七色の花(1)
トゥル様の姿が見えない時は、いつも中庭にいる。
朝は特にそうだ。
今日こそ朝の身支度のお世話をしようと張り切っていたメイドは、空っぽの部屋にがっかりして私に報告に来る。
いつもご自分で身支度をしてしまう方だとわかっていても、あのきれいな金髪に櫛を入れて整えて差し上げたい、と夢みるメイドは絶えない。従者たちも、せめて靴の手入れくらいはしたいのにと悔しがっているのだとか。
どちらも、一日のほとんどを部屋で過ごすトゥル様がご自分でこなしてしまうから、彼らの出番は今のところはないらしい。
でも、全く手がかからない方かと言えば、そうでもない。
天気のいい朝は、いつも部屋にいない。使用人たちが気付かないうちに部屋から出ていて、それに気付いたら今朝のメイドのように私に報告に来る。
それからは私の仕事だ。
中庭に出て、トゥル様を探す。
だいたい植物の前に座っている。王都育ちの人にとっては、青い葉が珍しいらしいということはわかったけれど、毎日見ていればすぐに慣れてしまうだろうと思っていた。
でもトゥル様は、一ヶ月間欠かさずふらりと外に出て、飽きる様子もなく木々や植物をじっと見ている。
「……そんなに楽しいのかしら」
つい声に出してつぶやいてしまってから、私は慌てて口に手を当てる。
第二王子殿下に対して、さすがに失礼だろう。私の独り言が聞こえたのか、付き従っている若いメイドがこっそり笑っているけれど、それは気付かないふりをした。
でも、気を取り直して先に進もうとした私は、慌てて足を止めて振り返った。斜め後ろの木の向こうに、金色が見える。
トゥル様の金髪だ。
とろりとした甘い色の華やかな金髪が、整った顔にかかっている。青みを帯びた緑色の目は、何かをじっと見ていた。
「おはようございます」
「うん、おはよう。オルテンシアちゃん」
私が声をかけると、トゥル様は軽く手をあげて応じてくれる。
でも、顔を上げることはない。私を見ることもない。何かを熱心に見ている。こんなトゥル様も、だんだん見慣れてきた。
「……今日は何を観察しているのですか?」
「花だよ。この花、いつもこんなに色が変わるのかな?」
じっと見ていたのは花だった。
私もその花を見るために、トゥル様の隣に座った。
「その花はエバータですね。七色の花と呼ばれていますから、日によって変わるのは普通です」
「普通なんだね。では、明日はまた色が変わるのかな? でも開花しているのを見たのは、八日前だったはず。とすると、そろそろ散るかも……ん、これは散る花でいいのか?」
トゥル様はそんなことをつぶやいては、花びらにそっと触れている。
エバータは辺境地区では平凡な花だ。八枚の大きな花びらを持っていて、野原から石畳の隙間まで、土がある場所ならどこでも見かける。
でも、エバータは王都にはない植物だったらしい。
なんだか、私までエバータを見る目が変わってしまう。
でも私がいくら見ても見慣れた野草でしかない。花の色は……確かにきれいだと思う。真っ白なツボミがほころぶにつれて黄色くなり、鮮やかな赤色を経て、澄んだ青紫色になっていくのだ。幼い頃、好みの花の色になるととても嬉しかった。
「そう言えば、ずっと気になっていたんだけど」
私も久しぶりにエバータをじっくり見ていると、トゥル様がふと私を見た。ただ見ただけではなく、何か言いたそうな表情に見える。
……もしかして、私はまた眉間に皺を寄せていたのだろうか。従兄弟たちに老人のようだと笑われたから、最近は気をつけていたつもりだったけれど。
私は慌てて微笑みを作り、背筋を伸ばした。
「何でしょうか」
「君はまだ十六歳だよね?」
「はい」
「なのに、なぜ髪を上げているのだろう?」
どうやら眉間の皺より、私の髪型が気に入らなかったようだ。
確かに、我ながらあまり似合っていないとは思う。でもこういうのは慣れだから、そのうち誰も気にしなくなるはずだ。そう開き直っている。
「私はもう結婚しました。だから相応の髪型にしていますが、お気に召しませんか?」
「んー、気に入らないというわけではないけど、いや、やっぱり気に入らないかな」
トゥル様はそう言って、私に手を伸ばした。
きれいな手だ。爪の形がきれいだし、手入れもよくしているようだ。でも手のひらだけは武人の手に近い。
そんなことを考えて見入っていると、トゥル様は私の髪に挿していたピンに触れたかと思うと、無造作に抜いてしまった。
今朝、メイドたちが苦労してまとめてくれた髪が、ぱさりと肩に広がった。
私が呆気に取られている間に、トゥル様はさらにわさわさと手で広げ、軽く指を通していく。どうやら整えてくれたようだ。それでやっと満足そうに頷いた。
「君はまだ十六歳なんだよ。だから、もっと年齢に相応しい格好をしよう」
「でも、私はもう既婚者です」
「既婚女性が髪を上げなければいけないという法はない。実際、王都ではほとんど廃れた習慣だよ?」
「え、そうなんですか?」
思わず聞き返して、私はトゥル様が面白そうに笑っていることに気付いた。もしかしたら、またからかわれているのかもしれない。