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第1話 この婚約はなかったことに

楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価や感想、ご意見などをいただけると幸いです。

今後の糧や参考にしたいと思っております。




 青年は凱旋帰国した。

 少年期より三年にも及ぶ旅の果てに宿敵を討ち果たし、彼がラムダ王国へと持ち帰ったものは――……。


 その日、謁見の間は、静謐とした空気に包まれていた。

 ラムダ王は玉座からわざわざ立ち上がり、片膝を突いて傅く青年へと、儀礼にのっとって鷹揚と告げる。

 優しい声で。穏やかなる瞳で。



「面を上げよ。よくぞ無事に戻った。勇者ノアーシュ・リアーノ。旅立ちの日に女神アスタルシアの前で交わした約定に従い、汝に褒美を授けよう。これよりは我が姪である聖女ファルシールを妻に娶り、儂に代わって国家国民の統治に務めるがよい」



 玉座の脇に控えていた美しき聖女が、ノアーシュへと涼しげな微笑みを向ける。列席の誰もが魅了されるほどの清涼なる風のごとき佇まいは、まさに国家を代表する聖女と呼ぶにふさわしいものだ。

 だが、青年ノアーシュは傅き、いつまでも頭を垂れたままだ。ラムダ王の声にも、ファルシールの聖なる月光のごとき微笑みにも、まるで反応せず。

 聞こえていないわけではあるまい。ゆえに列席の面々は、誰しもが怪訝な表情をした。

 しかしようやく彼が口を開いたとき、その言葉に謁見の間は凍り付くこととなる。



「王よ。私は艱難辛苦の旅の中で、真実の愛を見つけてしまったのです」



 そう。彼の隣にはすでに、とても愛くるしい顔をした可憐な少女が立っていた。

 寄り添うように。



     ※



 事の発端は、この日よりおよそ二〇〇年ほど遡る。

 ラムダ王国の遙か北方、ランシャール山脈を境とする辺境の森のさらに北。そんな人類未到の地から、新たなる種が襲来した。

 一体の王を中心にして、怒濤の勢いで人類都市をわずか数百体で次々と侵略していく彼らは自らを魔族と名乗り、彼らの王を魔王と呼んだ。


 北方、ラムダ王国の滅亡は、魔族の出現からわずか一月後のことだ。その翌月にはナリア帝国が、またその翌月にはファーランド共和国が彼らの手によって滅亡した。

 人類が生息領域を狭めていく一方で、年月が経過するほどに魔族の数は増えていった。人類国家の中には、自ら魔族に頭を垂れる国家さえ現れた。

 だが魔族の出現が確認されてから二十年後、たったひとりの人間によって、その出現時と同じくして突如魔王は討たれてしまう。


 アスタルシア・リアーノ。後の世で「最初の勇者」と呼ばれることとなる少女である。もちろん青年ではない。

 女神アスタルシアと同名を持つ彼女は、数名の仲間だけを引き連れて旅立ち、見事その剣で魔王を討ち果たして故郷に帰国した。

 魔王を失った魔族は勢いを盛り返した人類国家の連合軍に押し戻され、辺境よりさらに北の地へと逃げ帰っていった。


 王を喪って亡国となったラムダ王国にも人々は戻ってきた。

 以後、勇者アスタルシアはあらゆる国家からの移住の誘いを拒み、子や孫に囲まれながらラムダ領の小さな田舎町でその生涯を終えたという。


 それからおよそ二〇〇年間は平和な時間が流れた。

 だがその安寧を破り、再び魔族は動き出す。新たなる魔王ガリアンローズを旗印にだ。

 しかし人類とて以前のように無策だったわけではない。ランシャール山脈の北、辺境よりもさらに北には、脅威となる種族が棲んでいる。それをかつての戦いで学んだ人々は、ランシャール山脈に長い期間をかけて山脈を横断する砦を築き上げていた。

