2,966バイト分、桜を散らす
「人の死に墓場があるように、人の想いにも、どうにか墓場を用意してくれ!」
初めて叫んだのは、何年か前の事だった。アレを、自分は“恋”と呼んだ。そして、恋した存在をも『恋』と呼んだ。
数年前、確かに存在したはずで、恋は、多くの人に愛されていた。それなのに、今は。――たった一人、自分だけが恋患って、何年も何年も、尾てい骨の先に括って、煤こけてもいとおしく引き摺り続けた想い。愛している。たった一つ、その言葉さえ言えないまま数年。自分はすでに、恋の元の形ですら覚えていない。優しい人よ、自分のこの、未練がましい恋という想いを、どうか聞いてくれないか。
恋は、太陽のような存在だった。ありきたりな言葉で、自分でもどうかと思う。誰かの支えになって、誰かの笑顔になった。でも同時に感情を揺さぶって、涙も誘う。きっと、今見たら恥ずかしくて目を覆ってしまうかもしれない。それでも時が流れるにつれて、もう一度、もう一度、と望んでしまう。完全な恋を。完璧な恋を。新品の指定カバンが擦り切れて、印刷されたエンブレムが薄くなってを二回、同時に、制服のボタンを先輩から強請って、譲り受けて、自分の制服は綺麗にキチンと、ヒトカケもなく仕舞われてを二回。そこから自分の足で歩き始めて、晴れ舞台に立って、酒を堂々と飲んで。時間が経つごとに、恋を思い出さなくても生きていける、息をできる自分が出来上がっていくことが心地悪くて仕方がない。
恋は、自分を形成していたほどに大切だったはずだった。恋が煤けて、ほかのものを腕に抱き始めた。腕に抱くぶんを大切するのに必死で、そればかりに目を向けたいのに、尾てい骨から伝う重みが恋を思い出させる。今、腕に抱くものにですらうまく見させてくれない恋。それなのに、振り切れない恋。
ああ、恋、恋か! 思い出せば春、桜。振り返れば冬、氷雪の底。一つ言葉にしてしまえば簡単だ。恋。たった二文字。こい。それなのに、重みは、想いは、むごいほどに積もって人を押しつぶす。
「頼むよ。頼む。自分の恋にも、どうにか墓場を用意してくれ!」
尾てい骨の先、リボンで括られた恋。いとおしく飾られてたはずの煤こけた存在。いつの間にかまとわりついていたそれのほどき方を、自分は知らない。けれど恋は二度と腕の中にも戻ってこない。この想いを一生引き摺って生きていくのはあまりにも非道いことだ。
愛している。もしそう言えたのなら、恋も墓場に連れていけたのか。
自分の心の中に眠る、陰鬱としていて、されど咲き誇る春の山のように爛々としたあの感情を恋と呼んだ。けれどこれは、後悔ともいうのだろうか。
「私の恋は、私にしか、どうしようもない」
わかっていたことだ。今を生きるにしても、尾てい骨ごと切るわけにもいかない。でも、腕に抱えたものをすべて投げ出して、恋に頬を寄せて、「悪かった、ひきずってわるかった、抱きかかえてやれてすまなかった。愛している」と囁けるわけでもない。恋を振り返れば、宙ぶらりんに首をつって、そのまま辛うじて、細々と息をしている。墓場さえ用意できず、捨てきれず、引き摺って、自分は何をしたいのだ。
「恋しているうちは、この重みを背に感じるしかない」
卑怯だ。恋はもう、自分くらいしか引き摺っていないだろう。その程度に風化して、過去のものになったのに、自分にとってはいまだに新しい風を吹かせる桜のようなのだから。自分恋と桜は、深く結びついている。だからこそ、この季節に自分は、自分の恋へ恋文を捧げたかった。
「私の恋、紫色の桜。かつて見た幻想。終わらない、墓場になんて捨てられない恋」
愛していますを、叫べる時を待つ。
翌桧です。ここまでどうもありがとうございました。
私の「恋」が終わって、早数年。一年ごと、恋に対する想いは募って変化してゆくばかりです。
嫌っていた酒を煽れるようになりました。吐き気を催していた紫煙に慣れてしまいました。自分自身の変化にでさえ追いつけないまま、恋をあきらめきれず、恋と決別する機会さえないまま、ここまできてしまいました。
翌桧。あすはなろう。なにかに。その名前に反して、恋は、私の後ろ髪をつん、と引っ張って、明日へ進むことを止めてくる。私の恋はひどくかまってちゃんで、それでも、もう終わってしまっている存在なのですから、かまうことすらできない。つかず離れず、突き放せず、抱きかかえず、そうして生きてきて、やっとの思いで迎えた春。桜の花はいつだってきれいで、恋を思い出させてたまりません。
私の恋に対する墓場を用意するつもりで執った筆は、墓場を用意するどころか、恋に対する想いを叫ぶばかりでした。等身大、汚い言葉でつづった恋文です。
私はまだ、恋を続けています。あなたの恋は、いかがですか。