星海を征く希望の歌
「――先生、もう朝ですよ」
「……ん。むう、あと五分」
「いつもそう言って一時間は寝るでしょう? 起きてください。朝食もできています」
美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐる。
絹のような美しい白銀の長髪を掻き、適当に寝癖を直すと、起き上がる。
年のころは十代後半、宝石のような紅の瞳を持つ。
名を、ロアといった。
ロアは容姿こそ若いものの、その年齢はすでに百を超えている。
不老不死の身体を持つ大魔女だ。
今、彼女はひとりの弟子をとっていた。
ロアと同じような銀色の髪をした少年――ゲイザーへ、薬学や錬金術、占星術を教えていた。
ある日、彼は突然家へやってきた。
ロアから学問を学びたいと。
聞けば、学校で学べることはもうないといった様子であった。
実際に話を聞いてみると、たしかに、彼の好奇心を満たせるほどのものは学校では得られなかっただろうと納得せざるをえない知識量であった。
加えて、彼くらいの年齢で、自分の研究室を持たせてもらうのは難しい。
だから、過去の文献からロアの屋敷を探し出し、教えを乞いにきたのだと言った。
ロアはなかなかに熱意のある少年だと思った。
だから、面白がって、小間使いをすることを条件に、彼に教えを与えることにした。
そこまでならば、特別珍しいことではない。
徒弟制とはそういうものだ。
しかし、彼がロアの思ったよりも優秀であったため、ロアの自堕落だった生活は終わりを告げ、今は規則正しい生活をさせられている。
家事もロアの精霊に任せるよりきちんとしているし、何より彼は料理がうまい。
「今日はウレンランオウの卵で作ったオムレツと、タイショウムギの粥です。昨日捕えたドロイノシシの肉も下処理をしたので、夕飯には間に合うかと思います」
彼はロアの朝食を準備しながらそう言う。
彼の上げた動物は、この周辺に生息している動物たちで、捕えるにもかなりの練度が必要なはずなのだが、彼はいくらか周辺の調査を終えたのち、罠を自作して、簡単に捕まえられるようになってしまった。
「お前、こっちの方が向いているんじゃないのか?」
「そんなこと言わないでくださいよ。まだこの国――テールリングでは地位の低い星読みたちのために働くのが僕の夢なんですから」
「子供のくせに、大層な事を言う」
「子供だから、でしょう。可能性に溢れているんですよ」
「そうか、そうか」
席について、いざ食べようとすると、屋敷の扉がノックされた。
「来客の予定などあったか?」
「いえ。見てきますね」
ゲイザーが扉を開けると、いくらか言葉を交わす声が聞こえ、彼はその客人たちを迎え入れた。
客人はふたりの女性で、歳の頃は、二十半ばといったところだろう。
片方は金髪で緑色の瞳、もうひとりは茶髪で桃色の瞳に眼鏡をしている。
ふたりの身長はほとんど同じ位だ。
茶髪の方は両腕が義手であること以外、容姿からは特別な雰囲気を感じ取れなかったが、その内に流れる魔力は明らかに異質であった。
金髪の方からは何やら刺激のようなものを感じるし、茶髪の眼鏡の方からは燃えるようなものを感じる。
それに、彼女がしているオオカミの牙のネックレスからは、精霊の気配もする。
ただ者でないことは確かだ。
「ああ! やっと見つけた! ちょっとロア! こんな森の中に住んでるなんて言ってなかったじゃない!」
金髪の方が大きな声で言って駆け寄り、儂に抱き付こうとしたため、手で制する。
「待て。お前らは誰だ。説明しろ」
「そうだよ、イライアちゃん。私はシーリントル。こっちは、イライア。以前、あなたに助けてもらった者です」
そう言われても、記憶にない。
その表情を見たシーリントルが少しがっかりとした顔をする。
「覚えていませんか」
「ああ。悪いが、さっぱりな」
「えっと、この世界の前の世界から、私たちは来ました。ロアちゃんが、世界を作り直した時、私たちは記憶を消すことができなかった。たったふたりで、この世界に移動をしたのです。時間は少しずれちゃったけど、それでも、確かに移動できた」
その現象そのものには心当たりがあるし、知っている者もそう多くはないはずだ。
そのうえで、彼女が間違ったことは言っていないところから考えるに、本当だと思ってもいいだろう。
「しかし、もしそうならば、残念だったな。儂はお前たちの知るロアとは別の個体だ。恐らく、記憶の複写が完璧ではなかったのだろう。――それで、どうする? 事実、お前たちと儂は初対面で、記憶喪失とも異なるものだから、お前たちとの関係性が戻ることはないとして、何の用でここを訪ねた?」
「あなたが何か大きなことをする時に凡ミスをすることくらいわかっているわよ。もしかしたら記憶もないかもしれないって、とっくに考えていたわ。私たちが、個人的にひと目会いたかっただけよ。それ以上のことはないわ」
