七色の花(2)
この方には、何度か嘘を教えられた。
今回もそうかもしれない。
でも……確かに王都のお土産としてもらった絵では、夫の帰りを待つ健気な王女が髪を下ろしていた。
有名な物語の一場面だったし、絵としての美しさを優先した演出だと思っていた。でも演出としてそういうことがよくあるのなら、トゥル様がいうように、既婚女性の髪上げは古くてカビの生えた習慣なのかもしれない。
……いやいや、また騙されているだけな気もする!
「……私、大人っぽいまとめ髪は好きです」
「オルテンシアちゃんが好きでやっているのなら仕方がないけど、私は髪を下ろしている方がかわいいと思うよ?」
トゥル様はそう言って笑う。
とてもきれいな顔で、とても明るい顔で。
でも青と緑の中間のような色の目は、すぐに七色の花へと戻っていた。
「ん、また一段と深い色になったかな? ちょっと目を離しただけなのに、さっきより青みが強くなっている気がする」
驚いているトゥル様は、本当に嬉しそうだ。
そんなに気になるのだろうか。
とてもきれいだとは思うけれど。私はあと少し青みが強くなった瞬間が一番好きだ。ずっと見ていたつもりだったのに、その瞬間を見逃して何度も泣いてしまったけれど。
それにしても……この方は、女性への言葉は飾り立てなければいけないと思っている気がする。それは王都の貴族らしくていいと思うけれど、私にまで当てはめなくてもいいのに。
呆れているのに、仄かに頬が熱い。それに気付かないふりをして、私は立ち上がった。
「色の変化が大きくなっていますから、その花は今日中に散るかもしれません。さらに色が変化していきますから、こちらにお食事を運ばせましょう」
「君は?」
「私は食堂でいただきます」
くるりと背を向けて、屋敷の中へと戻ろうとする。
でも突然、手首をつかまれた。
「トゥル様?」
「私はね、ずっと一人で食事をしてきたんだ」
私の手首を握ったまま、トゥル様は微笑んだ。
「でも、オルテンシアちゃんと摂る食事は悪くないと思っている。だから、君も一緒に食べようよ」
「え、でも私は」
「そこの君、二人分の食事をここに運んでくれるかな? すでにできているものでいい。でも、手軽に食べられるような形にしてもらえると助かるな」
「かしこまりました!」
私についていたメイドが、笑顔で走っていってしまった。
トゥル様の言葉を料理長に伝えるためらしい。……本当にここで食事をするのだろうか。
そんな考えが顔に出てしまったのだろう。私の手首から手を離したトゥル様は、少し慌てた顔をした。
「もしかして、二人以上の外での食事は、何か良くない意味があったりする?」
「特に問題はありません。子供の頃は私も従兄弟たちとエバータの前で食事をしていました。それに、ここなら掃除をしてくれるものたちもいますから、集中できなくて食べ物をこぼすことがあっても問題にはなりません」
「……掃除をしてくれるもの? それはもしかして、魔獣とか?」
「はい。そこにもいますが、テドラという魔獣で……」
「え、どこにいる?」
トゥル様が慌てたように周りを見ている。
でも、見つけられない。
それはそうだろう。トゥル様が頭の中で描いているのは、異形の動物のような姿とか、メイドたちがよく利用している植物のような魔獣だろうから。
私はうっかり笑ってしまって、トゥル様の不思議そうな視線に咳払いをしてごまかした。
「あの、トゥル様。テドラは、トゥル様の膝に乗っています」
「…………えっ!?」
トゥル様は、慌てた様子で腰を少し浮かす。
ちょろちょろと膝の上を歩いていたテドラは、ころりと転がって草の上に落ちてしまった。
じっと見つめたトゥル様の目が大きくなる。
さすがに怯えるかと心配になったけれど、輝くような満面の笑顔になってしまった。
「これが魔獣? いいね、これは面白い! あ、触っても大丈夫なのかな? 今まで君が何も言わなかったということは、触ってもいいんだよね?!」
「はい。ご存分に。……と言っても、小さすぎてあまり触った感覚はないと思いますが」
私はそう答えたけれど、トゥル様は聞いているかどうか。
もう夢中になったように、草の上でもそもそと動き出した小さな毛玉……テドラをつまみ上げていた。
大きさは、トゥル様の親指の先くらい。
形はハリネズミに似ていて、硬い棘ではなくふわふわとした綿毛のような毛に覆われている。用心深いから滅多に姿を見せないはずなのに、トゥル様の周りにはよく出没する。
今まで、トゥル様は全然気づいていなかったけど。
「かわいいな! てっきり猫か犬の抜け毛と思っていたよ! 触っても毛玉と同じ感触しかないね。体はもっと小さいのかな?」
「たまに噛みつきますので、注意してください」
「噛むだけ? 毒は?」
「百年以上生きた個体は毒を持つと言われていますが、その大きさは十年かそこらですから大丈夫です」
「そうか! あ、目は三つあるんだね」
「五つです」
「……五つ? 三つしか……もしかして、この点が目なのかな」
トゥル様はテドラに顔を寄せている。
さすがに近すぎるのでは、と心配になってくる。
いくらおとなしくて毒を持たないと言っても、魔獣なのだから。
とその時。
毛玉の中にきらりと小さな牙が見えた。口を開けたらしい。
私が慌てた時、リュー、と笛のような鳴き声がした。さらに蛇のような小さな舌がトゥル様の指をぺろりと舐めた。