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虹色Days  作者: 日下千尋
1/2

上巻

1、いざ日本へ!


 ヤッホー、皆さん初めまして。私は虹村ミカ、15歳。両親の仕事の都合でアメリカのニューヨークで暮らしているの。

 私の住んでいる家はグランドゼロから少し離れた裏の路地にある古いアパートで、中も正直広い方ではないけれど、私は結構気に入っています。

 自分の部屋には机とベッドだけのシンプルな部屋だけど、私から見たら立派な宮殿。

 スマホやパソコンを毎日使っているせいか視力が落ちてしまい、少し前から眼鏡をかけるようになっているの。正直、眼鏡をかけた自分は好きではないけど、今はもう慣れたし、友達からは「かわいい」って言われて、少しだけ気に入っています。

 学校ではクラスの男子からは「目が4つ」とからかわれていいるけど、それもシカト。

 ちなみに髪型はポニーテールにして赤いリボンが、私のトレードマークかな。

 

 私の日課は学校へ行く前、毎朝6時に起きて白いジャージ姿でセントラルパークをジョギングすることなんだけど、その日も同じクラスで日本語が上手な金髪で白人のジェイミーが声をかけてきたのです。

 ジェイミーは普段はストレートヘアなんだけど、走るときは私と同じポニーテールにして、ピンクのジャージ姿になります。

「おっはよー!」

「ジェイミー、おはよう。今日も走っているんだ。」

「うん。」

「そう言えば、ジェイミーっていつからジョギング始めたの?前は走っていなかったよね?」

「私が毎日、犬の散歩をしていたらミカが走っているのを見て、私も走りたくなったの。」

 走りながらおしゃべりするのは、さすがにきついので、私とジェイミーはベンチに座って話の続きをすることにしたのです。

「それで、何だっけ?」

 私がジェイミーに聞いたら、ジェイミーは思わずずっこける始末。

「だーかーらー、私がジョギングを始めたきっかけよ!」

「あ、そうだった。犬の散歩している時に私を見て走りたくなったんだよね。」

「そうよ。」

「それで、犬の散歩は誰に任せているの?」

「お姉ちゃん。」

「前に聞いた時、お姉ちゃんって早起きが苦手だったよね?それで引き受けてくれたの?」

「うん。でも、しぶしぶって感じだけどね。」

「やっぱ、犬の散歩はジェイミーがやった方がいいんじゃない?」

「大丈夫よ。ちゃんと前の日には早く寝て、次の日にはちゃんと早起きして犬の散歩をしているから。」

「お姉ちゃんにはちゃんと感謝した方がいいよ。」

「分かっているって。」

 ジェイミーはかなりのマイペースなので、少々厄介なのであった。

 その後、走っている時もマイペースな口調で言ってきたので、不安が募ってくるばかり。

 本当にこれから先、ジェイミーと一緒にいて大丈夫なのだろうか。


 ジェイミーと別れて一度家に戻り、すぐに学校へ行くことになったのですが、アメリカの学校は日本と違って制服がないので、普段着でかよっています。

 リュックに教科書やノート、筆記用具に弁当箱を詰めたあと、ジェイミーの家に立ち寄って学校へ向かうのですが、その日に限ってジェイミーの方から迎えにやってきました。

 ドアを開けるなり、大きな声で「おっはようございまーす!」と日本語で言ってきました。

「あら、ジェイミーちゃん。おはよう。今、ミカを呼んでくるわね。」

 母さんは洗面所で髪をとかしている私に「ジェイミーちゃんが迎えに来ているわよ。急ぎなさい。」と言ってきました。

 急いで後ろ髪をリボンで結んだあと、玄関に向かおうとしたら、再び「急ぎなさい」と言い出しす始末。「わかっているわよ」って言いたかったけど、下手に口答えすると面倒になるので、そのまま学校へ向かいました。

 学校は日本でいうところの公立中学校で、自宅から徒歩10分の場所なんだけど、ここは銃社会のアメリカなので、自分の身を守るために親に車の送迎を頼んでいる人もいるの。

 私はと言うと、そこまで気にしていなかったので、ジェイミーと2人で歩いて登校しているけど、正直日本のように安心が出来ないのも事実です。

 毎日うるさくパトカーのサイレンが鳴り響いているのを聞いていると、「またかあ」とぼやく始末。

 ニューヨークは街並みがいい反面、物騒なところがあるのも事実なので、不安に感じることもあります。


 学校へ着いて教室の中へ入ってみると、男子たちが悪ふざけをしている中、女子はグループを作って世間話に夢中。

 この辺に関しては日本の学校とまったく変わらない光景。

 男子のいたずらに関しては小学校の低学年と同レベルだったので、見ていて呆れる始末。

 教室の中では紙飛行機を飛ばしたり、習いたての日本語で「死ね」とか「バカ」と書いた紙をクラスの人の背中に貼り付ける人もいました。

 こんなしょうもないいたずらをして楽しんでいるなんて、本当にレベルが低いと感じました。

 少し経ってから、眼鏡をかけた小太りの黒人男性の先生がやってきました。

 そう、この人が私たちの担任、ボブ先生。

 性格は控えめで、よほどのことがない限り大声で怒鳴ったり、体罰を与えるようなことはしない人なんです。

 それをいいことに先生が出欠をとろうとしているにも関わらず、クラスの人たちは調子に乗って騒ぎ出す始末。

 まったく困った連中だ。私はそう思ってこの光景を呆れて眺めていたの。

「Please be quiet, everyone. I'm going to attend. (みんな、静かにてちょうだい。これから出欠をとるよ。)」

 先生は軽く2~3回手を叩いたあと、みんなの名前を呼び始めていきました。

「Ms,Nijimura(虹村さん)」

 先生が呼んでいても私は窓の景色をぼんやりと見ていました。

「ミカ、先生が呼んでいるよ。」

 後ろからジェイミーが私の背中をシャープペンでつつきながら、言ってきました。

「Yes, I am.(はい、私ならいます。)」

「I'll be graduating soon, so I'll ask for it.(もうじき、卒業なんだから頼むよ。)」

「I'm sorry, I'll be careful.(すみません、気を付けます。)」

 先生は眉間にしわを寄せて呆れるし、それを聞いていたみんなは大爆笑。  もうサイアクー。

 そのあと先生はみんなに原稿用紙を配りました。

「The manuscript paper I just handed out will be put in my graduation essay. You can write about your memories of this school, or you can write about yourself after graduation. I'll leave that to you. The deadline is until the day after tomorrow. Until then, I want you to think slowly and write it.(今、配った原稿用紙は卒業文集に載せるものだ。この学校での思い出を書くのもよし、卒業したあとの自分の姿を書くのもよし。それは君たちに任せることにするよ。期限は明後日まで。それまで、ゆっくり考えながら、書いてもらいたい。)」

 先生が配り終えたあと、教室の中は原稿用紙を眺めるなり、どんなことを書くか騒ぎ始めたのです。

「I'll look forward to seeing what kind of content he will write until the day after tomorrow.(では、どんな内容を書いてくるか、明後日まで楽しみにしておくよ。)」

 先生はそう言い残していなくなってしまい、その後の授業も卒業文集のことで頭がいっぱいになり、身に入りませんでした。

 放課後になり、私はジェイミーと一緒に帰ることにしました。

「明後日までに、原稿用紙に将来のことや学校の思い出を書けなんて、無理に決まっているよ。ミカもそう思わない?」

 ジェイミーは道路に転がっている石を蹴りながら、ブツブツと文句を言っていました。

「そうだよね。」

「あの、メガネゴリラ、頭がどうかしているよ!」

「実は私、まったく考えていないと言ったら嘘になるんだけど、実は一つだけやってみたいことがあるの。」

「え、マジ!?なんなの、教えて。」

「私、中学を卒業したら日本でアイドルをやってみようかなって思っているの。」

「それ、いいじゃない。すごくかっこいいよ。」

「私、そんなふうに褒められたの初めてだから・・・。」

「そうなんだ。」

「ジェイミーは将来何か考えているの?」

「私は日本語使えるわけだし、翻訳関係のお仕事に就いてみようかなと思っているの。」

「そっちの方がすごいって。」

「ありがとう。」

 ジェイミーは少し照れた顔をして返事をしたあと、家とは別の方へ向かおうとしました。

「ジェイミー、こっちは家とは別の方角だし、向こうは『子供だけで行くのは危険だからダメ』って先生に言われたでしょ?」

「大丈夫よ。さ、ミカも一緒にいこ。」

 ジェイミーは私の意見などお構いなしにスラム街の奥へと向かいました。

 昼間とはいえ、正直近寄りがたい雰囲気の場所だったので、私はジェイミーに家に帰るよう促したけど、それを無視して、さらに奥へと向かいました。

「ねえミカ、せっかくだし、どこかへ寄っていかない?」

「悪いけど私帰る。」

「なんで?せっかく来たんだし、遊ぼうよ。」

「ジェイミー、まだわかってないの?ここは渋谷のセンター街とはわけが違うんだよ。ナンパだけで済むならいいけど、下手したら風俗店のような場所で働かせられることもあるんだよ。それでもいいの?」

「ミカ、それはそれは考え過ぎよ。私たちまだ未成年だから、そんなことって絶対にないって。」

「ジェイミー、この期に及んでまだそんなことを言っているの?」

 しかし、ジェイミーは私の言葉にいっさい耳などいっさい傾けようともせずに、スラム街の中をふらついていたので、私はここにいることに対して限界がきてしまい、ジェイミーの右腕をつかんで家の方角へと向かおうとした瞬間、サングラスをかけた数人の男性に囲まれてしまった。

「Hey girls, where are you going in such a hurry?(ヘイ彼女たち、こんなに急いでどこへ行くんだい?)」

「Come on. Because we're going home.(どいてちょうだい。私たちこれから家に帰るので。)」

「Don't mess around like that, let's play with us. I'll drive you home on the way back.(そんな、いじわるを言わないで、俺たちと遊ばない?帰りは家まで送ってあげるからさ。)」

「If you don't get out of here, you're going to scream and call people.(ここをどかないと、大声で叫んで人を呼ぶわよ。)」

 私はたちの悪いナンパに体を震わせながら、必死に抵抗しました。

「オジョウサン、サッキカラ体震エテイルケド、ダイジョウブ?」

 黒人の一人が慣れない日本語で近寄ってきて、私の顎を触ってきました。

 私をどうするつもり?

 私は蛇ににらまれた蛙になった状態で、黒人の顔を見ていました。

 その時だった。黒人は突然倒れてしまい、その後ろからバチバチと電流が流れる音が聞こえてきたの。

 よく見たら、ジェイミーがスタンガンでナンパたちを気絶させていたので、びっくりしちゃった。

「今のうちに逃げるわよ。」

 ジェイミーはそう言って、私の右腕をつかんでスラム街とは反対の通りへと向かいました。

 息を切らせた私とジェイミーは壁にもたれて休んでいました。

「これで、一つ勉強になったでしょ?」

 私は息を切らせながらジェイミーに言いました。

「巻き込んでごめんね。本当は危険な場所だと分かっていたの。」

「それなら、どうして行ったの?」

「実は新しいスタンガンの威力を試したかったの。」

「じゃあ危険と知っておきながら、私を巻き込んだのね?」

「本当にごめん。父さん、防犯用具メーカーの社長で、今度出た新作のスタンガンを試してほしいと私に頼んできたの。父さんも本当は自分で試すつもりだったんだけど、なかなか出来ないから私が代わりに試そうと思ったの。」

 ジェイミーは今にも泣きそうな顔をして私に説明しました。

「それなら、ジェイミーが一人の時にやってよ。私、本当に怖かったんだから。」

「だから、謝っているじゃない。」

「ごめん、疲れたから帰るよ。」

「待って、もう少しだけ付き合ってくれる?」

 ジェイミーは再び表の通りに出て、アイスクリーム屋さんに立ち寄って私にチョコアイスをおごりました。

「ジェイミー、今お金を出すよ。」

「いらないよ。これはミカに迷惑をかけたお詫びだから。」

「ジェイミーって本当にズルいよ。でも、ごちそうさま。」

 ジェイミーは私の前でにっこり微笑みながら言ったので、私は憎めなくなりました。

 店の入口にある小さなベンチに座って食べ終えたあと、私はジェイミーと別れて家に戻り、自分の部屋で文集に載せる作文を書くことにしました。


 机に向かって原稿用紙を眺めながら、どうまとめるかを考えていました。

 さっき、ジェイミーの前であれだけかっこつけて「アイドル宣言」をしたのに、いざ書き始めると非常に難しい。

 文章で表現することが、こんなに難しいとは正直思ってもいなかった。

 夕方近くになってなんとか書き終えて、最後に読み返して問題なしだったので、作文完了!


 夕食を食べ終えて、自分の部屋に戻ろうとした瞬間、母さんに呼び止められました。

「ミカ、ちょっといい?」

「どうしたの、お母さん?」

「もうじき卒業でしょ?それに4月からは日本の高校に行くんだよね?」

「うん、そうだけど・・・。それに決めたの、日本でアイドルとして頑張るって。」

「住む場所は川崎のおばあちゃんの家にしておいたよ。そこからだと通学が楽でしょ?」

「うん。」

「そう言えば、学校の名前何だっけ?」

「横浜北フェアリー女子学園で、そこのアイドル科」

「あ、そうだった。それで話変わるけど、次の日曜日にブロードウエイのミュージカルに行かない?」

「行く!」

「じゃあ、決定ね。」

「うん!」

 私のテンションは急に上がり、食器を片付け終えたあと、ベッドで横になりました。


 そして迎えた日曜日の午後、家族3人でブロードウエイのミュージカルに行ったのだけど、その迫力が何とも言えないすごさで、衣装といい、演技やステージ全体の演出などすべてに感動しました。

 エンディングになり、出演者全員が出てきて客席に向かい、笑顔で手を振り、そのあともカーテンが下りるまでの間、出演者は客席に向かってずっとおじぎをしていたので、私は思わず涙が出てしまい、その場で泣き出してしまいました。

 

 帰りはレストランで窓から見える夜景を楽しみながら食事をしました。

 料理が運ばれても私は、ミュージカルの感動でいっぱいになっていて少しボーっとしていたので、父さんに注意されました。

「おい、料理が来ているから食べるぞ。」

「あ、ごめん。さっきのミュージカルのことが気になって・・・。」

「さっきのミュージカルもよかったけど、窓の夜景も負けないくらいきれいだよ。」

 父さんに言われてそっと窓の景色を見てみると、まるで宝石をちりばめたような感じだったので驚きました。

 窓の向こうはまるで宝石箱の中・・・。

「本当にきれい・・・。」

「だろ。さ、料理がさめないうちに食べちゃおうか。」

「うん!」

 レストランを出て、家に着いたのが夜の10時過ぎ。私は風呂に入って、次の日の準備を済ませて寝ることにしました。

 外では相変わらずパトカーのサイレンがうるさく鳴り響いていました。

 お願いだから、気分を台無しにしないでよ。そう思ったけど、そこはやっぱりニューヨークなので、パトカーのサイレンはつきものなんだと、割り切りました。


 次の日、学校では卒業アルバムに載せるためのクラスの集合写真や、個別の写真を校庭で撮りました。

 私は緊張していたのか表情が硬くなってしまい、カメラマンに「It's not a wanted photo, so relax more.(指名手配の写真じゃないんだから、もっとリラックスして。)」と冗談交じりで言われたので、私は思わず吹き出しそうになってしまいました。

「Okay, you have the best smile.(オーケー、最高のスマイルだよ。)」

カメラマンは私にそう言って。シャッターを2~3回押しました。

 アルバム制作は私とジェイミー、他数人で作り上げていき、仕上げは印刷業者さんにお願いをすることになっていました。


 迎えた卒業式、教室では卒業アルバムの入った手提げ袋が配られていました。

 さっそく開けてみると、みんなは思い思いに感想を言い合っていました。

 体育館で卒業式を終えたあと、泣いている人もいれば、卒業できてほっとする人など様々でした。

「Can you guys be quiet for a bit?(みんな、少しだけ静かにしてくれないか。)」

 ボブ先生の最後のお話が始まろうとしていました。

「First of all, congratulations on your graduation. You guys graduated safely today.He will be entering high school in April, but at the same time he will be joining the ranks of adults. I want them to be worthy of that. That's it.(まずは、卒業おめでとう。君たちは今日無事に卒業できたわけだ。4月から高校生になるわけだが、それと同時に大人への仲間入りとなる。それにふさわしい人間になってもらいたい。以上だ。)」

 最後に教室で記念撮影を済ませて、みんなはそれぞれ家に向かって帰りました。


 私とジェイミーは途中まで一緒に帰ることにしました。

「ミカはこのあとどうするの?」

「私は帰って、日本へ行くための準備をするよ。」

「そうなんだ。じゃあ、その前にうちへ寄ってくれる?」

「なんで?」

「渡したいものがあるから。」

「渡したいもの?」

「うん。」

「あ、ちょっと待って。両手荷物でいっぱいだから、一度家に置いてきてからでいい?」

「なら、私が届けてあげるよ。」

「それじゃ、悪いよ。」

「気にしないで。」


 部屋に戻って、荷物の整理をやり始めてから10分経った時、ドアチャイムが聞こえたので、開けてみたら大きな手提げバッグを持ったジェイミーがやってきました。

「ミカ、来たよ。」

「ジェイミー、あがって。」

「ううん、今日このあと用事があるから。これ、全部ミカにあげる。」

 バッグの中身を見たら洋服やぬいぐるみ、あとブーツまでが入っていました。

「これ、いいの?」

「いいよ。あと、このバッグもあげるから。じゃあ、私帰るね。ミカ、日本に行っても元気で過ごしてね。」

 ジェイミーはそう言い残したあと、涙目の表情で手を振っていなくなってしまいました。


 部屋に戻って、私は段ボールに荷物を一つ一つ詰めていきました。

 あとはジェイミーから受け取った荷物を詰めるだけで終わり。

 全部取り出して、最後に手提げバッグをしまおうとした瞬間、床に落ちた封筒に気がついたので、私は封筒に入っている手紙を取り出して読み上げてみたの。

<ミカへ。とうとう日本へ旅立つ日が来たんだね。私ね、本当はミカが日本でアイドルをやると聞いた時、正直反対だったの。アメリカに残って私と一緒にいてほしかった。でも、これがミカの夢なら、ちゃんと応援しようって思ったの。当日は見送りに行けないけど、それは許してね。それじゃ、日本で大きな夢をつかんでね。 あなたの親友 ジェイミーより>

