コドルと人間の歴史(後)
「……そういえば、騎士団でも新兵訓練は祭りのように人が集まると聞いたことがある。魔獣の皮膚を擦るというのは辺境地区らしいね。グレムも参加するのかな?」
「二十代の頃は新人の体力切れの時によく駆り出されましたが、今はさすがにしませんね」
「でも、おじさんはたまに飛び入り参加しますよ!」
「それは……盛り上がりそうだね」
クレイドがいう「おじさん」とは、イグレス・ブライトル——ブライトル伯爵のこと。ほぼ娯楽とはいえ、領主が前線に立つことは兵士たちの士気をあげる。
そういう細かな日常の行動も、辺境地区の領主たちには必要なのかもしれない。
トゥライビスが素直に感心して、それからふと思いついた。
「コドルたちにとっては、馬のブラッシングのように心地好いものなのかな?」
「そんな感じなんでしょうね。でも昔は、人間を見ても無関心だったらしいんです」
ブライトル家に伝わる話によると、最初に目撃されたコドルは、おそるおそる歩く人間を見ても反応を示さなかったという。虫が歩いている程度にしか思わなかったのだろう。
全てが変わったのは、好奇心からコドルに近付いた若者が、背中に刺さっていた枝を抜いてからだったとか。
「どうも、人間を棘を抜いてくれる便利な生き物と認識したようで、入植し始めた頃は続々と集まってくるコドルに怯えていたって話が残っています」
「……抜いてもらった個体以外も寄ってきたのかな?」
「そうらしいです」
「つまり、コドルには仲間に伝達する言語があるのだろうか」
「何かあるんでしょうね。そうじゃなければ、肉食でもない魔獣が人間を見た途端に寄ってくることは普通はありません。放牧場を作って集めればいいと思いつくまで、コドルたちに畑を踏み荒らされて大変だったと昔話で聞きました」
魔獣に怯えながら成長の早い木々を切り倒し、根や石を取り除き、土を耕して。苦労の末に開いた農地が、続々と姿を現す巨大な魔獣に台無しにされる。
想像すると、極めて深刻な状況だ。
しかし実際には人間の器用な手を見込んで寄ってくるだけで、農地を荒らすつもりも人間を襲うつもりもない。
魔獣は、まさに災害そのものなのだ。
ただ、コドルが脱皮した後の外皮は、丈夫さと大きさのおかげで貴重な革素材として利用されている。利用法が確立したのも、コドルが人間の近くに住み着いて頻繁に外皮が手に入るようになってからのはず。
辺境地区は過酷だが、豊かでもあるのだろう。
トゥライビスはテーブルの上に所狭しと並んでいる革の見本を順番に見ていく。
硬い革も、柔らかい革もある。色以外は動物の毛皮と見分けがつかないものもある。今でこそ革素材として利用していても、かつては革すら有害ではないかと恐れた時代もあったかもしれない。
「魔獣と人間の歴史は、奥が深くて実に興味深いね」
「魔獣そのものが奥が深いですからね! ちょっと怖い奴らもいますが、それ込みで魔獣は面白いんです!」
クレイドは熱く語る。
真面目なグレムは呆れ顔を作ったが、否定はしない。熱意に差はあっても、辺境地区では当たり前の、平和と危険が隣り合わせた感覚なのだ。
トゥライビス王子は手近の革にそっと触れる。まるで鉄の板のような滑らな表面を撫でて、魔獣としての姿を想像しようとしてみた。
もちろん、まるで思いつかない。それも楽しく感じて微笑んだ。
「もっと、いろいろな種類の魔獣に会ってみたいものだね」
「会えますよ! 護衛魔獣が来たら遠出してみましょう! もしかしたら、俺たちも知らない新種魔獣とも出会えるかもしれませんよ! ……あ、もちろん、シアのお許しが出たらってことで!」
「そうだね。その時を楽しみにしていよう」
トゥライビス王子はのんびりと微笑んだ。
ちょうどその時、開けっぱなしだった部屋の扉口から、小柄な女性が顔を覗かせた。
「トゥル様、今よろしいでしょうか。装飾刺繍用の糸の見本をお持ちしました」
そう言って入ってきた黒髪の女性は、子供のように小柄だ。しかし柘榴を思わせる深い赤色の目はとても落ち着いていて、物腰にも品がいい。
ブライトル伯爵の一人娘であるオルテンシアだ。
ただし、「夫」でファルトゥライビス王子のそばに来た時にはほんのり和らいだ表情になっていて、年相応に浮き立った明るさが漂っていた。
「飛行服によく使う色を揃えました。他にご希望の色があれば、すぐに用意します」
「ありがとう、シア。どれもとてもきれいな色だね」
「昔から、袖口や襟に刺繍をしておくと良い風に恵まれると言われていて……あら、クレイドもいるのね」
「当然だ。飛行服については、俺も詳しいからな!」
「詳しいのは確かだけど……トゥル様、クレイドの目は確かですが、色のセンスはちょっと怪しいです。トゥル様のお好みを優先したほうがいいと思います」
「え、それはひどくないか!?」
「翼竜の鞍のあの飾り、私は認めないわ」
クレイドとオルテンシアが兄妹そのもののように言い合う。その様子をトゥライビス王子は興味深そうに聞いている。
正確には、二人の話す発音を聞いていて、王都周辺や辺境地区の庶民たちとの言葉の違いを堪能している。やがて十分に満足して、メイドたちが並べている糸に目を向けた。
「この赤は深みがあっていいね。私の飛行服にも使えるかな?」
「あ、はい、もちろんです! 刺繍模様もこのようにいろいろありまして……」
すぐにいつもの訛りのない発音に戻ったオルテンシアは、模様のサンプルをメイドと一緒に並べていく。オルテンシアは楽しそうで、それを見ているトゥライビス王子も微笑んでいた。
トゥライビス王子が実物のコドルを目にするのは、辺境地区での生活が二年目の半ばが過ぎた頃。さまざまな問題が生じていった中でようやく実現する。
まだまだ先のことである。
番外編『コドルと人間の歴史』 終




