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街への外出(2)


 私も、お母様とお父様も、そして屋敷の全員がトゥル様を大切なお客様として接しているけれど、正式には私の「夫」だ。

 急な縁談を飲む代わりに「白い結婚」の条件をつけているから、本当の意味では夫ではないかもしれないけど、形式上は次期領主である私の夫。

 トゥル様の生母様は平民出身で、そのために王妃様に母子ともに憎まれている。生母様はトゥル様を出産して間もない頃に亡くなっていて、王妃様の憎悪はトゥル様お一人に集中している状態だ。私との結婚が実現しなかったら、王都に残ったトゥル様に未来はなかっただろう。

 大きな声では言えないけれど、それが現実だ。


 そんな状況のせいか、トゥル様は屋敷の外に出たことはない。植物や無害な小型魔獣を観察するのはいつも中庭で、その他の時間は自室にいる。

 でもきっとストレスも溜まっているだろうからと街へとお誘いして、トゥル様も嬉しそうに応じてくれたけれど……やっぱり身の安全については気を遣っているのだ。


 放牧場は、王都とは反対側の方向にある。

 決して王都へ戻るつもりはなくても、馬車で遠出をすれば王妃様の疑いの目が向けられる。あるいは、すでに我が領内にも王妃様の命令で暗殺者が潜んでいるかもしれない。

 今まで安全だったからといって、気を抜くわけにはいかないのだ。

 でも、私はいろいろな思いをグッと押し込めて顔を上げた。

 トゥル様は優しく笑っている。

 でも、心の中を隠すための微笑みで、とても綺麗だけど私は少しも心が安らげない。

 私は無意識のうちに手を伸ばして、向かいに座るトゥル様の袖をつかんでいた。


「きっと大丈夫です」


 いきなりの行動は予想していなかったようで、トゥル様が珍しく驚いたような顔をした。でも私は気にせず言葉を続けた。


「トゥル様を、絶対にコドルの放牧場にご案内します。我が伯爵家には忠実な者がたくさんいます。万が一にも裏切り者が混ざっているとしても、トゥル様をお守りする手段はいくらでもあります。ここは辺境で、たくさんいる魔獣の中にはとても有用なものがいるんです!」


 私は一気に言った。

 少し、力が入りすぎたかもしれない。でも、私はどうしても伝えたかった。ここでは王妃様よりも私の方が影響力がある。私たちだけが取れる手段もある。

 ここにいる限り、トゥル様は安全だとお伝えしたい。

 トゥル様はゆっくりと瞬きをした。

 相変わらずきれいな微笑みを浮かべていて、内心を完全に隠している。でも私をじっと見つめてくれて、やがて目を伏せた。


「……そうだね。いつか、案内してもらおうかな」

「いつかではなく、近いうちに、必ずです!」


 キッパリとそう言って、それから私は身を乗り出しすぎたことにやっと気が付いた。トゥル様は私の非礼を気にした様子はないけれど、私はそっと手を離し、きれいな顔から目を逸らした。




   ◇◇◇




「泉を中心に広がった街ですが、我が領地は辺境ですから建物は小さいのではないでしょうか。王都ではもっと人も多いと聞いていますが……トゥル様?」


 街の中心地には泉がある。

 ほとんど人がいなかった未開の地だった頃も、旅人たちは安全な水を得るためにこの地に立ち寄っていた。そしてこの地には水が湧く場所が複数ある。領主となった祖先がこの地に居を構えたのも、この水の豊富さが理由だ。

 今は石で囲った泉の近くで馬車を停め、護衛たちを連れて街の中央の通りを歩いている。


 でもトゥル様は、私の説明を聞いていないだろう。

 ずっとキョロキョロしている。

 言ってしまえば……全く落ち着きがない。


「トゥル様、何か気になることがありましたか?」

「……建物の様式が全く違うんだね」

「え?」

「壁の色が赤っぽいのは、何か塗料を塗っているのかな?」


 トゥル様が指差した先には、大きな宿がある。

 街の規模にしては大きいのは、辺境地区にはよくあることだ。何かあれば街の人々が立て篭もる拠点になる。

 その宿の壁が、赤みをおびた茶色だ。

 でも壁が赤いのは、その宿だけではない。街全体が赤っぽい。建物の壁はほとんど全てが赤いのだ。例外は、まだ真新しい建物だけ。それと、領主の屋敷も例外の一つだ。


「王都のあたりでは赤い壁の建物はないのですか?」

「少なくとも、王都では見たことがないな。領主館とだいたい同じ作りだと思うよ」

「そうなんですね。あれは防火のために塗っています」


 トゥル様が振り返った。

 青と緑の中間のような目がキラキラと輝いている。すぐに説明をするべきかもしれないけれど、通りの真ん中で立ち話をするには私たち一行の人数は多すぎる。


「少し、休憩をしましょう」


 私は騎士たちを振り返る。護衛の騎士の一人が、すでに手配をしていた店へと先立って案内してくれた。

 トゥル様もおとなしくついてくる。

 でも話の続きを聞きたい気持ちを抑えられなくなったのか、私の手を握ったかと思うと、ぐいぐい引っ張って騎士の後ろを追い始めてしまった。


「あの……!」

「石畳の素材も、見慣れない色合いだね。特別な石を使っているのかな」

「え、ええっ? 石ですか?!」


 石畳の素材が何か、どこで産出するものなのか、そこまで把握していなかった。

 確か、ブライトル領の東部のどこかから運んでいると聞いたことがあるような……。

 でも、私はそれどころではなかった。

 トゥル様に手を握られている。誰かと手を繋ぐなんて、いつ以来だろう。

 ……いや、その前に、この石の産地はどこだった?!


 頭が混乱する。

 幼い頃は別として、十歳を超えた頃から、お父様以外の男の人と手を繋いだことはない気がする。

 いや、あったかもしれない。

 馬車の乗り降りの時とか……でもそういう時は手袋越しだし、手の甲に手を置くだけだ。

 でもトゥル様は、手袋を嵌めずに私の手をしっかりと握っている。

 大きな手だ。

 そして……やっぱり剣を握り慣れた人の手だ。

 つい、手を見ていると、トゥル様が振り返った。


「オルテンシアちゃん、この速さは大丈夫だったかな?」


 本当は、少し速いと思う。

 でも……こうして手を引いてもらうのは、思っていたより負担にならない。どちらかといえば歩きやすい。こんなに速く歩いたのは何年ぶりだろう。

 だから、私は「大丈夫です」と答えてしまった。


(早く赤い壁のことをお話しするべきで、だから急ぐ方がいいと思って……混乱しているのは、石畳の素材の産地が思い出せないからで……っ!)


 心の中で、私はなぜか必死で言い訳をしていた。



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