幼馴染に婚約を知られたら監禁されました
リディアが目を開けると、そこには知らない部屋の天井があった。
どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。さらさらとした触り心地からベッドに使用されているのは最高級のリネンであることがわかる。
どこだろう。ここ。
頭がぼんやりとして直前の記憶が思い出せない。
身を起こして周囲を確認する。
女性用の部屋だろうか。部屋のあちこちに置かれている繊細な小物類やカーテンからそうだと分かるが、それにしても一つ一つが新品のように美しい。余程丁寧に掃除されているのか、それとも本当に新品なのか。
いずれにしても知らない部屋である。
ベッドから出ようとして、最大の違和感に気付く。シャラリと鳴る細い金の鎖。
それがベッドの足元とリディアの足首を繋いでいた。先ほどまでは布団に隠れていて気づかなかったのだ。
「……何これ!?」
鎖を軽く引っ張ってみたが、細い割に作りがしっかりしているらしく、そう簡単に切れる様子はない。
試しにベッドから下りてどこまで伸びるかを試してみる。備え付けのバスルームまではギリギリ届くが、部屋の出入り口であろう扉までは届かない。ただし窓に辿りつくことができたので、そこから外の様子を伺い知ることができた。
(ここ、サイラスの屋敷だわ……)
窓から見える庭は、見覚えがあるものだった。そこはリディアの幼馴染であるサイラスの屋敷の庭であり、よくお茶会に招かれていたものだ。
(そう、お茶会。私はお茶会に来ていたのよ)
頭にかかっていた靄が晴れ、段々思い出してきた。
状況整理のためにも、その記憶を辿ってみることにする。なぜ自分はこの部屋で鎖に繋がれる羽目になっているのだろう。
今日は幼馴染のサイラスとのお茶会の日だった。日頃本の虫で書斎に篭もりきりのサイラスも、最早習慣となったお茶会にだけは顔を出すのだ。それに、今日は大切な話もあった。
「サイラス、顔色が悪いわよ。ちゃんと寝ているの?」
「面白い本が見つかってね。気が付いたら朝になってた」
「もう……しょうがないんだから」
長身で色が白く、手入れもしていないのにサラサラの黒髪と涼しげな切長の目。……の下にべったりと張り付いた隈と、猫のように丸まった背中をなんとかすれば女性が放っておかないような美青年だと思うのに。サイラスといえば日がな一日書斎に篭って本ばかり読んでいて夜会にも全く興味を示さない。
彼が外に出てくるのは当主である彼の父上に半ば無理矢理引き摺り出されて領地視察に駆り出されるときか、さもなくば幼馴染であるリディアとのお茶会のときくらいだ。
それでも不思議と領民からは慕われているのは、彼が本から得た知識を領地経営で如何なく発揮しているからなのだろう。
少々変わり者ではあるものの、聡明で知識が豊富。彼がそういった評価を受けていることをリディアは知っていた。リディアの家が治める領地とサイラスの家が治める領地は隣同士で、昔から親交が深いのである。
「それで、大切な話って何?」
「あなたも聞いているでしょう? 婚約の……」
話、と最後まで言い切ることはできなかった。ぐらり、と身体が傾ぎ、倒れ込みかけたところをサイラスの腕に支えられた。
「大丈夫? そろそろ薬が効いてきた頃かな」
「……何を……」
「婚約の話、だろう? もちろん聞いているよ」
その時見たサイラスの瞳の昏さを、リディアは生涯忘れることはないだろう。そして、次の言葉と共にリディアの意識は途切れた。
「君は誰にも渡さない」
「目が覚めたのか、リディア」
「サイラス……」
かけられた声にはっと我に返る。この部屋唯一の出入り口であるドアから、音もなくサイラスが姿を現した。リディアの姿を見ても何も言わないところを見るに、この鎖はサイラスの所業に違いない。というか、気を失う前の発言的に、リディアのお茶に薬を盛って眠らせたのも彼だ。
赤ん坊の時から一緒だった幼馴染にそんな趣味があったとは、正直信じたくはないけれど。
リディアはわざとらしく足首をぷらぷらさせた。しゃらしゃらと金の鎖が音を立てる。
「……一応聞いてあげるわ。これ、どういうつもり?」
「見て分からないか? 君がどこにもいかないようにだよ」
一方のサイラスといえば冷静そのものだった。そんなことも分からないのかと言わんばかりで若干腹が立つ。
「これ、一般的には監禁というのじゃない?」
「そうかもね」
そうかもね、じゃない!
