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もういい

つまらないことになった。

狂死郎の胸中に、初めに沸いた感情はそれだった。


鉄鬼は『咲いた』。

頭部が六つの花弁のように割れて、中から光る触角が伸びて、ゆらゆらと揺れる。

恐らく、狂死郎の剣を知覚するために、改変を行ったのだろう。


しかし彼は分かっていない。

改変は、そんなに単純なものではない。


視覚や聴覚を失って、不可視の刃を捉えられるようになったとしても、今度はそれに対応する脳と肉体が必要となる。

医学に精通しておきながら、改変というルールの書き換えのせいで、考え至って当たり前のことを、考えられない。


狂死郎は納刀して、もう一度、柄に手をかける。


「見える。見えるぞ。お前はその刀を抜いて、俺の胴体を両断しようとしている。見える。感じる。もう怖くない」

「……もういい」


彼には全ての時間が、細切れの画となって見えているのだろう。

物事を空間ごと把握する術を手に入れた。


――しかし、彼が狂死郎の動きに対応することはなかった。

手にした鉄棒は脱力して、地面へ向いたまま、かろうじて握っているといった状態だ。


狂死郎の刃は一瞬の閃光と共に、彼の胴を滑る。

今度は、芯を捉えた。


たしかに、彼には全てが見えているのだろう。

狂死郎のことだけでなく、この世界を流れる全て――森羅万象の一切が、彼の脳へと流れ込む。


だが、人間の脳はそれに耐えられるようにはできていない。

知覚している情報を、処理しきれない。


魔力大結晶と同じことが、今、彼には起こっている。

膨大な量の情報が、雪崩のように入り込んでくる。

その中から、必要なものを拾い上げ、対処することは、通常の人間には不可能なのだ。


――まともに戦っていれば、もっと何かが起こったかもしれなかったのに。

彼は戦士ではない。

だから、早々に勝負を諦めたのだ。


今まで自分が自信を持って使役してきた身体能力を信じきれなくなった。

天から与えられた才能を、いくつも持ちながら、それを活用できなかった。


鉄鬼の上半身と下半身が別れ、悲鳴もなく地面へ崩れ落ちる。

彼はきっとまだ、狂死郎の剣を見ている。

自分が切り裂かれる様を、永久にも近い時をかけて、解析しようとしているだろう。


結果を見ればもうすでに死んでいるが、情報の奔流に飲み込まれた彼がこの結末に辿りつくことは、決してない。


「鉄鬼よ。そういう楽なやり方で人間に勝てるなら、同じようなことをするやつはいくらでもいるんだ。改変を改変と知らず、手をかけるやつはたくさんいる。だが、上手く扱えたやつはひとりもいない。いないんだよ……。先生も含めて、改変は自在に行えるものじゃない。鉄鬼。稀代の肉体能力を持ちながら、それに見合う精神を持たなかった男よ。もっと必死にあがいて、できることを全て試して、それであたしに刃を突きつけてくれよ。改変はつまらない。つまらないんだよ……」


心底、落胆した。

生きて帰ることを勝ちの算段に入れられない者とは、勝負などできない。


大きなため息をついた時、少しだけ、狂死郎の知っていることとは違うことが起きたことに、気がつく。


改変によって強化されたものが感覚器官だけであると、決めつけていた。

両断された鉄鬼の上半身と下半身が不気味に蠢いていたのだ。


「こりゃあ……」


そう呟くしかなかった。

正直に言って、狂死郎はロアほどこういった現象に詳しくはない。


人体の仕組みや筋肉の動き、感情の読み取り。

せいぜいがその程度。

魔獣や魔物の類は専門外だ。


鉄鬼の両断された胴体の断面から、無数の触手が伸び、絡み合って大樹のような半身を作り出す。


「あ、あ、ああ」


もはや声を発することすらできない体で、狂死郎へゆっくりと向かう。


「んー……。面白味もないし、無視してもいいんだが。流石に不憫だな」


狂死郎はもう一度太刀を抜く。

せめてもの情けで介錯をしてやろうと考えた。


しかし、もはや勝ち負けではないとはいえ、今目の前にいるこれが何なのか、一切理解できない。

斬って殺せるものなのか。


「放っておくわけにもいかない、だろ」


気は乗らないが、ひとまずは頭を落とすことにする。

これで死ぬかもわからないが、試してみるしかない。


スッと、豆腐を切るかのように、首は簡単に落ちた。

ゴロゴロと転がり、ピタリと止まる。


咲いた頭部から生えた触手は、うねりながら、周囲を探っている。

大昔に山の中や森の奥深くには、こういった手合いはたくさんいた。

危険性は野生動物ほどではないが、とにかく不気味で、妙なところから現れたりする。


いちいち相手をすることもしなかったため、殺せるものかもわからない。

全体を潰したり、燃やせば殺せるはずだが、今ここにちょうどいい獲物もない。


「変な触手は伸びてるけど、傷が治るわけじゃない、か。細切れにすれば、とりあえずいけるか?」


刃の先を突きつけて、撫でるように切り分けて行く。

頭部は細かな肉片となったが、そこから細くて短い触手が伸びて、まだ生きている。

とうてい、生き物とも呼べない姿となったそれを、狂死郎は悩みながらとにかく小さくしていく。


そうしていると、ついには、その生き物は動きを止めた。

どうやら、肉体の大きさではなく、そこに残った魔力で活動していたらしかった。


最近とんと見なくなった、奇妙な生き物だ。

そういえば、いつから見なくなったのだろう。


狂死郎がロアの元へ行った時には、まだ山の中にいた。

しかし、ロアの元を去る時にはいなくなっていた。


その種族は『魔物』や『魔獣』と呼ばれたものだ。

何かしらの改変があったに違いない。

そういったものを消し去る改変を為した者がいる。


おそらくはゲイザーだろう。

目的はわからないが、存在を消しても記憶には残す、器用な改変を行っている。


魔物への恐怖、その存在が、人間の行動を抑制している。

そんな精密な知覚操作を行えるのはゲイザーくらいしか考えられない。


だとすればなぜ、彼は魔物へと変化したのだろう。

改変が行われたのなら、その存在は許されず、死亡と同時に消滅するはずだ。


「こういうの、何て言ったか。星海の――。ああ、思い出せない」


ロアの解説をあまり真面目に聞いていなかったことを悔やむ。

月の扉の外にある、無限の闇の海に存在する、不定形の魔物たち。

外の世界の生き物は、内側の理である改変の影響を受けにくいと聞く。


しかし、彼の正体が分かったところで、狂死郎にはあまり関係のないことかもしれない。


「まあ、あとで聞けばいいか。先生も死んじゃいないだろうし」


思い出すことを諦め、争いの匂いがする方へ顔を向ける。

一度だけこちらに転がり込んだシーリントルは、狂死郎たちが戦っている間に、また市街の方へ向かっていった。

そちらからは、空気を震わせるような大きな爆発音が、何度も起こっていた。


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