 手紙を封筒にしまい込もうとした瞬間、何か引っかかる感触を覚えました。

 封筒には手紙とは別に1枚の写真も入っていました。

 写真は学園祭の時にジェイミーと一緒に写ったツーショットの写真でした。

 この写真を見た瞬間、私は一瞬涙をこぼしました。

 ジェイミーと別れたくない。これが私の本音でした。

 しかし、これは決めたことなので、私は日本へ行くことにしました。


 その日の夕食も満足に喉に通らないまま、終わってしまいました。

「ミカ、どうしたの?全然食べてないじゃん。」

「今日は食欲がない。」

「もしかして、ジェイミーちゃんのことが気になるの?」

「うん・・・。」

「ちゃんと『さよなら』をしたんでしょ?」

「うん・・・・。」

「また会えるわけなんだし、いつまでも落ち込まない。」

 私は母さんの言った言葉を聞き流して、部屋に向かいました。

 明日はいよいよ出発かあ。

 ベッドでそう呟きました。


 出発当日、アパートの前には引っ越し業者のトラックが止まっていて、私の部屋から次から次へと荷物を運んでいきました。

 業者さんのトラックが行った数分後、私は母さんの車で空港まで向かおうとした時だった。

 正面からジェイミーの姿が見えたので、母さんが父さんとジェイミーを車に乗せて空港へ向かうことにしたのですが、移動中は終始無言のままでいました。

 ここで過ごした日々は何だったのか、私はもう一度振り返ることにしました。

 空港に着いて私は母さんと一緒に搭乗手続きを済ませて、出発ロビーで最後のお別れをすることになりました。

「ミカ、おばあちゃんの言うことを聞いて元気でやれよ。」

「わかった、お父さん。」

「うまくいかなくなったら、いつでも戻っていいんだからな。」

「おあいにく様、そんなことには絶対にないから。」

 横で聞いていた母さんとジェイミーはクスっと笑い出す始末。

「ミカ、日本に着いたらおばあちゃんにこれを渡してあげて。」

「お母さんこれは?」

「チョコクッキー。おばちゃん、これ大好きだから。」

「わかった。」

 私は母さんからチョコクッキーの入った紙の手提げ袋を受け取りました。

「ミカ、本当は空港で見送りしたら『行くな!』と言って引き留めてしまいそうだったから、手紙で済まそうとしたの。でも、結局空港まで来ちゃった。」

「ジェイミー・・・、ありがとう。私、日本でもちゃんと頑張るからね。」

「私、ミカが一人前のアイドルになって頑張るのを応援するよ。」

「ありがとう。ジェイミーも翻訳の夢に向かって頑張ってね。」

 最後に私は父さんと母さん、ジェイミーの4人で写真を撮って、ジェイミーと強く抱き合ったあと、搭乗口へ向かいました。


 飛行機へ乗って離陸したあと、しばらくは窓の外をぼんやりと眺めていました。

 離陸して数時間が経ち、機内食が運ばれ、食事を済ませたあと成田空港へ着くまでの間は眠ることにしました。

 目が覚めたころ、飛行機は日本の上空を低空飛行で飛んでいて、成田空港へ到着したころは昼の2時を回っていました。

 到着ロビーで荷物を受け取ったあと、リムジンバスに乗っておばあちゃんのいる街まで行くことにしました。

 そこでも移動の疲れが残っていたのか、たまプラーザ駅までは座席で睡眠薬を投与されたようにずっと深く眠っていました。

 駅に着いてからは、路線バスに揺られて、おばあちゃんの住んでいる虹ヶ丘団地まで向かいました。

 家に着いて、私はドアチャイムを鳴らして、玄関に入りました。

 おばあちゃんは疲れきった私の顔を見るなり、すぐに居間に案内して冷えた麦茶を差し出してくれました。

「ゆっくり休んでいいからね。」

「ありがとうございます。あとこれはお母さんからのお土産。」

「これはどうも。あとで頂くよ。」

 その日の夕食にはごちそうが並べられて、歓迎ムードで一夜を過ごしました。

 ちなみ私の部屋は父さんが独身時代に使っていた部屋をそのまま使わせてもらうことになったので、学習机とベッド、空調機が置いてある豪華な部屋で過ごすことになりました。



2、日本で過ごす春休みと入学式


 おばあちゃんの家で暮らすようになってから2週間、今の暮らしにすっかり慣れたころの夕食の出来事でした。

「ミカちゃん、ここでの生活にはもう慣れた?」

「はい、すっかり慣れました。ただ、友達がまだ出来ないから・・・。」

「そうなんだね。新学期になれば友達が出来ると思うよ。」

「そうだといいけど・・・。」

「あ、そうそう。これよかったら受け取ってくれる?」

 おばあちゃんはミカンの絵柄のついた白い小さな手提げ袋を差し出しました。

 私は中に入っている茶色い箱をそっと取り出して、さらに箱の蓋をゆっくり開けてみました。

 すると、出てきたのはオレンジコンピュータのピンク色のスマホでした。

 私は小鳥を抱くような感じで、そっと手に持ってゆっくりと電源を入れてみました。

 その瞬間、ミカンのロゴが画面に浮かび上がり、その直後アイコンが出てきました。

 しかも、容量を確認したら512ギガバイトもあったのでびっくり。

「おばあちゃん、これは?」

「卒業と入学祝いだよ。」

「いいの!?」

「これがないと、お友達と連絡のやり取りができないでしょ?」

「確かにそうだけど・・・。」

「それとも迷惑だったかい?」

「そんなことはありません。その反対で、とてもうれしいです。」

「気に入ってもらえて何よりだよ。」

「ありがとう、大事に使わせてもらうね。」

「じゃあ、食器を片付けようか。」

 おばあちゃんはそう言って食器洗いに入ったので、私も手伝うことにしたの。

 おばあちゃんが流しでガチャガチャと音を立てながら食器を洗っていたので、私はテーブルを拭いたり、洗った食器をきれいに拭き取って食器棚に入れていきました。


 部屋に戻ったあと、私は椅子に座ってスマホをいじっていました。

 しばらくして私はアメリカから持ってきた自分のノートパソコンに音楽CDを入れて、スマホにつなげてコピーをしました。

 CDのほとんどはジェイミーのオススメなので洋楽メインになっているけど、どれも私のお気に入りです。

 試しに3枚ほど入れて付属のイヤホンで聞いてみることにしました。

 再生ボタンを押した瞬間、立体感のある音に感動してしまい、そのままウトウトと眠ってしまいました。

 気がついたら、イヤホンとスマホは机の上に置いてあり、私はベッドで寝ていました。

 目が覚めて時計を見たら、まだ朝の6時。台所ではすでにおばあちゃんが朝ご飯の準備をしていました。

「おばあちゃん、おはよう。」

「あらミカちゃん、おはよう。もう目が覚めた?」

「うん。」

「昨日、椅子に座ってイヤホンして眠っていたから、ベッドに移しておいたよ。」

「ありがとう。」

「このまま寝ていたら、間違いなく風邪を引いていたよ。」

「すみません。」

 私は部屋に戻ってベッドを直し、着替えを済ませて再びスマホをいじりました。

 今日も退屈になりそう。

 早く入学式にならないかな。

 私は椅子に座りながら、ぼやき始めました。

 しばらくすると、おばあちゃんが食事の準備が出来たと言ってきたので、私はスマホを充電して食卓へと向かいました。

 食卓には白いご飯とみそ汁、焼いた鮭と卵焼きに、キュウリの漬物が置いてありました。

 初めて見た時には正直驚いたけど、今ではこれが普通に感じるようになりました。

 アメリカにいたころはテレビを見ながら食事をしていたのですが、ここでは黙々と静かに食事をするのが普通。しかし、2週間たった今でも未だになれていませんでした。

 

 初めて来た日の夜、私は何も知らずにテレビをつけて食事をしようとしたら、おばあちゃんに「食事中は静かにしたいから、テレビを消してちょうだい。」と注意をされました。

 私が「ごめんなさい」と一言謝ったら、おばあちゃんは「本当はテレビを見ながら食事をした方が楽しいかもしれないけど、年をとると食事中のテレビの音が雑音に聞こえてしまうの。だから許してくれる?」と言いました。

「そうなんですね、分かりました。」

 私は声を低めて返事をしました。

「その代わり、食べ終えたら好きな番組を見てもいいよ。」

「はい・・・。」

 同じテレビの音でもそんなに違いがあるのかと、私はおばあちゃんの言葉に矛盾を感じてしまいました。

 しかしそれ以来、私は反論することもなく、おばあちゃんのやり方に従うようになりました。


 朝食を終えて食器を片付けたあと、私はバスに乗って、たまプラーザ駅まで向かうことにしました。

 通勤ラッシュが終わっているからバスの中はすいているはずなのに、なぜか混んでいました。

 乗客のほとんどは、お年寄りや春休み中の子供たちばかり。

 おまけに大声で会話をしていたので、ストレスがたまる始末。

 私はスマホにイヤホンをさして、音楽を聞くことにしました。


 駅に着いて、最初に向かったのはCDショップ。

 日本ではどんな曲が流行っているのか気になったからなんです。

 新曲コーナーへ行くと、男性アイドルのCDシングルが置いてあり、それを大学生くらいの女の人が手に取ってレジへ向かいました。

 そのあと来た私と同い年くらいの女の子もやはり同じCDを手に取ってレジに向かいました。

 そんなに人気があるのかなとレジの方に目を向けて呟きました。

 考えてみたら、日本に来てから歌番組なんて見たことがなかったので、実際どんな歌が流行っていたのかなんて考えてもいませんでした。

 洋楽のコーナーへ行ってみると、聞いたことのあるような曲ばかり置いてある中、棚の片隅にラテン系の聞いたことのない黒人男性のCDが2枚置いてありましたが、私の好みとは違っていたので店を出ることにしました。


 次に向かったのはブティック。

 私は店の中央にあるハンガーに吊るされたセーラーカラーの水色のワンピースに手を伸ばして眺めていました。

 可愛いけど、ちょっとガキっぽいかな。そう思って戻そうとした瞬間、若い女性の店員がやってきて「よろしかったら、ご試着されますか?」と尋ねてきました。

 私は一瞬びっくりして「かわいいですけど、このお洋服、私には似合わないと思いましたので・・・。」と返事をしてしまいました。

 店員はにこやかに「そんなことありませんよ。お客様くらいの年齢にぴったりだと思います。」と言ってきました。

 私は店員に言われるまま試着室へ向かい、ワンピースに袖を通しました。

 これが私!?私は鏡に写っている自分の姿に思わず見とれてしまいました。

 私はワンピースを脱いで値段を確認したら4000円と書いてあったのでびっくり。中学生の私には高すぎる。

 しかも、先日おばあちゃんから新しいスマホを買ってもらったばかりだから、おねだりなんて出来るわけがない。

 私はあきらめてハンガーにひっかけて店員に返すことにしました。

「お客様、こちらのワンピース、お気に召されませんでしたか?」

「とても可愛いので気に入りましたけど、予算オーバーしてしまいますので、今回はあきらめます。」

「もし、よろしかったら半額の2000円、それも消費税込みでお売りしたいと思っているのですが・・・。」

 消費税込みの2000円と聞いて、私の気持ちが動きました。

 これなら買える。そう思った瞬間、私は財布から2000円を取り出して買うことにしました。

「是非、買わせてください。」

「お買い上げありがとうございます。」

 店員はそう言って、大きめの青い手提げ袋に水色のワンピースを入れて、店の出口まで案内し、私に手提げ袋を渡して見送ってくれました。


 時計を見たら正午過ぎ。私は家に帰る前にフードコートへ立ち寄って、チョコドーナツとオレンジジュースで一休みをすることにしました。

 買ったばかりのワンピースを今すぐ着たいところだったけど、それは別の日にして、今日は部屋でゆっくり休むことにしよう。

 私はドーナツを食べながら、そう思っていました。

 残ったオレンジジュースを飲み干したあと、私は食器を戻してバスに乗って家に帰ることしました。


 家に戻ると、タイミングよくおばあちゃんが台所でチャーハンを作っていました。

「お帰り。お腹がすいたでしょ?2人分作ったから一緒に食べよ。」

「いい匂いだね。」

 私は部屋に荷物を置いたあと、すぐ食卓へ向かってチャーハンを食べることにしました。

 ネギと卵の匂いが食欲を注ぎ、私は「いただきます。」と言った瞬間、スプーンに手を伸ばしてチャーハンを食べ始めたら、ノンストップ。

 一瞬にして食べ終えて、皿を空にしてしまいました。

 おばあちゃんも私の食べっぷりに驚いて「ミカちゃん、よほどお腹がすいていたんだね。」と笑いながら言っていました。

 コップの中に入っているウーロン茶を飲み干したあと、おばあちゃんに「ごちそうさま」と言って食器を片付けて部屋に戻りました。


 夕方になって、宅配業者が白い大きな箱を持って玄関にやってきました。

 おばあちゃんは受取印にハンコを押して荷物を受け取り、宅配業者に「ご苦労様」と言ってドアを閉めました。

「ミカちゃん、新しい学校の制服が届いたわよ。」

「ありがとう、おばあちゃん。」

 おばあちゃんはそう言って、私の部屋に入って制服の入った箱をベッドの上に置いたあと、いなくなりました。

 箱には<横浜北フェアリー女子学園>と緑色の文字で大きく書かれていて、下の部分には妖精の絵が描かれていました。

 この妖精の絵って、学校の校章なのかな。私は独り言をつぶやきながら、箱を開けていきました。

 中には緑色に白い線の入った長袖のセーラー服に緑色のスカートの組み合わせの冬用の制服と、白に緑色の線の入った半袖のセーラー服に白いスカートの組み合わせの夏用の制服が入っていました。

 手に取るなり、私は思わず感動してしまい、両方試着しました。

 部屋にある大きな鏡の前で、いろんなポーズをとっていたら、左胸の部分にやはり妖精の絵があったので、やはりこれって校章だったんだと、呟きました。

 冬服に袖を通した私は、夕食の準備をしているおばあちゃんの前で思わず感想を聞いてしまいました。

 おばあちゃんは、顔をにこやかにして「とても似合っているわよ」と言ってくれました。

 部屋に戻った私は制服をハンガーに吊るして、クローゼットに入れて、部屋着に着替えました。

 

 さらに次の日には、体操着とジャージ、体育館履きも届いていたので、教科書はいつ届くのかなと、私は疑問に感じました。

 

 そして迎えた入学式。私は朝食を済ませて、制服に着替えて髪をセットし、通学カバンを持って団地の入口で、おばあちゃんに写真を一枚撮ってもらいました。

 おばあちゃんは黒のスーツ姿で駐車場へ向かい、青いコンパクトカーを出して学校へ向かうことにしました。

 車には<ノート>と書かれていて、中は広々としていました。

 おばあちゃんは、運転席のカーナビを学校へセットし、国道246号線を青葉台駅の方角へと電気モーターで静かに車を走らせて向かったあと、今度はこどもの国がある方へ北上していきました。

 目の前に真っ白な校舎が見え、車を来客用の駐車場に止めたあと、おばあちゃんは「案内」と書かれた腕章のついた女性の係員に「あの、恐れ入りますがアイドル科の受付はどちらになりますか?」と尋ねたら、女性の係員はにこやかに「アイドル科は校舎左側の入口にある受付へ向かってください。」と返事をしました。

 おばあちゃんは女性の係員に一言お礼を言ったあと、私を連れて受付に向かいました。

 受付では係の人たちが資料と粗品の入ったビニールの手提げ袋を「入学おめでとうございます。」と言いながら一人ずつ渡していました。

 私は1年2組の教室へ向かい、おばあちゃんは保護者控室へ向かいました。

 

 教室へ入るなり、私は指定された自分の席へ向かいました。

 席は50音と言うよりランダムで指定されていた感じに並べられていました。

 辺りを見渡すと、無口でスマホをいじっている人や早速新しい友達を作って世間話に夢中になっている人など様々でした。

 帰国子女の私は言うまでもなく友達がいないので、自分の席でスマホをいじるよりほかにありませんでした。

 私がイヤホンをつけて音楽プレーヤーを起動しようとした瞬間、後ろから私の背中を指で数回つついてきた人がいました。

「こんにちは、なんの歌を聞こうとしとったん?」

 後ろを振り向いたら、茶色のストレートヘアの女の子が関西弁で声をかけてきました。

「こんにちは、初めまして。」

「そないに緊張しいひんでもええで。」

 私がイヤホンをしまって、緊張気味に返事をしたら後ろの女の子がにこやかな顔を見せました。

「そう言えば、まだ名前がまだだったけど、なんていうの?」

「うちは寺西雪子、実家は京都の和菓子屋やで。」

「へえ、京都出身なんだ。」

「そや。今度はあんたの名前を教えて。」

「私は虹村ミカ。実家はニューヨークの郊外で、今はおばあちゃんが住んでいる団地に住んでいるの。」

「ニューヨークって、アメリカの?」

「うん。日本でアイドルをやると決めて、1人日本にやってきたって感じ。」

「そうなんや。なんか知らへんけど、アメリカって聞いただけで、かっこええ。ちなみに英語って使えるん?」

「少しだけなら。」

「おお!」

「アメリカにいた時は家では日本語、学校でも日本語のわかる友達といたから・・・。」

「その友達って、アメリカ人なん?」

「そうだよ。ジェイミーって言うの。金髪の白人なんだけど、日本語がとても上手で、将来は翻訳か通訳の仕事に就くって言っていたの。」

「そうなんや。今度そのジェイミーって子、紹介して。」

「いいよ、ジェイミーには日本で出来た最初の友達って紹介するよ。」

「ほんまに?おおきに。」

「ジェイミーはアメリカにいた時の私の一番の親友だから。」

 その直後、担任の先生と思われる人がやってきて、私たちを体育館に案内し、入学式が始まりました。

 校長先生や来賓の挨拶、新入生代表の言葉、担任の先生の紹介、在校生による校歌の斉唱、そのあとには生徒会長による歓迎ステージが始まろうとしました。

「1年生のみんなー、入学おめでとう!これから私、生徒会長の長岡佳代子による歓迎ステージを始めたいと思うので、良かったら聞いてくださーい!」

 長岡さんは学校の制服をイメージしたステージドレスに少し派手目なメイクに青いカラコン、金髪のストレートのウィッグ姿でステージに立ち、マイクスタンドの前でスポットライトを浴びて音楽に合わせて、歌って踊りだしました。

 初めて聞く歌だったけど、とても親近感がわきそうだったので、思わず椅子から立ち上がって手拍子を叩いて、一緒にのってしまいました。

 歌い終わったあと、長岡さんは「1年生のみんなー、これから3年間めいいっぱいエンジョイしてねー!」と言い残したあと、手を振ってステージをあとにしました。


 入学式が終わって教室へ戻り、担任の先生の自己紹介が始まりました。

「みんな、入学おめでとう。今日からここの担任となった飛鳥翔子だ。担当科目はダンスと歌。アイドル科の歌は普通科の音楽の授業と違って、みんなで歌うのではなく、グループもしくは単独で歌うことになる。もちろん発声練習の時は全員で歌わせる。ここにいる人たちは将来一人前のアイドルになってもらうわけだが、この中で卒業後に大学への進学や一般企業への就職を考えている人がいたら、今すぐ普通科へ学科変更してもらいたい。入学早々厳しいことを言ってすまないが、みんなには一人前のアイドルになるってことを自覚してもらいたいからだ。」

 飛鳥先生は厳しいことを言ったあと、少し肩の力を抜いて、話を続けました。

「まあ、厳しい話はこの辺にして、みんなにはどんなアイドルを目指してもらうか、それを3年間かけて考えてもらいたい。クールに決めるのもよし、華やかに決めるのもよし、それはみんな次第だ。それとステージで着る衣装ブランドも今後は決めてもらおうと思っている。可愛いのからかっこいいのまで、好きなのを選んでもらいたい。それじゃあ、初日のホームルームはこの辺にしましょう。」

 飛鳥先生は教室を出ようとした瞬間、何かを思いだしたかのように教壇へ戻り、みんなにプリントを配り始めました。

「一つ忘れていたが、明日の日程が書いてあるプリントをみんなに渡しておく。ここにも書いてある通り、明日は教科書の配布と校内の案内となっている。一応午前中で終わりとなっているから、お昼ごはんは家や寮に帰って食べてもいいし、学食へ立ち寄って食べても構わない。それと、学校から駅まではそれなりの距離がある。青葉台駅と長津田駅、そして学生寮へ向かう無料送迎バスの時刻表を配っておく。本数は比較的少なめだから、乗る時には充分気を付けるように。それでは今度こそ終わり。あと、いい忘れたけど、明日は生徒証に使う写真撮影もあるから忘れないように。」

