突然の縁談(1)
「お前たちに話がある」
王都から帰ってきたお父様は、お母様と私を呼んでそう告げた。
ハガール平原の東端に位置する我がブライトル家の領地は、王都からはとても遠い。翼竜を使えば通常飛行で数日くらいらしいけれど、平時の辺境領主の移動で多数の翼竜を動かすことは許されていない。多くの荷物を運ぶ場合は馬車を使うしかなく、結局は馬車の速度に合わせた旅程となる。
だから一度王都へ向かえば、しばらく戻ってくることはない。私がお父様に会うのも半年ぶりだ。
旅装を解いたばかりのお父様は、少し日焼けしているものの、疲れた様子はなかった。多数の魔獣が生息する辺境地区の領主ブライトル伯爵は、ひ弱なお飾りではないのだ。
そのお父様が、とても深刻そうな顔をしていた。王都で何があったのだろうか。
私はそっとお母様を見た。
お母様は眉をひそめていた。かすかに緊張感が漂っている気がする。どうやら、お母様も何があったかはまだ知らないようだ。
何度も深いため息をついていたお父様は、やがて覚悟を決めたように顔を上げて私を見た。
「オルテンシア。お前に縁談がきた」
「…………えっ?」
続いたお父様の言葉は、思っていたより普通な話だった。
いや、私にとっては、大問題だ。
密かに青ざめてしまったくらいには大問題だけれど……我が家のお取り潰しとか、そういう最悪な事態を予想していたから、私はほっとしてしまった。
それは、お母様も同じだったようだ。椅子の背に深く身を預けて、はぁーっと長いため息をついた。
「シアの縁談ですか。……そういえば、シアは先月に十六歳になりましたから、そういうお話が来てもおかしくはありませんが……」
ため息の合間につぶやいて、それからやっと、無意識に握りしめていた剣から手を離した。
でも、お父様の表情は晴れない。ますます深刻そうな顔になって黙り込んでいる。やっぱり様子がおかしい。
一般的に、領主の娘に政略結婚は付きものだ。
普通の貴族なら、十五歳になる頃には結婚が決まっていることが多いと聞いている。縁談が来ることは、むしろ喜ばしいことだ。
ただし、私の場合は少し事情がちがう。
領主であるお父様の子は、娘の私が一人だけ。だから私が領主の地位を継ぐことになっていて、一族の中の有力者とか、近隣の領主の息子たちの誰かとか、そういう近い価値観を持つ人と結婚するはずだった。
でも……王都で縁ができたのなら、それはそれで価値がある。
辺境地区まで婿に来るとなると、高位貴族の次男か三男だろう。条件としては悪くないはずだ。
そんな予想をしてみたけれど、お父様の表情はとんでもなく暗い。
おかしい。
まだ何かがあるようだ。
(もしかして、縁談の条件が悪いのかしら。魔の森を焼き払うことが条件だったとか? お祖母様の代に、一度そういう話があったと聞いたことがあるけれど……)
「魔の森」というのは、辺境地区に広がる森の通称だ。どこまでも広がっていて、その端は異界にも繋がっていると言われている。そのためか魔獣の数が極めて多く、あまりにも危険すぎるから手出し厳禁となっている。
でも、王都近辺の高位貴族の方々から見れば、魔の森が近くにあるのは恐ろしいはず。実際に、そういう条件をつけてきた縁談が過去にあった。
もちろん、領主が手出ししなかったことには理由はあるわけで。結婚式の日取りまで決まっていたのに、結局は白紙に戻ったらしい。
さすがに、そこまで極端な条件は滅多にないと思う。今では、王都近郊でも魔獣は出没する時代なのだ。
……となると。縁談相手の家から「飛翔能力のある魔獣を贈れ」と圧力をかけられたのかもしれない。
(ああ、こちらはありそうな話ね。飼い慣らした魔獣は、王都近辺では高値で取引されていると言うから。どうか、そこまで最悪な話ではありませんように!)
私が本気で気を揉んでいると、お父様は首を振りながらため息をついた。
「オルテンシアの結婚式は一ヶ月後だ」
「…………え?」
「式は王都ではなく、我が領で行われることになっている。だからオルテンシアの負担は少なくて済むだろう。我が家の懐にも優しいな」
「え、ちょっと、結婚式って、お父様っ?!」
私が慌てているのに、お父様は気にしなかった。
全く目を合わせてくれなかったから、何も気付いていないふりをしているのかもしれない。軽く咳払いをして、さらに言葉を続けた。
「結婚式についても、どのような形式でもいいとの覚書をいただいた。これは助かるぞ。王都風はとにかく派手で、費用がとんでもないことになるからな! オルテンシアのためなら少々の出費などかまわないが、見栄のために無駄な出費をするより、生活費にあてる方がずっといいだろう! それから……!」
「――ブライトル伯爵。少しお待ちください」
どんどん早口になっていくお父様を、お母様が止めた。
ただ止めただけでなく、胸ぐらを掴んだ。美しい顔は鬼気迫るものがあり、今にも抜剣してしまいそうだ。