最終話 全員もれなくハッピーエンド
王宮でそのようなことがあった日の夜――……。
高い防壁に囲まれた王都の端、切り出された石材や木材などの資材置き場と化している一角に、三つの影があった。
闇にぼんやりと浮かぶ橙色の明かりは、松明だ。
魔王ガリアンローズの魔剣と、勇者アスタルシアの聖剣。その両方を背負った青年は、こみ上げてくる笑いを隠しもせずにつぶやいた。
「はは、うまくいったなっ」
勇者ノアーシュ・リアーノである。木材に腰を下ろしている。
その向かいには、アシュレイの姿もあった。だが、違う。どこか違う。先ほどまでとは雰囲気が。無邪気さは鳴りを潜め、邪気どころか凄みさえ溢れ出している。
さらに小さいながらも牙が生え、瞳は魔族のごとく赤に染まっていた。
「そうだの。これでわたし同様、ノアーシュ、貴様も自由を得たわけだ。なれば我らの契約もここまでかの」
「ああ。ありがとな、ガリアンローズ。世話になった」
ガリアンローズ。勇者に討たれたはずの魔王の名である。
アシュレイ・ガリアンローズは鼻で笑う。そうして幼い、少し鼻にかかったような声で大仰に言った。
「ふん、礼には及ばん。ちょうどわたしも魔王に飽き飽きしていたところだ。毎日毎日薄暗い魔王城で湿気った戦の報告なんぞ受けるばかりでは、魂まで錆びてしまう」
「はは、魔王ってのはそんなもんか」
「王ともなれば、自由に戦場を駆けることすら赦されん。なれば討ち死にでもしたことにした方が、遙かにマシというもの。おかげで自由の身よ」
「何にしても、あんたが計画に乗ってくれて助かったよ。ファルシールの件も含めてな」
ノアーシュの隣には、ファルシールが腰掛けていた。だがこれまた違う。まるで違う。ともすれば、アシュレイ以上にだ。
スカートであるにもかかわらず、資材に腰掛け足を開いて投げ出し、だらしなく別の資材に背中を預けていた。
「あたしも助かったわ。ノアーシュのことは嫌いじゃないけど、結婚ってのは違う気がするんだよねー。あたしらただ気が合っただけの友達だもん。ないわー、ないない。てか、もうちょっと遊びたいしね」
手を振りながら、ケラケラと笑う。
ノアーシュが苦笑した。
「おまえなぁ。大聖女さまにそこまで言われちゃあ、俺だって哀しくなるだろ。俺ってそんなに魅力ない?」
「バッカ、別に嫌いとは言ってないじゃん。拗ねんなよ、勇者。あ、さてはあんた、実はあたしのこと好きなんだ? そうなん?」
ファルシールがドレスの胸を張る。
「うっぜぇ。どこからくるんだよ、その自信。そういうとこだぞ、ファルシール」
「あたしの魅力が?」
「ぶはっ、そうそう。くく、そうかもなっ」
目を合わせて同時に爆笑した。
アシュレイが膝に頬杖をついて、顎をしゃくる。
「おーおー。見せつけてくれるのう。最近のガキどもは」
「見た目一番ガキなのは魔王のあんたでしょーが。――聞いてよ、ノアーシュ。ガリアンローズったら本気で魔法撃ってくるんだよ。芝居なんだから、普通手加減するじゃん? 死ぬかと思ったわ!」
「ふはは、加減はしたぞ。あの程度は児戯じゃ。その気になれば王宮ごと木っ端微塵よ」
ファルシールが顔をしかめた。
「これだから魔王は……。あたしは全力だったのにさ。大聖女とか呼ばれて、神聖魔法の方も結構自信あったんだけどな~」
ノアーシュが前以てファルシールに言い含めておいたのだ。
“アシュレイを殺すつもりで魔法を撃て”と。
そうでなければファルシールの力量を知るボードシュタイン公爵や、アスタルシア教の教祖には演技を見抜かれてしまう。
それにアシュレイ・ガリアンローズは桁外れの力を持った魔王だ。多少のやり過ぎがあったとしても、それで討てる程度の魔族ではない。