儂に制止されたままのイライアが言う。
「あなたの所に辿りつくまで、この世界のことを色々と調べたわ。随分と楽しくなっているじゃない。大地も、海も、果てしなく広がっているのに果てがあるなんて、考えたこともなかったわ。だから、お礼を言いたいの。素敵な世界を、ありがとうって」
イライアは緑色の瞳で真っ直ぐに儂を見つめる。
その眼に嘘はない。
「……実感としてはわからんが、代わりに受け取っておこう」
「うん。私たちはそれでいいよ。元々、覚えてなかったらそうしようって決めてたから」
シーリントルが柔らかな笑みを浮かべる。
しかしどこかぎこちなく、ロアは違和感を覚えた。
「む? お前、もしかして、感情欠乏症か」
「あはは、やっぱりわかっちゃった?」
「儂の前で無理に愛想を良くする必要はない。生まれつきか?」
「お母さんもそうだったから。遺伝かな」
困ったように笑う。
無理にでも愛想よくした方が、この世は生きやすい。
身につけるまでに相当な苦労があったはずだ。
「……ふたりとも、座れ。久しぶりに会ったのだろう。話くらい聞かせていけ」
ロアがそう言うや否や、ゲイザーは熱々の紅茶をすでに準備していた。
彼の作った茶菓子まである。
「ああ、そうだ。さっきも会ったけど、あなた、お名前は?」
イライアが給仕を受けながら聞く。
「ゲイザーです。ロア先生の元で学問を学ばせていただいています」
「あなたが、ゲイザー……」
「僕を知っているのですか?」
「――いや、知らないわ」
イライアは紅茶に指をかけたまま、少し考える様子を見せた。
嘘っぽい反応だが、きっと彼女の知るゲイザーとは違う個体なのだろう。
「ゲイザーとロア。あなたたちさえよければ、なんだけど、北に行ってみない?」
イライアの言葉にロアが眉をひそめる。
「提案の意図がわからん」
「世界のこと、調べたって言ったでしょ。あなたの白銀の髪、北の果てにあるシュンリーって諸島の民族の特徴なんでしょ? ゲイザーも、たぶん、そうよね? 行ってみたいって、思わない?」
「待て待て。ここからどれだけ離れていると思っている。軽く一万キロはあるぞ」
「だから誘いに来たんじゃない。もしかして行きたいと思ってないかなって思ってね」
「誰がそんな面倒なことを……」
ロアが呆れてため息をつくも、ゲイザーの瞳が輝いているのが見えて、嫌な予感がする。
「北の果てって、最古の天文台があったところ、ですか?」
「そう! よく知ってるじゃない。世界最古、ドワーフたちの手によって作られた、すでに滅んだ技術によって作り上げられた天文台があるところよ。見に行きたいと思わない?」
「い、行きたいです! けど……」
ゲイザーがロアの顔色を伺う。
「儂は行かんぞ。面倒くさい」
「実地で経験させられることもあるんじゃない?」
「勝手に行けばいいだろう。なぜ儂が共に行かなければならない?」
ロアがごね始めると、シーリントルが懐から一枚の紙きれを取り出した。
「私たちが調べたことなんだけど、北の果てには前の精霊王が眠っているんだよね? 旧支配者の精霊王イツキが。私たち、その人に会いにいくつもりなんだ」
たしかに、北の果て、氷山の中に彼女は今も眠っている。
しかし、あまり他人を近づけさせたくはない。
あそこはロアにとっても、聖地のような場所なのだ。
「一緒に行かなかったら、どうなるかな」
「貴様、脅す気か?」
「私たち、記念に氷山に名前彫っちゃうかもしれないよ?」
シーリントルが派手に壊されるよりも、地味にされると嫌なことを言う。
「氷を削って、その氷でスープ作っちゃうかも」
「お前なあ……」
「もし来なかったら、ゲイザーくんに天文台触らせちゃうよ」
「いや、待て。それだけはダメだ。絶対に」
最古の天文台は、その機能の複雑さ故に放置されている。
もしもゲイザーが動かせるなどということになったら、大騒ぎになるに違いない。
そして、こいつらがロアの名前を出さないはずがない。
そうしたら、この安息の日々は終わりを告げる。
連日、人間が訪れることになるだろう。
それだけは絶対に困る。
ロアは高速でそこまで考え、腕を組んで唸ったあと、大きなため息をついた。
「わかった。一か月待て。学問をキリのいいところまで終らせる。しかし、大変な旅路になるぞ。儂はともかく、ゲイザーに長旅の経験はない」
「大丈夫! 私たちも未経験だったけど、なんとかなったから」
「経験則で語るな。良いか。これから旅の基本も教える。お前たちも聞いておけ」
「やった! 決まりね! よろしく、ゲイザーくん!」
「はい!」
大喜びする三人を後目に、ロアは面倒なことになったと眉間にシワを寄せる。
しかしまあ、悪くない。
悪くないものだと、ロアは確かにそう思った。




