第3話 父の矜持と王の重責
雷轟の中で金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴り響き、火花が散った。
「な――っ!?」
ボードシュタイン公爵が驚いたのは、必殺の一撃を受け止められたことではない。己はノアーシュの師だ。むろん彼よりも遙かに剣術の経験を積んでいる。旅立つ前のノアーシュならばいまの一撃で終わっていただろう。ずいぶんと強くなった。
だが、そこではない。そこではないのだ。
白の刃と黒の刃をぶつけ合い、顔を近づける。
「ノアーシュ、貴様! なぜ魔剣を使っている!! 王より賜ったラムダに伝わるアスタルシアの聖剣はどうした!?」
「ああ。あれなら折れたので捨てました」
ノアーシュが強引に魔剣を振り切った。
ボードシュタインは後方に飛ばされ、しかし体勢を崩すことなく再び地を蹴り、ノアーシュの胴へと剣を薙ぎ払う。相対する鏡のように、同じ角度でノアーシュが刃を入れる。
互いの間で二種の刃が弾け、再び火花を散らした。
「バカな!? 貴様の祖がかつての魔王を討ち、王家に奉納された歴深き剣なのだぞ! 数十からなる聖女の祝福が込められた聖剣が、そのように簡単に折れるものか!」
「どうだっていいじゃないですか。所詮、剣は剣、道具でしかありませんから」
「それが剣に生きる者の言葉か! 貴様の祖も泣いておるわ!」
「骨も土も涙は流しませんよ」
頸を狙って突き出した切っ先をノアーシュが半身を引いて紙一重で躱し、身体を回転させて慣性をのせた一撃を放ってきた。それを刀身で受け止めた瞬間、衝撃とともにボードシュタインの両足が浮いた。踵から地面に降りて絨毯を滑る。じんと腕が痺れた。
「まるで魔族のような物言いだな!」
「それは誤解です。人も魔族も死ねば等しく土に還る。ただそれだけのことです」
強い。三年前とは別人だ。
それでも、娘を泣かせた男は赦せない。父の誇りにかけて。
「ぬんッ!」
ノアーシュの追撃を屈んで躱しながら低く踏み込み、逆袈裟に斬り上げる。今度はそれを魔剣で防いだノアーシュの両足が浮いた。
轟音と火花が散る。
「おっと」
ボードシュタインが舌打ちをした。
防ぐか、いまのを。
刀身をへし折るつもりで放った一撃だったが、光をすべて呑み込むような黒き刀は欠けることさえなかった。これまで幾度となく刃を合わせてきた魔族との戦いの中で、黒き刃を持つ剣など何本もへし折ってきたというのに。
果たして特異なのは剣か、あるいはノアーシュか。
刃がぶつかり合う瞬間、やつが自ら跳躍後退することで威力を殺したことには気づいていた。先ほど己が見せた去なしの技を、そっくりそのまま返してきているのだ。嫌味な弟子だ。娘は絶対にやらん。いらんと言われようが、やらん。
ノアーシュは軽い調子でつぶやく。
「へえ、さすがはガリアンローズの剣だなあ。剣聖の一撃でさえ、まるで羽根のひとひらのように軽く受けられる」
「ガリアンローズの剣だと!? そのような穢らわしき呪物を神聖なる王宮に持ち込むだなどと、決して赦されることではないぞ!」
ノアーシュの頬が緩んだ。
苦笑を浮かべて、人差し指で頬を掻く。
「はは、だから黒かろうが白かろうが所詮は剣。聖も魔もない殺しの道具に過ぎませんよ。それに、師からはとっくの昔から赦されてはいなかったように思えるのですが」
「――ッ!」
「図星ですか」
「黙れ」
アスタルシアは勇者の名であると同時に、光の属性を持った女神の名でもある。いずれも闇とは正対に位置する存在だ。本来ならばノアーシュの処分については、彼を勇者であると認定したアスタルシア教の教祖の領分ではあるのだが。
視線を向ける。
教祖もラムダ王も、並んで尻を立てた状態で気絶してしまっている。その尻に何度も白や黒の小さな雷が落ちまくっていて、そのたびにビクンビクン震えている。
我が兄よ。それはちょっと笑えるぞ。
だが、さすがにあの様では兄も教祖も裁定を出すことはできないだろう。ならばこれ幸いと、ボードシュタインは言い放つ。白い刃の切っ先をノアーシュへと向けて。
「王と教祖に成り代わり、ボードシュタインの名において告げる! 勇者ノアーシュ・リアーノ。いまこの瞬間より貴様を、アスタルシア教からもシュタイン剣術道場からも破門とする!」
ノアーシュは平然としたままだ。魔剣の刃を肩において。
「そうですか」
その態度が気に入らない。
ボードシュタインは再び踏み込み、刃をぶつけ合う。
「王都には異端となった貴様に居場所はないぞ! それに王宮を荒らしたとなれば立派な大罪人よ! ファルシールのことなど忘れ、そこの小娘ともども消え失せるがいいわ!」