三年間の旅の中でアシュレイと何度も殺り合ってきたノアーシュには、それがわかっていた。何度も、何度もだ。何やらもうバカバカしくなるくらいに。
結果、どちらかが死ぬ前に馴れ合うことにした。お互いの自由な未来のために。
「しかしおぬしの神聖魔法も、人間にしてはなかなかのものだったぞ。まあ、わたしと張るには百年ほど足らんがの。わたしが本気を出しておれば、あの場で生き残っておるのはノアーシュくらいのものだったろうな」
「百年か。ま、いいや。あたし別に最強の魔法使いとか目指してないしー。人生楽しけりゃそれでオッケーってなもんで」
ノアーシュがアシュレイに尋ねる。
「ガリアンローズっていくつだ? 百年早いってことは、百以上なんだよな?」
それまで悠々と語っていたアシュレイが、初めて狼狽した。
「ば、馬鹿者。レデーに歳を尋ねるやつがあるか。痴れ者が」
幼さを残した可愛らしい少女に見えても、実年齢は遙かに上のようだ。魔族の容姿から年齢を測ることはできない。
「そっか。かわいいババアだな。どうせこれから暇なら、しばらく俺と旅でもするか? 面が割れてるから、どうせ当分の間、魔族領域には帰れないんだろ」
「ふん。言葉の前半のみ、受け取っておいてやる。おまえはタイプではないでな」
ファルシールが愉快そうに手を叩く。
「あっははははっ。フラれてやんのー。頭下げて戻ってくんなら、あたしが結婚してやるよ。ただし、十年後でもよければ、だけど」
「うっぜ」
一度黙り込んでから、ノアーシュは視線をファルシールへと向けた。
「………………やっぱ十年後に俺がまだ独身やってて恋人もいなかったら頼むわ……」
「あたしで我慢するって?」
「めっそーもない。最高の伴侶ですハイ」
三人同時に噴き出し、大爆笑した。
月明かりも届かない資材置き場に、ぬるい風が流れる。
やがて、アシュレイが自らの膝を叩く。
「さあて、別れを惜しむような関係でもあるまい。わたしはそろそろ行くかの」
「どこにだ?」
「しばらくは人類領域から辺境あたりをふらふらするつもりだが、どこかは言わぬ。ついてくるつもりじゃろうが、お断りじゃ。産んでもおらぬ子の面倒など見てられん」
「誰がガキだ。人間は二十歳で大人なんだよ」
ファルシールが茶化した。
「ま~たフラれてやんのー」
でも、今度の笑いは少しだけだ。
全員の胸に寂しさが去来したからだ。
「ま。あれじゃ。どこかでまた偶然会うことでもあれば、旅の道連れにするも吝かではないといったところよ」
「どうせ俺はタイプじゃねえんだろ」
「むき出しの好意には少々弱い。それが魔王唯一の弱点じゃ。敵味方の誰も知らんがの」
アシュレイが手にした紐で、長い髪を束ねた。
幼い容姿ながら、その仕草にはどこか艶っぽさがある。
「それ、遠回しに俺に捜して追ってこいって言ってる?」
「さてな。好きにするといい。徒労に終わってもよければの」
「ま、いいや。じゃあ元気でな、ガリアンローズ」
ノアーシュが手を振る。
「アシュレイで構わんぞ。そも、人前でその名で呼ぶでない。物々しいじゃろうが。それに秘め事の共有あらば、もはやそのような他人行儀な間柄でもあるまいよ」
「それもそうか。じゃあな、アシュレイ」
「うむ。人の寿命は短い。達者でいろよ、ノアーシュ。――ファルシールもの。あまり男から逃げ回ってばかりでは、あっという間に花の寿命も尽きるというものじゃ。ほどほどにしておけ」
ファルシールが片目をつむって手を振った。
「うん、あんたみたいに枯れないように気をつけるわ」
「……オマエ、一回死ヌカ……?」
魔王という立場から解き放たれたアシュレイ・ガリアンローズが、引き攣った笑みを浮かべた。そうして不自然な闇に包まれ、その場から消失する。
