発売記念の番外編『温泉旅館とカニのお話』
11/5本日、『桜の嫁入り』が無事発売日を迎えることができました。
読者様への感謝の気持ちをこめまして、番外編を追加いたします。
楽しんでいただけましたら嬉しいです。
秋も深まり山粧う頃。
桜子は京也と共に、列車での旅路についていた。皇族用のお召し列車ではなく、お忍びの旅だ。
向かう先は、温泉地。
「温泉に行かないか?」と、京也が誘ってくれたのだ。
汽笛が長く尾を引き、列車は都のざわめきを後ろへ置いてゆく。
隙間風に備えてひざ掛けを用意したものの、昼の日差しが差し込む車両内は暖かい。
見慣れた町家群が田園風景へと変化し、やがて海が見えてくる。
「あるじさま、うみはあついのよ。たまにひやさないとたいへんなの」
「温泉の由来のお話かしら?」
「そう!」
もみじが訳知り顔で海の知識を披露しているのに相槌を打ちながら見ていると、京也が「海には色々なものが沈められているのだ」と語り始めた。
「京也様。色々なものとは、例えば?」
「火竜……いや、カニくらいがいいかな……? 桜子さん。竜とカニどちらが食べたい?」
「食材としてでしたら、……竜よりはカニでしょうか……?」
移ろう風景を指さしては、京也やもみじと他愛ない話に興じる時間は楽しい。
しかし、ぽかぽかとした暖かな空間で心地いい振動に揺られているうちに、桜子のまぶたは次第に降りていった。
「到着してから数日の間、俺は少々仕事もある。桜子さんはゆったりとしてくれたまえ。仕事が終わってからは一緒にいろいろなことをしよう。海鮮懐石が楽しみだね桜子さん。カニ鍋を食べよう。真っ赤なカニだよ」
心地よい振動に誘われて見た夢は、ふわふわとしていて掴みどころがない。
◆◆◇◇◆◆
夢の中で、桜子はカニになっていた。
「なぜ? あっ、横歩きしかできない……」
カニの話を聞きながら眠りに落ちたからだろうか。
場所は、波が打ち寄せる砂浜だ。
旅の目的地が海辺の温泉宿なので、楽しみにしすぎて夢に見ているのかもしれない。
夢の世界の時間帯は夜だが、暖かい。現実の体がぬくぬくしているせいだろうか。
(あ、でも海がぐつぐつ煮立っているみたい。波から湯気も立ってるし、ここは暑いのかも)
海の一点がぼこぼこと泡を上げ、燃えるように熱く沸騰している。
さすが温泉地の夢だ。海が温泉になっている……。
ふわふわした心地でいると。
「……ひゃっ?」
どさり。
間近に人が倒れ込んできて、桜子は驚いた。
危うく潰されるところだった、と肝を冷やして相手を確認して、二度驚く。
「お、お父様……?」
狩袴姿で仰向けに倒れ、荒い吐息を繰り返す青年は、桜子の父親にとてもよく似ていたのだ。
しかも、青年を嘲笑うように他の人間たちが寄ってくるではないか。
全員、お揃いのような狩袴姿だ。
その中のひとりが、蔑むように言い放つ。
「没落しきった東海林家にまだ陰陽師がいるというから楽しみにしていたが、結びの岩に最低限名前が刻まれる程度の霊力すらひねり出せないとは、とんだお笑い草だ」
その声に便乗するように他の陰陽師たちが笑い声を立てる。
「東海林は情けないな」
「家名をこれ以上汚さぬために、名を捨てるべきではないか?」
「それは妙案!」
(お、お父様が笑い者にされている……!)
衝撃を受ける桜子の耳に、聞き慣れた『夫』が声をかけた。
「あー、桜子さんは可愛いな……食べてしまいたい……」
耳朶をくすぐる蕩け切った声は、間違いなく現実の京也のものだ。
夢の世界の陰陽師たちとの温度差が大きすぎて脱力しつつ、桜子はそのまま意識を覚醒させて目を開けた。
「――……」
見上げれば、京也の美しい顔がすぐそこにあった。
もみじが嬉しそうに「あ、おきた!」と笑っているのが、愛らしい。殺伐としていた夢とは大違いだ。
「愛しい妻が目を覚ます瞬間に出会えるのは夫の特権ではないかな。俺は今、優越感でいっぱいだ。よく眠っていたね、桜子さん」
「んっ……?」
桜子は自分が京也の膝の上に頭を乗せていることに気づいて、頬を染めた。
「ひ、膝枕……!?」
「ああ。きみが眠そうにしていたから。嫌だったかい?」
「いえ、そんなことは……!」
あわてて否定する桜子に、京也は優しく微笑んだ。
「夢を見ていたようだね。うなされていたから、心配したよ」
「夢……そうです、不思議な夢を……」
「俺の妻を苦しめたのは何者かな? 成敗しないといけないな。そいつを懲らしめたあとは、夢の中で君を助けることができなかった俺自身を罰することにしよう」
「ご冗談を……」
京也が言うと本当に聞こえるから怖い。
桜子は首を横に振った。
「えっと……カニさんになっていただけです」
「……かっ、カニさんに……!」
(あっ、笑っていらっしゃる)
「な、なんて可愛らしい夢を……さすが桜子さん……!」
京也は手で口元を押さえて肩を震わせている。
ところで、この体制は少し恥ずかしい。桜子はおずおずと身を起こし、京也の膝を解放した。
「ああ、名残惜しいな。永遠に続いてほしいと思っても、物事にはいつも終わりが訪れるものなのだね。しかし、そのおかげで君の愛らしい夢のお話が聞けたので俺は幸せでもある。寂しさと幸せに包まれて心が分裂してしまいそうだ……と話しているうちに……」
滔々と芝居がかった台詞を唱える京也が言葉を止める。
「……目的地に到着しそうだな」
「……そのようですね……」
汽笛が短く鋭く鳴り、列車は速度を落としていく。
キィィ、と車輪が軋み、蒸気を大きく吐き出して――停車する。
京也に手を引かれて外に出ると、白い湯気のような蒸気が立ちこめていた。
「この駅からは馬車に乗って宿まで行くんだ」
「はい、京也様」
差し出された手を取り、桜子は旅先での第一歩を踏み出した。
読んでくださってありがとうございます!
番外編は1日1話くらいのペースで続きを投稿してまいりますので、ゆるりとお楽しみくださいませ。
また、特典情報についてのまとめを共有させていただきます。
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