはここから出られないからダメよ」
「えぇー。じゃあ、初詣は?初詣は一緒に行けるよね?」
「さすがに無理じゃないかしら――」
「そんなぁ――」
年末も大晦日もお母さんと過ごせないと分かって、わたしは大きく落胆した。
久しぶりにお母さんと過ごせると思ったのにな――。
「元旦に初詣は無理だけど、少し日を空ければ許しが出るかもね?」
お母さんのその言葉に、わたしは目を輝かせた。
「じゃあ、一緒におみくじ引ける?!」
「うん、引けるわ」
「一緒にベビーカステラも食べられる?!」
「うん、食べられるわ」
お正月だけでもお母さんと過ごせると分かり、わたしは嬉しくなってたまらずお母さんに抱きついた。
「それで今日はどんなお話を聞かせてくれるのかしら?」
お母さんのその言葉を皮切りに、まずわたしは空手の全国大会の事について話をした。
実はわたし、空手の黒帯所持者なんだよね。
子供の頃から身体を動かすことが大好きだったわたしにお母さんが空手を勧めてくれたことがきっかけだったけど、まさか黒帯所持者になる日が来るとは思わなかったよね。
だから、わたしは負け知らず――。
あらゆる試合で、あらゆる対戦者を討ち負かしてきた。
今回の大会も順調に対戦者を倒してきたんだけど、その決勝でまさかの敗れてしまって――。
おかげで優勝を逃しちゃったんだよね。
あの時はマジで泣いたなぁ――。
「上には上がいるってことね」
「それ、先生も言ってた。でもわたしは絶対に寒さのせいだと思ってる」
ねぇ知ってる?
身体が冷えると筋肉も固まってうまく動かせないってことを――。
だからウォームアップにもすごく時間が必要なんだけど、あの日はウォームアップに時間をとれなくて――。
「あ~あ、誰か冬場に試合をすることを禁止にしてくれないかな――」
「それはただの言い訳です」
と、お母さんに切り捨てられてこの話は終わった――。
「そういえば、試験はどうだったの?」
「え゛っ――」
身体を動かすことが好きなわたしが嫌いなこと――。
それはもちろん、お勉強!
だから、どうだったと聞かれればボロボロでしたと応えるしかない。
しかし、そう正直に答えてしまえば絶対にお母さんは悲しむ――。
言葉を選ばないと――。
「うん、それなりには頑張ったよ――」
「へぇどのくらい?」
「えっとね――。大親友の夜半星奈ちゃんと食べに行ったパンケーキが格別だと思えるくらい!!」
チャンスと思ったわたしはそのままパンケーキの話へと話題をすり替えた。
わたしたちがパンケーキを食べたお店はカフェ・チェリーブロッサムというところで、ここは雑誌で紹介されたことによりすごく人気になったお店なんだ。
つまり、疲れた身体に糖分が染み渡ったから美味しいって感じたわけじゃないからね?!
話を戻すけど、雑誌で紹介されてしまったものだから普段は予約をとるのが大変なんだよね――。
でも大丈夫!
実はカフェ・チェリーブロッサムはこれまたクラスメイトで大親友の鈴村晶子ちゃんの家族が経営するお店なんだ。
だからここだけの秘密だけど、裏でこっそり予約してくれるんだよね。
「そんなにも美味しいのなら、お母さんも一度は食べてみたいものね」
「食べようよ!絶対に!!」
その後もわたしはお母さんとたくさんたくさんのお話をした。
そのすべての話にお母さんは何一つ嫌な顔せず、うんうんと頷いて聞いてくれていた。
そんな他愛もない時間がとても楽しかった――。
だけど、そんな他愛もない時間を邪魔するかのように聞こえた大きな水しぶきの音にはさすがにイラッとした――。
しかもその直後に悲鳴が聞こえてきて、わたしの心臓はひどく飛び跳ねた。
思わず悲鳴が聞こえた方へと視線を向けると、車椅子と共に人が池の中へ沈んでいくのが見えた。
――!!
気がつけば、わたしはお母さんを置き去りにして池の中へとダイブしていた。
その池は少しだけ濁っていた。
それでも腕を必死に伸ばして助けを求める子の姿はしっかりと捉えることが出来た。
わたしはその子の手をギュッと掴んだ。
そしてそのまま引き上げようと思ったんだけど、相手は何の動きも見せずただただ沈んでいくだけ――。
おかげでわたしの身体もどんどん沈んでいった。
おまけに池の水が冷たいせいで身体の熱も奪われ、わたし自身の動きも鈍くなってきた。
息ももう保ちそうにないし、このままじゃ――。
途方に暮れていたら突如、わたしの身体が勢いよく引き上げられた。
どうやら、周りに居合わせた人たちがわたしたちを助けてくれたみたい。
「千尋!!」
お母さんは全身びしょ濡れのわたしを抱き寄せてくれた。
お母さんを安心させるために何か言ってあげたかったけど、長く息が出来なかったわたしは激しく呼吸をするのが精一杯だった。
「あ゛、あ゛ぁぁぁぁぁ――」
突如、叫び声が聞こえてきた。
それは、まるで助けられたことを後悔するかのような叫びだった。
それがひどく悲しくて、わたしはお母さんの胸に顔をつけて静かに泣いた――。