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わかるかい?

鉄鬼――壱式は、農村の生まれだった。

まだ五歳だったころ、十歳以上年上のやんちゃな少年たちをつい殺してしまい、村を追い出された。


原因は、単純に向こうが喧嘩を仕掛けてきたからだ。

壱式は争いが嫌いで、ずっと無視し続けていた。


畑仕事をして、少しの飯を食って、寝る。

その生活に何の不満もなく、発散したい感情もなかった。


ある日、彼らは無視され続けることに我慢できなくなったのか、強行手段に出た。

壱式の家の食糧貯蔵庫に火をつけたのだ。


父と母は茫然としていた。

彼らに少年たちのことを伝えていなかったため、その犯人は見当もつかなかったことだろう。

壱式は、現場に残った足跡から、すぐに彼らが犯人だとわかった。


村の近くにある山の中に、彼らの隠れ家があった。

壱式は独自に痕跡を追い、闇に紛れて夜襲をかけた。


とはいえ、武器や爆薬を用いたわけではない。

正面から乗り込んで、ひとりひとりの首を捻ってまわった。


手に残るのは、骨の折れる不快な感触。

もっと気分の晴れるものかと思ったが、そんなこともなかった。


壱式は、彼らを殺したその足で村へ戻り、全てを報告した。

悪いことをしたとは感じなかったし、殺人事件だと騒ぎになるのも嫌だったからだ。


良かれと思っての告白だったが、結果は悪い方へと傾く。

翌日、両親が首を吊って死んでいた。

壱式のやったことの責任をとらされたのだと、その時気がついた。


全ての物事は影響し合っていて、自分ひとりで完結することなどないのだと、幼心に理解した。

もうこの村にはいられない。

壱式は最低限の道具だけを持って、翌朝、夜明けと共に村を出た。


それからのことは、大したことはしていない。

ただ仕事を探していただけなのに、喧嘩を吹っ掛けられることが多かった。


だから、初めのころは全て相手していた。

向こうが金銭を持っていることも少なくなかったからだ。

それに、半端に倒すとまた襲って来ると思い、全員を確実に仕留めるよう努めた。


それがいけなかったのか、いつしか賞金がかけられるようになっていた。

以前よりももっと身をひそめて暮らさなくてはならなくなった。


その段階になっても、壱式には、彼らがなぜ怒り狂い、自分を追うのか、全く理解できなかった。

ただ、振りかかる火の粉を元から断っていっただけだったのに。


困り果てているところを、ホールイートに拾われた。

大きな傘の下にいれば、火の粉が降ることはない。

その理屈に納得して、フェアレスへ入ったのだ。


そして組織に属すことでたくさんのことを学んだ。

生まれつき共感能力が低く、学習無しに他人のことを理解することができない。

だから、学べる場を得られたことで、壱式は狂気にも似た執着で人間のことを学んだ。

医学を学んだのはその一環だったが、自らの持つ暴力性と対極に位置すると思い、そちらを隠れ蓑にすることを選んだ。


だから、今のように、フェアレスという住処を失う直前になっても去ることができないのは、そういった背景があったからだ。

ここでフェアレスとして最後の仕事を終えたら、次の住処を探さなくてはならない。

それは恐らく簡単ではないだろう。


手早く狂死郎とシーリントルを始末する必要があった。


――ところが、どうだろう。


狂死郎の噂は壱式も聞いている。

古今無双の剣豪で、生涯無敗、傷を負ったことすらないと聞く。


――そんなものはただの噂だ。

こうして対峙してみるとわかる。

彼女はただ、強いだけの人間だ。


魔法使いでも精霊でもない。

ほんの少し、身体能力が優れているだけだ。

その筋力差、運動神経、身体を力強く素早く動かす機能だけを比べてみれば、壱式にしてみると童にも等しい。


しかし、しかし、それがどうしたことだ。

今の背後をとった斬撃。

それこそ、瞬きの一瞬だっただろうか。


彼女は到底、一手では届かない距離から、背後へ回り込み、斬撃を行った。

様々な可能性が脳裏をよぎる。


消えた、素早く動いた。

そのどちらとも違う感覚だった。

まるで風、いや、風であれば視覚で捉えられないはずがない。


「わかるかい? 味わったことのない技術だろう?」

「……切り合いの最中によく喋る」

「我慢するなよ。脂汗が出てる。さすがにまだ動けないだろ。ついでに教えてやろう。種明かしってほどでもないがね。知ったところでどうしようもないことさ」


彼女はまた瞬きの間に姿を消し、いつの間にか背後に立っていた。


「何をした?」

「……音は聞こえた時には聞こえているし、光は見えた時には見えている。あたしのはそういうやつさ。あんたらの魔法にすぐ勘付いたのも、そのおかげさね。意識と意識の隙間に入り、気がつけなくする。あんたは確かに駆け寄るあたしを見ているし、切られた瞬間に痛みも感じている。だけど、それに気がつけない。意識の空白ってものがあるのさ」