 飛鳥先生がそう言って教室からいなくなったあと、みんなの会話が聞こえてきました。

「ミカ、今日ってこのあとどないすん?よかったら、寮へ()いひん?」

 雪子がにこにこ顔で私のところへやってきました。

「ごめん。せっかくだけど、今日はおばあちゃんと一緒に車に乗って帰ることになっているから。」

「そうなんや。ほな、また明日もよろしゅう。あ、そうそう、よかったら電話番号やメアド交換しいひん?あとLINEも。」

「電話番号とメアドはいいけど、LINEはまだやっていないから。」

「アプリはダウンロードしたーるん?」

「まだ。」

「なら、ダウンロードして。」

 私は雪子に言われるまま、LINEのアプリをダウンロードして設定をしました。

「いろいろありがとう。」

「ええって。ほら、駐車場でおばあちゃんが待ってるんやん?(はよ)う行ってあげーな。うちはバスで寮に向かうさかい。」

「ありがとう。また明日ね。」

 私は雪子に手を振って別れたあと、駐車場へ向かっておばあちゃんと一緒に車に乗って家に帰ることにしました。

「ミカちゃん、生徒証ってもらったの?」

「ううん、明日生徒証に使う写真撮影があるみたいなんだって。」

「そう、なら定期券作るのはまだ早いよね。」

 おばあちゃんはそう言って車で家に向かいました。

 帰りの車では音楽やラジオの代わりにおばあちゃんの質問に付き合わされました。

「そう言えば、友達は出来たの?」

「うん、出来たよ。」

「どんな子?」

「京都からやってきた子で、みた感じ優しそうだった。それに顔も可愛いし、方言も使っていたよ。今は寮生活をしているの。」

「そう。今度、その子をおばあちゃんに紹介してくれる?」

「うん!名前も連絡先も交換したから。」

「ミカちゃん、いい友達が出来てよかったね。」

 おばあちゃんはにこやかな顔をしてハンドルを握っていました。


 家に着くと早速制服を脱いでハンガーに掛けたあと、部屋着姿になってベッドでスマホをいじり始めました。

 食卓にはザルそばが置いてあり、少し遅めの昼食になりました。

 2人で何もしゃべらずに無言のまま食べ続け、最後にそば湯でしめ終えたあと、おばあちゃんは私に念を押すような感じで「ミカちゃん、生徒証が届いたら、おばあちゃんに言ってね。」と言いました。

 私はコップに入っているジュースを飲みながら「うん、わかった。」と返事をしました。

 食器を片付け終えたあと、私は自分の部屋に戻り、スマホをいじっていました。

 せっかくだから雪子と電話をしようかな。私はそう思って教えてもらったばかりの電話番号につなげてみました。

 2~3回くらいコールすると、「もしもし?」と可愛い声が聞こえてきました。

「もしもし、この声って雪子ちゃん?」

「もしもし、この声ってもしかして、ミカちゃん?どないしたん?」

「実は、ちょっと声が聞きたくなって・・・。」

「あれ、もしかして、もう寂しなったん?」

「うん、ちょっとね。」

「ええで、少しだけなら付き()うたる。ミカちゃんは何しとったん?」

「私は、おばあちゃんと一緒にお昼を食べていたところ。雪子ちゃんは?」

「そうなんや。うちも寮の食堂でお昼を食べとったとこやで。」

「偶然だね。そう言えば、今日の歓迎ステージかっこよかったね。」

「ほんまにかっこよかったやんな。歌言い、踊り言い、衣装もみんな最高やったよね。」

「私たちも生徒会長のようになれるかな。」

「今の時点では何とも言えへんけど、うちらの努力次第で、うもういける思うで。」

「本当に!?2人でうまくいこうね」

「うん!」

 その時、寮では雪子の部屋のドアを数回ノックする音が聞こえました。

「あ、今誰かが来たみたい。続きは明日にしよう。」

「うん、わかった。」

「ほな、また明日ね。」

 雪子はそう言って、電話を切りました。


 夕方になり、歩いて数分にあるスーパーで夕食の買い物を済ませたあと、おばあちゃんの夕食の準備を手伝いました。

 夕食を食べて食器を片付け終えたあと、風呂に入って寝る前にスマホをいじることにしました。

 LINEもTwitterも特に更新がなかったので部屋の灯りを消して寝ることにしました。

 私は明日が待ちきれず、なかなか眠れませんでした。

 しばらくして興奮が収まり、私はいつの間にか眠ってしまいました。



3、校内見学と写真撮影とブランド選び


 翌日以降、定期券が出来上がるまでの間は、おばあちゃんが車を出してくれることになっていたので、私としてはこんな贅沢をしていいのかと思わず疑いたくなってしまいました。

 教室に入ると、すでに何人かの人が座っていましたが、よく見ると雪子の姿が見えませんでした。

 遅刻なのかなと思って、私が電話を入れようとした瞬間、後ろのドアが勢いよく開き、雪子が入ってきました。

「おはよう、入学早々遅刻かと思ったよ。」

「昨日、アラームをセットするの忘れて、目ぇ覚めた時、7時30分を回っとったさかい、びっくりしてもうたで。そのあと、わてて着替えて食事を済ましたあと、すぐにバスに乗ってきたって感じやで。」

「でも、間に合ってよかったじゃん。」

 雪子は少し苦笑いをしていました。

 時計は予鈴が鳴る数分前、本当にギリギリでした。

 ホームルームが始まり、飛鳥先生は入学式の時のパリっとしたスーツ姿とは違い、今日はジャージ姿で、みんなの名前を呼びながら出席簿に記録を付け始めていきました。

 そのあと、今日のスケジュールを発表しました。

 流れとしては、最初に購買部で教科書の入った手提げ袋を受け取り、一度教室に教科書を置いたあと、今度は校内見学となりました。

 最初にボイスレッスンスタジオ、撮影スタジオ、ダンススタジオと回っていた時、汗だく姿の長岡佳代子さんがいました。

「先生、お疲れ様です。」

 長岡佳代子さんはスポーツタオルで顔を拭いたあと、飛鳥先生のところにやってきました。

「ああ、お疲れ。長岡は今日も自主トレ?」

「ちょっと、うまく踊れないところがあったので、練習していました。」

「そっかあ、無理しない程度にしておけよ。長岡は生徒会長であるのと同時にトップアイドルでもあるんだから、それだけは忘れないように。」

「了解しました。先生は1年生に校内を案内していたのですか?」

「そうだけど・・・。」

「よかったら、私が代わりに案内しますけど・・・。」

「その気持ちだけ受け取っておくよ。すまないが、そのまま練習を続けておくれ。」

「わかりました。」

 長岡佳代子さんは音楽プレーヤーを再生し、再びダンスの練習を始めました。

「先生、今のって入学式の時にステージで歌っていた・・・。」

「そうだ、長岡佳代子だ。」

「そうだったのですね。長岡さん、ウィッグを外したら印象が変わっていたので驚きました。」

「まあな。お前たちもやがてはステージに立つようになる。その時にウィッグを被ってもらうからな。」

 飛鳥先生は私にそう言って、廊下を奥へと進んで行きました。

「先生、やはりウィッグって必要なんですか?」

「虹村はウィッグが苦手なのか?」

「そう言うわけではありませんが・・・。」

「なら、被った方がいい。そっちの方が絶対に可愛いから。」

「そうなんですね。」

 私は言われるままに返事をしました。

 

 廊下の終点に着くとなぜか芸能事務所がありました。

「ここが芸能事務所だ。今後お仕事が発生した時にはここに立ち寄ってほしい。」

 飛鳥先生はそう言ってドアを開けて中へ入りました。

「失礼します・・・。って誰もいないんだ。いつもならここにプロデューサーがいるはずなんだけど・・・。いないなら、しょうがないか。」

 飛鳥先生はぶつぶつと独り言を言いながら部屋を出て、学食のフロアに向かいました。

「ここは学食のフロアになっていて、和食、洋食、中華と別れている。それ以外にも喫茶店、ファーストフードの店もあるから、昼休みや放課後はここに立ち寄ってくつろいでも構わない。」

 その時、喫茶店から1人の女性が出てきました。

「泰子、こんなところで何をしていたの?」

 飛鳥先生は驚いた表情で泰子と名乗る女性に声をかけました。

「何って、喫茶店でコーヒーを飲んで、ホットケーキを食べてくつろいでいただけだよ。」

「先生、この人は?」

 私は飛鳥先生に聞きだしました。

「あ、この人はみんなのプロデューサーになる工藤泰子さんだ。」

 みんなは一斉に「よろしくお願いいたします。」とお辞儀をして挨拶をしました。

「みんな、こんにちは。お仕事が入った時にはよろしくね。お仕事の流れは今度ゆっくり説明するから。」

 工藤泰子さんと言うプロデューサーはそう言って、学食をあとにしました。

 そのあと、グランドやトレーニングルームも案内し、最後は生徒証の写真撮影だけとなりました。

「撮影が終わった人から、順番に荷物を持って家に帰ってよろしい。」

 撮影スタジオで椅子に座って、カメラマンに1人ずつ撮ってもらう流れだったのですが、自分の順番が来た時、少しだけ緊張しました。

「もっと肩の力を抜いて、楽にしてくれる?」

 カメラマンの指示に従って2~3枚撮ってもらい、私の撮影が終わりました。

 そのあと、雪子の順番になってカメラの前に座った瞬間、雪子の表情は少しだけ緊張していました。

「雪子、リラックスして。」

「だめ。私、カメラの前に出ると緊張すんねん。」

 私は雪子の緊張をほぐすために、面白い冗談を考え始めた。

 雪子は依然として緊張した表情でいたので、私は「雪子、指名手配の顔になっているよ。」と言った瞬間、雪子は一瞬だけ表情が和らぎました。

 カメラマンはその瞬間にシャッターを数回押して終わらせました。

 撮影を終えた雪子はダラーンと肩の力を抜いて、私のところへやってきました。

「ミカちゃん、お願いやさかい、撮影中にけったいなこと言わんといてや。思わず吹き出しそうになったで。」

「そうでもしないと、本当に指名手配みたいな顔をになっていたよ。」

「そうなんや。そやけど、ようこないな冗談思いついたなぁ。アメリカではそう言うジョーク流行ってるん?」

「アメリカなんか、もっときついジョークを言ってくる人がいるよ。」

「へえそうなんや。例えばどないなジョークを言うてくるん?」

「私、視力が悪くて眼鏡をかけているんだけど、男子なんか目が4つと言ってくるの。」

「それって、ジョークちゃうくて、完全に相手を侮辱してる言い方になんで。」

「確かに。でもいちいち気にしたってしょうがないし、男子なんか完全に無視していたの。」

「その方がええかもしれへんね。気にしとったら絶対に損するし。ほなうち、バスに乗って寮に帰るなぁ。」

「うん、じゃまた明日。」

「寂しなったら、いつでも電話してちょうだいね。」

 雪子は笑いながら冗談交じりに言って、バス乗り場へ向かっていなくなりました。


 校門を出ようとした瞬間、放送で「アイドル科の1年2組の虹村ミカさん、虹村ミカさん、至急校長室までお越しください。」と流れてきました。

 校長室!?私の中では不安と恐怖が漂ってきました。

 私、何かしたっけ?そう思って私は校長室のドアを数回ノックしました。

「どうぞ。」

 私はそっとドアを開けて中へ入りました。

「失礼します、アイドル科1年2組の虹村ミカです・・・。」

 最後まで言い終わらないうちに私の視野に入ってきたのは、紅茶を飲んでるおばあちゃんの姿でした。

「おばあちゃん、なんでここにいるの?」

「なんでって、ミカちゃんを迎えに来たんだよ。」

「そうじゃなくて、なんで校長室で紅茶なんか飲んでいたの?」

「ああ、昔の教え子がここで校長やっていると知ったから、ちょっと挨拶ついでに立ち寄ったんだよ。」

「教え子って・・・、おばあちゃん、この学校の先生だったの?」

「正確には元アイドルと元教師だったんだよ。」

「でも、おばあちゃん、何も言わなかったよね?」

「ちょっとびっくりさせようと思ってね。」

 おばあちゃんは紅茶を飲みながら私に自分の過去のことを話していきました。

「昔、あなたのおばあちゃんにダンスの振付を指導してもらったけど、とても厳しかったんだよ。ちょっとでもステップを踏み外せば、大声で怒鳴ってきたの。」

 校長先生は苦笑いをしながら、話していきました。

「そんなこともあったっけね。あなた、なかなか上達してくれなかったから。」

 おばあちゃんは少しあきれ顔で私と校長先生の前で返事をしました。

「私ね、虹村先生には少し感謝しているの。そのおかげで今、校長になれたんだから。」

「あなたの努力で校長になれたんでしょ?私は何もしてませんよ。」

「私がアイドルの引退をしようとしたきっかけは、ステージで起きた事故だったの。派手に大きくジャンプして右足を痛めて、すぐに救急車で近くの病院まで運ばれたの。精密検査を受けた結果、じん帯損傷。医師からはアイドルの引退の告知。足が治った翌日、ファンの前で事情を説明して引退を宣言したの。まるで、つばさを失った鳥になった気分だったよ。その日の夜、私は寮のベッドでずっと泣いていたの。アイドルを引退してから私は後輩の指導するようになったの。」

「そんなこともあったよね。あなたが先生になってからもドジばっかして、本当に見ていられなかっよ。そんなあんたが校長になるんて正直思わなかったよ。」

「半分は虹村先生のおかげでもありますから。」

 おばあちゃんは残りの紅茶を飲み干して、帰る準備を始めようとしました。

「先生、紅茶のおかわりは?」

「もう結構。それに孫もいるし。」

「そうなんですね、わかりました。虹村先生は明日も来られますか?」

「たぶんね。それより、生徒証はいつ頃出来上がるの?」

「今日撮影が終わったから、これから作成にかかるので、明後日の朝のホームルームには渡せると思います。」

「わかりました。明後日までここで世話になるよ。ちなみに明日も孫たちは午前中で終わるのかい?」

「はい、少なくとも来週いっぱいはそうなります。」

「わかりました。」

「虹村先生、よかったらこちらを持ち帰ってください。」

 校長先生はそう言って1か月のスケジュール表を渡しました。

「ありがとう、これを見て動くことにするよ。それでは明日も孫たちのことを頼んだよ。」

「わかりました。お疲れ様です。」

 校長先生は、私とおばあちゃんを校長室の入口でお辞儀をして見送ったあと、再び校長室へ戻りました。


「そう言えば、ミカちゃんはお昼はどうしたの?おばあちゃんは学食で校長先生と一緒にうどんを食べたけど。」

「私はまだ食べていない。」

「じゃあ、おうちに帰ったら何か作るよ。何がいい?」

「チャーハンかな。おばあちゃんの作ったチャーハン、美味しかったから。」

「帰ったら、チャーハンを作るからね。」

 おばあちゃんはそう言って、なれたハンドルさばきで細い路地を飛ばしていきました。

 

 家に着くなり、私は制服を脱いで部屋着姿になって、もらったばかりの教科書をパラパラと広げていきました。

 新しい教科書と言うものは、勉強嫌いの人でもページを広げたくなるような力を持っています。

 その中でも「アイドル概論」と書かれた教科書を広げてみると内容は難しいもの、思わず興味を注ぎたくなるようなことばかり書いてありました。

 授業が待ち遠しい。そう思って私は教科書を机の奥に並べて、少し遅い昼ご飯を食べることにした。

 テーブルへ着くとチャーハンの香りが漂ってきて、私が食べ始めた瞬間、おばあちゃんは校長先生からもらったスケジュール表を持ち出してきました。

「さっき、あなたの校長先生からスケジュール表を頂いたんだけど、明日は『ステージ衣装のブランド選び』があるみたいなんだけど、どんなブランドにするの?」

「反対に聞くけど、どんなブランドがあるの?」

「あ、そうだった。そこからだったよね。」

 おばあちゃんは一覧表の紙をテーブルに載せて、私に見せました。

「いろんなブランドがあるんだね。」

「そうなんだけど、デザイナーさんも簡単には作ってくれそうにないの。」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「交渉力とステージのパフォーマンスかな。あとブランドによっては、衣装に関してどれだけの知識があるか試されるところもあるんだよ。」

「知識ってことは、情報を仕入れなくてはならないってことだよね。」

「そうよ。デザイナーさんだって、苦労して作った衣装をアイドルに『はい、どうぞ。』って簡単に渡さないわよ。だから、いろいろと試して、この人は自分の衣装にふさわしいと分かったら、手渡すって感じになっているの。」

「なら、私には無理かもしれないわね。」

「どうして?」

「おばあちゃんの話を聞いて、正直自信をなくした。」

「始める前から決めつけちゃだめよ。これからたくさん稽古をして腕を上げていかないとだめよね。」

 おばあちゃんの言っていることはもっともだった。こればかりはさすがに反論できなかった。

「確かに、おばあちゃんの言う通り・・・。」

「そうでしょ。まずは最後まで頑張りなさい。それでだめなら、あきらめて普通科に行けばいいでしょ?」

「うん。」

「それに、あなたのことを応援している人もいるんだし、そう言う人を裏切ったらだめだよ。」

「わかった、私頑張る。ニューヨークを出る前、友達のジェイミーから応援されていたし、最後まで頑張るよ。」

「それなら、なおさら頑張らないとだめね。それでブランドはどれにする?」

 私はおばあちゃんに出された一覧表を見て、どれにするか迷っていました。

「具体的な写真があれば、もっと分かりやすいと思うんだけど・・・。」

「ダンシングヒューチャーは?きっと可愛いと思うし、ミカちゃんに似合うと思うよ。」

「じゃあ私、それにしてみようかな。」

 私は食べ終えたチャーハンのお皿を片付けて、部屋に戻ってパソコンを起動して、インターネットでダンシングヒューチャーのブランドのことについて調べてみました。

 デザイナーはクリス伊藤さんと言う男性で、年齢は25歳。<都内の服飾専門学校を卒業後、ニューヨークで4年間修業し、今年の春に事務所兼工房を立ち上げた。>と書かれていました。

 しかも、「月刊ストリートダンス」の特集の記事には<若干25歳の若さで自分専用の事務所兼工房を立ち上げる凄腕のデザイナー>と書かれていました。

 私はどうしてもその雑誌が欲しくなって、すすき野東急のスーパーの中にある本屋へ行って探すことにしました。

「おばあちゃん、ちょっとすすき野東急まで行ってくるね。」

「気を付けてね。」

 自宅から徒歩で10分もかからない場所にあったので、とても便利でした。

 本屋さんはスーパーの2階にあって、とても広々としていたので、驚きました。

 ファッション雑誌のコーナーへ行くと、私が探していた「月間ストリートダンス」の雑誌があったので、それを手に取ってレジへ向かいました。

 会計を済ませたあと、店員はビニール製の青い手提げ袋に入れて私に差し出しました。そのあと私は1階にある食料品売り場でお菓子と飲み物を買って家に帰りました。

 自分の部屋に戻ったあと、私は青い手提げ袋から雑誌を取り出して中を見ることにしました。

 パラパラとページをめくっていくうちに、ダンシングヒューチャーの特集記事が出てきました。

 左側のページにはステージ衣装の写真が大きく載せてあり、そこには<ミラクルレインボーコーデ>と書かれていました。デザインはミニスカート、パーカー、ショートグローブ、ショートブーツまですべて虹色に統一されていて、衣装全体が宇宙を表現されているようなイメージになっている中、可愛さも含まれている表現にもなっていました。

 モデルは私と同い年くらいの女の子で、衣装を上手に着こなしてポーズも可愛く決めていたので、私はこの写真を見た瞬間、着たくなりました。

 さらに私はデザイナーであるクリス伊藤さんのコメントが書いてある記事を読みました。

 そこには<私の高校時代はダンスで始まって、ダンスで終わってしまいました。部活はダンス研究部に入り、放課後は駅前でみんなと一緒にストリートダンスをやったり、秋のダンス甲子園では優勝も決めていました。3年生になり、部活を引退して進路のことを真剣に考えるようになった時、自分たちの後輩たちに可愛くて、かっこいい衣装を着て踊ってもらおうと思いました。私は衣装づくりを始めるために服飾専門学校に行って基礎から学んで、卒業後はニューヨークへ行って4年間本格的に修行に励み、現在に至っています。>と書かれていました。