 以降、ランシャール砦を境に、十年以上にもわたる小競り合いと呼ぶにはあまりに犠牲の多い戦いが続いた。


 亡国からの長きにわたる復興を終えた現ラムダ王は、かつての勇者アスタルシアの子孫、ノアーシュ・リアーノ少年に要請する。


 ――どうかアスタルシアの聖剣で、再び魔王ガリアンローズを討ち果たしてはくれまいか。


 成った暁には、この王座を世継ぎとなる最高の伴侶とともに貴殿に譲ろう、と。

 ラムダ王には妻はあれども子はない。ゆえにこの婚約話は、彼の弟にあたるボードシュタイン公爵が一子、ファルシール・ボードシュタイン嬢との婚約とも同義であった。

 そのことがノアーシュの原動力になったかは定かではない。だが、旅立ちからおよそ三年後、青年となって見事に魔王を討ち果たした彼は、ファルシールの待つラムダ王国へと凱旋帰国した。


 ただし――……。

 彼の隣にはすでに純白の神官服を着込んだ、長く明るい髪色の少女の姿があった。この大きな瞳の可憐な少女は、もちろんファルシール・ボードシュタインではない。

 困惑するラムダ王を前に、ノアーシュは言ってのける。

 傅きながらも、勇者らしく威風堂々とだ。



「王よ。私は艱難辛苦の旅の中で、真実の愛を見つけてしまったのです」



 むしろ、どんよりとした不穏な空気を全身から発しているファルシールの顔色をうかがって、ラムダ王の方がうろたえていたくらいだ。



「うむ……?」

「王が私の願いを叶えてくださるというのであれば、ファルシール様との婚約はなかったことにしていただきたい。もちろん、王位に就くつもりはありません」



 その言葉に、謁見の間が凍った。

 誰もが絶句したのだ。


 ラムダ王だけではない。当のファルシールはもちろんのこと、彼女の父でありノアーシュの剣の師でもあった英雄ボードシュタイン公爵も、女神アスタルシアからの天啓を受けノアーシュに旅立ちを命じる発端となったアスタルシア教の教祖も、ラムダ政治の中枢を担う大臣貴族の歴々もだ。

 しかし次の瞬間にはもう、彼らの視線はノアーシュの隣で傅く少女に向けられていた。


 十代後半となったファルシールと同程度か、いや、それよりはやや幼く見える。ファルシールのように女性としての美しさというよりは、まだ子供の持つ愛くるしさ、可愛らしさの方が勝っているようだ。

 少女はノアーシュとともに王の前で傅き、自らの名をアシュレイと名乗った。

 出自はどこにでもいる平民。それもラムダ領の田舎の村娘である。ノアーシュとの共通点と言えば、ノアーシュは“勇者アスタルシア”の子孫で、アシュレイは“女神アスタルシア”に仕える一介の神官であるということくらい。


 ファルシールと比すれば、聖女であるどころか、ただの田舎神官である。現にアスタルシア教の教祖ですら、彼女の顔に見覚えはなかった。

 ノアーシュは淡々と告げる。



「アシュレイの献身なくば、私はこの地を五体満足で踏むことはなかったでしょう。きっと魔王ガリアンローズとの戦いに敗れ、かの地にて命を散らせていたに違いない。討伐の殊勲は彼女にこそふさわしい」



 アシュレイが慌てて付け加えた。首を左右に振りながらだ。



「いえいえっ、そんなそんなっ。わたしなんて大したことはできませんもん。ノアくんがいなかったらガリアンローズに挑む勇気さえなかったんですから。戦いにおいても、わたしはサポートと回復だけでした」



 アシュレイがはにかむと、ノアーシュもまた頬を弛めた。互いに譲り合う、仲睦まじき光景である。

 しかし一方で、謁見の間には気まずい沈黙が訪れていた。当然である。ノアーシュの婚約者であるファルシールが同席しているのだから。

 礼もろくに知らぬアシュレイの物言いは、田舎娘ゆえか、若さゆえか。あるいはこの瞬間に奥歯を噛みしめたファルシールには、それは悪意や挑発に聞こえていたのかもしれない。

