29、それぞれの生活−1
ラティウス王子は婚約者キャメロンと共にいた。
「キャメロン嬢、この様なことになって申し訳ない」
「私のことより殿下随分おやつれになっていらっしゃいますわ…、お労しい、ご心痛お察し致しますわ」
「有難う、それより迷惑をかけてすまない」
現在、クリムト侯爵夫人だけではなく、王妃陛下に対する断罪を求める声は日に日に大きくなっている。今の見立てでは王妃陛下の王族籍剥奪は濃厚な状況だった。そして、国王陛下も似た状況である。現在国の要のデバール辺境伯領からヴァルトス・デバールを失い、多くの侵入者を迎え撃っている状態だ。長年デバール辺境伯の元で砦を護っていたので、国軍だけになっても今のところ問題は無かったが、敵からは英雄デバールがいなくなったことはおおきに勢い付かせる切っ掛けとなっていた。
本来であれば、騎士団で軍を編成し向かわせるところだが、騎士団長も交代したばかり人事の編成でごたついていた。更に国王、王妃に対する不満が募り、王宮近辺も市民が集まり緊迫した状態で兵を差し向ける余裕がなかった。
結果、マイヤー元騎士団長に隣接する辺境伯の地の指揮をとる様に命じた。
それも酷な話だと、更なる火種となっている。
その結果、バリー公爵家からラティウス王子とキャメロンの婚約を一旦白紙にしないか、と打診されたのだ。一臣下から王家との婚約破棄の申し入れなど本来であればあり得ないことだが、情勢はそこまで傾いていた。王家としてもバリー公爵家の後ろ盾を今失うわけにはいかないので、首を縦に振ることはなく平行線ではあった。ただ、その子供たちは振り回されてばかりだ。
キャメロンは父親から少し距離を取りなさい、と言われているが…、いざ婚姻となった時に距離を置いて仕舞えばその関係がギクシャクする事は目に見えている。されど、バリー公爵家も予言書の内容が明らかになると、娘を断罪するつもりの王家を信頼できるわけもなく、関係を続けるメリットもなかった。
ただ、ラティウス王子とキャメロンは婚約者となったその日から、親しい友人関係を築いてきただけに、両家の言う通りにスッパリと関係を断ち切れるほどドライにはなれなかった。
「辛い思いをさせてごめんね。無理はしないで…巻き込まれたら大変だと思う公爵の気持ちは分かるから」
「殿下…。わたくしは殿下は立派な方だと思います。そんな殿下を尊敬申し上げております」
「シーーー、今は誰に訊かれているか分からないから、迂闊に口にしてはいけないよ」
「もう、殿下ったら! 殿下はお優しすぎるのです! こう言ってはなんですが…、クリムト侯爵夫人のせいで何もかもが滅茶苦茶です」
「そうだね、でも王妃陛下もご自分で確認もせずクリムト侯爵夫人の話を鵜呑みにしすぎて、王妃の資質を問われるのは仕方ない事だと思っているよ」
「殿下! この様な場所でなりません! 殿下まで…お願いです、自暴自棄にならないでくださいまし。 お顔を色があまり宜しくありませんわ」
「ふふ、キャメロン嬢は優しいね。予言書の内容については知っているのだろう? アルベルだけじゃなく、あの予言書の通り実行されていればキャメロン嬢は1番の被害者になっていただろう、君はもっと怒っても良いと思うよ? ごめんね、辛かっただろう?」
「ふぅぅぅぅ、つ、辛かったです、苦しかった、絶望も味わいました。でも…殿下はいつだって誠実でお優しかった。 その…殿下が少しでもソフィアさんと、 その…気にかける素振りがあったとしたら、信じられなかったかもしれませんが、殿下は婚約者となったあの日から変わらず傍にいてくださる、だからわたくし自身の意思で今お傍にいるのです」
「そうか、感謝する…。キャメロン嬢の気持ちは分かった、だけど巻き込まれない様に上手く立ち回らなければならない。1番重要なことは君の安全だ、だから私のことより自分自身を大切にするのだ、いいね?」