 記事を読んでいくうちに、眠気が襲ってきて私はそのまま机で眠ってしまいました。


 夕方になり、おばあちゃんが部屋に入ってきて、私の背中を数回軽く叩いて「ご飯が出来たよ」と起こしにやってきました。

 私は少し眠い目をこすりながらテーブルへ向かい、食事を始めました。

「目当ての本は見つかったの?」

 おばあちゃんは軽くにこやかに言いました。

「本屋さんに行ったら、『月刊ストリートダンス』の中に目当ての衣装ブランドの記事があったの。」

「その記事は、もしかしてダンシングヒューチャーのこと?」

「そう。今月号に可愛いコーデがあったの。」

「そのコーデってもしかしてミラクルレインボーコーデのこと?」

「なんでそれを知っているの?」

「実はさっき校長室で、あなたと同じ雑誌を読んでいたの。」

「そうだったんだね。」

 おばあちゃんは、お茶をすすりながら淡々と話を続けていきました。

「ところで、おばあちゃんはクリス伊藤さんと会ったことある?」

「私が現役のころは、そんなブランドなんてなかったよ。むしろ、自分でステージ衣装をデザインして着るのが普通だったんだよ。」

「そうだったんだね。」

「今の子供たちは、その点恵まれているよ。着たい衣装はデザイナーさんにお願いすればいいんだから。さ、この話は終わり。ミカちゃん、明日も学校なんでしょ?早く風呂に入って寝なさい。」

「はーい。」

「あと生徒証が出来上がったら、おばあちゃんに教えて頂戴ね。」

「うん、わかった。」

 私はおばあちゃんに言われるまま風呂に入り、明日の準備をして寝ることにしました。


 次の日のホームルームの時、飛鳥先生が私たちに2枚のプリント用紙を渡しました。

 そこにはブランドの一覧表と住所、電話番号が記されていました。

 連絡先をよく見ると、この近辺になっていたのですが、私が気になっていた「ダンシングヒューチャー」のブランドを見ると、<神奈川県横浜市青葉区奈良町2丁目○○番地-8>と書かれていました。

 この住所だと、学校から少し離れているわね。

 私は心の中で、そう呟きました。

「ええ、今配ったプリントはこれからみんながステージで着てもらう衣装ブランドの一覧表だ。詳細に関しては各自ホームページで確認してもらい、別紙の『衣装ブランド希望届』にクラス、学生番号、名前、着てみたい衣装ブランドを記入して私のところまでに提出してもらうこと。期日は10日与えるから、それまでにゆっくり考えて欲しい。以上だ。」

 飛鳥先生の説明が終わった瞬間、みんなはスマホを取り出して、気になる衣装ブランドをチェックしながら、どの衣装にするか近くの席の子と相談し始めました。

「どれにする?」とか「どのブランドが可愛い」とか話し声はやむことがありませんでした。

 その時、後ろから雪子がシャープペンで私の背中を数回つついてきました。

「どうしたの、雪子?」

「なあ、ミカはどのブランドにするん?」

「私、実はもう決めてあるの。」

「ほんまに?どこにしたん?」

「私ね、ダンシングヒューチャーにしようと思っているの。雑誌でクリス伊藤さんのことも調べたし。」

「ところで、クリス伊藤って誰なん?」

「ダンシングヒューチャーのデザイナー。25歳で、学校の近くに工房があるみたいなの。」

「それ、ほんま!?すごいやん!」

「このプリントを見て驚いたよ。」

 飛鳥先生はみんなの会話が収まらないことにイラついて、手を数回たたいて静かにさせました。

「少し静かにしてちょうだい。ホームルームは終わっていないから。」

 しかし、みんなの会話がやむことはありませんでした。

 飛鳥先生は堪忍袋の緒が切れたのか、ホワイトボードを平手で強く叩いて、大声で「うるさーい!静かにしろ!」と怒鳴った瞬間、みんなは驚いてシーンと静まり返ってしまいました。

「気持ちはわかるけど、今はホームルーム中だ。少し静かにしてちょうだい。みんなは、これからデザイナーさんと交渉するようになってくるけど、今みたいな態度でいたら衣装を作ってくれないどころか、お話も聞いてくれなくなるよ。」

 飛鳥先生はいらだった感じでみんなに注意をしました。

 そのあと少し気持ちを落ち着かせたら、みんなの名前を呼びながらカード型のプラスティック製の生徒証を配り始めました。

 私の名前が呼ばれて生徒証を受け取り、写真を見た瞬間、ひどい顔だなと思いました。

「今、配った生徒証はくれぐれも紛失しないように。紛失したら再発行に時間がかかる。自宅からかよっている人はこれで通学定期を作ってもらいたい。また映画館などの施設を利用する時も、これを見せるように。ここまでで質問のある人はいるか?」

 飛鳥先生は確認をとるような感じで言いましたが、ないと分かったとたん、「質問が無ければ、ホームルームを終了する。」と言って、教室から出ようとしました。

 しかし、何かに違和感を覚えた1人が急に手を挙げて「先生、明日の予定を聞いていないんですけど・・・。」と言いました。

「あ、悪い。そうだったな。明日から通常の授業が始まる。配布した時間割表を見て動いてほしい。」

「その時間割表がまだもらっていないんですけど・・・。」

「ちょっと待ってくれ。急いで用意するから、そのまま待ってくれ。」

 飛鳥先生は駆け足で職員室へ向かい、人数分の時間割表を用意してきました。

「みんな、本当にすまない。」

 教室に入るなり、飛鳥先生は全員にA4サイズの時間割表を配布しました。

 時間割表を見ると、ほとんどの曜日が午後まである中、金曜日だけが午前中だけとなっていました。

 休みは土日祝日となっていましたが、おそらく遠回しに「その日を利用して、自主トレをしろ」っていうことかもしれません。

 明日から本格的な授業が始まるわけだし、帰ったら予習しよう。

 あと、その前に定期券も買わなくちゃ。

 その日の帰りも私は校長室へ立ち寄って、おばあちゃんがいないかを確認したところ、案の定ケーキを食べながら、紅茶を飲んでくつろいでいました。

「虹村先生、お孫さんが見えましたわよ。」

 校長先生は私が来たことを言いましたが、おばあちゃんはマイペースで紅茶を飲み続けていました。

「羽岡さんも人が悪いわよ。紅茶を飲んでいる時くらいせかさないでくれる?」

「そうじゃないけど・・・。お孫さんが見えているわけだし・・・。」

「なら、ミカの分の紅茶を出してあげなさい。ケーキまだ残っているんでしょ?」

「ええ。」

 校長先生はしぶしぶと言った感じで返事をして、私の分の紅茶とケーキを差し出しました。

「ごちそうになります。」

「実はこのケーキ、おばあちゃんからの差し入れなの。」

「そうなんですか?」

 校長先生は私の耳元でそっとささやくように言いました。

 ケーキを食べて、紅茶を飲み終えたあと、私は校長室を出ておばあちゃんと一緒に車で青葉台駅まで向かい、定期券を買いました。

 帰りの車の中、おばあちゃんは「今日でおばあちゃんの車も卒業だね。悪いけど、明日からこの定期券で通いなさい。」と少し厳しめに言いました。

「うん、わかった。」

 私は少し声を低めて返事をしました。

「でも、まったくだめとは言わない。たまになら引き受けてあげるから。」

 おばあちゃんは軽く微笑みながら言いました。



4、初めての授業


 翌日から本格的な授業がスタートしました。

 朝ご飯を食べ終えた私は、食卓に置いてあるおばあちゃんが作ってくれたお弁当をカバンの中へ入れて、バス停へと向かいました。

 朝の6時30分なのに、人がたくさん並んでいる。

 私は通勤と通学の人の数に驚いてしまいました。

 バスに乗るなり私は前の空いている座席に座って、たまプラーザ駅へと向かい、そこから電車で青葉台駅まで向かいました。

 上りホームを見ていると、あふれるほどの人の数で驚いてしまいました。

 押上方面の電車はほぼ満員、それにあの人数が乗るとなると、すごいことになりそうだと思いました。

 ニューヨークにいた時も地下鉄で満員電車の経験を味わいましたが、あれはそれ以上の地獄だなと思いました。

 そう思っているうちに、下りホームには中央林間行きの電車が来たのですが、上りホームの電車とは違って、比較的すいている車両でしたので、それに乗ってあいている座席に座って青葉台駅まで向かいました。

 そこから学校の無料送迎バスに乗るわけなんですが、バス乗り場にはすでに何人かの先生や生徒たちが列を作って並んでいました。

 げっ、すごい人じゃん。

 そう思って、列に並んだら世間話で盛り上がっている人、イヤホンで音楽を聞いている人、スマホでSNSに夢中になっている人など様々でしたので、私もバスを待っている間にイヤホンで音楽を聴いていたら10分後にバスがやってきたので、それに乗って学校へと向かいました。


 教室に入って自分の席でくつろいでいたら、雪子が声をかけてきました。

「おはよう、今日から授業始まるんやん?どないなせんせが来る思う?」

「うーん、想像もつかない。」

「一時間目って確か数学ちゃう?私思うにはハゲたおっちゃんが来る思うねん。」

「なんでハゲたおじさんだと思ったの?」

「中学の時に教わった数学のせんせがハゲたおっちゃんやったさかい、今度もそう言うタイプかな思てん。」

「そうなんだ。」

 雪子は笑いながら、私に言ってきました。


 授業開始のチャイムとともに白いスーツを着たきれいな若い女性が教室に入って自己紹介を始めました。

「今日からこの教室で数学を担当することになりました、三島と申します。みなさん、どうかよろしくお願いいたします。」

 三島先生は軽くにこやかな顔をして、みんなの前で挨拶をしたあと、「それでは今日は授業初日なので、皆さんに自己紹介を兼ねて、どうしてアイドル科を選んだのか、あと今後どういうアイドルを目指すのかを答えてもらおうかな。」と言いました。

 教室の中は一瞬ざわつきました。三島先生は「そんなに難しく考えないで、簡単に答えてもらえればいいんだよ。」と言いました。

 しかし、いざとなれば難しいもので、どう答えたらいいか分かりませんでした。

 みんなは簡単に自己紹介と目標だけ答える人もいれば、名前と出身地、動機や目標まで丁寧に言う人まで様々でした。

 ついに私の順番がきました。うわー緊張するー。しかし、そう思っていても仕方がありませんでした。

 私は席から立ち上がり、一瞬考えてしまいました。

「どうされたのですか、自己紹介をお願いします。」

 三島先生は少し表情を曇らせながら私に促してきました。

「虹村ミカ、中学3年生まで両親の仕事の都合でアメリカのニューヨークに住んでいましたが、今年の春、私1人祖母のいる神奈川県川崎市に住むようになりました。アイドルを目指したきっかけは家族で見たブロードウエイのミュージカルでした。ステージの上で歌って踊る姿に魅了されて、私も同じように歌って踊れるアイドルになりたいと思いました。」

「ありがとうございます。」

 私が座った直後、再び教室の中はざわつきました。みんなは「あの人、帰国子女?」とか「アメリカから来たの!?すごい!」などのリアクションをしていました。

 三島先生はみんなを静かにさせたあと、自己紹介の続きをさせました。

 みんなの自己紹介が終わったあと、今度は三島先生の自己紹介が始まりました。

 数学の教師を目指したきっかけ、この学校をえらんだ理由、そして学生時代の思い出などを話していきましたので、結局その日の授業はオリエンテーションっていう感じで終わりました。

 

 アイドル科の授業は普通科と大きく違うのは美術や家庭科などの実技科目がないことでした。

 その代わり、専門科目が設けられていて、そこで歌唱や踊り、演技などを学んでいくのです。

 体育もないと言ったら嘘になりますが、ランニングやストレッチなど、基礎トレーニングがメインとなっています。

 先生も専門の講師が担当しているので、先輩たちの間では大好評です。


 昼休みになり、みんなは教室で持参したお弁当を広げたり、購買部でパンやお弁当などを買ったり、学食へ行くなど様々でした。

「ミカ、今日お昼どないすんの?」

「私、家でおばあちゃんにお弁当作ってもらったから、それを食べようと思っているの。」

「そうなんや。ほな、私売店でパンとジュースを()うてくんで。」

「じゃあ、私も付き合うよ。」

「ほんまに?ほな、行こか。」

 私と雪子は少し急ぎ足で、売店へと向かいました。

 売店の中へ入ってみると、パンやおにぎり、お弁当やデザートなど、まるで小さなコンビニのような感じになっていて、いろんなものがたくさん並んでいました。

 雪子はハムサンドとあんパン、ペットボトルのオレンジジュースを手に取ったので、私もウーロン茶を手に取って、一緒にレジへ向かいました。

 会計を済ませたあと、私と雪子は教室に戻り、机をくっつけて一緒に食べることにしました。

「今日の授業って、せんせの雑談ばっかりやったね。」

「雑談って言うより、オリエンテーションって感じだったよね。」

「そう言うたら、本格的な授業っていつ頃から始まる思う?」

「私も分からないけど、たぶん明日か明後日あたりりじゃない?」

 私は適当に返事をしてしまいました。

「今日の午後って、ダンスやったよね。どないな人や思う?」

「そう言われても・・・。」

「私思うには、おそらくイケメンや思うねん。それも有名なダンサーで、雑誌に載っていそうな人や思うねん。」

 私は空になった弁当箱をカバンにしまい、余ったウーロン茶を飲みながら、雪子の妄想に付き合っていました。

 雪子は残ったあんパンを口の中に入れて、ジュースで流し込み、さらに妄想に浸りながら、話を続けました。

 その時、1人の黒いジャケットを着た若い男性が教室に入ってきてホワイトボードに<今日のダンスの授業は教室で行います。>と書き残して、いなくなりました。

 またしてもオリエンテーションか。私は少しため息をつきながら、つぶやきました。


 午後のチャイムが鳴って、席に着いたとたん、昼休みにやってきた黒いジャケット姿の男性がやってきました。

「今日からここで、ダンスの授業を受け持つことになった黒沢道夫だ。今のうちに言っておく。本気でプロのアイドルを目指さない人間は今すぐ普通科に学科変更してもらうか、あるいは退学してもらう。」

 みんなは凍り付いた感じで黒沢先生を見つめていました。

「席から立ち上がらないと言うのは、みんなは本気でプロのアイドルを目指すと言うことで判断した。では、出欠をとる。呼ばれたら大きい声で返事しろ。声が小さかったり、返事がない人は欠席にする。」

 黒沢先生はそう言って、胸ポケットからボールペンを取り出し、出席簿を見ながら名前を呼び始めました。

 みんなは次々と返事していく中、黒沢先生は私の名前を呼びました。

「虹村、虹村はいないのか?」

「ミカ、せんせ呼んでんで。」

 その時、後ろから雪子が肩を数回たたいて、教えてくれました。

「あ、はい!先生います!」

「しっかりしろ。今日は初日だから勘弁してやるけど、次からそうはいかないから覚悟しておけ。それと後ろの人にお礼を言っておけよ。」

 黒沢先生はそう言って、出欠とりの続きをしました。


 出欠をとり終えたあと、黒沢先生は無表情で話を始めました。

「初日から厳しいことを言って申し訳ない。しかし、それには理由がある。ここにいる人たちには全員プロのアイドルになってほしいからだ。遊びでアイドルの真似事をするならまだしも、君たちはお客さんからお金をもらってステージに立つわけだ。衣装もプロのデザイナーが作ったブランド物を着てもらう。当然、それなりの完成度を要求されるから本番で一回でもNGを出したら、その場でアウトになる。歌と踊りと表現力を卒業するまでにきちんと身に着けてほしい。」

 みんなは黒沢先生の言葉を緊張した状態で聞き続けていました。

「それと次回から西棟の1階にあるホールで授業を行うから、そのつもりでいろ。服装は言うまでもなく、ジャージを着て来るように。」

 それを言い終えたあと、黒沢先生はさっきの厳しい表情とはちがい、穏やか感じで自分の過去の話をしました。

 教員になる前は駅前でストリートダンサーをやっていたり、ライブハウスで歌ったり、アルバイトでためたお金でアメリカに行ってきたことや、ダンスの地方大会で優勝した話を続けました。

 みんなはそれを興味津々な顔をして聞いていたら、授業終了のチャイムが鳴ったので、みんなはいっせいに帰る準備を始めました。

 

 私が帰ろうとした瞬間、雪子が私に声をかけてきました。

「ミカ、今日ってこのあと時間あいてる?」

「あいているけど?」

「良かったら、青葉台で寄り道して行かへん?」

「いいけど、雪子って寮じゃん。大丈夫なの?」

「なにが?」

「帰る方角。バスとか大丈夫?」

 私は雪子の帰りが気になったので、確認をとるような感じで言いました。

「ほな、学校の喫茶店に行こか。そこなら、ゆっくりしてもいけるよね。」

「そうだね。」

 私と雪子は校内にある喫茶店に向かって、紅茶とチョコレートのケーキを注文しました。

「あの黒沢先生って厳しそうだね。」

「そうやな。うち、いきなり厳しいこと言うせんせって、ちょい苦手かも。」

 雪子はケーキを食べながら私に不満を言いました。

 その時、私と雪子の席に生徒会長の長岡佳代子さんがやってきました。

「ヤッホー!そこの1年生の2人、もう学校には慣れた?」

「生徒会長、お疲れ様です。今日の練習は終わりなんですか?」

「実はこのあと、ここで一休みして、もう少し自主練しようかなと思っているの。」

「そうなんですね。」

「そう言えば、まだ名前聞いていないけど・・・。」

「私は、虹村ミカです。家はニューヨークなんですが、今は川崎にある祖母の家からかよっています。」

「ニューヨークかあ。聞いただけでかっこいいね。」

「君は?」

 佳代子さんは雪子に視線を向けながら聞きました。

「うちは、寺西雪子。実家は京都の和菓子屋で、今は寮で暮らしてます。」

「雪子ちゃん、京都出身なんだね。方言がとても可愛いよ。」

 佳代子さんは顔をにこやかにして、雪子に返事をしました。

「おおきに。」

「そう言えば、さっきチラっと聞こえたけど、今日って黒沢の授業があったの?」

「ありました。とても厳しい言い方をしてきたので、驚きました。」

「あの人はみんなにああいう感じだから気にしなくていいよ。なんていうか、それだけ誰よりもたくさん努力をしてきた人なんだよ。だから、みんなに厳しくなっちゃうんだよね。」

 佳代子さんは表情を曇らせながら、話し続けました。

「生徒会長、随分と詳しいのですね。」

 私は少し驚いた感じで佳代子さんに聞きました。

「そんなに驚くことはないよ。黒沢のことは雑誌を読んで調べてみたの。それと私のことは『佳代子』でいいから。」

「そんな、生徒会長を呼び捨てなんてできません。」

「ううん、お願いだから名前を呼び捨てで呼んでほしいの。あとため口で。その方が親近感がわくから。」

「うん、わかった。」

 私は佳代子に言われるまま名前を呼び捨てにし、ため口で話を進めることにしました。

 佳代子は私と雪子の前に<月刊ブラックダンディ>と書かれた男性用のファッション雑誌を取り出して、真ん中あたりのページを開きました。よく見ると、そこには黒沢先生が黒いジャケット姿で大きく写っていました。

