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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

家庭教師はその愛にうろたえる

作者: ピッチョン

【登場人物】

住谷梨咲すみたにりさ:大学二年生。夏休みのアルバイトで家庭教師を始めた。

関本(せきもと)やちよ:高校三年生。家庭教師に来た梨咲に一目惚れをした。



梨咲(りさ)って八月に家庭教師やってたんだって? どんな感じだった?」

 夏休みの集中講義を終えた夕方の帰り道、不意に大学の友人からそんなことを聞かれた。

 私は自分のスマホから視線を上げる。

「どんな感じって言われても……普通かな」

「もっと具体的に」

「まぁようは塾で先生に一対一で教えてもらってたのを今度は自分でやる、みたいな」

「うーん、イメージはなんとなく。でも一対一(いちいち)だったら生徒ガチャめっちゃ重要じゃんね」

「生徒ガチャって……」

「だってめちゃくちゃ生意気だったり体臭がくさかったりしたら教える気なくさない?」

「私の行ったとこの子はちゃんとしてたよ」

「へぇー、SR(エスレア)くらい?」

「基準が謎」

「じゃあ、男の子、女の子?」

「女の子。高三」

「おー、SSR(エスエスレア)じゃん。年齢も近いし受験前だから余計な話とかせずに勉強しそうだし」

「だったら良かったんだけどな……」

「なになに意味ありげな溜息じゃんか。ちゃんとしてる子なんじゃなかったん?」

「ちゃんとしてたよ。性格もいい子だし教えたところの飲み込みも早いし」

「じゃあよくない? あ、見た目がシュワちゃんみたいだったとか?」

「見た目も可愛い、と思う」

「んー、あとは体臭がシュールストレミングとか、人間の皮を被った宇宙人だったとか?」

「匂いはシャンプーとかボディソープの良い香りしてる。見た目も中身も人間」

「えー、ならなによー? 悪いとこいっこもないじゃん」

 本当に文句あんの? と疑わしい視線を送る友人に、私はぽつりと告げた。

「……私のことが好き過ぎて」

 私の教え子がSSRというのはその通りだ。というかむしろそんな尺度で測れない程の規格外。なにせ私がまったく出逢ったことのない人間だったのだから。

 私のことが好きな女の子だなんて。



     / /



 八月の頭に私は家庭教師をするお宅に赴いた。優しそうなお母さんが出迎えてくれて、あの子はちょっと人見知りなところがあるんです、あぁ全然大丈夫ですよ、なんてよくあるような会話を二言三言して部屋へと上がった。

「初めまして。家庭教師で来ました住谷梨咲(すみたにりさ)です。よろしくお願いします」

 にこやかに挨拶をする。こういうのは第一印象が大事だ。明るく笑顔で、それでいて距離感を保った礼儀正しい立ち居振る舞い。

「……関本やちよ、です……」

 弱々しい返答。しかしそれは人見知りだからというわけではないようだ。瞠目して私の顔を見つめる様子はどこか(ほう)けているように見える。

「えっと、じゃあさっそくですが、どのくらい出来るかを見たいからセンターの模擬テストをしてもらってもいいですか?」

「あ、はい……」

 突っ立っていてもしょうがない。家庭教師としての仕事をしなければ。支給されていた模擬テストのプリントを取り出し、やちよさんの待つ勉強机に歩み寄る。

「時間は80分。テストしている間に学校でやった模擬テストの結果を確認しますので見せてください」

「どうぞ……」

 やはりどこか挙動不審だ。まぁどれだけ態度がおかしくても授業の邪魔をしないなら構わない。

 やちよさんがテストに取り掛かったのを見てから邪魔をしないように後ろに下がる。そのまま用意してもらった座卓でこれまでのテスト結果をチェックしながら弱い所をノートに箇条書いていく。