「うぅぅぅ、こんなにもこんなにも殿下はお優しいのに…王妃陛下をお恨み致します、うぅぅぅ」
ラティウス王子は優しくキャメロンの肩を抱き寄せた。
ギルバートとリアーナも幼馴染だ。
派閥の関係で交友関係は限られている。互いに高位貴族に生まれ規制が多い中で許されることが勉学しかなかった。リアーナもアデレイド公爵家に生まれ、王妃教育をずっと施され生きてきた。結果、キャメロンが婚約者となった。だがリアーナにとっては好都合だった。リアーナは勉学に励むことは苦ではなかった。面倒な社交をするより机に向かっている方が楽だった。
それにギルバートと話をするのは楽しかった、他の人は小難しいことを言うリアーナを煙たがる、だけどギルバートは一緒になって夢中になって話をしてくれるから、時間を忘れて話し込むことが多かった。だから、ラティウス王子殿下の妃となるべく育てられたが、心の奥底ではギルバートと結婚したいと思うようになっていた。殿下がキャメロンと婚約した時、親には悪いが、これでギルバートと結婚できるかもしれないと内心喜んでいた。
婚約者として過ごす日々も、デートとは呼ぶことができない家庭教師を囲んでの討論会となっても充実していた。順調に行けば大好きなギルバートと結婚する。ギルバートも
「リアーナほど話が合う女性はいない。君に出逢えたことは奇跡だと思う。大好きだよ、リアーナ。私は偉そうに他者を見下している訳ではないけど、いつもそう誤解されるから人と話すのが少し苦手だったんだ、でもリアーナなら思ったことを口にしてもなんでも聞いてくれるから、凄く気持ちが楽になる、有難う。私たちきっと似た者同士だよね? これからも仲良くやっていこうね」
「ええそうね、私たちらしく仲良くやっていきましょうね」
他人にはわからないが、静かに親交を深めてきた。
あの予言書を見てショックを受けた。
ギルバートがソフィアに夢中になって私を捨てる!?
現実ではあり得ないと思っていたが、思ったよりショックを受けている自分がいた。
自分の中にこんなにも女性的な感性があると初めて知った。
ギルバートの見つめる先がソフィア…、ああ 私はギルバートに褒めて欲しくて頑張っていたのだ、ギルバートと話がしたくて相応しくありたいと努力していたのだ『ソフィアを害す貴様とは縁を切る!』理性的で冷静沈着なギルバートが恋に狂うなど信じられなかった。到底信じられなかったが同時に、私とは恋に落ちなかったけど他の女性とならギルバートは変わるのかも知れない…そう思うと怒りと不安でいっぱいになった。
リアーナは4人もの男たちを虜にすると言うソフィアを自分の目で確かめたくなった。
以前、王妃陛下のお茶会で会ったことはあったが、場違いな女 その程度で大した印象もなかった。
『あのお茶会は4人の男性とソフィアさんを近づけるためのものだったのね!!
どちらかと言うと、殿下とウィリアム様はアルベル様を気にかけていた様に見えたけど…? アルベル様はクラウス様と仲睦まじかったから随分お辛そうだったわ…、そうよね、わたくしもギルバート以外と結婚などと言われたら…ふぅ、お労しい』
後日、ソフィアの様子を見に行って驚愕した。
ソフィアは男とイチャイチャしていた。予言書にある4人の男たちではない、全然知らない男とだ。仲良く手を繋いで街を歩いていた。
どう言うことなのだ!?
調べてみると相手の男はソフィアの婚約者だった。
ソフィアがマルティナ男爵家に引き取られたのは、財政難の男爵家を救う手立てだった。
マルティナ男爵家にはソフィアの上に跡取りの兄がいるのだ、ソフィアが引き取られた理由は、金持ちに売るため。
マードック商会は流行っているが、所詮は平民の商家、貴族の娘を迎えて箔をつけるつもりだった、利害が一致した。
ソフィアの相手はノーマン・マードック 19歳 金持ち。これ重要!
