翼竜と人間の歴史
コミカライズ2巻発売記念SS。
WEB版の本編後の、結婚2年目でトゥライビス王子がのんびり過ごしている話。
「――彼らは寒そうだね」
白く曇った空を見上げていたトゥライビス王子は、ふとつぶやいた。
その視線の先には、翼を広げた緑色の翼竜が小さく見えている。ブライトル伯爵本邸の上空を飛び続ける警備翼竜だ。
下からは見えないが、その背には騎士が乗っている。翼竜騎士と呼ばれる彼らは、飛行服と呼ばれる革製の外套を着る。この革はもちろん魔獣のもので、軽いのに風を通さず、万が一上空で他の魔獣に遭遇しても騎士たちの身を守る重要な装備だ。
トゥライビスも、銀鷲に騎乗した時に着用した。
銀鷲の飛行速度は魔獣の中でも最上位。長距離をあっという間に飛び抜けてくれるが、その分騎乗中に受ける風は強い。飛行服なしでは低空飛行であろうと騎乗は不可能だろう。
「そうなんですよ! 監視飛行はきついです。ずっと風景が同じなのに、寒いし風は強いしで居眠りもできないんですよ!」
護衛と称してトゥライビスの散歩のお供をしているクレイドは、深刻そうにため息をつく。
しかし、本来の護衛として一緒に歩くグレムは呆れ顔になった。
「翼竜に乗って居眠りするのは、クレイドくらいのものだぞ」
「え、そうかな? エリカおばさんもそのくらいできると思うけど……」
「奥方様はそんな気の緩んだことはしない。殿下、クレイドはいい意味でも悪い意味でも『特別』という前提で話を聞いてください」
「それは、さすがブライトル家の血統、ということかな?」
年齢としてはまだ若くて、人懐っこい表情は時として幼くも見えるが、クレイドは翼竜騎士隊に属する。動物や魔獣に好かれる体質で、翼竜たちはこの元気な青年を乗せることを嫌がらない。
騎乗中に居眠りをすることがあったとしても、翼竜たちは落とさないように気を遣うのかもしれない。
トゥライビスは小さく笑い、それからまた空を見上げた。
「ブライトル家の長毛種の翼竜は特徴的だが、乗りこなすようになるまでには苦労もあっただろうね」
「大変だったらしいですよ。子供の頃に年寄りたちから聞いたんですが、飛行服の素材選びだけでも何日も話が続けられるらしいです」
「ほう、それは聞いてみたいものだね」
「あ、やめた方がいいです! 俺は分家生まれなんで、立場上仕方なく聞いた事がありますが、牛や豚の革製を試したら騎乗者が凍死寸前になったとか死んだとか、そういう怖い話が素材が変わるたびに続くんです。最初はめちゃくちゃ怖いんですが、試しては失敗というのがずっと続くんで眠くなるんです!」
クレイドは、少し慌てたように止めようとする。
その様子から、どれほど彼が苦労したかがうかがえる。トゥライビスは小さく笑った。
「つまり、それくらい騎乗方法が確立するまでに苦労があるんだね」
「魔獣が相手ですからね。飼育している翼竜たちでも相性はあるし、騎乗具の騎乗者用固定ベルトも古いものは形が違ってたりします」
騎獣として利用される魔獣は、地を走るものも空を飛ぶものも、人間の筋力では騎乗を続けることは難しい。だから体と鞍を繋ぐ固定ベルトが使われる。
トゥライビスも銀鷲の騎乗時に体験した。
「文字通りの命綱だが、形状によってはかなり危険そうだ」
「それについても怖い話はいろいろありますよ。ただ、騎乗具は馬のものを転用したので初期から成功しています。飛行服については、重くても硬すぎてもダメで、撥水性はあると助かる、でも密封性が高すぎると体が熱くなりすぎるでしょう? 風を通さなくて程よく温かいものが見つかったとしても、それが翼竜たちと相性の悪い魔獣だったりすると、これも悲惨で……」
翼竜の機嫌が悪くなって、振り落とされたこともあったらしい。
