妻への贈り物(後)
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クレイド君が紹介してくれた彫金師は、領主一族の装飾品を手がけているらしい。訛りの強い話し方だったが、私も辺境地区の言葉に慣れてきたから、問題なく聞き取ることができた。
私の父より年上であろう彫金師は、パージェの鱗を見せるとすぐに興味を示してくれた。さっそく工房に移動して加工を試しているのだが……。
「……これは、困ったことになったね」
私はつぶやくと、頭髪がすっかり白くなっている彫金師はため息をついた。
「俺たちは魔獣素材を長年扱っていますから、加工の難しさは骨身に染みています。だが、ここまで手も足も出ないっていうのは滅多にありませんよ」
「さすがドラゴン、というべきなのかな」
私は作業台からパージェの鱗を摘み上げた。
向こう側が透けてしまいそうなほど薄く、どんな宝石にも負けない虹色の光沢を持つそれは、でもどんな工具も退けてしまう。穴を開けて糸を通そうと試したのに、小さな窪み一つつけられずにいる。
「すごいなぁ、さすがドラゴンの鱗だ。伝承ではドラゴンの鱗を利用した防具の話があるんですが、あれは作り話だったのかもしれないな」
クレイド君は目を輝かせながらつぶやいている。
古い伝承に詳しいところは、オルテンシアちゃんとよく似ている。微笑ましく思うが、加工ができない事実はどうしようもない。
どうしたものかと途方に暮れていたら、ずっと考え込んでいた彫金師が腕組みを解いた。
「ちょっと手間はかかりますが、金で周りを巻くのはどうでしょう。こんな感じで、爪を数ヶ所作って……いや、銀線で細かい網を編んで、それで挟み込むのもいいかもしれないな」
彫金師は手元の紙に、サラサラと絵を描いている。
どちらの案も悪くない。
次々に描かれる図案を見ていた私は、ふと何か聞こえた気がして窓の外を見た。
工房の窓の向こうに、小さなものが大きな翼を広げて浮かんでいた。体は黒く輝いていて、長い尾がぶんぶんと揺れている。
「おや、パージェじゃないか」
私が窓辺へ行くと、クレイド君もすぐにやってくる。しかし辺境地区らしい遠慮からか、少し離れたところで足を止めた。
「……さすがドラゴンですね。浮かび方がかっこいいです!」
「こういう飛び方をする魔獣はいないのかな?」
「俺は知りませんね。鱗もきれいだな。伝承にあるドラゴンは気の荒い猛獣のようなのに、小さいせいか、とてもかわいく見えます」
「伝承の中のドラゴンは、そんなに気が荒いのかな?」
「それはもう! 仲間同士で喧嘩して山脈を壊した話もありますよ。激しい攻撃で流れた血が窪地に溜まって沼地になったとか、その沼地は今でも瘴気が満ちたままだとか、そういう話はたくさんありますよ!」
「さすがに規模が大きいね」
心から感心して、ふと私は窓の向こうに浮かんでいるパージェに目を戻した。チラチラと奥を覗き込んでいるように見えるから、工房に興味があるのかもしれない。
でも、中に入ってこようとはしないし、尾をブンブンとふり続けている。これは私に何か用があるのか、あるいは……撫でてほしいだけなのか。
「悪いが、今日はここまでにしてもらえるかな」
「ドラゴン様のお招きなら仕方がないですよ。俺の方でも、他に方法がないか調べておきましょう」
彫金師はパージェを気にしているのか、少し硬い顔になっていた。
私はクレイド君と共に工房の外に出た。
空は薄く曇っているが、この辺りではこういう天気を「晴れている」と称する。青い空が見えるほどの晴天はめったにないからだろう。
私も、この白く見える空に慣れた。
強くない光だが、十分に明るく気温も上がるから心地好さすら感じる。そんな空の下、私は地面に座る。すかさず膝の上にパージェが降りてきて、だらんと身を伸ばして寝そべった。
「……殿下に懐いていますね。その姿を見ていると、とても山を壊すような魔獣に見えませんよ」
「そうだね。しかし沼地ができるほど血が流れたのだから、きっとお互いにとても激しく攻撃しあって……」
そう言いかけて、私は唐突に思いついた。口を閉じると、小さな体を撫でる手も止まってしまう。
いつまでも動かない私に焦れたのか、パージェは私を見上げて首を傾げた。魔獣らしい銀色の目に、七色の光沢を持つ黒い鱗。爪はよく見るととても鋭いが、膝に乗ったり、腕や肩を歩いても痛みを感じたことはない。いつも気を遣ってくれているのだろう。
撫でろと催促するように動いている口の中には、とても鋭い牙が見えた。
私はパージェの体をそっと撫でた。
細かな鱗が並んでいて、手にざらりとした感触が伝わる。鱗は隙間なく並んでいるから、私がナイフを振り下ろしたとしても、頑丈な鱗によって跳ね返されてしまうだろう。