ソフィアは貧乏をなによりも怖がっている、正直言って王子でも宰相でもなんでも良い、安定した未来さえ与えてもらえれば良かった。ノーマン・マードックは実家の男爵家より余程裕福で、損得勘定が前に出るが、貴族の何を考えているか分からない者たちに比べれば分かりやすくて気が合った。年上のノーマンは気前良く奢ってくれて分かりやすくて機嫌をとってくれる。だからノーマンとの婚約を喜んで受けた。
ソフィアは予言書の事なんて何も知らない。
だから今は目の前の恋人とイチャラブ生活を満喫していた。
リアーナは戸惑いを隠せなかった。
考えてみれば、ソフィアはお茶会の時、 殿下でもギルバートでもなくアルベルを気にしていた。どう言う事!?リアーナもアデレイド公爵の人間、予言の話を知っていた。
ガルシア・クリムト侯爵夫人は有名で偉大な予言者、そのガルシア・クリムト侯爵夫人がした予言ならあり得るかもしれない…と頭のどこかでは思ってしまっていた。
私たちが生まれる前に名前と婚約者の組み合わせを当てたことは、神懸り的な奇跡としか言いようがない! だけど中身は出鱈目だった。アルベル様はクラウス様と婚約していたのに予言を肯定させるために相手を変更させられた!? であるならば、私たちの婚約を潰すようなこのストーリーも何かの陰謀かも…? そう考えれば辻褄が合うことがある。
アルベルの相手を変えただけでデバール辺境伯は職務放棄し、騎士団長は辞任、王家の信頼は地に落ち、他国から侵略を受けている。全ては陰謀、クリムト侯爵夫人が敵と手を組んだ結果なのではないかしら? 大変だわ! ギルバートに話をしなくちゃ!!
ウィリアムは学園の時間外は基本的に魔術訓練を行っている。
今の世界は魔法を使える者は極一部でその能力を何かに活用するとか政治的に利用すると言うより、『失われし力の継承』と言った様相だ、つまり実践的な魔法を行使できる者がいない。ただ、ウィリアムはここ数年の一族の中でも実用的に力が使える方で、ファイアボールが使える、これも日々の訓練の賜物だった。
オリエンテーリングの際に野犬に襲われ、生まれて初めて実践で自分の力を使った。
最初は自分たちは護られるべき子供だと思っていた。つまり見ているだけの腰抜けだった。だけど、頼りの護衛は自分たちを守ってはくれなかった。ソフィア嬢が噛まれていても誰も助けてくれない、自分たちで何とかするしかなかった。無我夢中で謂わばヤケクソだった。それからアルベル嬢の血塗れの活躍を目の当たりにして奮起した。
辺境伯の人間は家族も常に危険にさらされる。
だからアルベル嬢にも護衛がついている。辺境伯とは過酷で過去には夫人が報復に殺されたとか、子供が人質になっても国の為に見殺しにされたとか、様々な話を聞く。だから大抵の辺境伯は跡取りができると夫人と跡取りは王都の屋敷に移されて育てられることが多いと言う。だけどアルベル嬢は彼女の母は既に他界し、彼女自身が跡取りとして育てられた為自分のスキルで自分を守り他者を守ることを同じ年でありながら体に覚え込まされているようだった。
その出来事は衝撃的だった。
甘ったれた自分の頬をグーで思いっきりパンチされた気分。
それ以来、魔術訓練はただの日課ではなく自分に課せられた使命だと思うようになった。
婚約者のシェネルも一族の者。
一族の中で魔力がある者は全員、我が家での訓練が義務付けられている。だから小さい時から共に訓練をしてきた仲間みたいなものだ。そして年頃になった時、1番実力の高い者が次代の一族の長として選ばれるのだ。長男とか次男とか関係なく実力で選ばれる。
ここで共に学ぶ子供たちは互いの苦悩も重圧もよく知っている、謂わば戦友のような感情を持っている。
ソフィアに男たちが翻弄される予言については聞き及んでいた。
まさかその中に自分も入っているなど何かの冗談かと思った。
シェネルを捨ててソフィアを選びながら、そのソフィアはラティウス王子殿下と婚姻する。
意味が分からない。
私は主君の女に手を出す設定?
