変態は侯爵令息が大好きだ
『ストーカーは公爵令嬢とデートする』のその後の話です。
『ストーカーには公爵令嬢がお似合いだ』→『変態には侯爵令息がお似合いだ』→『ストーカーは公爵令嬢とデートする』→『本作』の順番になっています。順を追って読んでいないと、意味が分からない部分があるかもしれません。
「しばらくお世話になります」
僕ジャック・シュトラインの婚約者アルス・リーライ公爵令嬢は、華のような笑顔で僕の両親に挨拶をした。ここはシュトライン侯爵家の正面玄関で、アルスはこれからしばらく、この屋敷に滞在する。
リーライ公爵家の屋敷が改修されることになり、学園が年度末の長期休暇中ということもあって、工事の間リーライ公爵一家は領地に引っ込むことにした。しかしアルスはそれを断固拒否した。
理由は僕と離れたくないからと、婚約者冥利につきるものだった。頬を膨らましながら、『領地に行ったら魔道具の範囲外なんだもの』と言うアルスは悶絶級の可愛さで、僕は正気を保つのに苦労した。
末っ子のアルスに、リーライ公爵一家は皆甘い。結局アルスは領地に行かずに、シュトライン侯爵家に滞在することで、話は落ち着いた。婚約者の家であるし、侍女も一緒なら問題ないだろうという判断らしい。
アルス付きの侍女が、持ってきた荷物を屋敷内に運びこんでいく。数週間の滞在にしては、荷物多くない? と思わなくもない量だ。そして荷物からは鉄の棒が数本はみ出していた。うん、見なかったことにしようかな。
荷物の運搬は使用人たちに任せて、僕はアルスをゲストルームまで案内した。
「アルスはこの部屋を使って」
「分かったわ」
部屋の中に足を踏み入れたアルスは、大事そうに抱えていた鞄から、黒毛と金毛の二体のクマのぬいぐるみを取り出した。アルスと僕を模して僕が作った、クマのぬいぐるみだ。
「ここに置くわね」
しっかり部屋を見渡せるような場所に置かれたそれらは、アルス公認の監視魔道具と盗聴器だ。両親から強く釘を刺されていることもあって、夜から朝にかけての盗撮盗聴生活は今までとそう変わらない。
「今日からは今までよりずっと、貴方に会えるわね」
でも昼は違う。会おうと思えば、すぐにアルスに会える。学園生活よりもずっと近くに、アルスがいてくれる。僕がこっそり幸せを噛みしめていると、アルスは僕の袖をちょんちょんと引っ張った。
「ねえジャック、貴方の部屋を見てみたいわ」
アルスの爆弾発言に僕は固まった。
「駄目かしら?」
上目使い気味のアルス。そんな表情をされたら、僕は駄目だなんて言えない。
「うん、いいよ」
後先考えずに返事してしまった。アルスと一緒に僕の部屋まで行く途中で、僕は冷静になった。あれをアルスに見られたらまずくない? アルスがドン引きからの、婚約破棄もありえるかも? …………。
「いいって言うまで、絶対入っちゃ駄目だよ!」
アルスには廊下で少し待ってもらい、僕はせめてもの悪あがきすることにした。
一人で自室に入った僕は、開きっぱなしになっているクローゼットに目をやった。クローゼットの内部には、隙間が無いほどみっしりアルスの写真が貼り付けられている。婚約する前から撮りためたもので、僕のアルスストーカーの歴史といっても過言ではないものだ。これを見られたら、色々と終わる。
クローゼットを閉めてしまえば問題ないと判断して、僕は机上に置いてあったアルスっぽいクマのぬいぐるみを、クローゼットの中に移した。アルスは金毛のクマのぬいぐるみが、お揃いだとは知らない。恥ずかしいから僕は知られたくない。
あと隠さないといけないのは、布とリボンの山だ。アルスのドレスを作りたくて用意したもので、完成したときに驚いてもらいたいから、これもアルスに知られたくない。本人に知られずに、どうやってサイズを入手したかって? 僕はアルスのストーカーなんだから、そんなの目測で分かって当然。
布とリボンの山もクローゼットの中に移動させ、僕はクローゼットを閉めた。アルスクマの一部が、布の山からはみ出ていたことに、慌てていた僕は全然気付かなかった。クローゼットからリボンがはみ出していることにも。
机の上のノート類は視力向上魔法の研究途中で、これはアルスに見られても問題ない。もう一度部屋の中を見回してから、僕はアルスを部屋の中に招き入れた。