「馬鹿な……」


曲がりなりにも医学を修めているのだ。

そんな現象があるなら聞いたことくらいはあるはずだ。


「意識ってのは常に連続してるわけじゃない。途切れ途切れの細かい線が無数に並んでいるだけさ。その間に入り込まれると――」


狂死郎が目の前に突然現れ、壱式はたじろぐ。


「こういう芸当が可能になる。ま、一秒にも満たない刹那の刻だ。自覚するのは厳しいだろうよ」


その一秒にも満たない時間で、あの距離から背後をとって斬りつけた事実は変わらない。


「……化け物め」

「良い目になってきた。やっと対等にやってくれそうだね」


狂死郎が笑う。

こちらのやる気を引き出すためだけに、お膳立てをされたのだと分かると、途端に憎たらしく思えてきた。


「貴様――」


文句のひとつでも言ってやろうとしたその時だった。

何か小さな人影が、勢いよくふたりの少し離れたところを転がっていく。


「シーリントル!」


服の端の焦げた、オオカミの面を被った少女がそこにうずくまっていた。






集中が途切れたわけじゃない。

すぐ近くでシーリントルともうひとりの謎の男が戦っているのは分かっていた。


姿こそ見えなかったが、敵の激しい攻撃が続いており、それが途切れる瞬間があった。

そこで敵の姿を捉えられたのだろうと思っていたが、こうして吹き飛ばされたシーリントルを見るに、その後予想もしなかった展開があったのだろう。


「大丈夫かい?」

「け、怪我は、して、ない。だ、大丈夫」


彼女はすぐに四肢をつけて立ち上がると、自分の吹き飛ばされてきた方向を睨む。

心が折れていなければ、いくらでも立ち上がれる。


彼女は芯の強い人間だ。

例え手足をもがれても食らいつくだろう。


「――そいつがお前の弱点だな」


数秒のうちに、鉄鬼はこちらへ踏み込んでいた。

上から振り下ろされる鉄鋼鞭をシーリントルは咄嗟に腕で防御しようとする。


「ダメだ! 受けるな!」

「遅い!」


こちらの指示よりも早く、鉄鬼の腕は振り下ろされる。

良くて骨折、悪くすれば腕ごと頭部を割られて死ぬ。


守ろうにもここからでは間に合わない。

万事休すかと思った時、彼女の腕部に、鉄鬼の鉄鋼鞭は弾き返された。


「――ハッ」


思わず笑みがこぼれる。

そういえば、彼女にはアレがあった。

狂死郎の刀すらはじき返す弾性のある土の防御膜。


冷静に対処すれば二度目は通じないだろうが、一度防ぎ、思考に防護の存在を植えつけられたら十分。


しかし予想外に弾かれ、体勢を崩されたとて、油断はできない。

倒れ込みながらでも人を殺せる威力の打撃を出せる。

追い打ちはさけるべきだ。


(――普通ならそう考えるだろう)


