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俺の、せい

その少年には、ガルムという名前があった。

町から離れた鉱山のある粗末な小屋に、たくさんの子供たちと住んでいた。


その当時、子供は労働資産だった。

ガルムは親の顔も知らないまま、物心ついた時にはすでにここにいて働いていた。


ガルムと仲の良い子供はあとふたりいた。

マナという明るい少女と、ラッセルという体の大きな少年だ。

幼い子供の仕事は給仕や掃除が主で、大人の労働者たちの世話や手伝いをしていた。


統括している現場監督から時折鞭で打たれることもあり、三人は辛く苦しかったが、それでも三人でいたから幸せだった。


眠る時には足枷を嵌められ、三人の足は繋がれていた。

それでも、幸せだった。


ガルムが十五歳を迎えたころ、ようやく炭鉱へ入ることを許可された。

足手まといにならないよう、必死に石炭を掘り、運んだ。

ラッセルはガルムよりも体が大きかったせいか、大人の組に入れられ、それ以来なかなか会うこともできなくなった。


マナとは給仕の時に顔を合わせることができた。

彼女はいつも朗らかで苦しそうな顔を見せないので、皆から人気があった。

ガルムは彼女を家族同然に感じていたので、とても誇らしかった。


それから幾月もしないうちに、現場の状況は一変した。

最も進んでいた坑道が『精霊の檻』を掘り当ててしまったのだ。


鋼鉄のようで、暗闇の中でも紺色に鈍く光る、見たことのない金属でそれは作られていた。


労働者たちはそれを何よりも恐れた。

精霊の檻に閉じ込められているのは凶暴な精霊で、原初の精霊と呼ばれる種族らしい。

そんな話をしているのを聞いただけで、それが何であるのか、ガルムは知らない。

ただ、精霊は自然現象そのもので、人に操れるものではないと彼らの間では信じられていた。


ガルムはなぜだかその精霊に恐れを感じていなかった。

銀色の檻の向こうにいる、不定形で無数の口が開いたり閉じたりしている謎の生き物に、親しさを覚えていた。

彼はまだ何もしていないのに、皆、怯え過ぎではないだろうか。


大人たちが逃げて行く中、ガルムは反対に奥へと進む。

檻に手をかけ、精霊をじっと見る。


「なあ、ここから出たいか?」


ガルムの言葉が通じたのか、わからない。

彼はうごめくばかりで、ガルムの姿が見えているようにも見えない。

しかし、微かに同意したように思えた。


「俺の体を貸してやれば出られるか? 精霊ってのは魔力を喰うんだろ? バカばっかりのとこだけど、誰かが言っていたのを聞いたことがある。ここにいる人間たちからなら、好きなだけ魔力を貪り食ってもいい。ああ、だけど、俺の友達以外だ。マナとラッセル以外なら全員――――」


