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辞めてきた

マナはたまたま外出していて、家にいたガルムが応対をしたが、背筋のざわつきが止まらない。

まるで、天敵を前にした野生の獣のように、落ち着きがない。


「――どうかしたか?」


彼女はとても少女とは思えない、怪しげな笑みを浮かべる。

まるでこっちの心を見抜いているのかのような、冷たい針のような、言葉。


シーリントルは彼女を“ロア”だと紹介した。

偶然名前が被ることもあるだろうし、ロアくらいに有名な魔女なら、あやかってつける親も多いだろう。

しかしガルムはそれだけでは済まない気がしていた。


「……本物か?」


つい、内に留めようとした言葉が出る。

ロアはフッと笑い、大人びた仕草で、口元に指を立てる。


それ以上は言うな、と牽制している。

大魔女ロアとしてここにいるのではないというメッセージだと、ガルムは解釈した。

だから、普段通りの対応に努めた。


「ロアちゃんはね、すごいんだよ! 学校でも一番の成績だし、精霊術も先生より上手だって、褒められてるんだから」


シーリントルが胸を張って自慢の友人を紹介する。

しかし、こちらの思っている通りの人物であるならと思うと引きつった笑顔しかできない。


「精霊術は、この子に習ったのか?」

「うん。あ、でも元々私は精霊術を学ぶつもりだったよ。ロアちゃんに習ったのは選んだあとの話だよ」

「儂が誑かしたとでも言いたげだな。精霊術に関しては完全にこの子の選択だ。儂が誘導したわけではない」


ロアはずいっとガルムの耳元に口を近づける。


「お前、儂を知っているな?」


彼女は悪戯にクスッと笑う。


「気にするな。何もするつもりはない。儂はシーリントルの友人である以上のことはない」


彼女はそう言って、シーリントルが呼ぶ方へ行く。


気が気ではなかった。

彼女は精霊術の探究者。

稀代の天才で、心棒者もたくさんいる。

そんな彼女が、今のガルムの状態を理解できなかったはずもない。


しかし実際、彼女がガルムの生活に現れても、何の変化も起こらなかった。

だから彼女が本当にシーリントルの友達でしかないことを、ガルムも信じた。


放っておいて、自分の生活を続けることに決めた。


――十年間、何の事件も起きなかった。

フェアレスから請け負う仕事も大きなものが多くなり、倫理的にいけないものも増え始めた。

違法行為で金を稼ぎ始めると、組織としては下り坂だとマナは言っていた。


リスクを背負ってリターンを得る。

聞こえはいいが、背負わなくてもいいリスクもある。

特に、法に抵触するようなリスクだけは、その中でも最たるものだ。


フェアレスの組織内の治安は坂を転がり落ちるようにどんどん悪くなっていった。

昔はあった規律も乱れ、ガルムには手の届かないところで強盗や薬の売買を始め出したころ、ついにホールイートへ進言した。


「ボス、フェアレスは一度頭から正さねばならないかもしれません」

「正すとは?」

「規律を厳しく作り直しましょう。今の下の者の荒さは手に余ります。いずれフェアレスに害を為すかもしれません」

「害を為す、か。お前には俺の目的を話したことはあったか?」

「いえ。こちらから質問したことはありませんので」

「――俺はな、この世を支配したいわけでも統治したいわけでもない。王になれる素質だとも思っていないしな。じゃあなぜこんな組織を大きくしたのか」


ホールイートは一瞬黙る。

言うかどうか、まだ悩んでいるのだろう。

やがて、重々しく口を開いた。


「俺は、この世界を壊したいのさ。お前も戸籍のない子供だった。わかるだろう? この世は持っている者だけが上に進めるようになっている。恵まれた環境と、恵まれた血筋。それを全てひっくり返すなら、土台を壊すしかない。どんなに立派な建物でも、基礎という土台の上に立っている。基礎を壊せば、どんな建物でも、崩せる。俺がやりたいのはそれだ。下の者が暴れるのなら、そうさせてやればいい。既存の階級を壊すには、強い力ではダメなのだ。弱い力で継続的にヒビを入れていく。このやり方であっている。だから、正してやる必要はない」