来るとわかっていれば、対処は可能だ。


狂死郎は大きく開いた彼の体へ踏み込む。

反射的に彼は迎撃を行う。

今まではそれで対処できていたのだ。

知識と経験の足りない彼なら、今までの癖からそう選択するだろう。


――肉体を扱う者であれば誰でも必ず習得している技術がある。

基礎も基礎。

やってのけて当然のことがある。


予想通りの横薙ぎ。

いかに早くとも、いかに強くとも、力には流れがある。

どんな武芸者であれ逃れられない理、それを如何に利用するかが技術であると言っても過言ではない。


鉄鋼鞭の横薙ぎを、鞘に入ったままの刀で斜めに受け、上方向へ力の流れを逃がす。

さらにそのまま刀を抜き、素早く切りつけ、血しぶきが上がる。


しかし、先程と同じく感じた妙な手ごたえ。

彼の肉体はまるで金剛石だ。

人の肉の感触とはまるで違う。


彼の特異な反射神経もあるだろうが、人智を超えた肉体強度と力任せな身体のひねりのせいで、一度の太刀では触れることはできても急所まで刃が届かない。


距離をとろうかとも考えたが、それでは以前までの繰り返し。

ここはこのまま、素手の距離で戦うのも、試してみてもいいかもしれない。


彼の体に刀を押し当て、上半身を切り裂く。

まだ浅い感覚がするのは仕方がない。


仰向けに倒れた鉄鬼の腕を踏みつけ、狂死郎は立ち上がり、心臓を狙って突く姿勢をとろうとする。


すると、抑えていた方の、片腕の力だけで、狂死郎は大きく跳ね飛ばされた。

決して力量を見誤ったわけではない。


さっきまでのやり取りで彼の腕力はだいたい想定できていた。

だから、それでも十分に抑えられるくらいの力はかけていた。

それでも跳ね飛ばされたのは、彼が先程よりも、もっと力強く体を動かしたからだ。


――限界を超えた力を出す。

言葉だと簡単に聞こえるが、人は自分の機能を超えた力を出すことはできない。

怒りなどの感情の昂りによって少しばかり動きがよくなることがあるが、それは普段出せている力が八割なだけで、十割を超えることは、絶対にできない。


狂死郎の見立てでは、鉄鬼は初めから暴力のリミッターが外れている。

つまり、初めから全力で、これ以上を出すことは叶わないはずなのだ。


それが、時間の経過と共にどんどん力強く、速くなっていく。

生まれつきの体質だけの強者だと思っていたが、こうなってくると話は少し変わる。


「――あんた、加速体質だね」

「…………」


返答はない。

自覚があるのかどうなのか。


加速体質とは、生まれつき備わっている特殊な魔力系統だ。

激しい動きを続けることで、どんどん能力が上がっていく。


狂死郎の聞いた話では、過去には馬と同じ速さで走ることが可能な者もいたそうだ。


つまり彼は、戦いが長引けば長引くほど、強くなっていく。


理解してみると、なるほど、たしかに望んで手に入れた力ではない。

そう言われてみれば、しっくりくる。

手放せるものなら手放したかったことだろう。


そして驚いたことに、狂死郎に切られた傷が塞がっていた。

加速するのは力だけじゃない。

肉体の治癒能力だってそうだ。


――しかし、しかし。

それでもまだ、彼は狂死郎を超えられない。


狂死郎は、ふわり、と風と共に動く。

斬られてからしか気がつけない刃が、彼の体を瞬時に八度切り裂く。


いずれも身体の芯には届かず、筋肉を撫でる程度にしか切り裂けていないが、失血が酷い。

いくら加速体質であったとしても、刹那にて回復が行われているわけではない。

彼の治癒が追いつかない速度で斬りつけ続ければ、やがては死に至る。


その事実に彼も気がついたのか、体面を取り繕うこともやめ、表情こそ崩していないものの、必死の眼差しを見せる。


そうだ。

死が首筋にまで近づいてきたことを悟った人間の顔だ。

ようやく、魅せてくれた。

――もう、彼は飲まれている。






この数秒、驚きの連続だった。

壱式は、決して戦闘経験の豊富な方ではないし、武芸の知識もない。

その身体能力の高さ故、身につける必要を感じなかったからだ。


理屈は全て力でねじ伏せられてきた。

今さらこれほど、対処できないことをぶつけられるとは思わなかった。


おそらく、ここが今際の際なのだろう。

それは肌で感じている。


最強の武芸者狂死郎。

その異名は伊達ではなかった。

これが最後になるかもしれない。


だというのに、未だ、やつの攻撃を見切る術がない。


何が足りないのか、必死に考える。

力も速さもこちらの方が上。


あとは、目だ。

いや、視力に限ったことじゃない。

感覚器官の全てが、彼女に劣っている。


また、斬られた。

熱を感じると同時に治るのも、わかる。


現状を把握すると、静かな怒りが沸いてきた。


自分の体を使って、斬る感触を楽しんでいるのだ。

このまま試し切りの肉塊となってなるものか。


壱式は、フェアレスでただひとり、学習の過程で得ているものがある。

それは『改変』だ。


しかし、その手順は知っていても、実際に行ったことはないし、どの程度の範囲まで行えるものなのかもわからない。

『改変』にはそれに見合った『代償』がいる。

大きなことを為すには、大きな価値を引きあいに出さねばならないということだ。


壱式に出せる価値で、果たしてこの常軌を逸した怪人の命を奪えるのだろうか。

答えは、否。

自分よりも大きなものを簡単に動かせるなら、この世はすでに阿鼻叫喚の地獄絵図と化しているはずだ。


だから、変えるべきは相手ではなくて、自分。

やつの攻撃を捕捉できる感覚器官があればいい。


「……我、代償を以て願う」


一言呟くと、狂死郎が一気に距離をとった。

彼女はこの文言を知っている。

警戒させられたのは、好都合だ。


「不可視を捉える力を欲す」


その代償は、その他の、感覚器官の全て。

全盲、全聾、上等。

今この瞬間さえ乗り越えられたら、それでいい。


そう強く願った瞬間、脳内に快楽物質が満ち満ちていくのを感じた。

音が、光が、色が、空間が、時間が。

その全てが形となって、理解できる。

壱式は、全てのものを知覚できる機能を、手に入れた。


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