「あの」

 少しして急にやちよさんに声を掛けられた。

「はい、質問ですか?」

「いえその、梨咲先生って大学何年生なのかな、と思って……」

 テスト中はなるべく無駄話はして欲しくないんだけど。とは思いつつもこれもコミュニケーションの一環だ。

「大学二年生です」

「誕生日は」

「五月、ですけど」

「じゃあもう二十歳(はたち)なんですね」

「えぇと、まぁそうですね。……あの、テストは進んでいますか?」

「あ、すみませんっ、ちゃんとやってます!」

 話が長くなりそうだったので窘めてテストに集中させる。どこが人見知りなのだろうか。むしろ話好きそうな印象を受ける。

 テストが終わり私が採点をしているとき、自習をしていたやちよさんが話しかけてきた。

「梨咲先生って私の志望大学の学生さんなんですよね?」

 会話をするべきか一瞬迷ったが、採点中なら多少は大丈夫か。

「そうですよ」

 やちよさんの志望大学はすでに聞いてある。加えて言うのなら家庭教師としての私のプロフィールに現役○○大学在籍と載っているはずだ。多分それを踏まえた上で私が選ばれたのだろう。

「大学楽しいですか?」

「まぁそれなりに。でも大学で遊んでばかりだとすぐに不可だらけになって留年しますからね」

「大丈夫です分かってます」

 本当に分かっているのだろうか。横目で窺うと何故か楽しそうに私を眺めていた。

「……大学はあくまで通過点です。最終目標の内定をもらうところまでを考えて二年三年のうちから行動していかないと、四年生になって後悔することになりますよ」

「はーい。それで梨咲先生は部活とかサークルって入ってるんですか?」

「……入ってないです」

「じゃああんまり大学の人達とは仲良くしてなかったりします?」

「同じ科で仲の良い友人はいますよ」

 数は決して多くないけれど。

「もしかしてその人が彼氏ですか? それとも彼女?」

「どっちでもないです」

「てことは今フリーなんですねっ」

 その声の弾み方が、喜んだ表情が、彼女の気持ちを雄弁に語っていた。

「……そろそろ採点が終わるので漢文の教科書を用意しておいてください」

「はーい。あ、そんなにかしこまらないでいいですよ。梨咲先生の方が年上なんですから。私のことだって全然呼び捨てにしてもらって大丈夫です!」

 愛想笑いを返しながらこれからどうしたらいいのだろうとひとり途方にくれるのだった。



 やちよちゃんは決して私に好きとは言わなかった。ただし、好きだという感情は否応無しに伝わってきた。

 別の日。やちよちゃんの隣に立って指導していたときにふと花の良い匂いがした。その匂いは彼女の髪から出ているようだ。

 私の細かな反応に気が付いたのか、やちよちゃんが私の方を見上げた。

「梨咲先生が来る前にシャワー浴びたんです。やっぱり綺麗にしてから梨咲先生と会いたいじゃないですか」

 そう言ってはにかむように笑った。

 また別の日。やちよちゃんがネイルをしていた。それも私が一回ネイルを落とし忘れて来たときに付けていたのと同じ色。

「この色、梨咲先生が好きだと思って」

 そう言っていとおしそうにそのネイルを撫でた。

 更には私の服装によく似た服を着ていたり、私が最近読んだ本を聞いてきたかと思うと次の授業までにそれを読み終えていたり、私が好きなアーティストを教えると次の授業のときにはそのアーティストのCDが棚に並んでいたりする。

