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【2巻3/24】辺境領主令嬢の白い結婚 〜殿下の命をお守りするために結婚しましたが、夫は毎日楽しそうにお過ごしです〜【コミカライズ】  作者: 藍野ナナカ
本編

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雨(3)


 いつからだろう。

 街に出掛けた時は、こんな顔はしていなかった。

 その後は? 中庭で植物を見ていた時も何もなかった。雨が降り始める前まではごく普通で……ということは、雨が降り始めた後からだ。


「トゥル様、雨の日はお嫌いですか?」


 思い切って聞いてみると、トゥル様は曖昧に笑った。

 気が弱かったら流されてしまうだろう。意気込みすぎても受け流されていただろう。

 だから私は、いつもより大胆に振る舞うことにした。

 青花茶のカップを遠ざけ、立ち上がる。


「オルテンシアちゃん?」


 いぶかしげなトゥル様の視線を敢えて無視し、私は座ったままのトゥル様のすぐ横に立った。


「ご無礼をお許しください」


 私はそっとトゥル様の顔に手を伸ばした。

 一瞬、トゥル様の手が動いた。でも腰に帯びた剣の柄に触れただけで、剣を抜くことはなかった。指先が頬に触れても私を突き飛ばすこともなかった。

 でも、トゥル様の全身に緊張が走っている。私を切り捨てたい衝動と戦っているのか、意図を測ろうとしているだけなのか。


 切られる覚悟は、一応した。

 できれば、死なない程度でとどめてくれればいいと思ったけれど。

 私は手に握っていたハンカチを、トゥル様の顔にそっと当てた。ゆっくりと丁寧に目の下の肌を拭っていく。トゥル様も私の意図を察したようで、目を閉じて私がやりたいようにさせてくれた。

 左右の目の下を拭うとハンカチが肌そっくりの色に汚れ、クマが現れた。やはり練りおしろいをつかっていたようだ。でも……目の下のクマは思っていたよりかなり濃い。


「……眠れていないのですか?」

「少しね」


 トゥル様は柔らかく微笑み、目を開けた。この距離で見ると、目もわずかに赤い。

 私はすごい顔になってしまったようだ。

 トゥル様は軽く瞬きをして、それから笑って私の手を取って椅子へと導いてくれた。


「心配させるつもりはなかったんだ。こういうのを隠すことが私の日常だったからね」


 それは、王宮にいた時も眠れない日が続いていたということだろうか。それが日常だったなんて。


「私に、何かできることはありませんか?」

「ありがとう。でも、どうしようもないんだ。……雨が降っていると、音が聞こえにくくなるだろう?」

「あ……」

「外の音が聞こえない。近付く足音が聞こえない。異常が起こっても気付きにくい。周囲にも伝わりにくい。それが怖いんだ」


 トゥル様の声はとても静かだった。

 当たり前のことを語っているようだ。でも私にとっては当たり前ではない。喉の傷跡を見ていたはずなのに、私には想像力が足りていなかった。トゥル様がどんな日々を送ってきたのかを、改めて思い知らされた。


「ごめんね。ここは安全で、ブライトル伯爵は、義父上は警備を万全にしてくれている。それでも、体に染みついているんだ」


 そう言って優しく笑ってくれたけど、トゥル様の顔は憔悴している。こんなお顔が日常だったなんて。

 まるで、魔の森をさまよい続けた人のような顔だ。

 ……このきれいで穏やかな人のために、私は何をして差し上げればいいのだろう。


 トゥル様が、控えているメイドにお茶のおかわりを頼む。

 少し目が潤んでいるメイドの滑らかな手つきを見ていた私は、ふと思いついた。

 魔の森のような恐怖と危険にさらされていたのなら、辺境流の護身を試していただくのはどうだろう? 安心していただけないだろうか?

 私が考え込んでいると、トゥル様はまた首を傾げた。


「君は次期領主だったよね?」

「はい。まだ正式な承認は得ていませんが」

「ということは、君はこの地では最も重要な人物の一人だと思うんだけど、君の護身はどうやっているのかな?」

「護身用の魔獣を連れてきます」

「今も? 前に見た襟赤栗鼠のような?」


 トゥル様が身を乗り出したけど、またすぐに不思議そうに首を傾げる。今日の私が毛玉や、それに似たものを身につけていないからだろう。

 でも、私にはいくつかの守りがある。

 ……メイドたちすら知らないことも含めて。

 全てを披露することはできないけど、一つだけお見せすることにした。


「これです」


 私が「それ」を外して差し出すと、トゥル様は一瞬ぽかんとした。それから真剣な表情で、私の顔と「それ」とを何度も交互に見た。

 私の手のひらの上にあるのは、耳飾りだ。

 一見すると、よくある銀細工に見える。でも耳に固定する金具についた銀の輪からぶら下がっているのは、銀ではない。

 光沢の強い銀色で、細く長く垂れ下がっている。


 でも、その銀色のものは生きている。

 長時間よく見ていると、つるんとした金属そっくりの体がまれに脈動するのがわかるし、触ればごくわずかに体温を感じる。

 銀製の飾りのように見えるけど、これは我がブライトル一族が愛用する魔獣なのだ。


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