謁見の間から立ち去る際にも使用した、闇魔法の転移術だ。
「ひでえ別れの言葉だな……」
「んじゃ、あたしも帰るわ。あんま遅くまで外にいるのがバレたら、パパがうるさいのよね。今夜は帰らないって言ってたけど、あたしと過ごすためなら公務も放り出すような人だから油断できないし」
「だろうなあ。師匠は娘スキーだから。おまえと婚約が決まった三年前、すんげえ目で俺のこと睨んでたのを思い出すよ。魔王討伐の旅で命を落とせって無言の圧力がすごかった」
「あはっ、あったねー! 超ウケた、あの顔! ま、十年も経てば婚期逃して逆に焦り出すっしょ」
心底驚いたように、ノアーシュが目を丸くした。
「おまえが?」
「パパが、に決まってんじゃん。娘はあげたくないけど孫の顔はみたいだろうしさ。そんときはノアーシュによろしく~ってことで」
「冗談じゃねえや。次に顔を見せたら今度こそ斬られちまう」
「あはは。さすがにね。あたしは別にシングルでもいいよ。タネだけもらえれば」
「おまえな……」
応えあぐねていると、ファルシールが先を続ける。
「それにさ、今日の感じ見てたら、ノアーシュはもうパパに勝てるでしょ? 優勢だったのって、別にガリアンローズの魔剣のおかげじゃないよねえ? 戦いの最中にそれっぽいこと言ってたけど、あれ、あんたの嘘よね?」
「アシュレイと撃ち合いながらなのに、よく覚えてんな」
少し言葉に詰まったノアーシュが、指先で頬を掻く。
剣術は嗜んではいないとはいえ、やはり道場の娘だ。見る目だけはある。
「まあ、勝てるけど……。でもあのおっさん、嫌いじゃないんだよなあ。見てて笑えるし、剣術教わった恩もあるしな」
「なのに仇しか返さないんだっ。あっはははは! パパかわいそー!」
「だろー? さすがに斬れねえよ」
笑った。
ファルシールが立ち上がって、ドレスについた砂埃を払った。
「もしかしてファルシールは、公爵閣下のために俺との婚約を破棄したかったのか? おまえの本当の気持ちは、実は俺に惚れてたりして?」
「かっ、言ってろバ~カ! 嫌いじゃないけどね? ふふ、あははは!」
「ははは!」
後ろ手を振りながら、ファルシールが去っていく。
「楽しかったよ。またどこかで会えたら、今日みたいにバカ話しようね。ノアーシュ」
「ああ、そうだな。酒がありゃあもっといい。甘いやつならお上品な舌でも飲めるだろ」
三年前はまだ互いに飲めなかったが、いまならば。
ファルシールが肩越しに振り返り、片目をつむって言い放った。
「あはっ、樽で用意しといてね~ん」
「マジかよ!?」
ひとり、ノアーシュは資材置き場に残る。
王都の空気を吸うのは、これが最後になるかもしれない。そんなことを考えながら立ち上がって気がつく。
背中には二振りの剣を背負ったままだ。
「しまった……。アシュレイに魔剣を返し忘れていた……」
値打ち的には相当なものだ。宮殿くらいは建てられるだろう。しかし彼女に返そうにも、どこに旅立ったかがわからない。
しばらく考えて、結論づける。
「まあいいか。縁がありゃあ、旅先でまた出逢うこともあるだろうよ」
そうしてノアーシュは星空の下を歩き出した。
あてはない。彼の眼前には、自由で広大な世界が広がっているだけだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
楽しいと思っていただけましたなら、ご意見ご感想や、ブクマ、ポイントを入れていただければ幸いです。
今後、作品を作っていく上での励みになります。
また少し期間をおいて、何かしらは投げていこうと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。