 写真の下の記事には黒沢先生が教師になる前の下積み時代の話が書かれていたので、私と雪子は読ませてもらうことにしました。

 その内容はコンビニやファミレスでアルバイトをしながら駅前で練習し、パフォーマンスをしたこと。ライブハウスで歌ってみたが、客が来なかったこと。海外へ行き、大物スターのパフォーマンスを見て、自分への大きな刺激になったことなどが書かれていた。

「ありがとう、佳代子。」

 私は雑誌を佳代子に返しました。

「どうだった?」

「黒沢先生の苦労がもろに伝わってきました。」

「うちもどす。今日の授業でいきなり厳しいこと言われた時には驚いた。そやけど、せんせが厳しいこと言うた意味、なんとのう分かった。」

「じゃあ、私はそろそろ練習に戻るね。2人とも、この記事のことはくれぐれも黒沢には黙っておいてね。」

 佳代子は言うだけ言って、いなくなってしまいました。

 私と雪子も残った紅茶を飲み干したあと、家に帰ることにしました。


 授業が開始されてから1週間、私と雪子は雑誌の記事のことをいっさい口に出さずに時間を過ごしていきました。

 その日の午後、西棟の1階ホールでダンスの授業がありました。

 黒沢先生は黒いジャージ姿に、タブレット端末と小型のスピーカーを持ってやってきました。

 相変わらずの厳しい目で、私たちの出欠をとり終えたあと、授業に入ろうとした時、1人の生徒が遅れて入ってきました。

「すみません、体の調子が悪くて医務室へ立ち寄ってきました。」

「なら、証明書を見せろ。」

 黒沢先生は彼女から証明書を受け取るなり、内容を確認していました。

「今日はこのまま帰れ。」

「でも、見学ならできます。」

「見学なら普通科の体育の授業でやれ。ここはアイドル科だ。体調の悪いアイドルを客は見たがらない。今すぐ家に帰って体を治してこい。」

「わかりました。」

 彼女は教室へ戻り、帰る準備をしました。

 さすがに鬼だ。言うことが厳しすぎる。私は心の中でそう呟きました。

「お前たちに言っておく。体調の悪い人は授業に参加せず医務室で休むか、早退するように。体調管理も立派なアイドルの仕事だ!」

 その時、1人の生徒が手を挙げて質問しました。

「先生、質問いいですか?」

「言ってみろ。」

「午後の授業なら早退でもいいのですが、午前中の場合も同じように体調が悪い時には早退しないといけないのですか?」

「そもそも体調が悪いのに、無理して授業に参加する理由はどこにある?普通は朝から体調が悪い時には休むだろ。他に質問する人はいないか?」

 しかし誰も手を挙げなかったので、そのまま授業開始となりました。

「質問がないなら授業を始める。今日は前回に続いてヒップホップダンスをする。」

 黒沢先生はタブレット端末をスピーカーにつなげて音楽プレーヤーのアプリを起動しました。

 リズミカルな曲に合わせて、私たちは黒沢先生と一緒にステップを踏みながら踊りました。

 曲が終わって、音楽プレーヤーを停止し、みんなのダンスを評価したあと、黒沢先生は教務手帳を見ながら「今から名前を呼ばれた人はもう一度やり直し。」と言って不合格者の名前を読み上げていく中、私と雪子もその対象に選ばれていました。

 私は納得がいかず、思わず黒沢先生に確認をとりました。

「先生、どの辺が間違っていましたか?」

「どの辺って、自分で気がつかなかったのか?」

「きちんと説明してください。」

「全部だ。お前はいちいち客にどこが悪いのかと確認するのか?今のがステージの上だったら、客は怒って帰ってしまうぞ。」

「今はライブではなく授業です。」

「なら授業ではなく、ライブだと思ってやってみせろ。そうすればどこが悪いのかはっきりわかるはずだ。」

 黒沢先生は不合格者を対象にやり直しをさせました。

 改めて踊ってみると、どこが悪いのか分かるような気がしてきた。しかし、黒沢先生は終始無言のまま私たちのダンスをチェックしていきました。

 曲が終わるのと同時に授業終了のチャイムが鳴りました。

「じゃあ、今日の授業はここまで。この続きは次回にする。それと不合格者は放課後、補習という形にするので、そのまま残るように。以上だ。」

 私と雪子は壁にもたれてスポーツドリンクを飲んで一休みをしていた。

「ねえ雪子、私のダンスってどこが悪いと思う?」

「そんなん分かるわけあらへんやん。うちだって不合格者なんやし。」

「そうだよね。」

「それより黒沢せんせって厳しすぎへん?あれじゃあ、せんせ言うより鬼軍曹やで。」

「確かにそれは言えてる。」

 5分くらいが経って、黒沢先生が戻ってきて、再びダンスの続きが始まりました。

 しかし、今度はどこが悪いのかピンポイントに言ってきました。

「虹村、ワンテンポ遅れてる!寺西、リズムに乗っていない!」

 授業でもそう言う風に言ってくれたらいいのに。

 私は心の中でブツブツとつぶやきました。

 他の人が次々と合格して帰っていく中、最後に残ったのは私と雪子だけでした。

「お前たち、2人が残っている理由ってなんだか分かるか?」

「いえ、分かりません。」

「うちもどす。」

「お前たち2人は大事なところが欠けているんだよ。」

「大事なところって言いますと?」

 私は思わず聞き返しました。

「なんだか分かるか?」

「わかりません。」

「笑顔だよ。お前たち2人は表情が険しすぎた。特に虹村、俺に注意をされた時、不満そうな顔をしていたよな?」

「・・・・」

 私が不満そうな顔をしていたら、黒沢先生は鬼のような目つきで顔を向けました。

「やはり何か不満でもあるのか?」

「いえ、不満などは・・・。」

「正直に言ってみろ。」

 私は言うべきか黙っておくべきか考えました。

「実は授業では何も言わなかったのに、補習で指摘箇所を言ったことに対して納得がいかなかったのです。」

「そのことか。確かにその件に関しては認めるよ。ただ大勢いる授業で、名指しでどこが悪いのか指摘されてうれしいか?」

「確かに言われてみれば・・・。」

「そうだろ。だからあえて何も言わなかったんだよ。すまなかったな、きつい言い方をして。」

 今まで鬼だった黒沢先生の顔は急に穏やかになり、私の緊張もほぐれました。

 時計を見たら、すでに夕方5時近くになっていました。

「お前たち、制服に着替えたら喫茶店に来てくれないか?」

「分かりました。」

 私と雪子は言われるままに制服に着替えてカバンを持って喫茶店に向かったら、入り口には黒いジャケットを着た黒沢先生がいました。

「よ、待っていたぞ。」

 黒沢先生は軽く手を挙げて挨拶をしました。

 中に入ってテーブルに着くと、黒沢先生はコーヒーとチーズケーキを3人分注文しました。

「さっきはきつい言い方をして悪かったな。実を言うとプロの大変さを知ってもらいたいから、わざと厳しく言ったんだよ。お客さんからお金をもらって、自分たちの歌を聞いてもらったり、ダンスを見てもらう。でも、これは決して簡単なことではない。1回でもミスをしたら客は怒って帰ってしまう。それだけ厳しい世界なんだよ。でも反対に成功すれば達成感と喜びも味わえる。どうだ、続けてみるか?それとも普通科に学科変更したければ今のうちだぞ。」

 黒沢先生は再び厳し表情を見せて私と雪子に確認をとりました。

「私は卒業するまで、アイドル科にいさせて頂きます。」

「寺西、お前はどうなんだ?虹村は最後までアイドル科にいるって言っていたぞ。」

「うちも虹村はんとおんなじ気持ちどす。一人前のアイドルになって、卒業するつもりでいてはる。」

「よし、わかった。お前たちの覚悟を確かめさせてもらった。もう後戻りはできないからな。そのつもりでいろ。」

 私と雪子は黒沢先生の厳しい表情に圧倒されて、一言「わかりました」と返事ました。

 その直後、ウエイトレスがコーヒーとミルクと砂糖、そしてチーズケーキを運んできました。

「じゃあ、早いところ食べちゃおうか。ここは全部先生がおごるから。」

「それじゃ悪いです。」

「子供は遠慮するな。素直に『わーい、ありがとう。』と言ってよろこんでいりゃいいんだよ。コーヒーもさめたらまずくなるぞ。」

「それでは頂きます。」

 私と雪子は黙々とケーキとコーヒーを平らげたあと、黒沢先生に一言「ごちそうさまでした。」と一言お礼を言って喫茶店を出ました。

「そう言えば、お前たちこのあと送迎バスに乗るんだろ?」

「はい、そうですが・・・。」

「だったら、お前たちまとめて家まで送ってやるよ。」

「うちは、寮やさかい送迎バスで帰れます。」

「そう固いことを言うな。寮の入口まで乗せてやるよ。」

「私も家が川崎なので、電車で帰れます。」

「川崎のどこなんだ?」

「虹ヶ丘団地です。」

「なら、そこまで乗せてやるよ。」

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて乗せて頂きます。」

 私と雪子は黒沢先生の車に乗せてもらうことにしました。


 駐車場へ行くと先生たちの車がズラリと並んでいる中、ひときわ目立つ1台の赤い乗用車が停まっていました。

 車には<ノートオーラ>と書かれていて、黒沢先生は少し自慢げに「この車四駆で、しかもエンジンで発電して電気モーターで動くんだよ。」と言っていました。

 車に疎い私は、ただ「へえ。」と相づちを打つことしかできませんでした。

 黒沢先生はドアにリモコンを向けてピピっと鳴らしてキーロックを解除しました。

「ロックを解除したから乗って」と言われたので、私と雪子は後部座席のドアを開けて座り込み、シートベルトを締めました。

 そのあと黒沢先生は運転席に座って、エンジンを始動し、車をゆっくり動かしました。

 電気モーターで動いているせいなのか動いていても、とても静かな感じでいました。

「じゃあ、最初は寮でいいよな。」

 黒沢先生は私と雪子に確認をとるような感じで言ってきたので、雪子は標準語で「はい、お願いします」と返事をしました。

 駐車場の出口で車を停めてスマホを接続し、音楽プレーヤーを起動して、ダンスの授業で使った音楽を流しました。

 そして再び車を動かして、寮へと向かいました。


 寮までは約5分。その間、みんなは終始無言のままでいました。

 みんながしーんっとしている中、音楽だけがにぎやかに流れていました。

 車は旧道をゆっくり進んで行くと、正面には少し大き目のマンションと思われるような茶色い建物が見えてきました。

 入り口には<横浜北フェアリー女子学園学生寮>と大きく書かれた黒い文字が目に飛び込んできました。

「着いたよ。」

「せんせ、今日はどうもありがとうございました。」

 雪子は黒沢先生にお礼を言って寮の中へと入っていきました。

「じゃあ、今度はお前の番だな。」

「先生、迷惑でしたら近くの駅でも構いません。」

「俺がいつ迷惑と言った?家まで送ってやるから住所を言え。」

「はい・・・。」

 私が住所を言ったあと、黒沢先生はカーナビをセットして私の家の方角へと走らせていきました。

「そう言えば、虹村の実家ってニューヨークだったよな?」

「はい、そうですが・・・。」

「実は俺も昔、ニューヨークに行ったことがあるんだよ。」

「そうなんですか?」

「実はダンスの勉強のためにブロードウエイに行ったことがあるんだよ。あそこって、すごいよな。」

「私も一度行ったことがあります。まるで夢のような世界でした。」

「俺もあの感動が忘れられなくて、ダンスを続けてみようと思ったんだよ。そしてステージに立ってみんなに感動を与えたくなったんだよ。」

「そうなんですね。」

「話は変わるけど、お前のおばあさんって、昔うちの学校で先生をやっていたのか?」

「どうしてそれを?」

「少し前に校長室の前を通ったら、そう言う会話が聞こえたから・・・。」

「私も校長先生に知らされるまでは、何も知らなかったのです。」

「そうだったんだな。」

 車は団地の中へ入って、駐輪場の近くで私を降ろしました。

「先生、今日はどうもありがとうございました。」

「今日はゆっくり休めよ。」

「明日またよろしくお願いいたします。気を付けて帰ってください。」

 私は黒沢先生の車を見送ったあと、玄関に向かって家に入り、食事と風呂を済ませてからベッドでそのまま眠ってしまいました。

 


5、ステージ衣装の試験


 5月の大型連休が終わって、みんなはすっかり学校へ馴染んでしまい、マイペースになっている人が増えてきました。

 教室の中を見渡すと漫画を読んでいる人、スマホで音楽を聴いている人、友達同士で世間話やトランプに夢中になっている人など様々でした。

 中には担任の先生がやってきてホームルームが始まっているにも関わらず、堂々と漫画の本に夢中になっている神経の図太い人もいました。

 飛鳥先生が出席簿にチェックしながら名前を呼んだあと、漫画を読んでいる人の席に向かって取り上げました。

「これは、帰りまで先生が預かっておきます。返してほしかったら放課後、職員室までとりに来るように。」

 彼女は不満そうな顔をして飛鳥先生の方を見ました。

「あなたたちに言っておきます。この学校を卒業したら皆さんはアイドルを職業として活躍してもらいます。当然皆さんを見てファンになりたがる人も出てきますが、その時ステージで漫画やスマホに夢中になっていたら、ファンに逃げられるだけでなく、マスコミに叩かれるので気を付けるように。」

 飛鳥先生は厳しい目線でみんなに注意を促したあと、再び話し出しました。

「明後日の午後、皆さんが着るステージ衣装のテストを行います。しかしこれは全員ではありません。希望者のみとさせて頂きます。一次試験の内容は歌とダンスです。これから申込用紙を渡します。希望者は今日の放課後までに私のところまでに提出するように。ちなみに二次試験の内容はデザイナーさんに一次試験の内容を提出して審査してもらったあとに、面談を行う形となります。」

 先生はそう言い残して、教室からいなくなってしまいました。

 教室の中では言うまでもなく、ステージ衣装の話題で持ち切りで、みんなは「受ける」とか「受けない」とか「どのブランドにする?」など会話が盛り上がっていました。

 私は申込用紙をマジマジと眺めていました。

 受けるべきか辞めるべきか。私はため息をつきながら考えていました。

「どないしたん?ため息なんかついて。それより、明後日の試験どないすん?」

「試験を受けるかどうか迷っている。雪子は受けるの?」

「そう言うことやったのね。うちは受けてみんで。気になるブランドもあるしね。」

「雪子はどのブランドにするの?」

「うちはフラワードールの衣装にしよう思てんねん。」

「フラワードールって確かロリっぽい衣装で可愛いよね。」

「うちね、あのフリフリしたデザイン気に入ってん。あれを着てステージの上に立ってみたい思てんねん。」

「その気持ちなんとなく分かる。」

「そうやん?そう言うたら、ミカはどこのブランドにするん?」

「私はダンシングヒューチャーにしようかなって思っている。」

「あの衣装ってかっこええでなあ。」

「すでに雑誌とか読んで調べておいたの。」

「ほんまに!?すごいやん!」

 私は「月刊ストリートダンス」の雑誌をカバンから取り出して、特集の記事を雪子に見せました。

 雪子は雑誌の記事をしばらく読んでいました。

「ミカ、このデザイナーってまだ若いんやなあ。」

「25歳で自分のブランドを持っているんだよ。」

 雪子は私の雑誌の記事を見るなり、驚いてばかりでした。


 その日の放課後、申込用紙に必要事項を記入して職員室に提出し、飛鳥先生からタブレット端末と小型のスピーカーを借りて、西棟のホールで雪子と2人で自主練をすることにしました。

 練習して1時間が経ったとき、スポーツタオルを首に巻いた佳代子が私たちのところへやってきました。

「生徒会長、お疲れ様です。」

「佳代子でいいって言ったでしょ。それより2人とも明後日の試験受けるんだって?」

「正直、受かるかどうか分からないけど・・・。」

 その時、佳代子は私の頭をグーでコツンと叩きました。

「痛いっ・・・。」

「今から弱気になったらダメ!まずは最後まで全力を尽くして頑張ってみたら?」

「うん・・・。」

「まだ何か?」

「そうじゃないけど・・・。なんていうか審査が厳しそうだから・・・。」

「そりゃ厳しいに決まっているでしょ。審査が甘かったら試験にならないわよ。」

 佳代子は容赦なしに、私に突っ込んできました。

「確かにそうだよね。佳代子も今回の試験受けるの?」

「もちろん。新しいステージ衣装が欲しいと思っていたから。」

「そうなんだね。佳代子はどこのブランド衣装を着ているの?」

「ストロベリーハイスクール。」

「入学式の歓迎ステージで制服っぽい衣装を着ていましたよね。」

「あの衣装、可愛いから気に入っているんだよ。」

「そうなんだね。今度試着させてもらっていい?」

「いいよ。機会があればね。」

「佳代子、うちも試着させてもろうてええ?」

「もちろん、いいわよ。」

「ほんまに?おおきに。」

 横で聞いていた雪子までが便乗してきました。

 そのあと3人で音楽に合わせながら練習を続けいたら、いつの間にか夕方5時近くになっていたので、驚いてしまいました。

 巡回当番の先生も気になって、私たちのところへやってきて、練習を引き上げるよう言ってきました。

「お前たち練習もいいが、そろそろ引き上げてくれないか?」

「はーい、分かりました。今片付けまーす。」

 佳代子はそう言って私と雪子に帰る準備をするように言ったあと、更衣室へ向かおうとしたので、私はとっさに引き留めて、一緒に着替えて帰るよう誘いました。

 着替えが済んだあと、私と雪子が職員室で預かっていたタブレット端末と小型のスピーカーを返しに行こうとしたら、佳代子が一緒について行ってくれると言い出しました。

 返却がすんで、雪子は寮へ向かうバス、私は青葉台駅へ向かうバスに乗ろうとした瞬間、佳代子も私と同じ青葉台駅へ向かうバスに乗ることになったので、後ろにある二人掛けの座席に座りました。


 バスに乗っている間、佳代子は私の眼鏡姿に気がついて何か言おうとしました。

「佳代子、どうしたの?」

「ミカちゃん、気になっていたけど、あんたずっと眼鏡をかけていたの?」

「うん、視力が悪いから。」

「そうなんだ。一応言っておくけど、ステージに立つことになったら眼鏡のことで何か言われるかもしれないよ。」

「眼鏡、だめなの?」

「だめっていうわけじゃないけど、眼鏡をかけたアイドルって聞いたことがないから・・・。」

 佳代子は(くも)った表情で私に言いました。

「じゃあ、ステージに立てないの?」

 私の気持ちは少し不安になってきました。

「そんなことないよ。他の方法があるから。」

「他の方法って言うと?」

「例えばサイバーグラスとかカラコンとか。」

「カラコンってコンタクトレンズだよね?」

 私は恐る恐る佳代子に確認するような感じで言いました。

「そうだよ。でも、慣れたら平気になれると思うよ。」

 佳代子は私の不安そうな表情を見るなり、話を続けました。

「心配しなくても大丈夫だよ。私も最初はカラコンには抵抗があったけど、着け始めたら結構平気になったんだよ。それにうちの学校の医務室には眼科医が常駐していて、定期的に目の検査もやってくれるんだよ。あとね、眼鏡って普段は可愛く見えるけど、ステージに立った途端に、かえって地味に見えがちになるから気を付けた方がいいよ。」

 