「……鱗に隙間はない。では、なぜドラゴンたちは沼地ができるほどの血を流したのだろうか」
「えっ? それは怪我をしたからでしょう。魔獣同士の喧嘩はかなり激しいですからね。牙や爪が発達している種はそれを使うから……あっ!」
「クレイド君。私は動けない。鱗を持ってきてもらえるかな?」
「はい、すぐに!」
私が何を思いついたのか、クレイド君も気付いたようだ。すぐに工房へと走って行った。
彼が戻ってくるまでの間に、パージェに話をしておこう。多分この小さな魔獣には言葉が通じるから。
「パージェ。落ちていた君の鱗を加工して、妻への贈り物にしたいと考えている。でも人間の工具では、君の鱗に傷ひとつ付けられないのだよ」
じっと私を見上げていたパージェが、小さく尾を動かした。話を続けろ、と言っているようだ。
駆け戻ってくるクレイド君の足音を聞きながら、私は言葉を続けた。
「伝承によると、君たちの同種同士の戦いは流血を伴うほど激しいそうだね。つまり、君の爪か牙なら、頑丈な鱗に穴を開けることができるんじゃないかと思いついたんだ。……これなんだが」
戻ってきたクレイド君が差し出した鱗を受け取り、パージェに見せてみる。
パージェはじっと見ていたが、コツコツ、と爪の先で鱗を叩いた。真ん中と、少し縁に寄った場所と、さらに縁の際。爪先が触れる場所は移動している。
「トゥル殿下、これ、穴を開ける場所を聞いているのでは?」
「そうかもしれないね。この端の当たりがいいんだが、どうだろうか」
私は鱗の縁のすぐそばを指差した。
普通の薄い石なら割れてしまいそうだが、ドラゴンの鱗はとても丈夫で、どの方向にも割れなかった。だから試しのつもりで示してみる。
パージェはその部分をじっとみて、無造作に噛み付いた。
コツン、と澄んだ音がした。
口が離れると、私が示した通りの場所に小さな穴が開いていた。
「おおっ! 本当に穴が開きましたよ!」
「そうだね。幼体の鱗は成体に比べると柔らかい可能性はあるが、この鋭さなら鱗が重なっていても血が流れるほどの傷になりそうだ」
ドラゴン同士の喧嘩は、きっと壮大で恐ろしい光景だっただろう。でも伝承が残っているということは、ブライトル家の入植が始まる前としても、それほど古い話でもないのかもしれない。
具体的にはいつ頃のことかが気になったが、クレイド君はすでに穴の開いた鱗を工房に持ち帰って、彫金師に見せているようだ。なんだか興奮したような声が聞こえてきた。
切れ切れに聞こえる会話から推測すると、簡単な加工でより美しく見えるように考えてくれているようだ。
「パージェ、助かったよ。もう少し穴開けを手伝ってもらえるだろうか」
そう聞いてみると、小さなドラゴンは、ぶん、と尾を動かした。頼もしい返事だ。ほっとしつつ感謝を込めて撫でてから、ふとあることに気がついた。
「そうだ。先に聞いておくべきだったのだが、君の鱗をオルテンシアちゃんに贈ることは大丈夫かな?」
今のところ、パージェは私以外の人間に寄って行かない。当然触らせたこともない。それなのに、パージェの体の一部だった鱗を私以外の人間に贈ってよかったのかが気になった。
でも、パージェは尾を振っている。
オルテンシアちゃんの名前を出しても、不快そうな反応をしなかった。
だから……大丈夫、なのだろう。そういえば、パージェは最初からオルテンシアちゃんのことをじっと見ていた。あれほど興味を持つということは、好意に近いのかもしれない。
加工の目処が立ったし、許可も得た。あとは作り上げるだけだ。オルテンシアちゃんに喜んでもらえればいいが、そのためには結婚記念日に間に合わせなければならない。
きっとオルテンシアちゃんは、結婚記念日というものを気にしていないはず。どんな表情をするのかも楽しみだ。
「私が育った王都とこの辺境地区とでは、同じ王国内なのに時々驚くほどの違いがあるんだ。でも距離を考えれば、同じ言葉が通じている方が不思議なことなのかもしれないな」
パージェを撫でながらつぶやくと、パージェは私を見上げて、翼を動かした。何かを私に伝えようとしているようだ。
パージェは私の言葉を理解してくれる。でも私はまだパージェの気持ちがよくわからない。だから何を伝えたいと思ってくれたのか、あるいは何かを示そうとしているのか、それがわからなくてもどかしく思う事が多い。
いつか、パージェの意思の全てを理解できる日が来るのだろうか。そうなれば、もっと面白い世界を知ることができるかもしれない。
ドラゴンという最上位の魔獣から見た辺境地区とは、どんな世界なのだろう。
「……君の目から見ても、ここは面白いところなのかな?」
そう聞いてみる。
パージェは大きく尾を動かして肯定したようだった。
(番外編 妻への贈り物 終)