ホールイートはそれっきり、説明はしなかった。

ガルムも彼の言うことと、目指したいことは理解できた。

――共感はできなかった。


ガルムはこの世界を壊したい願望も、上流階級に対する恨みもない。

今ここにあるもの、現実の連続だけで生きている。

マナのように先を見据えることもできないし、やりたいことがあるわけでもない。


だが、今自分が分水嶺に立たされていることはわかる。

このままフェアレスを続けても、その破滅願望がある限り、得られるものは少なくなっていき、重りだけが増えていく。

抜けるなら今か、と考える。


もしこのままフェアレスの目論見が成功すれば、この国の中で敵はなくなる。

全てがひっくり返り、貴族は立場を追われ、きっと今までにない国ができあがるのだ。


しかし、そこに魅力は感じない。

ガルムは支配欲のある人間ではなかった。


それから三日後、ガルムはフェアレスを抜けた。

原因はボスとの見解の相違、周囲からすれば突然のことだっただろう。


通りがかった部下たちからは理由を聞かれたが、はぐらかし続けた。

適当に「疲れたから」などと言って、のらりくらりと帰路を歩く。


すでに、自分がここに必要な人間でなくなっていることなどわかっている。

だから、決断することに迷いはなかった。


家へ帰ると、マナとシーリントルが出迎えてくれた。

もうシーリントルも随分と大きくなった。

来年には学校も卒業して働き始める年齢だ。


「歳をとると時間が経つのが早いな」


ガルムは独り言を呟きながら、シーリントルの頭を撫でる。


「見て! これ、お母さんに習ったんだ!」


シーリントルは可愛らしい布地の手袋を見せる。


「お前が作ったのか?」

「上手でしょ」

「シーは何でもできるな」

「えへへ、お母さんに教えてもらったからだよ」


裁縫の才能もある、とガルムは感心する。

実際は興味のあることに手を出すこと自体を才能とは呼ばないのかもしれない。


しかし、何も持っていない、何にも興味を持っていないガルムにとって、シーリントルのそれは紛れもなく才能だった。


「服飾でもやるか?」

「あら、精霊術を極めさせるんじゃなかったの?」


マナがクスクスと笑う。


「選択肢は多い方がいいだろ」

「あれもこれもできるって幸せなことね」

「……そうか。これが幸せってことか」

「今更ねぇ。それで、今日はどうしたの? えらく早い帰宅じゃない」

「ああ、フェアレス、辞めてきた」


話の流れでそのまま伝えた。

彼女は驚くかと思ったが、それほど大きな反応は見せなかった。


「そう。お疲れさま」

「……それだけか?」

「何よ、もっと罵ってほしいの?」

「いや、そうじゃない。だけど、俺は先のことは何も考えてない」

「先のことを考えるのは私の役目。そうでしょ?」

「役目って……」

「大丈夫。次のことも考えてある。たぶん、性格的にあの立場は長く続かないだろうなって思ってたから」


信用されているのか、いないのか。

衣装棚に向かったマナはそこから一着の衣服を取り出す。


今まで見たことのない、黒いワンピースドレスだ。

子供服のようで、サイズは小さく、それでいて意匠は細かい。

白いレースが所々に入っていて可愛らしい。

全体として白と黒の二色だからか、シンプルさが際立っていて良く見える。


「服屋、やりましょ?」

「そんないきなりできるもんか?」

「準備は万全よ。シーの友達のロアちゃんに手伝ってもらったし」


彼女がロアと接触していることを知らなかったガルムは固まる。

この十年、ほとんど見かけていなかったから、疎遠にでもなったのかと勝手に思い込んでいた。

仕事が忙しかったから、と言い訳してしまえばそうだが、もっと家庭内のことにも目を向けておかなかったことを悔やむ。


「あ、会ったのか?」

「……? あなたは会っていないの? 私は、シーリントルが何度も連れてくるから、もう友達みたいなものよ」


マナはガルムが何を心配しているかわからないらしい。

彼女の中だとあのロアと天蓋の大魔女は繋がっていない。