声をひそめて語るクレイドは、いかにも恐ろしそうな顔をする。不慣れなために銀鷲から落ちそうになったことがあるトゥライビスには、その恐ろしさは簡単に想像できる。
クレイドと似た深刻そうな顔になってしまった。
「……翼竜を騎獣とする歴史は長いから馴染みのある魔獣と思っていたが、やはり苦労は多かったんだね」
「ご先祖様たちは本当に苦労したと思いますよ。でも翼竜を利用できなかったら、辺境地区の開拓は難しかったでしょうね。危険な場所を回避しながら長距離移動ができるようになったのは当然なんですが、翼竜は魔獣としても強いので危険な魔獣は近寄ってこないんです」
「大型魔獣を飼育することは、そういう利点もあるんだね」
「人間は魔獣より弱いですからね。まあ、長毛種の翼竜は好奇心が強いんで、向こうから寄って来たんだと思います。トゥル殿下の周りに魔獣が集まるのを見ると、こういう感じだったんだろうなぁって実感できました」
今も、トゥライビスの足元では毛玉のような小型魔獣テドラが歩いている。
指の先ほどの小さな魔獣たちは、落ち葉の下を探し回ってやっと見つかるほど警戒心が強い。子供たちが捕まえた数を競う遊びをするほどで、生息数の割に見つけにくい。
なのにトゥライビス王子の周囲では、よくこの小さな魔獣の姿がある。
足を止めたトゥライビスは、地面を歩いていたテドラをそっと手のひらに乗せた。
摘まれている間は体を丸めていたテドラは、手のひらの上で体を伸ばし、毛玉のような姿で手のひらをそろそろと歩きだす。しばらく動いた末に、指の陰でやっと安心したように動きを止めた。
「このくらい小さければかわいいが、翼竜は大きいから慣れない人間は怖かっただろうな」
「絶対に怖かったと思いますよ。性格がわかっている飼育翼竜たちでも、囲まれるとちょっとドキドキしますから」
「……翼竜に乗れない我々からすると、囲まれれば『ドキドキ』程度では済みません」
クレイドのどこか呑気な言葉に、グレムは苦笑している。トゥライビス王子も軽く笑い、それからまた空を見上げた。
翼竜はまだ上空の高いところを旋回している。
つられたように空を見ていたクレイドは、やがて何かを思いついたようだ。目を輝かせながら笑顔になった。
「そうだ、トゥル殿下、飛行服を作りませんか? 銀鷲に乗っていた時は、銀鷲隊に借りていたんでしょう? 殿下なら翼竜にもすぐに乗れるようになると思いますから、殿下専用の飛行服を作りましょう!」
「それは興味深い誘いだが、使う機会は多くないと思うよ?」
「少しでも着る可能性があるなら、作っておくべきですって! 自分の体に合わせた専用の飛行服は着心地が違いますし、革の素材によって温かさも肌触りも違います。装飾なんかも好みのものにすると、気分が上がりますよ!」
クレイドの言葉に、トゥライビス王子の心が動いたようだ。
美しく整った顔に悪戯を思いついた子供のような笑みが浮かび、それからグレムの視線に気付いてきまり悪そうに目を逸らした。
「……クレイド君は、そういう誘惑が上手だね」
「翼竜に乗る楽しみを知ってますからね! トゥル殿下のためなら、秘蔵の貴重な魔獣の革も出してもらえるはずです。よし、さっそくオルテンシアに相談して……いや、今ならおじさんがいるか! グレム、おじさんは執務室かな?」
「今は備蓄倉庫においでのはずだ。だが……」
「おっ、いいタイミングだった! ちょっと許可もらってきます!」
そう言った時には、クレイドがもう走っている。
もちろん、クレイドの言う「おじさん」とはブライトル伯爵のこと。クレイドはあっという間に見えなくなり、それを見送ったグレムはため息をついていた。
番外編『翼竜と人間の歴史』 終