 バスは青葉台駅に着いたので、私と佳代子は田園都市線の改札口の中へと入っていきました。

「そう言えばミカちゃんって家どこだっけ?」

「私はニューヨークだよ。」

「それは実家でしょ?そうじゃなくて、今住んでいる家。おばあちゃんと一緒に住んでいるんでしょ?」

「あ、そうだった。家は虹ヶ丘団地だよ。」

「マジ!?私、すすき野団地だよ。」

 佳代子は私が近くに住んでいることに驚いて、大きな声を出してしまいました。

「ねえ、あざみ野駅から一緒のバスに乗らない?」

「いいよ。」

「やったー!」

 もはやこの反応は生徒会長と言うより、小学校低学年と言った感じでした。

 自動販売機でペットボトルの水を買って飲んでいたら、佳代子も同じ水を買ってきて私の隣にやってきました。

「これ、のるるんウオーターでしょ?私もこれ飲んでいるんだよ。」

 佳代子はテンション高めで私に言ってきました。

「うん、この水好きなんだ。」

「そうなんだね。」

 佳代子が水を口に当てようとしたとたん、電車がホームに入ってきたので、私と佳代子は飲むのをあきらめて電車に乗りました。

 電車に乗って数分も経たないうちに、佳代子は練習に疲れたのか、そのまま私の肩にもたれて眠ってしまいました。

 私は佳代子を起こさないようにそっと自分の膝に載せて、イヤホンで音楽を聴くことにしました。

 あざみ野駅に着いたので、私は佳代子を起こしてバス乗り場へ向かい、一緒のバスで家に向かいました。

「佳代子、私ここで降りるからね。」

「うん、お疲れ。」

 虹ヶ丘団地のバス停で佳代子と別れて、私はそのまま家に向かいました。

 

 そして試験当日。

 場所は西棟のダンスホールで行われることになり、前半はダンス、後半は歌唱力テストでした。

 審査員は黒沢先生と飛鳥先生でした。

 それ以外に録音や撮影担当もいて、これらを記録し、合格した人の録画や録音の記録をデザイナーさんに提出する形になっています。

 試験内容は主に授業で習った部分だけとなっていたので、比較的楽なんですが、テストとなったとたん、少しだけ緊張してきました。

「ミカちゃん、もしかして緊張してるん?」

「少しだけどね。」

「心配しいひんでもいけるで。授業や思て普通にやったら、うもういけるさかい。」

 雪子はにこやかな顔をして私にリラックスさせました。

 その直後黒沢先生が前にやってきて試験の説明に入りました。

「これからステージ衣装のかかったテストを行う。前半はダンス、後半は歌唱力テストだ。審査は俺と飛鳥先生だ。なお、今回記録係もいるので、みんなの試験内容は録画と録音してデザイナーさんに提出し、審査してもらう。試験開始前には必ず試験番号とフルネーム、希望ブランドを言って挨拶をすること。ここまでで質問のある人はいるか?」

 しかし、誰一人手を挙げる人がいなかったので、そのまま試験開始となりました。

 前半のダンスは音楽に合わせて踊るだけだったので、そんなに難しくはなかったのですが、それでもミスをする人はいました。

 そして私の順番がやってきたのですが、正直緊張していたのでうまくいけるか分からなくなってきました。

「試験番号17番、虹村ミカです。それと希望ブランドはダンシングヒューチャーです。よろしくお願いいたします。」

 黒沢先生は厳しい表情をして「それでは始めてください」と言ったあと、タブレット端末の音楽プレーヤーを再生し、音楽を流しました。

 最初は右にステップして、そのあと体を大きく右に回す。

 後半に差し掛かかり、終わりまであともう少し。

 左に一回りしたあと、音楽が終わり、最後にフィニッシュ!

「ありがとうございました。」

 私は黒沢先生におじぎしたあと、壁に移動して、次の試験の準備にかかりました。

 そして、次に雪子の順番が来ました。

「試験番号18番、寺西雪子どす。希望ブランドはフラワードールどす。よろしゅうおたのもうします。」

 その時、黒沢先生のダメ出しが来ました。

「おい寺西、試験の時ぐらい関西弁どうにかならないか?それとステージでは方言ではなく標準語にしろ。」

「はい、分かりました。」

 それでもなまりが入っていましたが、黒沢先生は無言で音楽プレーヤーを再生したあと、雪子は音楽に合わせて踊りだしました。

 雪子はやや緊張気味で踊っていましたが、無事に終わらせることが出来たって感じでした。

 最後に佳代子のダンスを2人で見ることになったのですが、さすがトップアイドル。

 動きにムラがなく、まるで妖精のようにきれいに踊ってフィニッシュを決めました。


 ダンスが終わったあとは飛鳥先生による歌唱力テストが始まりました。

 内容としては、事前に渡された歌詞カードをもとに順番に受ける形となっていました。

 よく見るとこれも授業で習った歌だったので、今回も楽勝だと思っていたが、案の定、飛鳥先生の電子ピアノによる演奏と記録係による録画、録音が始まった瞬間、緊張して歌えない人が続出。

 私も少しだけ緊張し始めた瞬間、順番が来ました。

「試験番号17番、虹村ミカです。それと希望ブランドはダンシングヒューチャーです。よろしくお願いいたします。」

 飛鳥先生は「では歌ってください」と無表情に言ったあと、電子ピアノで課題曲を演奏し始めました。

 私は演奏に合わせて、歌詞カードを見ながら順調に歌っていきました。

 飛鳥先生の厳しい表情、記録係の録画と録音などすべて気にせず、私は最後まで歌い通すことが出来ました。

 そのあとも、雪子や佳代子の試験も終わって、結果を待つだけとなりました。

「試験お疲れ様でした。今日の試験の結果は明後日の朝のホームルームまでに出したいと思っています。合格者はデザイナーさんによる二次試験に入ります。では帰ってゆっくり休んでください。」

 飛鳥先生はそう言い残して、黒沢先生と一緒にいなくなりました。

 みんながいなくなったあと、私と雪子、佳代子だけが残りました。

「ふう、疲れた。」

 試験終えたあとの私の一言はこれでした。

「ほんまにほっこりしたやんな。うち、うもういったか微妙やで。しかも、最初のダンスも方言使うて黒沢せんせにダメ出しされたし。」

 雪子も疲れ切った顔をして言いました。

「雪子、ほっこりしたってどういう意味?」

「あ、京都では疲れたことを「ほっこりした」って言うの。」

「そうなんだ、初めて知った。」

「2人とも、お疲れ。」

 佳代子は3人分の缶ジュースを持って私たちの前にやってきました。

「佳代子、お金はロッカーの中だからあとで払うね。」

「いいって、今日のジュースは試験を頑張ったご褒美だから。」

 佳代子はにこやかな顔をして私と雪子に言いました。

「佳代子、ごちそうさまです。」

「ほんまにごちそうさま。ジュース頂くなぁ。」

 私がサイダー、佳代子がコーラ、雪子がメロンソーダを選びました。

 パチパチするこの感触が体にしみわたって、疲れを一気にほぐしてくれました。

 

 飲み終わったあと更衣室に向かい、着替えを済ませて帰るだけとなりました。

「私寮やさかい、向こうのバスに乗って帰るなぁ。」

 雪子はそう言って寮へ向かうバスに乗って帰ったあと、私と佳代子も青葉台駅へ向かうバスに乗って帰ることにしました。

「私、今日の試験落ちたかも。」

「今から弱気になったらダメよ。」

「佳代子は歌もダンスもすべて完璧だから間違いなく合格だけど、私はなんだか微妙だよ。」

「そんなことないって。私だって正直合格出来るかどうか自信ないんだよ。」

「私ね入学式の時、佳代子が歓迎ステージを披露してくれた時、ものすごく感動して、私もああいう風にステージで輝いてみたいって思ったの。」

「なれるよ。ミカちゃん、見ていて努力をしていると感じていたから。」

「ありがとう。」

 青葉台駅に着いたら私と佳代子はそのまま電車に乗ってあざみ野駅まで向かい、そこからバスで帰りました。

 家に帰るなり、着替えと食事、風呂を済ませて、私はベッドで寝てしまいました。


 そして迎えた明後日の朝のホームルーム。

 新しい衣装がかかった試験の結果発表が飛鳥先生により告げられました。

「先日おこなった、希望者を対象とした新しい衣装のかかった試験の結果通知を渡す。名前を呼ばれたら取りに来い。」

 飛鳥先生は試験番号順に渡していき、ついに私の順番がきました。

 私は飛鳥先生から通知の入った封筒を受け取って、そっと中を覗いてみました。

<結果通知 虹村ミカ殿 先日の試験の結果を「合格」とします。つきましてはデザイナーさんによる二次試験に進んでください。>と書かれていました。

「ミカちゃん、結果どうやった?」

 雪子が私に声をかけてきました。

「私、合格したよ。」

「ほんまに!?うちも合格して、二次試験に進むこと出来たで。」

「二次試験はデザイナーさんの試験だから、もっと厳しくなると思うよ。」

「そうやな。雑誌を()うて勉強しとくで。」

 その時、飛鳥先生の雷が私と雪子に飛んできました。

「そこ、まだホームルームなんだから静かにする!」

 私と雪子が静かになった瞬間、みんなは大笑いました。

「二次試験はデザイナーさんによる試験と言うか、ほとんど面談に近い感じだから、各自雑誌を買って勉強するように。日程についてはデザイナーさんの都合次第なので、決まったら追って連絡する。そこまでで質問のある人はいるか?」

 しかし、誰もいなかったので、ホームルームはそのまま終わりとなりました。


 その日の昼休み、私は弁当を食べ終えて、カバンから「月刊ストリートダンス」の雑誌を取り出して特集の記事を広げようとしたその時、私の背中をポンっと叩いてきた人がいました。私はてっきり雪子かと思って、後ろを振り向いたら佳代子がいました。

「あれ、生徒会長だよね。虹村さんに何の用かしら。」とみんなは私の方を見てざわつきました。

 佳代子は生徒会長であるとともに、トップアイドルでもあるので、ちょっとした行動でもすぐに目立ってしまいます。

「佳代子、ここで話すと目立つから場所を変えようか。」

 私は佳代子を連れて、廊下の隅へ連れていきました。

「それで、話ってなんなの?」

「この間の試験、どうだった?」

「合格したよ。」

「やったじゃん!私も合格したよ。」

 私と佳代子は手を握り合って喜んでいました。

「ところで、ミカちゃんってダンシングヒューチャーの衣装を着るんでしょ?」

「そうだけど・・・。」

「デザイナーのクリス伊藤さんって、見た目より厳しいみたいだよ。」

「例えば?」

「ミカちゃんの前に別の子が衣装の新調を頼んだ時に、質問の内容が厳しすぎて断念したの。結局その子は別のブランド衣装を着ることになったの。」

「そうなんだね。」

「でも、雑誌の記事を読んでいれば質問にはきちんと答えられる内容ばかりなんだけどね。」

「じゃあ、その子は事前に何も調べないで行ったから、そうなったんだね。」

「たぶん。」

「いろいろとありがとう。」

「じゃあ、そろそろ午後の授業が始まるから教室へ戻ろうか。」

 私と佳代子は教室へ戻って午後の授業の準備を始めました。


 その日の放課後のことです。

 私と雪子は飛鳥先生に呼ばれて、試験の日程を告げられました。

 私は今週金曜日の午後4時、雪子は来週月曜日の午後2時からとなっていました。

 そして佳代子は来週の水曜日午後2時に決まりました。

 当日はプロデューサーや先生たちがデザイナーさんのアトリエまで車で送迎してくれることになっています。

 うれしい反面、デザイナーさんに会うと言う緊張も高まってきました。

 デザイナーのクリス伊藤さんってどんな性格なのか、まったく想像もできません。


 家に帰ってからも食事も満足に喉に通らず、いつもより少量で済ませてしまいました。

「あらミカちゃん、珍しい。ご飯はもういらないの?」

「ごめん、おばあちゃん。今日は何だか食欲がないの。」

「どうしたの?」

「悩み事があって・・・。」

「どんな悩み事なの?」

 おばあちゃんは、少し表情を曇らせて言いました。

 そのあと、食器を片付けて食卓で次の金曜日の午後にデザイナーさんに会うことを話しました。

「実はステージで着るブランド衣装の試験があって、それに合格したらデザイナーさんによる二次試験に行けることになったんだけど、デザイナーのクリス伊藤さんってどんな性格をしているか、今一つ分からなくて・・・。」

「なーんだ、そんなことで悩んでいたんだね。心配して損した。」

 おばあちゃんは、軽く笑いながらお茶を飲んで言いました。

「おばあちゃんは、クリス伊藤さんに会ったことがあるの?」

「あるわよ。」

「どんな人?」

「ここでは言えない。それは会ってからのお楽しみ。」

「意地悪を言わないでよ。」

「ここで言ったら試験にならないでしょ。さ、明日も学校なんでしょ?早くお風呂に入って寝なさい。」

 私はおばあちゃんの言った言葉に納得がいきませんでした。

 風呂からあがって、私は自分の部屋にある椅子に座って佳代子に電話をつなげました。

「もしもし佳代子、こんな時間にごめんね。少しだけ大丈夫?」

「どうしたの?」

「実は、さっきおばあちゃんからクリス伊藤さんがどんな性格か聞き出そうとしたら、断られたよ。」

「当たり前じゃない。それって試験でカンニングするのと同じことだよ。」

「そうだよね・・・。ありがとう。」

「あえて言うなら、クリス伊藤さんに限らず、デザイナーさんはみんな厳しいってことは覚えていてちょうだい。自分が苦労してデザインした衣装なんだから、簡単には譲らないはずだよ。」

「確かにそうだよね・・・。」

「ミカちゃんの試験っていつだっけ?」

「今度の金曜日。」

「そうなんだ。初対面だと緊張するかもしれないけど、普段通りの接し方でいけばうまくいけるはずよ。」

「わかった、ありがとう。」

「明日、早朝の自主トレがあるから、そろそ寝るね。」

「うん、わかった。お休み。」

「お休み。」

 電話を切ったあと、私も部屋の灯りを消して寝ることにしました。

 しかし、その日に限ってクリス伊藤さんのことが気になって、なかなか眠れない。

 頑張って寝ようとしたけど、なかなか眠れなかった。

 雑誌の記事には優しそうな顔写真が載っていましたが、実際はどんな性格をしていて、どんな考えを持っているのか想像もできませんでした。

 1時間経って、やっと眠気が襲ってきたので、私は眠ることにしました。

 


6、デザイナーたちの厳しい質問


 迎えた金曜日の午後、その日は空が灰色の雲に覆われていて、いつ雨が降り出してもおかしくない状態でした。

 クリス伊藤さんのアトリエまでは黒沢先生の車に乗っていくことになったのですが、午前中で授業が終わったので、私は教室で雑誌の記事を読んだり、パソコン実習室でクリス伊藤さんやダンシングヒューチャーのことについて、念入りに調べていきました。

 気になった記事をプリンタで出力して移動中に軽く目を通しておこうと思ったからです。

 こうしている間にも時間が過ぎていき、出発の時間になってしまいました。

 校内放送で黒沢先生が私に駐車場まで来るように言ってきたので、私は駐車場に向かい、黒沢先生の赤いノートオーラに乗ってクリス伊藤さんのアトリエまで向かいました。

「放送で名前呼ばれたから、びっくりしましたよ。」

「悪いな。どこにいたのか分からなかったから、放送で呼んでしまったんだよ。」

 黒沢先生は少し申し訳なさそうな顔をして言いました。

 車はこどもの国の駅前を通り過ぎて、東京都町田市の境まで来て、そこから静かな住宅街へと向かいました。

 その外れには薄紫色に染まっていた少し大き目の家が建っていたのが見えました。玄関の前で私を降ろしたあと、黒沢先生は車を隣にある来客用の駐車場に持って行きました。

 入口には<ダンシングヒューチャー>と大きく派手に書かれた看板と<クリス伊藤>と書かれた小さ目の表札がありました。

 私は薄紫色の大きな家を見て、思わず口を開けてしまいました。

「何をしているんだ?中へ入るぞ。」

 黒沢先生はそう言ってドアチャイムを鳴らしました。

 スピーカーからは「はーい、どちら様ですか?」と若い女性の声が聞こえてきました。

 黒沢先生は「ごめんください、横浜北フェアリー女子学園の黒沢と虹村です。今日は先生にお会いする約束をちょうだいしましたので参りました。」と少し緊張気味で言いました。

「かしこまりました。少々お待ちください。」

 入口の白いドアから紫のエプロン姿で、髪の長い若い女性がやってきました。

「黒沢様、お待ちしておりました。奥の部屋で先生がお待ちでございます。どうぞ中へお入りください。」

 私と黒沢先生は用意されたスリッパに履き替えて、そのまま女性と一緒に奥の部屋へと向かいました。

 女性はドアを数回ノックしたあと、「失礼します。先生、お客様をお連れしました。」と言ってドアを静かに開けました。

「こちらが先生のお部屋になります。」

 女性はそう言って、私と黒沢先生を案内しました。

 中へ入ってみると、いろんな本が本棚にビッシリと並んでいたので、明らかに書斎と言った感じの雰囲気でした。

「失礼します。横浜北フェアリー女子学園から参りました、黒沢と虹村と申します。」

「どうぞ、こちらのソファにおかけになってください。」

 クリス伊藤さんは奥にある黒いソファのあるテーブルへ案内してくれました。

「君すまないけど、紅茶と先日お客様から頂いたクッキーが余っているはずだから、それを出してくれないか?」

「かしこまりました。」

 女性はクリス伊藤さんに言われて、お茶の準備を始めました。

「あ、君とは初めてだよね。私はダンシングヒューチャーの衣装デザインをしているクリス伊藤と申します。」

 クリス伊藤さんは挨拶をしたあと、私に名刺を差し出しました。

「こんにちは、虹村ミカと申します。先生のブランドのことは雑誌やインターネットで調べさせて頂きました。」

「もしかして、緊張してる?」

 クリス伊藤さんはにこやかな表情で、私の緊張をほぐしてくれました。

「実は今日こちらに参りましたのは、先生の衣装を虹村に譲って頂きたいことなんです。」

 そのとたん、クリス伊藤さんの表情は急に曇り始めてきました。

「と言うことは、彼女は一次試験に合格したってことなんだよね。黒沢先生、いつも通りダンスと歌の試験の様子、見せてもらえますか?」

「はい。」

 黒沢先生はダンスの映像と歌の録音が入っているDVDをクリス伊藤さんに渡しました。

 クリス伊藤さんは、部屋の奥からノートパソコンを用意して、起動するなりDVDを再生して、厳しい表情しながら見始めました。

 この数分間、私は緊張しながら待っていました。

 すべてチェックし終えたあと、クリス伊藤さんは「ダンスも歌も最高だったよ。ところで虹村さん、私の衣装のことを調べたと言っていたけど、どれくらい知っているかな?」と、にこやかな顔をして尋ねてきました。

 もしかして、これってテスト?

