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ミネの実(2)



 今日のトゥル様は、すぐに見つかった。

 長めの髪の毛先が土に触れている。こっそり羨ましく思っているきれいな金髪なのに、トゥル様はかなり無頓着だ。

 でも、気になるのは髪だけではない。

 トゥル様は地面の上に腹這いになっていた。王都の貴族らしい美しい上衣は脱いでいて、すぐ隣に軽く畳んで置いてある。


(一応、洗えない金糸を使った服は汚れないように気を遣っているのね)


 きっとこの光景を見たら、衣装係たちは感動するだろう。

 でも、私は予想外の姿に呆気に取られてしまう。それとも、トゥル様が最低限の防具になる上衣を脱いで、とっさに素早く動けない腹這いなんて無防備な姿になってあることを重視するべきだろうか。

 この屋敷で、あんなお姿になっていることは喜んでいいはずだ。私たちを信頼してくれているのだから。


 でも……あんな格好になって、何を見ているのだろう。

 今日のトゥル様は、一段と声をかけにくい。

 私は迷った。でも今朝はミネのパンだと言っていた。私はミネの実がゴロゴロ入ったパンが大好きだ。まだ温かいうちに食べたい。


(——今日は、今日だけは、遠慮なくトゥル様の邪魔をします!)


 私は覚悟を決めて、ずかずかと近付いた。


「おはようございます。トゥル様」

「……おはよう」


 珍しい。トゥル様の反応が悪い。

 もしかして……邪魔をされてさすがに怒ったのだろうか。

 この地に来てもう三ヶ月が過ぎているけれど、トゥル様は怒った顔を見せたことがない。いつも王族らしい美しい微笑みを浮かべているか、子供のように笑っている。

 そんなトゥル様でも、腹這いになってまで見たいものがあるなら、邪魔をされると腹が立つのかもしれない。

 でも……私も今日は譲りたくない。


「食事に行きませんか。今日はミネの実がたくさん入ったパンがあるそうですよ」

「……ミネの実って、何かな?」

胡桃クルミのようなものです。確か、胡桃は王都近辺でもあると本で読んだことがありますから、伝わりますよね? ミネの実はとても栄養価が高いんですよ。私たちは炒って食べます」

「ふーん、それは美味しそうだね」

「炒って食べると香ばしいのですが、パンに入れて焼くと、ホクホクして甘くて、小さいのに存在感があるんです!」

「……もしかして」


 トゥル様がやっと顔を上げて、私を見た。


「オルテンシアちゃんは、そのミネの実の入ったパンが好き?」

「えっ? あ、あの……」

「そうか。それなら急いだ方がいいね。ごめんね。面白い虫がいたから、つい見入ってしまった」


 そう言って、トゥル様は笑いながら立ち上がった。怒っていたわけではなかったようだ。

 そうわかって、ほっとする。

 でも……私はちょっと熱く語りすぎたようだ。

 ……ああ、でも、それより、トゥル様のお召し物があんなに土で汚れてしまっている!

 慌てるべきか、青ざめるべきか、私が混乱していると、トゥル様は服についた土を手で払って、脱いでいた上衣を拾った。


「ところで、オルテンシアちゃん、このあたりには大きな羽虫がいるのかな?」

「え、えっと、あ、虫? 羽虫ですか?」


 まだ混乱が残りながら聞くと、トゥル様はさっきまで見ていた草の上を見て、がっかりした顔をした。


「ああ、またいなくなってしまったな。時々、変わった虫を見るんだよ。でも少し目を離すと、いつもいなくなってしまう。今日こそ君に見てもらおうと思ったのに」


 それで、腹ばいになって見ていたらしい。

 なんだか申し訳なくなって、私は謝罪することにした。


「お邪魔をしてしまい、申し訳ございません」

「ああ、君のせいじゃないよ。虫は自由に来たり、いなくなったりするから楽しいんだ」


 トゥル様はそう言って笑ってくれた。

 気を遣っていただいて、ますます申し訳ない気分になる。

 いつもより急かしてしまったのは、ミネの実入りのパンのためだから。でも上着を羽織り直しているトゥル様は明るいお顔をしている。切り替えてくれたのなら、私がいつまでも引き摺るのは良くないことだ。

 私はふうっと息を吐いて、背筋を伸ばした。


「お詫びというわけでもないのですが、食事の後、外出しませんか?」

「外出?」


 手慣れた様子でボタンをとめたトゥル様が、飾り紐を結ぶ手をふと止めた。少しは興味を持っていただけたようだ。


「この屋敷の隣に、薬草園があるのはご存じですか?」

「ああ、西の生垣の向こう側かな? 薬草園だったんだね」

「そこには池もあるのですが、今は水鳥たちが子育てをしています。見に行きませんか?」


 私が見上げると、手早く飾り紐を結び終えたトゥル様が軽く首を傾げた。


「それは、普通の鳥なのかな? それとも辺境地区の固有種?」

「以前訪れた薬草学の学者は驚いていましたから、少し変わってるのではないでしょうか」

「それは楽しみだね!」


 声を弾ませ、トゥル様は笑う。

 その楽しそうなお顔に、私もいつの間にか笑っていた。ふと目に入ったメイドまで笑顔だ。なんとなく咳払いをした私は、トゥル様の肩についていた草の葉をそっとつまみ取って差し上げた。



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