「言われずとも最初からそのつもりでしたよ」
だが言葉とは裏腹に、ボードシュタインは内心で安堵していた。
しめしめ。これで娘の貞操は守られる。
正直言って、娘を愚弄したこの糞弟子はぶち殺してやりたい。生皮を剥いで生きたまま肉を削ぎ、内容物を穿り出して頭蓋の杯にしてやりたい。使用後は床に叩きつけて踏み割って堆肥にしてやりたい。そこで育った花さえ引き千切り、踏みにじってやりたい。
だが、剣で何度かかち合ってわかった。
……続きをやったら負けるわ、これ。
三年間の旅がどのようなものだったかは知らないが、かつての弟子はとんでもない技量の剣力を携えて帰ってきた。刃を合わせるたびに、まるで巨大な岩を斬ろうとしているかのような錯覚に陥る。
ゆえにボードシュタインは吼えた。剣を腰の鞘へと収めてから。
「よいか! 今日以降、貴様をこの王都で見かけたら、ボードシュタイン家の誇りにかけて俺が貴様を斬る! 一両日中に王都を去るがいい! これが偉業を成し遂げた馬鹿弟子にかけられる、師としての最後の情けと思え!」
内心、心臓バックバクで。
それを知ってか知らずか、師と同じくして、ノアーシュもまた剣を収めた。しばらく視線を合わせた後、青年は静かに口を開いた。
「……ありがたく」
それだけを告げるとノアーシュはボードシュタインに一度だけ頭を垂れ、未だ魔法戦を繰り広げているアシュレイの肩を叩いた。
「行こう。アシュレイ」
「あ、うんっ」
彼女には呼吸の乱れすらない。対するファルシールは、髪はほつれドレスは焦げ、荒い息を肩でしているというのにだ。
アシュレイは降り注ぐ白き雷を、まるで雨をレインコートで防ぐが如く、黒の雷でノアーシュと自らを覆う。やがて両者を包む闇はその濃さを増して暗黒となり、放たれた白き竜をも呑み込んで膨れ上がって、そして――静かに消えた。
そこにはもう、勇者と馬の骨小娘の姿はなくなっていた。
「何だったのだ……」
しばし立ち尽くし、ボードシュタインがつぶやく。
しかし気づいたように愛娘の方を振り返った彼は、目を丸くしていた。なぜならファルシールの口元に、微かな笑みが浮かんでいたように見えたからだ。
だが、次の瞬間にはもう、ファルシールは不機嫌そうな顔に戻っていた。
「どうかしまして? お父さま?」
気のせいか。
「いや、なんでもない」
「では早く帰りましょう。ここは煙いわ。ドレスが煤で汚れてしまいます。ああ、不快よ。不快だわ。このようなことになるとわかっていたら、白は選ばなかったというのに。嫌だわ」
決して元婚約者のことについては触れようとしない。そうして強がるところがまたいじらしい。
うちの娘、萌え。
いますぐ抱きしめ慰めてやりたいところではあるが。
「ファルシール。先に帰っていなさい。私は王や諸侯らと少々話ができたゆえ、今晩は帰れそうにない。この場の後始末もある」
ファルシールがドレスについた埃を手で叩いて払ってから、スカートを指先で摘まんで優雅に足を曲げた。
うちの娘、かわいい。完璧。疲れも吹っ飛ぶ。
「わかりましたわ。それでは明日の食卓で」
「ああ」
娘を見送る。その足取りが軽く見えるのは気のせいだろうか。
ため息をついたとき、尻を立てて白目を剥いていたラムダ王がムクリと起き上がった。ああ見えて案外タフなのだ。
「ご無事でしたか、兄上」
「も、もう終わった……?」
「ええ。あの者らは去りました。兄上も今日のことは忘れるがよいでしょう。民には、三年前に旅立った勇者ノアーシュは、魔王ガリアンローズと相打って非業の死を遂げた、とでも流布しましょう」
「そ、そうだな」
しばしの沈黙の後、ラムダ王は子供のように頬を赤らめ言う。
「ふむ。ならば仕方があるまいっ。いましばらくの間、儂がラムダ王として国家を統治するとしようっ、そうしようっ」
実に嬉しそうにだ。
権力とは甘い汁であるとは、よくぞ言ったものだ。
まあいい。これ以上の面倒ごとはご免だ。己にとっては国政などより愛娘と囲む食卓の方が大切だ。ファルシールたんとの時間は、もはや甘い汁どころか甘い蜜であるからして。
「王の重責、兄上の他に担える者はおりますまい。大変とは存じますが、いましばらくの辛抱を」
「うむ! 儂に任せておくがよい!」
ボードシュタインは二度目のため息をつく。
しかし、どうにも釈然としない気分だった。
何か大いなる意思に踊らされたような、そんなモヤモヤだけが剣聖ボードシュタイン公爵には残ったのだった。
でもまあ娘を嫁にやらずに済んでよかった。それだけは確かだ。
公爵もまた、軽い足取りになるのだった。