どう考えても女子供が好きな小説を私たちの名前を使って予言と言ったようにしか思えない、馬鹿げた話だ。
アルベル・デバールと数日過ごした中で、彼女は非常に理知的で多角的に物事を見ることができて、理性的で自分の意思よりチームとしての総意に自分を殺せる、他者を優先できる女性だった。オリエンテーリングでは殿下が司令塔のようだったが、その実 チームを誘導し支配していたのはアルベルだった。
ローアンは自分が目立ちたくて反発していたが、最終的にはアルベル指示に全員が従うようになった。
女性であるアルベルに嫉妬も出来ないほど圧倒的な存在感、カリスマ性と判断力と実力を見せていた。そのアルベルが痩せ細り人形のように立ち、何も出来ないウォルターに怯えていた。
ウォルターなどアルベルであれば一撃で昏倒させる事も可能だろう、ただ馬車に乗れずとも近づくことは出来ていたアルベルが、ウォルターの側では馬車を目にすると恐怖の表情を浮かべ気を失ってしまうほどだった。なんとなくアルベルが馬車に乗れなくなった理由を知った気がした。あの時の彼女とは別人のようだった。
それもこれも予言書のせいだと思うと怒りを覚えた。
アルベル自身もクラウスからウォルターに婚約者を返させられて、その結末が婚約破棄ときた。何のための交換なのだ!! 我々はオモチャではないのだ!
犠牲者となったアルベル、彼女は今、行方不明だと言う。
彼女は何故姿を消した? あれ程までに訓練を積んできたのに! 辺境伯の跡取りとしてずっと精進してきたのに! ウォルターとの婚姻はそれ程までに彼女を追い詰めたのだ!! 彼女の愛する男を奪い、平穏を奪い、人生を奪ったのだ!
哀れだ、私がこれまで培ってきたプライドとスキルを他者に無理やり奪われたとしたら?
生きていくことが難しいかも知れない……。
いつかまた彼女に会うことは出来るだろうか?
今 私自身もクリムト侯爵夫人と王妃陛下が憎くて仕方ない。
ウォルターは長い謹慎処分を受けていた。
屋敷に中は幼い頃の領地での待遇とは明らかに違っていた。
母はとっくに領地に帰ってしまっていたし、ディビット兄さんは王宮騎士から地方の駐屯地に行っている、クラウス兄さんは留学してしまった、父も領地へ帰ってしまった。
私は今、一人で王都にいた。
屋敷に王宮から書簡が届いた。内容は僕とアルベルの婚約を白紙に戻すと言うものだった。
本当にうんざりする。
婚約しろと言ったりしなくていいと言ったりコロコロとよく変える、まあアルベルとの結婚なんて興味もないからどうでもいいけど。
暇だなーーー、誰もいないしやる事もない。
そうだ!街へ行ってみよう。
何か面白いものがあればいいな。
ウォルターは馬車に乗って街へ出てきた。
王都の街は修道院の中では知らなかった世界が広がっていた。
小さな屋台では的に羽のついたボールを当てるゲームや、小さな石を飛ばして的を台から落とすゲームなどがあった。単純で小さな子供から大人まで誰でも出来る、そこに魅力を感じた。夢中で遊んでいた。屋台の羽ボールを全て買い占めるが如く何度も何度も挑戦していた。簡単そうに見えていたゲームは羽ボールの錘が偏っているのか、全然思った方向に飛んでくれない。
「くそっ!」
だけど楽しかった。子供の時に修道院に入り、こう言った遊びなどしたことがなかった。初めて触れた夢中になれるもの、遊戯に夢中になり知らない世界が広がった。次の店、次の店と渡り歩いて行く。
だけどもう手持ちの金が無くなってしまった。ウォルターは仕方なく屋敷に帰ろうとした。向こうに馬車を待たせているから、歩いて道路を渡ろうとした瞬間、何者かに殴られ連れ去られた。
「あっ! なに…」