そういえばそうか、とガルムは納得する。


自分が今あの妙な精霊と繋がりを持ったままだから、彼女がどうしようもなく天敵だと感じてしまうのだ。

そうでなければ、彼女はたまたま名前が同じなだけで、少し生意気な女の子なのだ。

そもそも、見た目が完全に子供なのだ。

彼女と大魔女ロアとを同じ人物だと考えるのは、些か想像がいきすぎている。


少し安心して、マナに話の続きを持ちかける。


「それで、具体的にはどうすることになっているんだ?」

「通りに空き家があってね。前にいた人が商店をやっていたんだけど引っ越しちゃったから、そこを買うことにしたの」

「買うって、お金は?」

「あなたが稼いでくれたでしょう?」


ガルムは報酬に無頓着で、自分がどれくらい稼いだか、全く覚えていない。

だからこそ彼女が全部管理してくれていて、こうしてすぐに次の一歩を踏み出すための準備をしていたのだとすると、彼女と結婚してよかったと本当に思う。


「ああ、そうだ。十日後、ラッセルもこの町に来るらしいわ。その時にお店の開店準備を手伝ってもらいましょう」

「あいつ、今は毛皮商人なんだろ? そんな時間あるのか?」

「時間は作ってもらう。まさか断らないでしょう」


たしかに、ガルムに限らず、ラッセルも昔からマナの頼みには弱い。

手伝ってと言われたら断れないだろう。


「そうだ。シーリントルももうすぐ卒業だろう? 卒業したらどうするんだ?」

「うーん、まだもうちょっと研究をしたいんだけど、でもお店をやるなら手伝いたいし……」


そう言う彼女の周囲を綿毛のような光の球がぐるぐると回る。

それは彼女が使える精霊らしく、名前を『ウィル・オ・ウィスプ』だと教えてもらった。

初めてのころはふわふわと浮かんでいるだけしかできなかったそれも、今では無意識に動かすことができるようになったらしい。

そのおかげか、シーリントルの考えていることがすごく分かりやすくなった。


「勉強がしたいなら、お金の心配はしなくてもいいのよ?」

「さすがにいつまでも甘えてられないよ。ふたりの貯金がたくさんあるのはわかってるけど、でもそれって、今まで自分たちが我慢してきたってことじゃない。学生じゃなくなった私のために使うのって、なんか、違う気がする」

「何歳になっても、あなたは私たちの子よ」


マナは諭すように言う。

しかし、それを聞いて逆にシーリントルの考えはまとまったようだ。


「――うん。決めた。じゃあ、私、家を出る。自分でお金を稼いで、暮らしてみる」

「いったいどうやって?」

「それは私が考えること。お父さんには言ってなかったけど、ロアちゃんから誘われてることもあるの」

「誘い?」

「そう。精霊術師って、今の時代とっても少なくて、精霊に関する問題は山のようにあるから、それを解決していかないかって」

「どうして、そんなことを? 彼女は薬師じゃなかったのか?」

「ロアちゃん、精霊術師の組合に知り合いがいるんだって。それで私に話がまわってきたってわけ。ノークロースで一番の精霊術師のシーリントルちゃんにね」


調子に乗った様子でシーリントルは言う。


「いや、まあ、それはいい。いいんだが……」

「まだ手探りだしさ。私も一級の術師ってわけじゃないんだけど、勉強しながら働けるから、やりたいなってずっと思ってて。子離れできないふたりのために、私の方から一歩踏み出してみるよ」


彼女はもう決めたようで、ガルムが言葉を選んでいる間に、部屋からいなくなってしまった。


「なあ、なんで俺だけ教えてもらえてなかったんだ?」

「娘ってそういうものよ」


マナはそう言って微笑んでいた。

特別、仲間外れにされたことに対する苛立ちなどの気持ちはない。

娘が幸せならそれでいいのだ。


ガルムは深く考えず、シーリントルの選択を支えるつもりでいた。


――――異変が起こったのは、ラッセルの到着した十日後の昼間のことだった。

それが偶然のことだったのか、何度繰り返した今でも、まだわからない。



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