別荘へ(1)
安眠用のお守りに差し上げたカートルは、効果絶大だったらしい。
翌朝、食堂でお会いしたトゥル様は、とても爽やかなお顔をしていた。隙を見て少し近くでお顔を見たけれど、練りおしろいを使っている様子はない。
食事を終えて、部屋へ戻る前に中庭に面した回廊へお誘いすると、気軽に応じてくれた。ちょうど雨の中を飛び回る巨大な蝶を見つけたこともあって、とても楽しそうに見えた。
「……昨夜は眠れましたか?」
そっと聞くと、トゥル様は襟元の装飾品のピンに一緒に通したカートルに軽く触れて笑った。
「驚くほどよく眠れたよ。まさか、催眠作用を持っているとかはないよね?」
「……催眠力はないと思いますが、いや、もしかしたら何かあってもおかしくはないかもしれませんね。大きく形態を変える魔獣は、それだけ魔力が強いという証ですから」
「ふーん。こんなに小さいのに、魔力は強いのか」
トゥル様は、また興味深そうにカートルに触れて、それからふと私の耳元を見た。
「君のは片方だけになってしまったね。でも形が前見た時とは違うね?」
「はい」
今朝目が覚めると、私のカートルは形が変わっていた。まるでトゥル様に差し上げたものと形を揃えたようで驚いた。でも……なぜか嬉しい気分もする。なぜだろう。
ふと気付くと、トゥル様はまだ私の耳飾りを見ていた。形が変わったことが面白いのだろう。と思っていたら、手を伸ばして私の耳に揺れているカートルに触れた。
銀細工そっくりの魔獣は、触れられてぷるりと震えたようだ。見えなくても耳に振動が伝わってくる。
「その子も張り切っているのだろうね。細かい形は違うのに、私のものと雰囲気が似ている。お揃いになるのは双子だからなのかな」
トゥル様はそう言って笑い、もう一度私の耳飾りを指で突いて動かした。
ゆらゆらとカートルが嬉しそうに揺れている。その振動に、私の心臓の音が重なっていく。耳飾りの揺れはだんだん緩やかになるのに、私の心臓は早くなるばかり。
……顔が熱い。
トゥル様のお顔が近いから、きっと高価な香水に酔っているのだ。
私はそっとトゥル様から離れて、ちょうどひらりと飛んできた大きな蝶に手を差し出した。
鮮やかな赤紫色の羽が、私の手を掠めるように飛ぶ。
でも、私の手に触れることはない。
「とても大きな蝶だ」
「赤揚羽と呼んでいます。王都に似た蝶はいますか?」
「アゲハ蝶に似ているね。模様がそっくりだ。色はもっと黄色いけど。ああ、大きさもずいぶん違うかな」
トゥル様はそう言って笑い、近付いた蝶に手を伸ばす。
ただ近くにきたから、何となく手を伸ばしただけだろう。でも赤アゲハはその指先にひらりと止まった。
「……え?」
トゥル様が驚いている前で、のんびりと羽を広げたり閉じたりしている。間近から蝶をじっと見ていたトゥル様は、そっと私を振り返った。
好奇心で目を輝かせているかと思ったら、何だか困ったようなお顔だ。
「……この蝶も、まさか魔獣なのかな?」
魔獣に好かれやすいから、この蝶も魔獣だから寄って来たのかと思ったのだろう。もしかして、虫はあまりお好きではなかったのだろうか。
いや、そうではなさそうだ。
指に止まった瞬間のお顔は、驚きと同時にとても嬉しそうだったから。
私は笑いを堪えて、すまし顔を作った。
「いいえ。それはただの虫です。でもきっとそうなるだろうと思っていました。トゥル様は辺境地区の生物全般に好かれやすいようですから」
「そうかな。でも君にも寄って行ったけど」
「私は、好かれているとは少し違います。少しだけ……空を舞うものたちの気を引くだけです」
本当に、少しだけ気を引くだけだ。
あの蝶のように。
野生種の翼竜たちも、私に気付くと少しだけ寄ってくる。
でも、私に触れることはない。慕わしく触れてくれるのは、飼い慣らした魔獣たちだけだ。
トゥル様は、私の言葉の中に混じってしまった複雑な感情に気付いたようだ。私をじっと見ている。でも私が気づかないふりを続けたから、指に止まった蝶に目を戻した。
「……そういえば、さっき形態を変える魔獣は魔力が強いと言っていたけど、カートルは、体の大きい魔獣より魔力を持っているのかな?」
トゥル様は話題を変えてくれた。
だから私も、それに乗せていただいく。
「正確にはわかりませんが、たいていの大型魔獣より魔力は強いと思います。だからこそ、護身用に使っています」
「なるほど」
トゥル様は大きく頷いた。
お顔の肌の色は明るい。すっかりお元気になっている。私は昨日に両親に相談したことをトゥル様にもお話しすることにした。
「——トゥル様。昨日、少しお話しした別荘のことですが」
「いつ行けるようになった?」
指から、再び雨の中へと平然と飛んで行った蝶を見送っていたトゥル様が、くるりと振り返った。そのあまりの勢いに、私は少し圧倒される。でもすぐに気を取り直し、言葉を続けた。
「護衛の手配ができましたので、いつでも出発できますよ」
「それは嬉しいね! 最短でいつ?」
「トゥル様がお望みならば、明日にでも」
私がそういうと、トゥル様はさすがに明日は予想していなかったのか、一瞬とても驚いた顔をする。
でもすぐに目を和らげ、とても嬉しそうに、とても楽しそうに笑ってくれた。




