渡り鳥(後)
◇
月日が巡り、アマレの白い花の季節が来て、私は十七歳になった。
トゥル様との結婚生活は二年目と入り、スオロが再び繁殖のために戻ってきた。
旅立つ時は少数ずつなのに、ホバ池に戻ってくる時は大群が一斉に舞い降りる。数日前に斥候鳥が来たと報告があってからは、トゥル様は毎日空を見上げていた。
だから、大群が来たと報告を聞いて、すぐにお茶の入ったカップを置いて立ち上がった。
そのまま走って見に行くのかと思ったのに、トゥル様は一緒にお茶を飲んでいた私ににっこりと笑いかけた。
「一緒に、スオロを見に行ってくれるかな?」
もちろんお誘いを断ることはない。
私は帽子をかぶり、トゥル様と一緒に薬草園へと向かう。
ホバ池の周囲はとても賑やかで、白くて丸い大きな鳥がたくさんいるのが見えた。
繁殖期になっているので、スオロは真っ白でとても美しい。
池から少し離れたところで足を止めたトゥル様は、数えきれないほど鳥たちがいる光景にうっとりと見惚れていた。でも……次の瞬間、何かがトゥル様に向けて突進するのが見えた。
「トゥル様っ?!」
私が慌てたのに、トゥル様は動かなかった。
腰に帯びた剣に手をかけることもなく、ただまっすぐに立っていた。
ぼすり、ぼすり、と白いものがトゥル様の体に当たる。突進の勢いのわりに緩やかな衝突だ。続いてやってきたものたちは、ふわりと舞い上がって肩や頭に乗ろうとする。
さすがにトゥル様の体は大きく揺れたけれど、さらに、ガー、と鳴いて飛んできた鳥を優しく抱き止めた。
丸い体は真っ白だ。ただし、くちばしが少し黄色い。
まだとても若いスオロだろう。おそらく昨年生まれた元ヒナたちだ。
私はそのことを教えようとしたけれど、トゥル様はすでに気付いているようだ。スオロをそっと地面に下ろし、周りに集まったスオロを見回した。
「君たちは昨年生まれた子たちだね? もしかして、私を覚えていてくれたのかな?」
ガー、とスオロたちが鳴く。
周りに集まっている白い鳥たちは一斉に羽ばたき、その風で背中に垂らした私の髪が広がってしまう。トゥル様の明るい金髪も揺れ、大きく見開いていた目が柔らかく細まった。
「そうか、覚えていてくれて嬉しいな。——おかえり」
トゥル様は微笑む。
その声はとても優しく響く。私は……思わず聞き惚れてしまった。
スオロたちも、同じだったようだ。
一瞬、鳴くのをやめ、周りにいる全てのスオロがトゥル様を見上げる。
それからまた、すぐに賑やかに鳴きながら思い思いの方向へと顔を向けていった。
若いスオロたちは、まだつがいを作っていないようだ。連れ立っている様子はない。きっと来年か再来年くらいになるだろう。
でも、二歳を超えた鳥たちは、これから巣を作り、卵を産んで温める。
その後はまた、小さくて青いヒナたちが走り回る季節が来る。
今年も、ヒナたちは私への警戒を薄めてくれるだろうか。親鳥たちは少しだけ近くから見ることを許してくれるだろうか。
動物も魔獣も、私は好きだ。
空を飛ぶものたちの美しさは言葉で喩えようもない。だから見るのはとても好きだ。触れるほど近くではなくても、翼を動かす様を見ているだけで楽しい。
でも今は、トゥル様と鳥たちがのんびり過ごすことができるように、トゥル様から少し離れていよう。
ゆっくりと後退ろうとした時、短めに着たスカートの裾が何かに当たった気がして、私は慌てて振り返った。
暗い色合いのスカートのすぐ近くに、真っ白なものがいる。
それは、私を見上げながら、ガー、と鳴いた。
「……えっ?」
若いスオロは、私と目が合っても離れようとしない。
その若鳥の体を押しのけるように、別の若いスオロがやってきた。スカートの布にくちばしで軽く戯れかけ、ぺたりぺたりとトゥル様の方へと歩いていく。
(——これは、どういうことなの?)
