襟赤栗鼠(3)
私は身を縮めながら、椅子に座り直す。
トゥル様は、でも楽しそうに笑った。
「咎めているわけではないよ。食べ慣れた味を用意してくれているのは助かっている。ただ、今後は地元の食材を使った味付けを少しずつ増やしてもらってもいいかな」
「……両親と相談します」
私が小さな声でそういうと、トゥル様はぐっと身を乗り出してきた。
「——それで、あの塗料の原料は何なのかな?」
「え、塗料?」
一瞬何のことだかわからなかった。
でもトゥル様が建物を指差したので、やっと思い出した。
そうだった。トゥル様は私の手を引っ張って歩くくらいに、あの赤い塗料の話を聞きたがっていたのだった。
「そんなに知りたいのですか?」
「知りたいね」
王都で生まれ育ったトゥル様は、何を見ても面白がる。でも、これはお教えしていいのだろうかと私は悩んだ。
悩んだけれど、教えないと言う選択肢はない。
トゥル様の期待を込めた目は、キラキラと輝いていて本当に美しいから。
「あの塗料の原料は……火食い山羊の……です」
「ごめん、よく聞こえなかったんだけど」
「で、ですから……火食い山羊の糞です!」
覚悟を決め、私は目を閉じてはっきりと言った。
トゥル様の反応は何も聞こえない。おそるおそる目を開けると、トゥル様は護衛の騎士たちの馬を見ていた。
「糞というと、あの馬糞みたいな感じの?」
「そ、そうです」
「そうなのか。それで、火食い山羊とはどんな動物なのかな? あ、動物ではなくて魔獣なんだろうか」
「え、あ、はい。魔獣です」
「火を食べる魔獣? 山羊が紙を食べるような感じ?」
「えっと、そうですね。焚き火をしていると寄ってきます。正確には熱を摂取しているらしいんですが……」
「形は? 山羊とつくから、動物の山羊に似ているの?」
「似ています。角が四本あるし、蛇のような触手のたてがみを持っていますが」
「蛇のような触手!? 姿は恐ろしそうだけど、糞を利用した塗料はそれなりに頻繁に塗り直しているようだから、飼育をしているとか?」
「飼育できます。人間に飼われることが好きなようで、魔獣の中では飼育に向いていると思います」
「そうなのか。見てみたいなぁ」
トゥル様は楽しそうだ。
火食い山羊はコドルよりも飼育が簡単だから、牧場も近い場所にある。我が家の別荘の近くでも放牧しているから、近いうちに案内しよう。
そんな計画を立てながら、ふと私は首を傾げた。
「トゥル様は、糞を使っていると聞いても嫌悪していませんね」
「ああ、それは……王都のご婦人方も、そういうちょっと変わった原料を使った化粧品を使っているからね。肌を美しくするそうだ。それに比べたら、防火用ならまったく違和感はないかな」
そうなのか。
私は肌の乾燥を防ぐクリームとかしか使ったことがない。でも、大きな声では言えないような材料を使う化粧品があると聞いたことはある。
知らない方がいいとまで言われたから、私は聞かないようにした。将来も使いたいとは思わない。思わなかった。……今までは。
でも、王都の令嬢たちが使っているのなら、私も使うべきかもしれない。
そんなことを考えたのを見透かしたように、トゥル様は急に真剣な顔になった。
「……あのね、王都の化粧品というものは、時々とんでもないものが混じっている。そんな効能も確かではないものを使うより、この地で長く使われている質の良いものを使った方がいいと思うよ」
私はどきりとする。
なぜ、ばれたのだろう。
トゥル様はため息をついてみせた。
「女性は美しく化粧をしたいと思うのだろうけど、私はあまり派手なのは好きではないから、君は自分の好み以上に頑張る必要はないよ。……多分、乳母に育てられたせいだ」
きっと、乳母という方は少し身分が低い出身だったのだろう。
でも、化粧に良い印象を抱いていないのは、それだけではないはずだ。王妃様はとても美しい女性だと聞いたことがある。化粧も完璧にしているだろう。
とはいえ、少しでも美しくなりたいという乙女心も捨てがたい。
「……肌を整えるくらいなら、してもいいですか?」
「私の好みの話だから、気にしなくていいよ。君の気持ちのままに。ご自由にどうぞ」
トゥル様はそう言ってくれたけれど……トゥル様の好みを気にせずにはいられない。
なぜだろう。
でも私は途中で考えるのをやめた。
ちょうど火食い山羊を連れた行商人が通りかかって、トゥル様にお教えできたから。
トゥル様はとても喜んでいた。
だから、それで十分だ。