「ここが貴方の部屋なのね」
僕の自室に足を踏み入れたアルスは、好奇心を抑えきれずにきょろきょろと部屋の中を見ていた。最初にアルスの興味を引いたのは、机の上のノート類だった。
「もしかして研究してくれてるの?」
「ごめんね。視力向上の魔法は、後三カ月ぐらいはかかりそう」
「急がなくて大丈夫よ。魔法が完成するのは、卒業してからでいいわ。学園で眼鏡なしはだーめ」
「え、でも」
「今は同じ屋敷にいるんだから、もっともっと私にうつつを抜かしてね」
小悪魔の笑顔でそんなことを言われたら、僕にはどうしようもない。身動きが取れなくなった僕は、アルスが部屋の中を見て回るのを止めなかった。そしてクローゼットからはみ出した白いリボンを、アルスは見つけてしまった。
「あら? 何かはみ出しているわ?」
止める間もなくアルスがそれを引っ張ると、開けてはいけないクローゼットが開いてしまった。
「ああ! その中は!」
アルスに中を見られた。終わった。
「なんてことなの」
クローゼットの内に無数に貼られた写真を見て、アルスは絶句している。謝ったら許してくれるだろうか。やっぱり土下座の方が? 僕は床の上に正座して、いつでも土下座できるように準備した。
「ジャック、なんてことをしているのかしら?」
一枚の写真を剥がして、アルスは正座中の僕に詰め寄ってきた。婚約してから初めて、僕はアルスに怒られた。
「ごめんなさい」
アルスと目を合わせられなくて、僕はただ下を向くしかできなかった。
「本当に信じられないわ。こんな写りが悪い写真を飾るなんて! もう!」
え? あれ、予想外?
「今から写真を選別するから時間をちょうだい。これとこれとこれもだめね。う~ん、これはいいかしら?」
アルスは貼られた写真全てに目を通していった。信じられない思いで、僕は正座のままで待機した。剥がした写真を束にしたアルスは、僕の前にしゃがみこむと、優しく言い含めながら僕の髪に触れた。
「これはもう貼ったら駄目よ。他はそのままでいいわ。これからは飾る前に、私の確認を取ること」
「うん」
僕はアルスから写真の束を受け取った。アルスは立ち上がり、再びクローゼットの中を見た。
「ふふ、貴方には私がこんな風に見えているのね。こんなにも貴方に愛されているなんて、ああ堪らないわ」
恍惚とした表情は、いつも通りの変態さんだ。このままクローゼットを閉じてくれないかなと僕が思っていると、アルスはクローゼットの片隅に目をやり、きらきらと瞳を輝かせた。
「あ!」
あ、僕のアルスクマがアルスに見つかった。
「これは私と一緒のぬいぐるみ! お揃いだったのね!!」
一度両手で掲げた後、アルスは自分を模したクマをぎゅっと抱きしめた。
「それが盗聴器の受信機だから」
だからお揃いでもおかしくないと、僕は言い訳がましくアルスに言った。ドレスを作ろうとしていることに関しては、ばれていないみたいなので良しとしよう。
「誤魔化したりしなくていいわよ。ふふ、今日は思いがけず嬉しいことを知っちゃったわ。さてと本題は、これだけの広さがあれば大丈夫よね」
周囲を見渡して広さの確認? アルスは僕の部屋で、一体何をする気なんだろう。アルスは一つ咳払いをしてから話し出した。
「この前読んだ本で学んだのよ。ストーカーというと、拉致とか監禁とかの方向性もあるみたいね。ということで、今日は檻を準備してきたの」
うん、知ってる。アルスが昨日檻を用意してたのは、僕も知ってる。荷物から見えていた鉄の棒は、案の定檻の一部だった。
「ねえジャック、私のことを監禁して」
こんなおねだりに使われるものだとは、思いもよらなかったけれど。
「うん、いいよ」
僕は二つ返事で答えた。アルスが婚約者に監禁をお願いするような変態だったとしても、ストーカーである僕にとっては些細な問題ですらない。どんなことでも、アルスの願いを叶えられるなら本望だ。
公爵家から付いてきた侍女に手伝ってもらい、アルスは僕の部屋に檻を搬入した。
「狗からもう使わない檻をもらってきたのよ」
何に使っていたかは、きっと知らない方がいいやつだ。走狗たちにおける檻の用途なんて、想像したくも無い。