「――愛が重い!!」

 自宅に帰って私が叫ぶこともしばしば。

 悪い子ではない。悪い子ではないんだ。ただ私のことが好き過ぎて真似したり気に入られようと必死になっているだけ。

「う~~~~っ」

 ひとりベッドでバタバタと暴れる。

 何が困るかというと反応に困るのだ。注意するのはおかしいし、褒めてあげるのも違う。かといって私が喜んだりすれば勘違いさせてしまうかもしれない。

 まぁその、共通の話題で盛り上げれるというのは確かに話していて楽しいんだけど。

 やちよちゃんの家に通って半月ほどが経った頃、変化が訪れた。

「ここの長文の考え方は――」

 私はいつものように設問の解き方をやちよちゃんに教えていた。

「――という感じなんだけど、分かった?」

「はい、ばっちりです。ありがとうございます」

 お礼を口にしたやちよちゃんはごく自然に、机の上に置いていた私の手に触れてきた。

「――――」

 私よりも体温が高くあたたかい。驚いて何も反応が出来ない間にやちよちゃんの手が私の手の甲を包み、ぎゅっと握った。

「や、やちよちゃんっ!」

 ようやく声が出た。やちよちゃんはあっさりと手を離すと悪びれる様子もなく「すみません、手がちょうど当たってしまって」と謝った。

 なにが当たってしまって、だろうか。絶対確信犯だ。これは誤用ではなく私を好きだという信念に基づいている犯行なので確信犯と言っても間違いじゃない――ではなくて。

「……わざとじゃないなら、いいんだけど」

 結局追求することも出来ずにこの話を終わらせた。情けないが薮をつついて蛇を出すようなことはしたくなかった。

 だけど案の定、やちよちゃんの行動はどんどんエスカレートしていった。

 まず、ことあるごとに私に触ってくるようになった。

 部屋で出迎えるときに私の腕を引く。見送るときにも腕や背中に触れる。髪の毛が服に付いてると言って肩に触る。休憩のときに疲れてませんかと聞いてきて肩を揉もうとする。ついでに背中や足のマッサージもしましょうかと前のめりに聞いてくる。疲れに効くツボを調べたと言って私の手のひらのツボを押す。髪の毛が綺麗だから触ってもいいですかと聞いてきて私がいいよと答えると手櫛で散々()いたあと毛先をまじまじと見ながらこっそり匂いまで嗅ぐ。あとはもうなんだかよく分からないけどとりあえず体のどこかを触られる。

 まぁ多少暴走気味なところはあるけどギリギリスキンシップといえなくもない範囲ではあった。しかし――。

 ある日の家庭教師中、教えながらとんでもないことに気が付いてしまった。

(この子、ブラつけてない……!)

 おまけに襟ぐりの深いシャツなせいで上から容易に覗き込めてしまう。少し控えめな胸はけれど肌がすべすべで柔らかそうで揉むと気持ちが良さそうで――ではなくて。

 私は自分を戒めた。

 上から手を入れればすぐに触れてしまうという状況が雑念を抱かせてしまった。私はここに何を教えに来ている。試験勉強だ。センター対策だ。決してやらしいことではない。

 ゆっくりと深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとする。

 その気配を察してかやちよちゃんが私の方を向いた。私の目を見たあと自身の胸を見下ろして笑った。

「あ、これはちょっと暑かったから外したんです」

 そしてシャツの胸元を指でつまんで少し伸ばしてみせた。

「も、もし梨咲先生さえよかったら、な、中を、み、見ても、いいんデスヨ……」

(自分でやっといて恥ずかしがるなーーっ!!)

 セリフの途中から顔を赤くして目を逸らしたやちよちゃんに胸中で叫んだ。恥ずかしいなら最初からやらないで欲しい。もしくは最後までやりきってくれ。でないと私が反応に困る……!

「…………ちゃんと着けないと形崩れたりするよ」

「あ、ハイ……」

 そう言っていそいそと部屋の隅でブラを着けるやちよちゃん。私はそれに背を向けて衣擦れの音を聞いていた。女の子が近くで着替えるなんて学校の体育で数え切れないくらい経験したはずなのに、その音はやけに生々しくて知らず心臓の鼓動が早くなる。

 衣服を直して椅子に戻ったやちよちゃんだったけど、今度はブラががっつり見えてそれはそれで目のやり場に困った。

 またある日の会話で。

「梨咲先生ってストッキングとタイツと生足はどれが好きですか?」

「服装によるし、どれでもいいんじゃない?」

「あえて一番を決めるなら」

「……タイツ、かな」

 次に会ったときは当然のようにタイツを履いていた。しかも日によって色や柄が違い、合わせるボトムスもショートパンツやミニスカートなどでばっちりと絶対領域を見せつける。

 なんというか、本当に尽くすタイプの女の子なんだなと思う。

 その方向性が必ずしも合っているとは限らないけど、想いや努力は確かに私に伝わっているし、それを健気だと感じる私もいる。

 いつからだろうか、彼女の愛が重いと叫ばなくなったのは。

 いつからだろうか、彼女が次にどんな格好をしているのかを想像するようになったのは。

 いつからだろうか、彼女ともっと話をしたい思うようになったのは。

(完全に感化されちゃったみたい……)

 それでもやちよちゃんの想いに応えるわけにはいかない。

 私は家庭教師として派遣されたのだ。それが教え子に手を出していいわけがない。特にこのご時世、そういった話題を見ることも多くなったし私自身がそういう人達に対して嫌悪を抱いてきた。だから――ダメなのだ。

 八月も残り一週間。つまり授業もあと数回。つつがなく残りの授業を終えてお別れをしないと。

 だけどその目論見はあっけなく打ち砕かれた。

 授業合間の休憩時間。座卓を囲んでやちよちゃんのお母さんが持って来てくれたお菓子とジュースをいただいていたとき。

(ん? あれなんだろ?)

