番外編『温泉旅館とカニのお話』5
温泉街の石畳を通行人がカラコロと下駄音を鳴らして歩いている。
手には団子や串焼き、だいだいドリンクを持っている人が多いようだ。
「あるじさま、みてみて。たまご。おまんじゅう! イカメンチ! おだんご!」
もみじは管狐の頭の上に乗り、はしゃいでいる。
夏清は足を止め、食べ歩き用の焼き団子を指さした。竹串に刺さった白くて丸い団子の上にたらりと茶色やオレンジのタレがつけられていて、美味しそう。
「桜子ちゃん、食べ歩きしないか。みたらし、みそ、しょうゆ、どれにする? オレはみそだ」
「じゃあ、みたらし団子にします。お金は自分で支払いますから、大丈夫です」
「いやいや、助けてくれたお礼だよ」
みたらし団子に歯を立てると、もちりとした弾力の団子に甘じょっぱいたれが絡んで、とろりと舌に広がる。しかも、温かい。
「……美味しい!」
桜子が目を輝かせると、夏清も自分の分を一口かじってニヤリとする。
「美味いな。美味いものはいい。元気が出る」
穏やかな午後の風が頰を撫でる中、彼はどんどん神社の方に向かっていく。
なんとなく「東海林さん」とは呼びにくくて、桜子は相手を名前で呼ぶことにした。
「夏清さん、儀式というのは……私が参加してもよいものでしょうか?」
わからないときは素直にそう言った方がいい。桜子はそう思いながら付け足した。
「……実は、全く、なにがなんだかわかっていないのです」
すると、夏清は同情的な目になった。単なる同情だけではない。共感めいた感情もまざっている。
「教えられてないのか。家がしょぼいとよくあることだ。オレもそうだった」
「しょ、しょぼ……」
「おっと悪ぃ。言い方が悪かったな」
もみじが「そうよー」と可愛らしく不満を唱えるのを「悪ぃ悪ぃ」と宥めながら、夏清は儀式とやらについて教えてくれた。
声は低く、まるで古い物語を紡ぐように。
「海の底に古の時代に封じられた狂暴なあやかしがいるんだ。封印は百年に一度、魔払い承事師……現代風に言うと『陰陽師』が封印を強化する必要がある。一人二人の霊力では足りない。何人もの陰陽師が集まって順に霊力を注ぐんだ。それが『結びの儀式』さ」
「ええっ? そんな儀式があるのですか? ……神社で?」
「儀式は当代の陰陽師の序列決めにも利用される。霊力が最も高い家の名が封印の岩に刻まれるから、力比べになるんだ」
「ち、力比べ、ですか」
治安維持のための重要な仕事に思える。陰陽師がそんな風に働いていたとは。そして、行き先は神社で間違いないらしい。
夏清は顎を引き、神社に繋がる階段へと桜子を誘導した。
夏清と一緒に神社に繋がる階段を上り、赤い鳥居の前でお辞儀をすると、もみじがひらりと飛んできて耳元でコショコショとないしょ話をする。
「あるじさま、ぎしき、するの?」
「うーん。狂暴なあやかしの封印を強化するお手伝いは、した方がいいわよね?」
自分がいなくても人手が足りているかもしれないけど、手伝ったら他の人の負担が軽くできるかもしれない。
桜子はそんなことを考えながら竹林に囲まれた参道を進んだ。
やがて、屋根の曲線が美しい流造の本殿が現れる。
儀式をどこでどうするのかわからないが、夏清に促されるがまま、桜子は二礼二拍手一礼でお参りをした。
隣からは、夏清が祈願する呟きが聞こえてくる。
「東海林家の名誉にかけて、オレが序列一位の術者として名を刻む。そして、陰陽寮の幹部になるんだ」
――東海林家の名誉。
それは、幼い頃に『家』を失った桜子にとって、新鮮な概念だった。
(もし、この方が私の親戚の方なら……)
この方の言う「東海林家の名誉」は、桜子の家の名誉ではないか。
そう思うと不思議な心地がした。嫌な感じではない。
なんだか、知らなかった尊いものを自分が持っていて、それに価値があるのだと知らない誰かに言われたような気分だ。
(お父様、お母様。私、……東海林家の名誉のためにがんばっちゃおうかな……)
桜子が心の中で亡き両親に語り掛ける中、夏清はお祈りを終え、新たに境内にやってきた一組の男女を見て眉を寄せた。
女性の頭には立派な角が生えており、ひとめで鬼族だとわかる。男性は人間に見えるが――「あの二人は運命の番による夫婦だろう」夏清は桜子の肩をぐいと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「あっ、そういうの、わかるんですね……?」
どのようにして見分けているのだろう。好奇心をそそられていると、夏清は渋い顔で桜子の手を引き、その場から離れた。
「不健全な関係だが、そのおかげで人間の平和は守られている……と考えると、まあ複雑だな。ヤレヤレ」
「不健全?」
嫌そうにしかめっ面をする夏清にびっくりしていると、彼は「そうだ」と当たり前のような口ぶりで言葉を続ける。
「あやかしが弱き人間を蹂躙していた時、古の天才陰陽師があやかしに魅了と従属の呪をかけたと聞いている。人間を愛し、献身的に尽くすように、それができない者は衰弱し、死に耐えよ、と」
「魅了と従属……」
「そうだ。だからまあ、人間にとっちゃイイことだが、愛し合ってると勘違いしてる二人を見ると気分が悪くなる……アイタッ」
もみじがひゅんと飛び、夏清の鼻の頭をちくちくと刺して「それはうそ」と怒っている。
鼻を赤くして手で覆った夏清は情けない表情になり、「桜子ちゃんの式神は狂暴じゃないか!?」と、これまた情けない悲鳴を上げたのだった。