アルスは檻の組み立ての仕上げに、夢中になっている。僕がそんなアルスを見守っていると、アルスの侍女が僕に耳打ちしてきた。
「旦那さまから伝言を預かっております。『キスは許すから、それより先は絶対だめ』だそうでございます。では私めはこれにて失礼いたします」
僕が呆気にとられている間に、アルスの作業は終わり、檻は完成していた。
「一応首輪と手錠も持ってきたのだけれど」
アルスのスカートの中から、首輪や手錠が落ちた。以前拘束用の革ベルトが出てきたこともあって、アルスのスカートの中は不思議空間すぎる。
「う~ん、アルスがつけたいならつけるよ?」
「そこまでつけたいわけではないわ」
「じゃあつけなくていいかな」
僕にそういう趣味は断じて無い。
「これが檻の鍵よ。私が中に入ったらしめてね」
アルスに武骨な鍵を渡された。鍵を渡されても特に胸は躍らない。アルスが檻の中に自分から入ると、アルスに頼まれたように僕は鍵をかけた。檻の中で横座りするアルスは、囚われのお姫様のようだった。
檻に入ったアルスを、鍵を握りしめて正座で見つめる僕。十分ほど時間が経って、アルスは口を開いた。
「ねえジャック、これ全っ然楽しくないわね」
「そっか~。僕も楽しくはないよね」
アルスは横座りから体勢を変えた。
「束縛されるのは違うのかしら? 考えてみれば、貴方は私のストーカーだけれど、束縛してきたことは一度もないわね」
檻の中で膝を抱えるアルスは可愛いけれど、それは檻が無くても一緒だ。
「そうだね。僕はアルスに自由に生きていてもらいたい。その上で君の何もかもを知っていたいのが、僕のストーカー理念なのかな」
「何もかもだなんて、あぁ、ぞくぞくする。やっぱり、檻は違うわね。邪魔で貴方に見てもらえている気がしないし。切断」
アルスが詠唱を唱えると、檻は一瞬でバラバラに解体された。檻は檻だったものになり、アルスは再び自由の身だ。
「なんだか眠くなってきたわ」
立ち上がったアルスは、ベッドの縁に腰かけた。
「昨日遅くまで準備してたもんね」
たかだか数週間の滞在ために、まるで引越しのようになっていた。まるで引越しのように。腰かけていたアルスは、そのままこてんとベッドに倒れこんだ。僕が以前贈った黒い魔石のネックレスが、アルスの胸元で踊った。
「ジャックの匂いがするわ」
「シーツは変えてもらってるよ!」
「うふふ、冗談よ。ねえジャック、こっちに来て。そこに座って」
アルスに言われるがまま、僕はベッドの縁に腰かける。アルスは寝転んだまま僕の方に手を伸ばすと、僕の手に指を絡めた。初めての恋人つなぎに、僕の心拍数は一気にはね上がった。
「休みが明けたら三年生になって、もう来年には卒業ね。ねえジャック、卒業したらすぐに結婚しましょ」
「うん!」
僕はすぐさま頷いた。
僕の返事を聞いて満足したのか、アルスは無防備に瞳を閉じた。本格的に眠ってしまったのかもしれない。目を閉じているアルスが聞いているかは、分からないけれど。
「今までもこれからもずっと、君のこと大好きだよ」
「私も貴方のこと大好きよ」
思いがけないアルスの返事に、リーライ公爵の伝言が蘇る。我慢できなくなった僕が何をしたのかは、僕とアルスだけの秘密だ。
そしてこの時の僕はまだ知らない。このままアルスがなし崩し的に、卒業までシュトライン侯爵家の屋敷に居つくことを。翌日結婚式が行われると、学園の卒業式の日に知らされることを。
かくしてストーカー侯爵令息と、変態公爵令嬢は末永く幸せに暮らしたのでした。めでたしめでたし。
侍女「旦那様、伝言はグッジョブでございました」
リーライ公爵「赤面して帰って来たかと思えば、それ以降はデートから帰ってくる度に、また指一本触れてくれなかったと、ご機嫌斜めだったからね。それでアルスは?」
侍女「まだシュトライン侯爵の屋敷に。帰りたくないそうでございます」
リーライ公爵「ハハハ、え、どうしよう」
侍女「こうなるのは分かりきっていたことかと」
二人のお話はこれでいったん終了です。評価、ブックマーク、誤字報告ありがとうございました。
他の作品も上げたりしているので、よろしければ作者ページよりどうぞよろしくお願いします。