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植物図鑑(1)


 今日も薄く雲った空が広がっていた。

 辺境地区の流儀に従って言えば「よく晴れた朝」だ。鮮やかな青い色は見えないけれど、空全体が明るい。

 そんな空を見上げながら、身支度を終えた私はノックが聞こえるのを待っている。こんなによく晴れた朝なら、今日もきっと来るだろうと予想していた。

 やがてノックが聞こえ、入ってきたメイドが少しがっかりした様子で報告した。


「あの、お嬢様……ではなくて、若奥様。またお姿がありませんでした」

「やっぱり。では、私が探しに行きましょう」


 予想通りの言葉だ。

 だから私も、誰が、とは問わない。

 食堂へ人を送って「今朝も少し遅くなりそうだ」と伝え、私は中庭を目指して歩いていく。

 ブライトル伯爵家の本領の屋敷は広大だ。

 中庭といっても、背の高い木々がある。生えている植物は多様で、規模の小さい森のようだ。そして、この中庭が私の「夫」となったトゥライビス王子殿下……トゥル様のお気に入りの場所になっている。


 中庭に入った私は、まずぐるりと見回す。

 運が良ければ、鮮やかな金色の輝きを見つけることができる。逆に運がなければ、中庭をしばらく歩いて探さなければいけない。

 今日は運がいい日のようだ。

 足を止めてすぐに、明るいハチミツの色と同じ金色を見つけた。

 トゥル様だ。

 昨日もそうだったように、草の上に座って何かをじっと見ている。


 見ているものは一つではないようだ。地面に置いたものを手に取って、また地面に置いて別の何かを手にしている。

 大きさから推測すると、たぶん落ち葉だろう。

 それらを真剣に見て、手元の本と見比べているようだ。


「おはようございます」


 落ち葉や小枝を踏んだりして近付いているのに、少しも振り返らないトゥル様に焦れて声をかける。トゥル様は本をめくる手を止めて、すぐそばまで来た私を見上げた。


「おはよう。いい朝だね」

「……王都風にいうと、あまりいい天気ではないのでは?」

「ここでは『いい天気』というのだろう? だったら、それでいいと思うよ」


 トゥル様は緩やかに微笑み、それから急に真顔になって私を手招きした。


「ちょうどよかった。君に聞きたいことがあったんだ」

「何でしょう」

「この葉、そこの木のものだと思うんだけど、枯れ葉になると色が変わるのだろうか?」


 地面に並べていた葉をざらっと手に載せ、差し出してくる。よく見るために私も座り、じっくりとトゥル様の手のひらを見つめた。

 落ちたばかりの瑞々しいものと、少し端が縮れたものと、完全に乾燥してパリッと割れているもの。そんな様々な過程ものがあった。


「これはヘリアの葉ですね」

「ヘリアと言うのか。この木であっている?」

「はい。この木と隣の木と、その隣もです」


 私が指差していくと、トゥル様は木を丁寧に見ていきながら首を傾げた。


「葉の形は似ているけど、色が違うから近隣種かと思っていたよ」

「この辺りではよくあることです。幼いころ、従兄弟たちと同じ木から取れた種を植えて育てたことがありますが、全て色が違いました。その中から好みの色のものを選んでここに植えています」

「……君が植えた木なの? この木が?」


 トゥル様の興味が、葉の色からヘリアの木に移ったようだ。でも何がそんなに興味をひいたのか、私にはわからない。

 しばらくじっと木を見上げていたトゥル様は、まだ開いたままだった本をパタンと閉じた。


「念の為に聞くけど、この木を植えたのは何年前?」

「私が八歳の時でしたから、八年前ですね」

「八年か。種子から育ててこの大きさになるのか。さすが辺境種だ」


 トゥル様が独り言のようにつぶやいた。

 それから、不思議そうな顔の私に気付くと、苦笑しながらまた本を開いて私に示してくれた。

 どうやら図鑑のようだ。

 美しく彩色された植物の絵と、詳細な説明が並んでいる。これはかなり高価な本なのではないだろうか。

 重そうだから用心深く受け取って、でも思わず見入っていた私は、違和感に気付く。

 植物の葉の色が、私が知っているものとは違っている。青くない。まるで新芽のような緑色だ。これが王都の、トゥル様が知っている植物なのかと感心していると、トゥル様が身を乗り出してきた。


「この木、君が植えた木と似ていると思わないかい?」


 図鑑に手を添えて支えながら、もう一方の手で絵を示している。でも図鑑は私も両手で持っているから、トゥル様が覗き込むと頭が触れ合いそうだ。

 肩から滑り落ちたきれいな金髪が、すぐそばで揺れている。

 私が知らない良い香りがした。高価な香水を使っているのかもしれない。香りを吸い込み過ぎている気がして、呼吸を一瞬止めてしまった。

 でも、トゥル様は全く気にしていないようだ。平然と言葉を続けた。


「私が知っている限りでは、三十年でこの大きさになるんだよ」

「……え?」


 図鑑の絵と、私が種子から育てた木を見比べ、私は困り切ってトゥル様を見た。トゥル様はヘリアを見上げていたけれど、私の視線に気付くと笑っていた。


「葉の形はよく似ているのに、ここのヘリアは三倍から四倍の速さで成長している。すごいだろう? 私が驚いている理由が少しはわかってもらえたかな?」

「……確かにすごいかもしれません」


 私が知っているのは、この地が全て。

 でも、常識だと思っていたものが常識ではない。普通と思っていたものが普通ではない。

 この地にあるものの多くがこんな感じなら、トゥル様が毎日楽しそうにしているのはわかる気がする。私はもう一度図鑑に目を落とした。



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