 しばらくの後、沈黙を破ったのは婚約破棄を言い渡されたファルシール本人だった。



「わたくしとてアスタルシア教の聖女です。もしも王や父がお許しくだされば、ノアーシュの旅に同行していたことでしょう。彼とわたくしは幼なじみですから」



 表情こそ柔らかなままだが、瞳の奥に仄暗い濁りがある。言わずと知れた怒りだ。

 けれどもアシュレイは対照的に、嬉しそうな表情でパンと両手を合わせて。



「わあ。幼なじみさんだったんですねっ。ノアくんの昔の話とか聞いてみたいなっ。あ、あの、よかったらお友達になりませんか、なんて……っ、えへへ。ちょっと図々しいですよね。身分も違いますし。あは、あはは。ごめんなさい……」

「……」



 ファルシールの言葉は、まさにその通りなのである。幼少期よりノアーシュは、ファルシールの父であるボードシュタイン公爵を剣の師と仰いでいた。そのおかげで身分の差がありながらも、ノアーシュとは気の置けない関係性を築き上げてきたのだ。


 その彼が王命により危険な魔王討伐に旅立つと決まった三年前、ファルシールは聖女としての同行を王と公爵に具申したのだが、父である公爵からの猛反対によって却下されてしまった。

 つまりファルシールにとってノアーシュは、幼少期から己の中で決して小さくはない存在だったのだ。


 ゆえにラムダ王とボードシュタイン公爵はファルシールをなだめるため、ノアーシュが魔王を討ち果たした暁には、ふたりの成婚を認めたのだという。それがファルシールがノアーシュの旅への同行を諦めた理由だった。


 にもかかわらず、この幼なじみときたら。どこの馬の骨とも知れぬ小娘を、真実の愛だなどと抜かす。おまけにこの田舎娘は白痴のように何も理解していない。空気を読むだけの頭もない。なぜ男というのはこういうタイプに弱いのか。

 その怒りたるや、氷の大地を溶かすマグマの如く。

 白いドレスの胸で両腕を組み、ファルシールはアシュレイを睨みつける。下唇をかみしめて。

 ファルシールの叔父にあたるラムダ王も、両者に流れる不穏な空気を感じ取ったのだろう、彼女が再び口を開く前に言った。



「いや、しかしノアーシュは魔王を討つという歴史的偉業を成し遂げた。その者の要求ともなれば、無碍にするわけにも――」



 だがその言葉を言い終える前に声を荒げたのは、ファルシールの父にあたる王弟ボードシュタイン公爵だった。



「貴様、王に恥をかかせる気か! ノアーシュ! この婚約を決めたのは他でもない、ラムダ王ご自身なのだぞ!」



 屈強なる肉体と精神を持ち、この十数年間、国軍を率いて魔族の侵攻をランシャール砦にて退け続けてきた英傑である。その甲斐あってかボードシュタインは、数年前から国内外より剣聖として崇められるほどの存在となっていた。

 剣を握る者は、誰しもがボードシュタイン公爵を目指す、と言われるほどの。

 同時にノアーシュの剣の師でもあった彼は、娘同様に顔を真っ赤な怒りに染めていた。


 果たしてその怒りは、彼の言葉通りに愛弟子が王に対し恥をかかせたことが原因であるのか、あるいは目に入れても痛くない愛娘を無碍に扱われたことに対する怒りであったのか。

 もっとも、彼を知る者は口をそろえて言うだろう。苦笑いを浮かべながら。


 娘さんじゃね?と。


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[良い点] 魔王倒したのに、少しのポンコツ以外は殺伐した雰囲気がwww [一言] 新作ありがとうございます! ポンコツノームと犬ドラゴンに気を取られていたら始まってましたorz 題名てきには、魔王…
[良い点] 新作投稿ありがとうございますヽ(´▽`)/ 今まで作品とは違うっぽい雰囲気の流れに感じて新鮮な気分です。 しかしこのポヤポヤとした感じのアシュレイさんの場違い感が半端ない(笑)
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