そう告げた時、何かが彼と繋がった。

これが精霊との契約であると知ったのは、それからだいぶ後だった。


精霊と繋がり、ガルムの意識はそこで一度途切れ、次に目が覚めた時には、ただただ静寂が耳を刺した。


周囲の景色は変わらず、檻の前からは一歩も動いていない。

ただ、凄まじい倦怠感が全身を襲っている。


ふらつきつつ坑道を出ると、そこには誰もいなかった。

いつもなら必ずいる見張りの王国兵も、監督も、給仕の係りの女たちも、労働者たちも、全て綺麗さっぱり消え去っていた。


――否、綺麗さっぱり、ではない。

彼らの身につけていた衣服だけが、まるでそこに脱ぎ捨てられたかのように散らばっている。

しかし肉体はそこになく、血の一滴もなく、争った形跡もなく、ただ、蒸発したかのように消えていた。


その異様すぎる光景にガルムは恐ろしさを覚え、マナとラッセルの姿を探した。


「マナ! ラッセル! どこだ!」


声をあげると、調理場の方から物音がした。

声の方へ駆け寄ると、部屋の隅で、覆いかぶさるようにしてラッセルがマナを守っていた。


「なんだ、何があったんだ……」


ガルムだけが現状を認識できておらず、戸惑いながらそう聞く。


「一瞬のことだった。黒い影みたいなヤツが坑道から出てきて、皆を飲み込んでいった。僕らにも何が起こったのかわからない。ガルムは無事だったか」

「……ああ。他に生きている人がいないか探そう」


外に出ると、やはり、他の人の声は聞こえない。

三人は手分けして、生存者を探した。

おおよそ人のいそうなところは見て回ったが、それでも、そこに残されていたのは衣服だけだった。


「――これからどうする?」


ガルムはきちんと口に出す。

現在の状況から浮かぶ当然の議題。


自分たちはずっとこの環境で暮らしてきた。

ここの外がどうなっているのか、何も知らない。

近くに人の住んでいる集落のようなものがあるのかさえ、わからない。


「……地図が、ある」


ラッセルは監督の部屋から持ち出してきた茶色の紙をふたりの前に差し出す。


「読み方、わかるか?」

「私はわかる。先輩に教えてもらった」


マナは給仕の合間に勉強もしていたようで、そこに書いてある文字も彼女だけは読むことができた。


「ここが、この鉱山。それで、たぶん、ここから伸びてる線が、馬車の通る道だと思う。ここで掘った鉱石は工場に送られて、そこで銅とか鉄とかの品物ができるって教えてもらった」