 ベッドの足元にハンカチのようなものが落ちていた。しかしよくよく見てみると別のものであることが分かった。

(下着だ――)

 水色のショーツ。レース生地が多く普段履くというよりは人に見せることを想定しているものだ。俗にいう勝負下着。

 私は内心唸った。まさかここに来て落とし物という形でセクシーな下着を見せつけるとは。なんたる策士。確かに友人の部屋にきわどい下着が落ちていたらちょっとドキドキしてしまう。けれど私はそんなものなんかには負けないしこの下着を身につけたやちよちゃんなんて絶対に想像したりしない絶対に。あ、ダメ。想像しちゃった。めっちゃ可愛いし色っぽい――ではなくて。

 いかん。このままだとやちよちゃんのペースに持っていかれる。かくなる上はこの下着を話のネタにしてごまかすしかない。

「あれ、こんなとこに下着が落ちてる。うわ、すごいセクシーだね。やちよちゃん普段からこういうの着けて――」

 私が下着を摘まみあげた途端、目にも止まらぬ早さでやちよちゃんに奪われた。見た目からは予想も出来ない早さに私は反応することも出来なかった。動物番組でよく見る一瞬で捕食される昆虫たちもこういった心境なのかもしれない。

「――え?」

 きょとんとしてやちよちゃんを見ると、下着を握りこぶしの中に隠して胸に抱いたまま顔中を真っ赤に染めていた。

「あ、や、これはその、たまたま落としただけで、別に普段はもっと普通の履いてるし、あっ、これ履いたやつじゃないですよ! 買ったばかりでちょっと派手すぎたかもって思ってやっぱり履くのをやめたやつで――」

 初めて見るくらいの焦りようで言い訳をまくしたてるやちよちゃん。なにがなにやら分からないまま、とりあえず下着がここにあったのは事故だということは理解できた。

 ――不意に、いじわるをしてみたくなった。普段は私に色々とアプローチをしてくるやちよちゃんにちょっとした意趣返しをしようと思ったのだ。

「ねぇ、それ履いてるとこ見せて?」

「――は、い?」

「胸を見せようとしたんだし、下着くらいいいよね?」

「…………」

 ぱくぱくと口を動かすやちよちゃんを見て私は内心でくすりと笑う。たまには私がやり返したっていいじゃないか。

「……分かりました」

 今度は私が呆気にとられる番だった。

 やちよちゃんが立ち上がりその場で短いスカートの中に手を入れる。私は反射的に顔を逸らして目を瞑った。布の擦れる音、足が交互に床を踏む音、吐息、スカートを整える音。それらすべてが臨場感を伴って目蓋の裏に情景を映し出し、私の脈拍がどんどん上がっていく。

「……準備、出来ましたよ……」

 恥じらいの滲んだ声でやちよちゃんが言った。

 おそるおそる視線を向ける。そこにはスカートの裾を摘まんでいつでも持ち上げられるよう待機しているやちよちゃんがいた。足元には今脱ぎ捨てられたと思しき下着。ピンク色のそれは十分見た目に可愛らしい。