恐る恐る周りを見た。成熟した真っ白の成鳥たちは、私が視線を向けるとじわりと下がる。トゥル様を気にしながらも、距離を取ろうとする。
よくある反応だ。
見るたびに胸がまだ痛む。でもこれが普通で、いつもと変わらない警戒ぶりだ。なのに……。
私は再び近くの地面に目を戻した。
また揺れたのか、スカートの裾をじっと見ている鳥がいる。手を伸ばせば触れそうな距離に、のんびりと羽繕いをしている鳥もいる。私を見ずにトゥル様だけを見上げている鳥もいるけれど、私の存在を嫌悪している鳥ならこんな近くにはいない。
「……どうして……?」
呆然とつぶやくと、無理のある体勢で肩に止まったスオロを苦笑交じりに抱きとったトゥル様が振り返った。
「どうしたのかな?」
「あの……スオロが……」
「スオロが?」
「……私の周りに……」
それだけしか言えなかった。でもトゥル様はスオロたちを見て、察してくれたようだ。抱えていたスオロをぽんと投げ、大きく羽ばたきながら私のすぐそばに降り立つのを見て微笑んだ。
「この子たちは、君を見て育ったからだろうね」
「それだけで、こんなになるのでしょうか」
「なると思うよ。君は毎日私を迎えに来てくれただろう? 私の近くでは君がいるのは普通のことで、私が警戒しない相手ということにも気付いていたのだろうね」
(——そう、なのかしら)
でも、若いスオロたちは相変わらず平然と私の周りにもいる。
積極的に近付いてはこないけれど、忌避することもない。本来はとても警戒心の強い鳥なのに。
「世代が変われば、君の周りにも鳥が増えるかもしれないね」
「……そうでしょうか」
「そうなると思うよ」
「でも、私だけでは、スオロはきっと警戒を解いてくれません。だから……」
私はトゥル様を見上げた。
「これからも、私と一緒にスオロを見てくれますか?」
トゥル様の青と緑を混ぜた色の目が、一瞬揺れた気がした。困ったような顔になってしまった気がするけれど、トゥル様は笑ってくれた。
「君と話していると、いろいろな言質を取られてしまいそうだ」
「……だめですか?」
「だめではないよ。私はこの地で生きていく。君と一緒にスオロを見る機会はたくさんあるだろう。だから君には、これからも私を呼びにきてほしい」
「もちろんです。お任せください!」
思わず大きな声を出してしまった。
スオロたちの鳴き声はもっと大きいのだけれど、私の声は鳥たちにとってはよく響いてしまうようだ。少し離れたところにいたスオロたちが大きく羽ばたいて、池へと移動してしまった。
「……鳥たちを驚かせてしまいました」
反省しながらつぶやくと、トゥル様は笑いを堪えているような顔で私を見て、それからふと真顔になった。
「どうかしましたか?」
「ここに、何かがついているよ」
トゥル様は少し腰を屈めて私に手を伸ばした。指先が私の頬に触れた。きれいな手なのに、手のひらと指先は硬い。その指先が、私の肌から何かを軽く摘み取った。
「羽毛の一部だね。以前見た羽毛より柔らかいようだ。これが巣に使われる『白雪羽毛』なのかな?」
「スオロの羽根なら、そうだと思います」
「きれいな白だね」
トゥル様は、指で摘んだ細い羽毛の一部をまじまじと見つめた。
……真剣なお顔が、とても近い。
手を軽く上げるだけで、蜂蜜のような金髪にも触れそうだ。メイドたちもほとんど触ったことがない髪は、どんな感触なのだろう。
ふとそんなことを考えた時、トゥル様がまた私を見た。
間近から見るトゥル様の目は、不思議な色をしている。青色も緑色も人の目によくある色なのに、どちらの色も混ざっているせいか、魔獣たちの目を覗き込んだ時のように目が離せなくなる。
引き込まれそうだ。
身じろぎを忘れて思わず見入ってしまった時、トゥル様がふわりと笑った。
「髪にも羽根がついてしまったね」
そう言ってトゥル様は、髪に指を通す。
くしを通すように耳の後ろから摘みあげた羽根は、思ったより大きい。
「あの、ありがとうござ……」
「取ってしまったけれど、きれいな羽根だからつけたままの方が良かったかな。……君は白もよく似合うね」
「そ、そうでしょうか」
「うん。結婚式のドレスはとてもよく似合っていたし、艶やかな真珠もよく似合っていた。だから、たまには白い花の飾りなどを使ってもいいと思うよ」
少しもよどみのない言葉は、心からそう思ってくれたからだと思う。
だから、本当に白色は私に似合うのかもしれない。
でも私は……臆面もなく笑顔で褒められることに、まだ慣れていない。返事に迷っているだけのはずなのに、あっという間に顔が熱くなってしまった。
(番外編 渡り鳥 終)
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