「じゃあ、この道を通れば人のいるところには出られるってことか」

「でも、私たちがここの生き残りだってバレるのは、あんまり、よくないかも」

「どうして?」

「この状況で私たちだけ生き残ってるのは怪しいから。姿を消すべきだと思う。何があったのかわからないけど、死体が残っていないなら、私たちが消えても探されないはず」


たしかに、マナの言う通りだ。

それに、この事態を伝えたとして、ガルムたちが得することは何ひとつとしてない。

別の労働施設に送られるだけか、もしくは収容所だろう。


「逆に考えれば、逃げるチャンスか」

「でもどこに行こう。地図にはここの周辺しか載っていないし、私たちは『町』が何なのかわからない。行ってもすぐ捕まっちゃうかもしれない」

「でも、行こう。今が前に進むべき時だと俺は思う」


確信があったわけではない。

しかし、内に溢れる自信がそう告げている。

今の自分が無敵だとすら錯覚させるほどの全能感。


特別な力を得たような気になっていた。

そこで初めて、周囲の様子、匂いが形となって見えていることに気がつく。

無意識に、ガルムは匂いを探り、食糧を探していた。


「――お、おい。どうしたんだよ」

「……は?」


ラッセルに止められ、そこでまたもや自分でも気がつかないうちに、食糧庫の肉を口に運んでいたことに気がつく。


「あ、え?」


戸惑い、慌てて肉を投げ捨て、離れようとするも、ペタンと尻餅をついてしまう。


「もしかして、ガルムが何かしたんじゃないの?」


マナがガルムの頬に手を当てて、真っ直ぐな瞳でそう聞く。


「な、なんだよ。俺は、ただ……」

「ただ?」

「……坑道の奥にいた精霊に、ここの奴ら食っていいって……」


それがどれだけ大変なことを言ったのか、ガルムにもまだわからなかったのだが、マナは少しだけ理解したように、瞳を潤ませる。


「――それ、精霊と、契約したのかも」

「契約? そんな、向こうから持ち掛けてきたわけじゃないぞ。俺が一方的に……」

「精霊との契約は一方的でも成立する。本に書いてあった」

「は、はあ? じゃあ俺はどうすればいいんだ」

「まずは向こうがあなたの願いを叶えた。次は、あなたが向こうの願いを叶える番。そうすれば、契約は満了して、解消されるはず」

「なんでそんなに詳しいんだよ」

「先輩に、精霊術に詳しい人がいて、文字を習って本を読んだの。それだけ。私だって完全に理解してるわけじゃない。ひとまず、これはガルムのせいだよ」

「俺の、せい……」


しばし罪悪感に襲われるが、それよりも現実味がなくてマナの言っていることもよく理解できない。

精霊との契約。

これまでの生活で触れることのなかった言葉。


「でも、よく考えて。ガルムの契約した精霊はすごく強力なんだろうし、もしかしたらこれからも役に立つかも」

「ふたりを襲うかもしれないのにか」

「どっちにしても、ここから脱出しないと、私たちは生きられない」


マナの言うことにも一理ある。

どれだけ危険なものだったとしても、これを利用しなければ、ガルムたちに未来はない。


「それで、どうする。遠くの町まで移動するんなら、準備もいるけど、俺たちにできるのか?」

「――僕は大人たちと一緒に狩猟に出ていた。少しだけなら分かる」


ラッセルがそう言う。

彼はその身体の頑丈さから、大人たちと狩りの仕事についていたのだ。


三人は、手分けして水や食糧を持てるだけ集めて、その日のうちに移動を始めた。

マナが地図を読み、うまく人気のないところを通って、山をふたつほど離れた町へ歩いた。


決して楽な道ではなかったが、マナは文字が読めるし、ラッセルは山での狩猟や採取に慣れている。

ふたりのおかげで、旅は滞りなく進んだ。


十日ほどたったある日、マナが目指していた町『ノークロース』へたどり着いた。

ここからは完全に未知の世界だ。

こんなに大きな建物がたくさん並び、様々な人たちが歩いているところを、ガルムは見たことがない。


「きょろきょろしすぎないで、私についてきて」


マナが先導して、ガルムの後ろをラッセルがつく。

町の中を、まるで知っているかのように、すいすいとマナは進んでいく。


「来たことがあるのか?」

「地図で見た。この町の地図だけは、あそこにもあったから」


マナはそう言って、止まることなく進む。


「どこに行くんだ」

「子供でも仕事をもらえる場所があるんだって。今までよりきついかもしれないけど、でも、やってみないとわからないから」

「ここまで先に決めていたのか?」

「ここまではね。この先はわからない。教えてもらう前に、みんないなくなっちゃったから……」

「――あ」


自分が殺したのは悪い人ばかりではない。

マナに色んなことを教えてくれた優しい女性たちも平等に喰らってしまった。


「ごめん」

「ガルムが謝ることじゃない。あれは事故だった」


マナが吹っ切れているように見えるのは、そう考えているからなのだ。


マナの案内で向かったのは、怪しげな地下の部屋。

路地裏からさらに階段を降りて、重々しい扉を開いた先では、柄の悪そうな男たちが騒いだり酒を煽ったりしている。


場違いなどという言葉ですら済ませられない。

三人が入ったあと、刺すような視線を一瞬だけ感じるが、子供が迷い込んできたくらいなら彼らは動じていないようだ。


マナは彼らの様子から一番話の通じそうな人をすぐに見つけ出し、少し話したあと、奥の部屋へ向かう。

ガルムとラッセルはマナの手招きで呼ばれた。


今何が起こっているのだろう、と不安になりながらも、彼女のあとをついていく。


奥の部屋では、車椅子に座った老人がいた。

いや、正確には老人のように見える男だ。

垂れだがった皮膚や、細い手足がそう思わせているが、ガルムには彼から若い男の匂いを感じていた。

それと同時に、重い病の匂いも感じる。


周囲の人間の説明は断片的にしか理解できなかったが、どうやら彼がここのボスらしい。

