襟赤栗鼠(1)
「……これは青花茶です。この辺りでは、庶民も好んで飲んでいます」
やっと到着した店の前のテラスで、私は運ばれてきたお茶について説明した。
まだ少し息が切れて胸がドキドキしているのは、トゥル様の歩幅が大きかったせいだ。
私が何度か転びそうになったせいで少し歩調を緩めてくれたけれど、それでも私が歩くことができる限界の速さになっていた。だからこんなに落ち着かない状態が続いているのだ。
心の中で言い訳を続けていた私は、トゥル様がお茶をじっと見ていることにようやく気がついた。
鮮やかな紫色の液体を興味深そうに見ているけれど、手を出そうとはしない。私と目が合うと、少し困ったように笑った。
「気を悪くしないで欲しい。外のものを口に入れるのは……まだ抵抗があるんだ」
それはそうだろう。
我がブライトル家の屋敷では呑気そうに過ごしているけれど、トゥル様は暗殺の危険に晒され続けていたそうだから。
もちろん、私もそのことは忘れていない。
「理解しております。そのつもりで準備をしていますから」
にっこり笑って見せてから、私は飾りのように身につけていた襟赤栗鼠を手に取った。手のひらに乗るくらいに丸まっていた襟赤栗鼠は、テーブルに置くとちょろりと顔を上げて体をゆっくりと伸ばす。
真ん丸だった赤い毛玉は、赤い小型の栗鼠に戻った。
「それは?」
「襟赤栗鼠です。我が家では護身用に飼っています」
「へぇ、襟飾りではなかったのか。でも、もしかして……それも魔獣かな?」
「はい」
私が頷くと、丸いテーブルの向かいに座っているトゥル様が体を乗り出した。赤い栗鼠の大きな銀色の目に見入っている。
赤い栗鼠は、ふんふん、とお茶の匂いを嗅いだ。それ以上の反応はない。だから私は、スプーンで青花茶をすくって口に運んだ。
コクンと躊躇いなく飲み込むと、トゥル様が少し硬い顔になった。
「……オルテンシアちゃん」
「襟赤栗鼠はあらゆる毒を見抜きます。魔力を使ったものも見抜きます。確認のために一口だけいただきましたが、このお茶は安全です」
「確かめてくれるのは嬉しいけどね、だからと言って君がそんなことまでするなんて……」
「夫に安心してもらうことは、妻の役目です」
「……しかし、万が一のこともある。君が危険な毒見役までする必要はない」
トゥル様の顔は真剣で、口調も少し変わっていた。
柔らかさがない。怒っているのかもしれない。でも私は気にしない。次期領主として、私は目的のためなら感情を抑えることもできるのだ。
私はまっすぐにトゥル様を見つめ、できるだけいつも通りに微笑んだ。
「襟赤栗鼠は絶対に間違えません。だから危険はありません。でも、毒見については、ご不快なら今後はしないようにしましょう」
「そうしてくれ」
トゥル様はまだ笑っていない。
控えている騎士が、護衛の任務を超えて心配そうに見ている。それは感じてるから、私はできるだけ平気な顔で襟赤栗鼠に焼き菓子を近づけてみた。
今度は、襟赤栗鼠は興味を持ったようだ。
くるりとお皿の周りを歩いたけど、やっぱりそれ以上の反応はしない。襟赤栗鼠が好む木の実が入っているのだろう。こちらも毒の心配はなさそうだ。
本当なら、確認のためにお菓子の一部を私が食べるべきなのだが……。
私はそっとトゥル様を見た。
まだ笑顔になっていない。やっぱり怒っているようだ。
でも、じっと襟赤栗鼠を見ている。私の行為は不快に思っていても、いつも通りに辺境地区の生物に興味を示している。
せっかく用意してもらっているが、焼き菓子もお食べにならない可能性が高い。だから……トゥル様をこれ以上不快にさせないように、毒見は控えておこう。
私がそっとため息をついた時、トゥル様がゆっくりと手を動かした。きれいだけどしっかりした指がカップにふれ、持ち上げる。
「とてもいい香りだね」
トゥル様がつぶやいた。
私が呆然と見ているうちに、口元に運ばれたカップに唇が触れた。
「あ、トゥル様、無理をしなくても……!」
私が慌てて立ち上がったけれど、すでにトゥル様が一口飲んでいた。ゴクリ、と喉が動くのを息を呑んで見守るしかない。
トゥル様はさらに何口か飲んでから、カップを置いた。