心の中でそう叫んだが、サイラスの瞳に狂気が見えた気がして、言葉をぐっと飲み込んだ。気を失う前に見たサイラスの昏い目。夢かもしれないと思ったがどうやら現実であったようだ。
仕方がない。様子見で、少し下手に出ることにする。
「どうしたら、この鎖を外してくれるの?」
「君が、君の婚約を破棄して、僕と結婚するって約束してくれたら」
リディアは首を傾げた。
もしかして、彼は大いなる誤解をしているのではないだろうか。
その二つを同時に叶えることはできない。何故なら――。
「……それは無理よ。ちょっと待って話を――」
「だったら、約束してくれるまでこの部屋から出せないな」
話を遮って、サイラスがきっぱりと言う。彼の決意は固いらしかった。
「……お父様たちが心配して探しにくるわよ」
「それだったら問題ない。すでに君が体調を崩したから屋敷でしばらく休ませると連絡してある」
「無駄に用意周到ね!」
それならば、父達も安心してリディアを任せるはずだ。容体が良くないとでも言えばいくらでも期間は延ばせる。それにしたって限度があるだろうが、それまでにリディアが折れるだろうという魂胆だろう。
「お願いだから、僕のお願いを聞いてよ。君のことが好きなんだ。愛している。他の男に渡したくないんだ」
それどころではないのに、リディアの頬がかっと熱を持つ。
なんとなく、そうではないのかなと思うときはあった。彼のリディアを見る目に甘い熱が混じるときが。それでも、ここまで直球で言われてしまうとさすがに照れもする。
けれど、リディアに彼の言葉に頷くことはできない。
「あなたのお願いを聞くことはできないわ。だって……」
「そんなに相手の男が好きなのか?」
また最後まで話させてもらうことが出来なかった。サイラスは途端に表情を消すとつかつかとリディアに歩み寄り、その身体を横抱きに抱え上げた。
「きゃあ!」
「暴れないで、落としてしまうから」
そうは言うものの、サイラスは軽々とリディアを抱き上げてぶれることはない。リディアの体格は年頃の女性としては一般的なものなのに、サイラスの細身の身体のどこに一体そんな力があるのだろう。
サイラスはそのままベッドにリディアをそっと下ろした。そしてリディアに覆い被さってくる。その目はリディアが気を失う前に見たものと同じだった。
「何するの!?」
「いっそ既成事実を作ってしまおうかなと。そうすればさすがに他の男と結婚は無理だろう?」
「きっ……!?」
さすがに聞き捨てならない言葉にリディアは暴れる。しかしドレスの足の間に膝を突かれ、両手を纏めて頭の上で押さえつけられてしまえばリディアはあっさりと動きを封じられてしまう。
「誤解よ! お願いだから話を聞いて!」
「言い訳なら聞かない」
最後の抵抗手段であった口も、強引に口で塞がれてしまう。初めてのキスにかあっと顔が熱くなるが、そんな場合ではない。自分の貞操がかかっている。ここまでくれば、サイラスはいくところまでいってしまうだろう。
「ああもう……!!」
呼吸のために取られた僅かなインターバル。最後のチャンスとばかりにリディアは全力で叫んだ。
「あなたとです! 婚約! あ・な・た・と!!」
「………………え?」
ようやく、サイラスの動きが止まった。
つまりはこういうことらしい。
いつものように読書に夢中になっていたサイラスは、自分の婚約話になど興味がなく、当然その相手が誰かを確かめることもなかった。そして彼の知らない間に婚約は成立し、別口から聞いたリディアの婚約話から勝手に暴走した。と、そういうことだった。
自分の婚約話には興味がまるでないのに、リディアの婚約話だけは興味を持っているのが偏りがありすぎて、なんというか。確かにリディアに対しては好意を抱いてくれているのだろうなとは薄々思っていたが、まさかここまで重たいとは誰が思うだろうか。
ようやく誤解が解け、同時にリディアに巻かれていた鎖も解かれた。
そしてサイラスといえば地に伏せて深々と頭を下げている。
「大変申し訳ありませんでした」
「申し訳ないじゃ済まないわよ。場合によっては婚約破棄よ、こんなの」
「それだけは絶対に認めない」
低い声で即答するサイラスに「なんで偉そうなの?」と半目で睨むと途端に小さくなった。長身の身体を小さく小さく丸める姿に吹き出しそうになるのをなんとか堪えて厳しい顔を作る。
「本当に、ごめんなさい……きみの言う通り誤解でした……婚約破棄だけはどうか許してください……」
「話を聞いてって、何度も言ったわよね。私」
「ハイ……今度からはちゃんと聞きます……」
「……まったく」
一時は貞操の危機だったが、鎖の巻かれていた足首にも、押さえつけられた手首にも、これといって傷も跡もない。それを彼の優しさと取ってしまうのは甘すぎるだろうか。
それでも仕方ない。これも惚れた欲目だ。
なぜなら、幼い頃からリディアはサイラスのことを好きだったのだから。
彼と婚約が決まって、どれほど喜んだか。
それに、彼の重い愛を知ってどこか嬉しい自分もいる。さすがに鎖で繋ぐのはもう勘弁してほしいけれど。
「……今回だけよ。次はないから」
そう言うとぱあっと顔を明るくしたサイラスがリディアを強く抱きしめてくる。
その背にそっと手を回しながら、自分も大概恋に狂っているのかもしれないと思った。
まずはお詫びに、ファーストキスのやり直しを要求しよう。