 私は思わず、身構えをしてしまいました。

「緊張しなくても大丈夫だよ。ただの世間話だから。」

 クリス伊藤さんはパソコンを片付けながら私に言ってきました。

 さらにタイミングよく、女性が紅茶とお菓子を運んできてテーブルの上に置いていなくなりました。

「良かったら召し上がってください。」

 クリス伊藤さんは私と黒沢先生に勧めました。

「お気遣いありがとうございます。それでは頂きます。」

 黒沢先生は一言お礼を言ったあと紅茶を一口飲んだので、私もあとに続いて「紅茶を頂きます。」と言って一口飲みました。

 目の前のクッキーを一つ食べたあと、クリス伊藤さんはさっきまでの柔らかい表情とは違って厳しい目つきになり、本題に入りました。

「それで、今日お越しになった本当の目的は僕が作った衣装の件なんだよね。」

「単刀直入に言います。衣装を譲ってください。お願いいたします。」

 私は深く頭を下げながら、クリス伊藤さんにお願いしました。

「やはり、そう来たんだね。でも僕だって簡単には譲らないよ。なぜなら、ここにある衣装はアイドル達が日々ステージで輝くために試行錯誤して作りあげたものばかりなんだよ。君が頭を下げて『衣装を譲ってください、お願いいたします。』と言ったところで、僕が『はい、どうぞ。』と言って渡すと思った?」

 その言い方はあまりにも一瞬にして人の心を凍り付かせるような感じでした。

「いえ、そこまでは・・・。」

 私は緊張のあまり、それしか返事が出来ませんでした。

「なら、僕のブランド衣装のことでどれだけ知っているか試させてもらおうかな。」

「はい、よろしくお願いします。」

 私が「月刊ストリートダンス」の雑誌やインターネットの資料を広げた瞬間、クリス伊藤さんは「雑誌や資料を用意したってことは、少しは勉強をしてきたんだね。」と言ってきました。

「私、この日のために、いろいろと調べさせて頂きました。」

「なら、僕の質問に答えられるはずだよね。」

 クリス伊藤さんは、ドラマに出てくる悪役ような目つきで私を見ました。

 どうしよう。こんなに緊張したの初めて。

「どうしたのかな、僕の質問に答えられないのかね?」

「そんなことはありません。よろしくお願いします。」

「では、質問するね。『月刊ストリートダンス』の特集の記事に紹介されていた衣装のコーデの名前は?」

「ミラクルレインボーコーデ。」

「正解。」

「では、どんなデザインか答えてくれる?」

「ミニスカート、半袖パーカー、ショートグローブ、ブーツまですべて虹色に染まっている。」

「正解。」

 その後、クリス伊藤さんは私に対して、いじわるな質問を出していきました。

「では、次の質問を出そうかな。」

「はい・・。」

「緊張しているみたいだけど大丈夫?」

「大丈夫です。」

「では、質問出すね。僕の高校時代のことについて答えてくれる?」

「クリス伊藤さんは、高校時代ダンスで始まって、ダンスで終わる生活をしていました。部活もダンス研究部に入って、秋のダンス甲子園では優勝を決めました。」

「さすが、よくここまで調べたね。」

「では、これで最後の質問にするね。」

「お願いします。」

「僕は高校卒業したあと、服飾専門学校へ行ったんだけど、その卒業後にはどこへ行ったか分かる?」

「ニューヨークへ行って、4年間修業してた。」

「正解。では、約束通り君に新しい衣装を新調してあげるよ。君、すまないけど、彼女の体を採寸してくれないか?」

 クリス伊藤さんは、エプロン姿の女性に私の体の採寸をするよう言いました。

 私は女性と一緒に空き部屋に連れていかれて、メジャーで体のサイズを測ってもらいました。

 女性はサイズが書かれているメモ紙をクリス伊藤さんに渡しました。

「先生、こちらが彼女のデータになります。」

「ありがとう。」

 クリス伊藤さんは渡されたメモ紙をジャケットのポケットにしまい込み、黒沢先生と話を続けました。

「では、早速作成に入りますが、仕上がった衣装はいつも通り学校へお届けする形でいいですか?」

「はい、そのようにお願いいたします。」

「ちなみ彼女のステージは、いつごろなのかご存知ですか?」

「正直まだ分かりませんが、日程が決まりましたら、すぐにご連絡をいたします。」

 私と黒沢先生が帰る準備をしようとした瞬間、クリス伊藤さんは「このお菓子、置いていてもゴミになるだけなので、よかったら持ち帰ってほしいんだけど。」と言いました。

「それでは、お言葉に甘えて頂きます。」

 私は少し遠慮ぎみで返事をしました。

「君、お菓子を袋に入れて彼女に渡してあげてくれないか?」

「かしこまりました。」

 女性は透明なビニール袋に余ったお菓子を入れて、私に差し出しました。

「お菓子、ありがとうございます。」

「では、数週間ほどお待ち頂きましたら、お届けしますので。」

「それでは、よろしくお願いします。」

 黒沢先生はクリス伊藤さんに頭を下げたので、私もそのあと続いて頭を下げました。

 私と黒沢先生が車に乗った直後、クリス伊藤さんは駐車場の出入口で軽く手を振って見送ってくれました。


 疲れたのか、私はそのまま助手席で眠ってしまい、目が覚めた時には家の前に止まっていました。

 黒沢先生は私の肩を数回たたいて起こしました。

「虹村、虹村、着いたぞ。」

「あれ、ここって学校ではないですよね。」

「気持ちよさそうに寝ていたから、家まで送ってやったよ。」

「すみません、ありがとうございます。」

「忘れ物はないか?」

「それは大丈夫です。」

「じゃあ、気を付けて帰れよ。」

「ありがとうございます。先生も気をつけて帰ってください。」

 私は黒沢先生の車を見送ったあと、玄関に向かいました。


 翌週の月曜日には雪子の二次試験を受ける日だったので、フラワードールのデザイナーであるアリスさんのアトリエに行くことになりました。

 その日の午後は飛鳥先生も黒沢先生も授業があって抜けられないので、プロデューサーである工藤泰子さんが雪子を乗せる日となっていました。しかし、その日に限って運悪く工藤さんの車は車検に出してしまったので、急きょディーラーに頼んで代車を借りてきたのです。

 雪子は工藤さんと一緒に駐車場に向かったのですが、その先にあった車は<デイズ>と書かれた白い軽自動車でした。

「私の車、本当はミニバンなんだけど、今日に限って車検だったから、急きょディーラーで軽自動車を借りてきたの。」

 工藤さんは誰にも聞かれていないのに、なぜか雪子に言い訳をぶつけていました。

「いえ、大丈夫です。こっちは乗せてもらう立場やさかい、気にしてまへん。」

「それなら良かった。早く車に乗って。」

 雪子は後部座席に荷物を置いて、助手席に座ったあと、工藤さんは校門を出て車を十日市場の方角へと走らせていきました。

 しかもその日に限って昼間から道路工事があり、渋滞するありさまでしたが、まったく動かないわけでもなかったので、そのままゆっくりと進んで行きました。

 工事車両を動かしている人たちが、しんどそうな顔をしながら作業している中、渋滞のイライラが募ってヤジを飛ばして通り過ぎる人もいました。

 カーナビの時計はすでに午後1時45分を回っていたが、工藤さんは嫌な顔を一つ見せずにそのまま工事現場の横を通り過ぎていき、十日市場駅のわきで車を停めて、カバンからスマホを取り出してアリスさんにつなげました。

「もしもし、フラワードールのアリスですが・・・。」

「私、横浜北フェアリー女子学園でプロデューサーを勤めています、工藤泰子と申します。」

「どうも。工藤さん、どうされたのですか?」

「今日2時にお会いする約束を頂戴したのですが、あいにく道路渋滞につかまってしまい、お約束の時間に間に合わなくなってしまいそうなんです。」

「そう。それで何時ごろ到着されるのですか?」

「今、十日市場の駅前なので、順調に向かえば5分ほどで到着すると思います。」

「わかりました。気をつけてお越しになってください。」

 電話を切ったあとの工藤さんは、無言のままギアをドライブに入れて、車を走らせていきました。

 車は幹線道路を横切って、静かな住宅街の中をぬけていきました。

 少し古びたマンションの横を通り抜けた先に、白くて童話に出てきそうな可愛らしい家が見えてきました。入口には<フラワードール>とポップな文字で書かれた看板が立っており、工藤さんは雪子を降ろして、駐車場へ向かいました。

 雪子はドアチャイムを鳴らすかどうか一瞬ためらっていましたが、その直後、工藤さんが後ろからドアチャイムを鳴らしました。

「はーい、どちら様でしょうか。」

 ドアから使用人と思われる人が出てきました。

「こんにちは、横浜北フェアリー女子学園の工藤と寺西と申します。本日先生のステージ衣装の件で参りました。」

「工藤様、お待ちしておりました。さあ、中に先生がお待ちしておりますので、こちらでスリッパに履き替えてお入りください。」

 雪子と工藤さんはスリッパを履いたあと、細長い廊下をゆっくり歩いていきました。

 ところどころに洋人形がガラスのショーケースに飾られているのが怖さを増していくように感じました。

「こちらで先生がお待ちでございます。」

 使用人はドアを数回ノックして部屋に入り、雪子と工藤さんを通しました。

「失礼します。先生、横浜北フェアリー女子学園の工藤さんと寺西さんをお連れしました。」

 中に入ると、30代前半と思われる女性が古びたロッキングチェアに座ってくつろいでいました。

「ご苦労。すまないが、紅茶とケーキを3人分お願い。」

「かしこまりました。ただいまご用意いたします。」 

 使用人は軽くお辞儀を済ませたあと、部屋をあとにして厨房へと向かいました。

「ずっと立ってもらうと落ち着かないから、こちらのソファに腰かけてくれる?」

 アリスさんは雪子と工藤さんを茶色いソファに座らせ、話を本題に移しました。

「それでは、さっそく本題なんだが、今日ここに見えたのはお茶が目的ではないのはわかっている。」

「はい、実は寺西に先生のステージ衣装を譲って頂きたいと思って、お願いに参りました。つきましては先日学校で行われた一次試験の模様をご覧になって頂きたいと思っています。」

 工藤さんはアリスさんにDVDを渡して、ダンスと歌のテストの様子を見てもらうことにしました。

 アリスさんは部屋に置いてあるノートパソコンを起動して見ることにしました。

「寺西さん、あなたの出身は関西?」

「はい。うち京都出身で、実家は和菓子屋どす。」

「自己紹介の時に方言は使わない方がいい。」

「はい、気ぃつける。」

「言ったそばから方言を使っている。確かにその方が可愛いかもしれないけど、かえって逆効果になる時もある。だから、なるべくなら標準語を使って欲しい。」

「はい、分かりました。」

「私も同じ京都出身だから、あなたの気持ちはよく分かる。これからお客を相手にお仕事をするわけなんだから、方言は控えてほしい。」

 アリスさんは雪子に注意したあと、DVDの映像を見ることにしました。

 映像を見終わったあと、アリスさんは雪子と工藤さんに「一通り見させてもらった。ダンスも歌も申し分がない。」と感想を言いました。

 そのあと、使用人が紅茶とケーキを運んできて、一休みをして面談に入りました。

「では早速本題に入るけど、寺西さんは私のブランドのステージ衣装を着てみたいと思ったきっかけは何かな?」

「私、幼い時から洋人形で遊ぶのが好きだったのです。人形に可愛い洋服を着せていくうちに、自分も人形のように可愛い洋服を着てみたいと思う気持ちが強くなったのです。そんなある日、私は本屋さんで『月刊ロリータ』で先生のブランドを目にして、着てみたいと思いました。」

「そうだったのですね。では、もう一つ聞きたいのですが、あなたがアイドルになってステージで歌いたいと思ったきっかけは何?」

「私が中学生になって最初の大型連休の時、部屋でたまたま歌番組を見ていたら、先生のブランドの衣装を着て、歌って踊っていたアイドルが出てきたので、私も先生の衣装を着て、ステージで輝いてみたいと思いました。」

「そうだったのね。最後にこれは『月刊ロリータ』からの問題だけど、先月号の特集で紹介されていたコーデの名前を答えてもらえる?」

 雪子は一瞬考えました。

 なぜなら、こんな質問が来るとは想定外だと思っていたからなのです。

「どうされたのですか?毎月買って読んでいるのでしたら、簡単に答えられるはずでしょ?」

 アリスさんは少しいじわるそうに言いました。

 雪子はもう絶体絶命の状態でいました。

 その時、カバンから雑誌を取り出そうとした瞬間、アリスさんは「寺西さん、これは試験です。ご自分の力でお答えになってください。」と厳しく言いました。

 再び雪子は考えだしました。

 その時、雪子の頭の中にピンクと赤のワンピースで、スカートにさくらんぼのデザインが施されているファッションが浮かんできました。

 提灯袖とフリルのスカートが特徴的・・・。

「どうされたのですか?早く答えてちょうだい。このまま黙っていますと、不合格にしますよ。」

「先生、あともう少しだけ待ってください。」

「わかりました。では、あと3分だけ待ちましょう。」

 アリスさんは机の上に置いてあるピンクの砂時計をひっくり返し、待つことにしました。

 あともう少しだけで出てくる。雪子はもう少しと自分に言い聞かせたとたん、写真に乗っていた黒い文字が目に浮かんできました。

「先生、分かりました。」

「では、言ってごらんなさい。」

「スペシャルチェリーフリルコーデです。」

「正解です。でも、今度はすぐに答えられるようにきちんと勉強してきてくださいね。では約束通り、あなたに衣装の新調をしてあげますので、隣の部屋に来てもらますか。」

 アリスさんは雪子を工房のある部屋に連れていき、体の採寸をしました。

「あなた、出身は京都って言ったわよね?」

「はい。」

「京都のどの辺?」

「祇園四条です。」

「もしかして、京阪の?」

「はい。」

「私は出町柳よ。わりと近くなんだね。」

「そうですね。」

「もう、試験じゃないんだから方言使ってもいいわよ。」

「ありがとうございます。」

「採寸、終わり。」

 アリスさんの表情はすでに和らいでいました。

 お茶を済ませて雪子と工藤さんが出発するころには、すでに夕方近くになっていました。

「それでは工藤さん、出来上がった衣装はいつものように学校にお届けすればいいのですね。」

「はい、ただアイドル科と普通科は受付が異なりますので、それだけはご注意ください。」

「承知いたしました。」

「それでは、私たちはこの辺で失礼します。」

 雪子と工藤さんはアリスさんに一礼をしたあと駐車場へ向かい、そのまま車に乗って帰りました。

「そう言えば、寺西さんの家はどこ?」

「うちは寮どす。」

「寮ね。了解。」

 工藤さんはそのまま、車を寮の方角へと走らせていきました。

 助手席に座っている雪子は疲れたのか、そのまま眠ってしまいました。

 行くときに通った工事現場もすでに終わっていて、アスファルトもきれいになっていたので、とても走りやすい状態になっていました。

 寮に着くころには日が暮れていて、外では街灯がともされていました。

 工藤さんは雪子の肩を数回たたいて起こしました。

「寺西さん、寮に着いたわよ。」

 雪子は眠い目をこすりながら、あたりを見渡しました。

「寮に着いたんどすか?」

 しかし雪子の頭はまだ寝ぼけたままでした。

 少したって自分がいる場所が寮とわかった途端、カバンを持って工藤さんにお礼を言いました。

「工藤はん、今日はお世話になりました。」

「こちらこそ。今日はゆっくり休んでね。」

 雪子は工藤さんの車を見送ったあと、自分の部屋へ戻りました。

 

 2日後の水曜日、その日は朝から雨で、ずっとやむことはありませんでした。

 午後からは佳代子のデザイナーさんによる二次試験がありました。

 昼休み、佳代子は教室で「月刊スクールファッション」の雑誌を読んでいて、その真ん中にある特集の記事を念入りにチェックしていました。

 佳代子はデザイナーさんからコーデの名前を聞かれることをすでに予測していたのです。

 他にもデザイナーさんのインタビューのコメントなどを念入りにチェックしてはページの部分に付箋を貼っていきました。

 昼休みが終わるころ黒沢先生が教室へ入ってきて、出発の準備を促してきました。

 午後の授業は公欠となり、黒沢先生の車に乗ってキヨミさんのアトリエに向かいました。

 車はフロントガラスの雨粒をワイパーで拭きながら、青葉台駅前を通り抜け、国道246号線を東へと走っていき、江田駅から港北ニュータウンの中を走って行きました。

 雨は時々強く降り、まるで滝の中にいるような気分でした。

 その間も佳代子はスマホを取り出しては、自分のブランドのことを念入りにチェックして、デザイナーさんの質問に答えられる準備をしていきました。

 横浜市営地下鉄のセンター北の駅前を通り過ぎたあと、古い街道を通り抜けた先に、小さなマンションが見えてきました。

 黒沢先生はマンションの前に車を停めて、カーナビで住所を再確認しました。

 場所が合っていることを確認したら、すぐにマンションの管理人さんに駐車許可をもらって、少し離れた場所にある来客駐車場へと向かい、車を置くことにしました。

  

 マンションの入口に着くと、頑丈なセキュリティーがかかっており、部屋の番号を押さないと自動ドアが開かない仕組みとなっていました。

 黒沢先生は部屋の番号と呼び出しボタンを押すと、スピーカーから若い女性の声が聞こえて「どちら様でしょうか。」と尋ねられました。

「横浜北フェアリー女子学園からやってきました、黒沢と長岡です。今日は先生とのお約束を頂戴していますので、お会いしたい次第でございます。」

「かしこまりました、どうぞ中へお入りください。」

 黒沢先生と佳代子は自動ドアの先にあるエレベーターで7階まで向かい、そこから通路を奥まで歩いていくと、入り口には<ストロベリーハイスクール>と書かれた小さな看板がありました。

 改めてドアチャイムを鳴らすと、紺のセーラー服に白いエプロン姿の若い女の子が現れてきました。

 見た目は、まだ10代って感じで、まだ幼さが残っていました。

「お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りになってください。」

 女性は黒沢先生と佳代子を奥にある書斎へと連れていきました。

 中は本棚があり、そこには専門書と思われる本がビッシリと収まっていました。

「先生、横浜北フェアリー女子学園の黒沢様と長岡様をお連れしました。」

 そこには木製の椅子に座って雑誌を読んでいる、キヨミさんがいました。

「よろしい。すまないが、一度下がってくれないか。」

「かしこまりました。」

 女性は一度先生の部屋を出て、別の部屋に向かいました。

「立ち話だと落ち着かないから、奥のソファに座ってくれないか?」

「今日参ったのは、先生にこちらをご覧になって頂きたいと思ったからです。」

 黒沢先生と佳代子は少し緊張しながら、奥にある黒いソファに座り、DVDを渡しました。

「このディスクは?」

「先日学校で実施いたしました新着衣装の一次試験の映像です。こちらの映像をご覧になって頂いて、是非先生のご感想を頂きたいと思っています。」

 キヨミさんは黒沢先生からDVDを受け取り、ノートパソコンを用意して映像を見ました。

 待つこと30分、やっとキヨミさんからの感想が出ました。

「試験の映像を見させて頂きました。ダンスに関してはリズミカルに踊れていたし、歌に関しては、この年齢で透き通った声を出せるなんて驚いたわ。」

「ありがとうございます。」

「あなた、ボイスレッスンか何かをされていた?」

「幼少期から音楽教室へ通わされていて、ボイストレーニングをやってきました。」

「そうなんですね。そう言えば長岡さんは、うちのブランドを選んだ理由って何かあるの?」

「『月刊スクールファッション』の特集の記事で先生がデザインした衣装が紹介されているのを見て、着てみたいと思いました。」

「私がデザインした衣装は学生服をイメージしたものがメインで、セーラー服やブレザーなど様々なの。」

「そうなんですね。」

「ギャル系から清楚系のものまで、アレンジをきくようにしてるの。良かったら見てみる?」

「是非、見せてください。」

 佳代子はキヨミさんと一緒に少し広めのクローゼットに案内されました。

 中に入ってみると、セーラー服やブレザーの形をした衣装がズラリと並んでいました。

 色も派手目のものから地味なものまであり、中にはパーティグッズ売り場にありそうな不自然な色の衣装も置いてありました。

「この中で着てみたい衣装ってある?」

「試着させてくれるのですか?」

「もちろん。」

「では、この紺のブレザーを着させてもらっていいですか?」

「ええ、いいわよ。スカートはこの長さでいい?」

 キヨミさんは紺と緑のチェック柄のミニスカートを用意してきたのですが、佳代子はスカートの短さに一瞬びっくりしました。

「先生、このスカート結構短いですよね。」

「これくらい普通よ。それに黒いルーズソックスで組み合わせてもいいんじゃない?」

「そうですよね。」

 佳代子は言われるままにキヨミさんが用意した衣装に着替えました。

「先生、どうですか?」

「とても似合っているわよ。」

「ありがとうございます。」

「この状態で申し訳ないけど、私からの質問に答えてくれる?」

「これって、二次試験ですか?」

「そうなるわね。」

 キヨミさんは私を連れてソファに戻りました。

「では、改めて質問出すね。私が今までデザインした衣装やアクセサリーは全部でどれくらいある?」

「132ですか?」

「惜しい。133種類。ニアピン賞だね。」

「そうですね。」

 佳代子は苦笑いをしながら返事をしました。

「次の質問を出すね。高校を卒業したあと、私はどうしたのか、答えてくれる?」

 佳代子は一瞬考えました。

「どうしたの?これ先月号の特集の記事に載っていた内容よ。」

 まさか先月号の記事を持ち込むなんて想定外でしたので、佳代子は一瞬考えてしまいました。

「あと3分だけ待つわ。」

「わかりました。」

「答えてください。」

 佳代子は頭の中に電球が光ったように、答え始めました。

「高校卒業後、親戚が営んでいる洋裁店に行って服飾の修行を始めた。22歳になって、親戚の紹介で大阪にある学生服の工場で勤務。25歳で独立し、今の工房を持つようになった。」