 やちよちゃんと目が合った。

「……じゃあ、いいですか?」

 最後の確認。これに頷いたら本当にスカートをめくるのだろうか。

 ……多分本気だ。恥ずかしそうにしている表情の奥に確固たる決意のようなものを感じる。

「…………」

 心臓の鼓動がますます早くなる。ドキドキを通り越してバクバクと胸の内側を(したた)かに叩く。

 私の視線はやちよちゃんのスカートに注がれていた。そこ以外の視界はぼやけて目に入らない。かすかに揺れるスカート。面映ゆそうにもじもじとしている太もも。

 ごくり、生唾が私の喉を嚥下していった。

 静まり返った室内でただ時間だけが過ぎていく。とっくに休憩の時間は終わってしまっているがそれでもお互い動かない。

「……いい、ですよね」

 沈黙を肯定と受け取ったのかしびれを切らしたのか、やちよちゃんが言った。

 私はやはり何も答えられない。ただ一点を見つめるだけ。

 やちよちゃんが意を決したように息を飲んだ。ゆっくりと、ゆっくりとスカートの裾がめくれあがっていく。広がる絶対領域。あと少し。あと少しで下着が見えてしまう。そしてわずかに水色のレースが顔を覗かせて――。

「じっ、冗談! 冗談だからねっ!!」

 土壇場で理性が働いた。慌てて両手を振るい座卓の上を片付ける。

「ほら、勉強の続きしよ。ごめんねからかっちゃってー」

 あははと笑ってみるがうまく笑えなかった。やちよちゃんがどんな表情をしていたのかは見ないようにしていたので分からない。

 以降の授業中もずっとやちよちゃんのスカートの中が気に掛かり集中出来なかった。

 その日は帰るまでやちよちゃんとは勉強のこと以外何も話さなかった。


 家庭教師最終日。いつもと同じ風景なのにどこか遠い所のように感じてしまうのは私が寂しがっているからだろうか。やちよちゃんの態度も少し余所余所しい。

 授業の総仕上げとして模擬テストを行おうとしたとき、やちよちゃんが呟いた。

「……あの、もしこのテストで満点を取ったら、私のお願い聞いてもらえませんか?」

 静かに穏やかに、そして真剣に。その言葉に潜む真意を今更問いただすのは無粋すぎる。

 だから私は頷いた。

「……いいよ。もし満点なら、ご褒美に何でも言うこと聞いてあげる」

 もしも本当にそんなことが起こるのなら私の先生としての役目は完全に果たしたと言える。だったらやちよちゃんの想いに応えてあげるのも悪くないのではないか。

 そしてテストが終わり、採点も終えた。隣で採点を見守っていたやちよちゃんが項垂れる。200点満点中……182点。

 それでも十分高い方だし志望大学を考えても全然問題はないのだが、約束は約束。やちよちゃんもそれを分かっているからこそ何も言わない。

 …………。

 気まずい沈黙。

 何か言葉を掛けてあげたいけどなんて言えばいいのか分からない。おしかったね。頑張ったね。今これだけ取れるなら本番でも大丈夫。

 違う。そうじゃない。私が言いたいことはそういうことじゃない。

「はは、せっかく梨咲先生が教えてくれたのに満点取れずにすみません」

 気を遣ってくれたのだろう。やちよちゃんが無理をして笑顔を作っている。

 そうじゃないはずだ。やちよちゃんが私に言いたかったことは絶対にそんな言葉じゃない。

 私はこれでいいのか? ここまでやちよちゃんにさせておいて私はこのままでいいのだろうか? 点数が上がってよかったねとさよならをしていいのだろうか?

 もっと会いたい。もっとお喋りしたい。部屋の中にいるだけじゃなく色んなところに遊びに出掛けたい。手を繋いで一緒に買い物をしてご飯を食べて。ここにいるだけじゃ知ることのできないやちよちゃんの表情や仕草を間近で見ていたい。

 実現させるのは簡単なこと。自分の気持ちを相手に伝えるだけ。

 ひとつ不安があるとすれば、やちよちゃんの気持ちは本当に私の方を向いているのだろうかということ。

 散々自分でやちよちゃんは私のことを好きだと言っておいて今更かと思うかもしれないが、怖いんだ。全部私をからかっていただけという可能性もゼロじゃない。最後の最後で私の勘違いだったとなれば私は多分立ち直れない。