名前をホールイートという、と説明された。


不甲斐ないが、三人の中で大人と話ができるのはマナだけだ。

ガルムとラッセルは交渉ができるほど物を知らない。

それを自分たちもわかっているから、ここでは何も話さなかった。


やがて段取りが決まり、マナはそこで別れ、ガルムとラッセルは物を運んだりする簡単な作業を任されることになった。

仕事と同時に、三人で寝泊まりできる部屋も与えられた。


ガルムにしてみれば、以前に比べると断然、こちらの方が楽だった。

何より、仕事中に事故で死ぬことがない。

それだけでガルムには十分だった。


賃金はマナが一括で管理している。

ガルムはそれに賛成していたし、現金を扱える自信もなかった。


半年も経ったある日、マナがふたりに話があると、早朝から起こした。

彼女の手にした錆びついた金属の缶の中には、銀貨がたんまりと入っていた。


「こ、これ、どうしたんだ?」

「みんなで働いたお金! ちょっとずつ貯めておいたの。私たちがフェアレスを頼ったのは正解だったって、これを見たら思わない?」

「お金なんて、どうしたらいいのか……」

「大丈夫。私がこのまま貯金する。ちゃんとフェアレスには話をしてあるし、貯金も認めてもらってる。たくさん貯まったら、この町に三人で住む家を買おう」


マナは嬉しそうに言う。

まだまだ足りないだろうけど、家を持つのには、ガルムも憧れがある。

ラッセルも同じ気持ちのようで、力強く頷いていた。


それから三人は、毎日必死で働いた。

フェアレスもお金を得るために働くことを奨励していた。

だから、働けば働くほど、三人は豊かになり、五年で家を買えるまでになった。


購入したのは、小さくて、打ち捨てられた郊外の家屋だ。

森と隣接しているせいか、草木が生い茂り、生き物の気配も強い。


フェアレスに借りた部屋で引き続き仕事を続けながら、家屋の修繕のための材料を買い、休日に三人で協力して直し、そして半年で、ようやく人が住めるような家になった。


ひとつの目標を達成し、三人で少し高いお酒を買って、祝いあった。

ほろ酔い気分で次の目標を考えていると、やはり、次に出てくるのは。


「――人並みの幸せって、何だろう」


ほろ酔いのマナがぼんやりと呟く。


「そりゃ、家があって、食べ物に困らなくて……」


それ以上のことはガルムにもわからない。

幸せとは何なのか。

今あるもので足りていてはいけないのか。


彼女は賢いから、きっとガルムには見えていないものが見えているのだろう。


「――私は、あそこを抜け出せたのは、奇跡だって思った。知らない世界に想いを馳せて、見ることなく死んでいくものだと思っていた。でも、その未来は打ち破られた。こうして三人で暮らせるし、死の危険のない仕事もある。これ以上を望んではいけないみたいに、幸せ。毎日、町の人たちを見て色んなことを考えていたら、この先何を目標にしたらいいのか、わからなくなっちゃった」

「別に今のままでも良くないか? もう十分だろ」

「進化を忘れた人間は退化していくものだよ」

「誰の言葉?」

「天蓋の大魔女、ロアさまの言葉」

「本当に好きだな……」


彼女はいつでもそのロアという魔女の書いた本を持っている。

精霊の専門書の他にも、自然学や薬学の本も出ている。

生活の知恵となる本がいくつも出ており、もはや彼女のそれは信望の域にまで達していた。


ガルムは何かに対する信仰心を持っていないからその感覚はよくわからない。

しかし、それが彼女の行動や生活の指針となっているのなら、それでいい気がする。


――それから数年が経ち、マナはガルムの子を妊娠していた。

ラッセルは祝福して、狩人であることを示すように、立派なキジを捕ってきた。


元気な女の子が産まれた。

母子共に健康で、マナと相談して、その娘には『シーリントル』と名付けた。


ガルムはマナが母親として安心して生活するため、これまで以上に仕事に励んだ。

フェアレスは組織に貢献すればするほど地位を手に入れられる。


シーリントルが産まれた次の年には、ガルムはホールイートの側近にまで上り詰めていた。

実のところ、何ひとつ特別なことはやっていない。

今までにやっていたように、ひとつひとつの仕事を真面目にこなしていただけだ。

しかしそれが、意外と他の人間にはない才能だったらしい。


ノークロースの町にある魔法学校へ、シーリントルを通わせられるようになるころには、すっかりたくさんの部下を持ち、責任のある立場にもなっていた。


ガルムは荒事には向いていなかったが、掴みどころのない言動をすることで他人の裏をかくことだけが抜群にうまかった。

その才能を発揮して、フェアレスの縄張りはこの国のほとんどを占めるようになり、国としても彼らが町のチンピラや他国の裏組織への牽制になっているため、おいそれと手出しができなくなっていた。


ガルムの目から見れば順風満帆だった。

魔法の知識も精霊の知識もなく、前線で暴力を振るうこともできないが、頭だけはいい。

ホールイートに意見できる唯一の人間として、盤石の地位を手に入れるまで、そう時間はかからなかった。


それからまた少し時が経ち、シーリントルが十歳を迎えたころ、彼女の周囲で何かが変わったのを感じた。

十歳になると、魔法か精霊術のどちらかを選んで学ぶことは知っていたが、シーリントルが精霊術を選ぶとは思っていなかった。

彼女に聞くと、それは友達の影響だということがわかった。

この町に浮かんでいるたくさんの不思議な生き物たちのことをもっと知りたいと、楽しそうに言うのだ。


――ガルムには、それは見えなかった。

だからこそ、娘には才能があると思った。

精霊術を極めさせて、その世界で立派に成果を出せるよう、何でも協力してやろうと思った。


そんな矢先、彼女が友達だと言って、白銀の髪をして紅の瞳をした少女を連れて来た。


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