「正解。よく思い出せたわね。」

 その後、キヨミさんは次々と佳代子にいじわるな質問を出し続けていきました。

「これ、最後の質問ね。」

「今月号に紹介されていたコーデの名前は?」

「ピンキーギャルコーデ。」

「正解。では、このコーデの特徴は?」

「極端に短いスカートとピンクの胸のリボンです。」

「これも正解。」

「全部答えたご褒美にこの衣装をプレゼントしちゃうね。」

「ちょっと待ってください。新しい衣装の新調は?」

 佳代子はあわてた感じでキヨミさんに言いました。

「大丈夫よ、これからしてあげますから。」

 キヨミさんは再び、工房へ佳代子を連れていき、引き出しからメジャーを取り出して体の採寸をしていきました。

「キヨミ先生、この衣装本当に頂いてもいいのですか?」

「もちろん、いいわよ。」

「その代わり、新着衣装のお披露目ライブがあったら、是非招待してちょうだいね。」

「それは是非。先生には特等席をご用意しておきますよ。」

「楽しみにしているわ。」

 採寸が終わったあと、佳代子は制服に着替えて黒沢先生のところに戻りました。

「黒沢先生、衣装はいつも通り学校へお届けすればよろしいですか?」

「はい、そのようにお願いいたします。」

「キヨミ先生、衣装ありがとうございました。」

「では、我々はこの辺で失礼します。」

 佳代子と黒沢先生はキヨミさんに軽くおじぎをしたあと、エレベーターで見送られ、そのまま駐車場へ向かいました。

 外を見ると、雨が上がっていて雲が晴れていました。

 雲の隙間から月が見えていて、とても神秘的に思えてきました。

「家まで送るから、車に乗れ。」

「よろしくお願いします。」

 佳代子はそのまま助手席に座りました。

「ところで、お前の家ってどこなんだ?」

「言っていませんでしたっけ?」

「聞いてないけど?」

「私の家はすすき野団地。」

「すすき野団地と言ったら、虹村の家の近くじゃないか。そっちに向かえばいいんだね。」

 黒沢先生は佳代子に確認をとるかのように言って、車を走らせました。

 帰りの車の中は特に会話することも音楽をかけることもなく、終始無言のまま、佳代子の家へと向かっていきました。

 車は団地の入口でハザードランプをつけて止めて、佳代子を降ろしました。

「先生、今日はお世話になりました。」

「明日も授業があるんだし、今日はゆっくり休めよ。」

 黒沢先生は警笛を一回鳴らして、走り去っていきました。

 部屋に戻った佳代子はキヨミさんからもらった衣装をハンガーにかけて、クローゼットにしまい込み、部屋着に着替えたあと、食事をして寝てしまいました。

 


7、サイバーグラスとカラーコンタクト


 学校にステージ衣装が届いて1週間が経ち、季節は梅雨に入り、制服も夏服になりました。

 普通科ではそろそろ期末試験が始まろうとしていたので、教室でも外でも教科書や資料、単語カードに目を通す人が目立ってきました。

 一方、私たちアイドル科はと言いますと、一般科目の大きな試験はありませんが、授業で時々小テストを行う程度になっていて、メインの試験はダンスや歌になっています。

 放課後、私が家に帰ろうとしたら、飛鳥先生に廊下で呼び止められました。

「先生、どうしたのですか?」

「実は、そろそろ虹村の初ステージを考えているんだよ。」

「本当ですか!?」

「ああ。お前、ここんところ頑張っているからな。それで一つ気になったけど、眼鏡を外してステージに出てもらうことは出来ないか?」

「それはちょっと・・・。私、視力が悪くて、外すとほとんど見えなくなってしまうのです。」

「そっかあ・・・。」

「眼鏡をかけていたら、ステージに立てないのですか?」

「そうじゃないけど、ステージの上では眼鏡姿だと衣装が栄えないんだよ。そこで先生から提案なんだけど、知り合いが眼鏡店をやっているから、そこでサイバーグラスを作ろうと思っているんだよ。」

「サイバーグラスですか?」

「ま、平たく言ってしまえばゴーグルに電子回路の模様が付いて、しかもLEDで光るんだよ。結構かっこいいと思うよ。」

「それなら、かけてみたいです。」

「本当は今日って言いたいんだけど、実はこのあと職員会議があるから明日にしてくれないか。」

「わかりました。」

「あ、これは違う話なんだけど、明日の朝のホームルームで言うつもりだったけど、全員にカラーコンタクトを作ってもらおうと思っているんだよ。」

「コンタクトと言いますと、目に入れるんですよね?」

「大丈夫。先輩たちも全員やってきたわけなんだし、それに初めての人のために眼科医からの指導もあるから。」

「そうなんですね。」

「あ、でも。これは明日の朝のホームルームまで絶対にナイショだからね。」

 飛鳥先生はそう言って、職員室へ戻りました。


 教室へ戻って帰る準備をしていたら、雪子が私に声をかけてきました。

「ミカちゃん、さっき飛鳥せんせと何話しとったん?」

「実は、眼鏡のことで・・・。」

「眼鏡がどないしたん?」

「実は、眼鏡だとステージで衣装が栄えないから、サイバーグラスを作るんだって。」

「そうなんだ。それで、いつ作るん?」

「明日の放課後だって。」

「そうなんや、出来上がったら見してくれる?」

「いいよ。」

「ほなうち、寮やさかいこっちのバスに乗るなぁ。」

「うん、また明日ね。」

 私は雪子と別れたあと、1人で青葉台駅に向かうバスに乗って帰ることにしました。

 電車に乗る前、私はレンタル屋さんの会員証を作って、洋楽CDを借りることにしました。

 家に帰って洋楽CDを聞いてみたら、思わずうっとりするような音色でしたので、そのまま椅子に座ってうたた寝をしてしまいました。

 しばらくすると、私の肩を数回たたいてきた人がいました。

 うっすらと目を開けてみたら、目の前にはおばあちゃんが立っていたので、思わず椅子から転げ落ちそうになったので、それを支えてくれました。

「大丈夫?」

「ありがとう、おばあちゃん。」

「ご飯が出来ているわよ。」

「うん、今行くね。」

 その日は普段、絶対に作らない野菜スープが置いてあったので、私は思わずびっくりしてしまいました。

「野菜スープを作るなんて、珍しいね。」

「今日野菜が安かったからね。」

「そうなんだ。」

「さ、さめないうちに食べましょ。」

 そう言って、いつものように食事中は終始無言のまま箸やスプーンなどを進めていきました。

 ご飯を食べ終えて、部屋に戻ろうとした時、おばあちゃんが私を呼び留めました。

「ミカちゃん、お部屋に戻る前に少しだけ付き合ってくれる?」

「どうしたの、おばあちゃん。」

「あなた、もうじき初ステージなんでしょ?」

「うん。」

「練習はどうなの?」

「順調よ。」

「ここんところ、帰りが早いから少し気になっていたの。」

「近くにある虹ヶ丘公園で練習しているから。」

「それならいいけど。それより学校のホールは使わせてくれないの?」

「他の人が使っているから、なかなか練習もできないの。」

「それなら、あとで杏子さんに言わないとだめね。あの人は校長になってから学校のことを何一つやっていないんだから。」

 おばあちゃんはブツブツと不満をこぼしていました。

「おばあちゃん、そろそろ部屋に戻ってもいい?」

「ええ、いいわよ。」

 そのあと私は風呂に入って、部屋でくつろいで眠ってしまいました。


 翌日の放課後のことです。

 私の席に飛鳥先生がやってきました。

「虹村、今日って時間が取れるか?」

「はい、大丈夫ですけど・・・。」

「そっかあ、よかった。青葉台の駅前に私の知り合いが経営している眼鏡店があるんだよ。そこでサイバーグラスを作ろうと思っている。もちろん、帰りはお前の家まで送るよ。」

「わかりました。よろしくお願いします。」

 私は飛鳥先生と一緒に職員用の駐車場へ向かい、<キックス>と書いてある白いSUVに乗って青葉台駅に向かいました。

 飛鳥先生は駅前の外れにある有料駐車場に車を停めて、駅の方にある小さな眼鏡店へ向かうため、横断歩道を渡って歩いていきました。

 飛鳥先生は店の中へと入っていき、「こんにちは、みゆきちゃんいる?」と声をかけました。

 店の人は「こんにちは」と言うなり、飛鳥先生を見たとたんに驚いた表情を見せました。

「翔子、久しぶりじゃない。どうしたの?」

「実はね、今日私の教え子に度入りのサイバーグラスを作ろうと思ってやってきたの。」

「そうだったんだね。」

「在庫あるんでしょ?」

「あるわよ。じゃあ、早速視力検査からいきましょうか。」

「よろしくお願いします。」

「よろしくね。」

「あの、その前にお金なんだけど・・・。」

「その心配はいらないわ。お金なら学校に請求するから、あなたは何の心配もいらないの。」

「そうなんですね。」

「あと、よかったらあなたのお名前も聞いてもいい?」

「私は虹村ミカです。」

「ミカちゃんね。じゃあ、こっちに来てくれる?」

 私は店の人と一緒に検査室に連れていかれ、視力検査を始めました。

「両方とも0.2かあ。あと乱視も強いわね。」

 店の人は眉間にしわを寄せながら言いました。

「普段からスマホいじっているでしょ?」

「はい。」

「やっぱりね。」

「ゴーグルを作るのは難しいですか?」

「そんなことはないわ。ただちょっとだけ日数が必要かなって思ったの。」

「そうなんですね。どれくらいかかりますか?」

「そうねえ、1週間あれば出来上がると思うから。」

「わかりました。その頃に引き取りに来ますので。」

 私は店の人から引き取り証を受け取って店を出ようとした瞬間でした。

「みゆきちゃん、悪いんだけど度なしのサイバーグラスも追加でいい?」

「そう言うことは先に言ってちょうだいね。それで、度なしのサイバーグラスはどうするの?」

「度入りが出来上がったら、一緒に彼女に渡してあげてちょうだい。」

「わかりました。」

 飛鳥先生は店の人と会話をしていましたが、その時の私は2人がどんな会話をしていたのかは知るよしもありませんでした。

 店を出て、私は飛鳥先生に店の人とどんな会話をしていたのか聞いてみると、出てきた返事は「ひ・み・つ」ともったいぶった感じで答えていたので、これ以上は聞くことをやめにしました。

 駐車場へ戻って私は飛鳥先生の車に乗って、家まで送ってもらうことになったのですが、飛鳥先生は私に念を押すような感じで「明日のホームルームに話すこと、誰にも言ってないよね?」と聞いてきました。

 私はうんざりした感じで「そんなに心配なら、ホームルームまで言わない方がよかったんじゃないの?」と言いました。

「確かにそれは言えてるけど。」

「カラコンのことそんなに極秘なんですか?」

「そうじゃないけど・・・。なんていうか、ホームルームの時に話すネタが無くなるから。」

「そうなんですね。カラコンのこと言われたら、明日のホームルームに話すネタがゼロになるんですか?」

「そんなことないわよ。」

 私は飛鳥先生の言っていることに呆れかえってしまい、何も言い返せなくなりました。

 家に着いたころには日没前になっていました。

「先生、どうもありがとうございました。」

「じゃあ、また明日学校でな。」

「気を付けて帰ってください。」

 飛鳥先生は軽く警笛を一回鳴らしたあと、団地をあとにしました。

 

 翌朝のホームルームのことです。

 飛鳥先生は早速、カラコンの話題を持ち掛けるなり、プリントを渡しました。

「今渡したプリントはカラコンの色を決めてもらうものだ。1人3色は選んでもらいたい。」

「先生、質問いいですか?」

「カラコンは強制なんですか?」

「ま、一応そうなる。確かに目に入れるとなると抵抗を感じる人もいるが、これはアイドル科全員がやってきたことだから、割り切ってもらいたい。」

 彼女はしぶしぶと「わかりました」と返事をしました。

「色のサンプルは別紙のカラーコピーを参考にしてもらいたい。」

 カラーコピーの色のサンプルを見てみると、いろんな色がズラリと並んでいました。

 私はどの色にするか迷っていましたが、選んだ色は赤とピンク、黄色にして飛鳥先生に提出しました。

「なあ、ミカちゃんはカラコン何色にしたん?」

 私が席に着いた直後、雪子が私に声をかけてきました。

「私は赤とピンク、黄色にしたよ。」

「そうなんや。うちは、水色と黄緑、黒にしたで。」

「結構派手目にしたんだね。」

「ミカちゃんだって、結構派手やん。」

 その時、飛鳥先生は平手でホワイトボードを一回叩いて、静かにさせました。

「はい、そこ静かにする!ホームルームは終わっていないんだよ!」

 飛鳥先生はみんなに注意したあと、再び説明を続けました。

「それで、今日の放課後なんだが、申し訳ないが保健室で眼科検診を受けてもらう。終わった人から順に帰ってよし。そこまでで質問のある人はいるか?」

 しかし、誰も手を挙げる人がいなかったので、そのままホームルームは終わりとなりました。


 そして迎えた放課後、私たちは飛鳥先生と一緒に保健室へ向かうことにしました。

 中へ入ると消毒の匂いが漂ってきて、私の鼻をいい感じに刺激してきました。

 私の順番がやってきたので、眼科の先生の前で丸い椅子に座り、大きく目を開けて見せました。

 眼科の先生はスポットライトを目に当てて、私の目の中をのぞき込むような感じで見ていきました。

 異常がないとわかったら次の人を呼び、私が家に帰ろうとした瞬間、雪子が声をかけてきました。

「ミカちゃーん、一緒に帰ろう。」

「うん。」

「眼科検診、あっちゅうまだったね。」

「うん。」

「カラコン、届くの楽しみやな。」

「先生は明後日届くって言っていたみたいだったよ。」

「ところで、ミカちゃんはカラコン度入りにしたん?」

「うん。私、普段から眼鏡かけているから。」

「そうなんやな。うちは、視力がええ方やさかい、度なしにしたで。」

「視力がいい人が羨ましい。」

「そうなん?そう言うのって日帰り手術やらで治せへんの?」

「そんなことを家で話したら反対されるよ。パソコンやスマホをやり過ぎた自分が悪いって言われるから。」

「ミカちゃんの両親って厳しいんやなあ。」

「そうなの。」

「ちなみに、今一緒におるおばあちゃんはどうなん?」

「それなりに厳しいよ。」

「そうなんやな。」

「うん。」

「ほな、私寮やさかい、先に帰らしてもらうなぁ。」

「じゃあまた明日学校でね。」

 私は雪子と別れたあと、送迎バスで青葉台駅まで向かい、そのまま寄り道せずに家に帰ることにした。


 そして明後日の午後、臨時のロングホームルームの時であった。

 飛鳥先生は青いプラスチックの折りたたみ容器に入った、人数分のカラーコンタクトを台車に載せて、女性の眼科の先生と一緒にやってきた。

「今日の午後は臨時のホームルームにした。先日申し込んだ、カラーコンタクトも届いている。名前呼ばれた人から取りに来るように。それと受け取ったら必ず中身を確認すること。」

 飛鳥先生はプラスティック容器からカラーコンタクトの入ったチャック付きのビニール袋を取り出して名前を読み上げていきました。

「次、虹村。」

「はい。」

 私は飛鳥先生からカラーコンタクトの入ったビニール袋を受け取り、自分の席に戻りました。

 全員がカラーコンタクトを受け取ったあと、今度は眼科の先生からの説明が始まりました。

「カラーコンタクトと言っても普通のコンタクトレンズと変わりはありません。目に装着して少しでも異常を感じたら、装着をやめてください。また装着する前は爪を短くし、必ず手を洗うこと。コンタクトレンズは一度装着すると汚れてしまいます。使用後は消毒しておいてください。」

 眼科の先生の説明が終わったあと、飛鳥先生は質問がないか確認したので、私は手をあげました。

「虹村、なんだ?」

「付属の消毒液が無くなったら、新しい消毒液は自己負担になるのですか?それと、ケースも自己負担になるのですか?」

「ケースはこれからみんなに配る。消毒液はなくなった時点で私のところに申し出るように。」

「わかりました、ありがとうございます。」

「他に質問ある人はいないか?」

 他に質問がなかったので、飛鳥先生は私たちが使うカラーコンタクトのケースと、それとは別に練習用のコンタクトレンズが入ったケースも配りました。

「今、みんなが扱うカラコンのケースとは別に練習用のレンズが入ったケースも渡した。初めての人もいるので、こちらで脱着の練習をしてもらう。それと事前に鏡を持参するように言っておいたけど、今日忘れた人はいるか?」

 その時、何人かの人が手を挙げたので、飛鳥先生は忘れた人の席に行って手鏡を渡していきました。

 そのあと、飛鳥先生は全員に手を洗わせて練習用のレンズが入ったケースの蓋を開けるよう、指示をしました。

「先生、この続きをお願いしてもよろしいですか?」

 飛鳥先生は眼科の先生にバトンタッチするかのような感じで後ろに下がりました。

 眼科の先生はホワイトボードの前で説明をしたあと、みんなの席を回りながら着け方を見ていきました。

「最初のうちはうまく入らないこともありますが、数をやっていくうちにうまく入っていきますので、その辺はご安心ください。」

 眼科の先生はそう言ったあと、再びホワイトボードの前に戻り、自分の腕時計を見て時間を確認しながら話を続けました。

「今日の説明で脱着がうまくいかなかった人は、のちほど保健室へ来てください。それでは今日の講習は終わりにします。」

 眼科の先生は、再び飛鳥先生にバトンタッチして保健室へ戻る準備をしました。

「脱着の練習するのは結構だが、くれぐれも事故だけは起こさないように。それとカラコンはステージ以外では絶対に着用しないこと。見かけたり報告があった時点で何らかの処分をする。では、今日のホームルームはここまで。」

「先生、出欠はとらなくていいのですか?」

 その時、誰かが確認するかのように言いました。

「あ、そうだった。」

 飛鳥先生は出席簿を開いて、ボールペンで出欠をとり始めました。

「今日は少し早いけど、そのまま帰ってよし。それと他のクラスは授業中だから静かに帰ること。」

 飛鳥先生はそう言って眼科の先生を連れて、いなくなってしまいました。

 私も帰る準備をして雪子と一緒にバス乗り場まで帰ることにしたのですが、疲れたのかお互い終始無言のままでいました。

「うち、寮やさかいここで。」

「うん。じゃあ、また明日。」

 私は雪子と手を振って別れて、1人音楽を聴きながら送迎バスで青葉台駅まで向かいました。

 電車に乗ったあとも疲れがたまってしまい、軽くうたた寝をしてしまいました。

 翌日以降、私は初ステージに向けて少しずつ練習や準備をしていきました。



 下巻へ続く 


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