「…………」

 直接その言葉を口には出しづらくて、私はゆっくりと話しかけた。

「……口頭で追加の問題出してもいい? 一問で200点の問題」

「え?」

「私はやちよちゃんのことをどう思っているでしょうか?」

「え、と、それは……」

「ヒントは、やちよちゃんが私に対して思っていることと同じ、だよ」

「――――」

 やちよちゃんは何かに気付いたように目を見開いて、もごもごと口を動かしたあと消え入るような声で言った。

「…………好き?」

 答え合わせを相手にやってもらうなんて我ながらズルいと思う。けどこれでもう怖がることなんてなにもなくなった。

「大正解。さてこれで満点を大幅に超えちゃったけど、お願い事は何をするの?」

「あ、う、その、夏休みが終わっても、会ってほしくて……」

「会うだけ?」

「あ、遊んだり、勉強みてもらったり――」

「そういうことを全部ひっくるめて何て言えばいいか、分かる?」

「……付き合って、くれませんか……?」

「うん、こちらこそ、よろしくお願いします」

 恋人になって初めてしたことは、嬉し涙で泣き崩れたやちよちゃんを抱き締めてあげることだった。



     / /



「――と、いうわけで、家庭教師先の女の子と付き合うことになりました」

 ぶい、と指を立てて友人に告げると、友人はぽかんと口を開けて固まってしまった。

「どうしたの? そんなぽかんとして」

「ぽかんとするわ、んなもん! 家庭教師でどんな大変なことがあったのかと思って聞いてたらそこの女の子と付き合うことになったぁ!? SSRの子だったらよかったんだけど、みたいに言いながら溜息ついてたのはどういうことだ!?」

「えっと、幸せの溜息?」

「おうおう存分に幸せ逃がしちまえ!」

「あ、ちなみにこのあとやちよちゃんと会うんだけど一緒に来る?」

「この流れでどうやったら誘えんの!? ていうか女友達つれていったらそのやちよちゃんとやらも迷惑でしょうが!」

「大丈夫。今友達といることも、やちよちゃんとのことを話してるのも全部リアルタイムでラインしてるから」

「どおりでスマホいじってんなって思ってたよ!」

「ほら、『下着のくだりは恥ずかしいので絶対言わないでください!』だって。可愛いよね~」

「やめたげてよ! 恥の上塗りだよ! もう突っ込みしすぎて疲れたよ!」

 はぁぁぁ、と深い息を吐く友人。疲弊の色が濃い。

「……とりあえずあたしゃもう帰る。付き合ってほやほやのバカップルの邪魔をする気はないんで」

「そっか、まぁ無理に来てもらっても悪いしね」

「バカップルは否定しないんかい」

「あぁ勉強もちゃんとしてるからバカじゃないよね」

「……それ本気で言ってる?」

「冗談だよ。でもバカップルって言われそうなくらい仲はいいから」

「あーはいはいバカップルバカップル。いいなー、あたしも家庭教師やって彼氏か彼女ゲットしよっかなー」

「どっちでもいいんだ」

「人肌が恋しいお年頃なの」

 せいぜい末長く仲良くやんな、と捨てエールを吐いて友人は去っていった。

 是非ともそうさせてもらおう。私はさっそくやちよちゃんに電話をした。一秒でも早く声が聞きたかったから。



 九月になって以降やちよちゃんと会う頻度が少なくなったかというと、むしろ増えることになった。

 やちよちゃんの学校が終わると待ち合わせをして適当にぶらついたり喫茶店やファストフードでお喋りを楽しんだりして、休日になったら少し遠出をしたり勉強を見てあげたりする。気付けば一週間ずっと顔を合わせていることもあった。

 これから冬に近づくにつれてやちよちゃんは試験勉強で忙しくなるだろうし、大学の夏休みが終わる前の今がお互い羽を伸ばせる最後の時期。時間が許す限りは色んなところに遊びに行きたかった。

 とはいえ遊ぶばかりでは二人にとってよくないので、最低週一では試験勉強をすると決めた。場所は主に私の家だ。当たり前だけど勉強を教えることに関してお金は貰っていない。というか恋人の家からお金なんて貰えるわけがないじゃないか。やちよちゃんのお母さんには私達が付き合い始めたことは秘密にしている。ただ仲良くなったから個人の範囲で勉強を見てあげたいと申し出ただけだ。おかげでやちよちゃんが来るたびに菓子折りやらを持たされていてどうにも申し訳なくなる。

 何度目かの勉強会。私は大学のレポートを進め、やちよちゃんは試験の勉強をしながら分からないところがあったら私に質問をしていた。

 やっていることは家庭教師のときとほとんど変わっていない。変わっているところがあるとすれば。

「――ちょっと休憩しよっか」

「はい」

 それぞれが手を止めて腕や背中を伸ばして体を休める。

 私はベッドに腰掛けて手招きした。

「やちよちゃん、こっち」

 とことこと近寄ってきたやちよちゃんが私の膝の上に腰を降ろす。その体にぎゅうっと抱き着いた。

「あぁー、これこれ。これがないともう生きていけなぁーいぃー」

 私はすっかりやちよちゃん中毒になっていた。一定時間経ったらやちよちゃんに触りたい病が発症してしまうという厄介な体質だ。

 やちよちゃんはくすりと笑って手を後ろに回し私の頭を撫でてくれた。

「大丈夫ですよ。死ぬまでそばにいてあげますから」

「愛がおもーい……でもそこが好きぃ……」

「私も、私の愛を受け止めてくれる梨咲先生が大好きです」

「もう先生じゃないでしょ。恋人なんだから呼び捨てにしてもいいのに」

 私の要望にやちよちゃんが躊躇いがちに呟く。

「…………梨咲」

「んふ……や・ち・よ」

「やっぱり恥ずかしいですっ!」

「そのうちもっと恥ずかしいことするから大丈夫」

「あう、それは……」

「なんてね、あんまり勉強の妨げになるようなことは――」

「私……今あのときの下着つけてますよ」

「…………」

「今度こそ見ます、か?」

 潤んだ瞳を向けられて、私は抱き着いた腕でやちよちゃんを左右に揺さぶった。

「もーっ、人が自制しようとしてるのになんでそう焚き付けるようなことするかなー! そんなに見せたいの!? 見せて私に襲わせたいの!?」

「わわっ、えと、その、梨咲さんにだったら、襲われてもいいです、けど」

「もうこれ以上そういうことを言われると本当に抑えが効かなくなるからやめよ? ね? 一応親御さんからお預かりしている大事な娘さんだからね?」

「り、梨咲さんに、し、試験勉強、以外のことも、お、お、教えてほしいデス……」

「言って恥ずかしがるなら言わなくていいから! 慣れてないのに無理しないで!」

 体を縮めてぷるぷる震えるやちよちゃんをよしよしと慰める。

 けど正直なところ、やちよちゃんと今以上に触れ合いたいという思いはある。しかし彼女は受験生だ。私と付き合ったせいで大学受験に失敗したなんてことあっていいわけがない。だからあと数カ月は節度をもって付き合っていかなければならないのだが。

 いかんせんやちよちゃんが可愛すぎる。それでいて相手から誘ってきてくれているのに手を出すなというのは最早拷問ではないだろうか。

「……やちよちゃん、こっち向いて」

「?」

 顔を上げたやちよちゃんにいきなりキスをおみまいした。

「――――」

「……キスはまぁ、スキンシップだから」

 あっけに取られていたやちよちゃんの顔がどんどんと色づいていく。

「あ、き、キスの勉強、し、したいデス……」

「また恥ずかしいのに無理しちゃって。でも今度は、お望み通りにしてあげようかな――」

 抱き着いたままベッドに倒れ込み、腕を絡み付くように回し再度唇を重ねた。

 さっきは強ばっていたやちよちゃんの唇が徐々に解きほぐれていく。やがて私の動きに合わせて自分から唇や舌を動かすようになった。

(相変わらず飲み込みが早いことで。もう教えるようなことはなさそう)

 内心で苦笑する。喜ばしいことだ。これから先は二人で一緒に勉強をしながら歩んでいくことになるのだから良い予行演習になる。

 目下今の私の心配事は、いつキスを止めて試験勉強に戻ろうと言うか、に尽きる。

 まぁそれは今じゃなくていい。

 しばらくの間はすぐそこにある幸せのぬくもりを感じていよう。

 勉強で溜まった疲労に一番よく効く薬は、まさしくこれなのだから。




            終


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― 新着の感想 ―
[良い点] 先生が告白するシーンの台詞回しが最高でした。
[良い点] ピッチョン様の百合短編がとても好きです
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