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私だけ、ですが

「大きな塀だね」


シーリントルが小さく呟く。


王都が近づくと、まず目に入るのは真っ白で大きな塀だ。

王都は巨大な塀でぐるりと囲まれている。

何に備えてのものなのか、以前は中に住んでいたイライアも知らない。


中に入るための入り口は大きな扉門があるが、覚えている限りではそれが閉じられたことはない。


「今思うと、何のための設備なのかしらね」

「知らんのか? 昔は隣国と戦争もしていたし、何しろその辺りには魔物や魔獣がいた。今はもういないようだがな」

「それは、前に言ってた世界改変のせい?」

「さてな。魔獣なんかはその気になれば生活圏から追い出すことは可能だろう」


そう言われても、聞いたことがない。


「魔獣って、私見たことないんだけど」

「それはそうだ。ベルツェーリウスには魔獣を避ける古の魔女文字が彫られていた。シュナがやったのだろうな。儂らが出会わなかったのは、儂もその魔女文字を使っていたからだ」


ロアが手の平をかざすが、イライアには何も見えない。

しかし彼女の様子から、そこにあることはわかる。


彼女たちに当然見えているものでも、イライアには見えない。

それもいつも通りと言えばいつも通りだ。


(不思議なくらい、全然、いつも通りだわ……)


王都では大変なことが起こっていて、そのためにここへ来たのに、緊張すらもしていない。

自分のことだと感じていないからだろうか。

それとも、ロアやシーリントルがいれば大丈夫だと思っているからだろうか。


「お前は王都へ来たことがあるようだな」

「お母さまがいるわ。今はひとりでお屋敷にお住まいよ」

「ひとりなのか?」


ロアの問いに、イライアは頷く。

屋敷に手伝いはいるが、常駐はしていない。

住んでいるのは彼女ひとりのはずだ。


「お父さまも早くに亡くなっているの。あなたも知っている通り、私の家は色んな理由で短命だから。大ばあさまとお母さま以外、親族はいないわ」

「会うことに抵抗はないのか?」

「あるわよ! でも、気にしても仕方ないじゃない。それにもうあの時の私じゃないのだから、うん、気にしないことにしてるの」


自分に言い聞かせる。

積極的に会いに行こうとは思わないが、偶然会ってしまったらそれも仕方のないことなのだ。


「――そうだ、お母さまとは別に顔を見せておきたい人がいるのだけど、図書館に寄ってもいい?」

「かまわん。儂も今の王都の状況を知っておきたいしな。伝手を持っているのは助かるくらいだ」

「どれくらいぶりなの?」

「七十年くらいではないか? 正確には覚えていないが、褒章をもらってからすぐに儂は森の中に住処を建てたのでな。外界との交流もそのころはあったが、いつしかほとんどなくなっていた」

「じゃあ、ロアがまだ生きていることを知っている人も少ないってこと?」

「ほとんどおらんだろうな。儂自身も故人として扱われているはずだ」


ロアはまるで気にしていない素振りで言う。

本当に、他人からの目に興味がないのが伝わる。


王都の正面入り口に警備はなく、周囲を気にすることなく堂々と中へ入れた。

入り口から真っ直ぐ大通りがあり、それは王都を貫くように、宮殿へと繋がっている。


イライアの寄りたい図書館は、宮殿の近くだから、このまま進むのが一番早い。


「しかし街並みは変わらんものだな。店や人々の装いは変わっても、儂の知る王都とほぼ変わりない」

「土地はそうそう変わらないものね」

「いや、精霊のことだ。あのころとほとんど変わっていない。良いことだ」


ロアは周囲に目を配りながら、上機嫌に歩いている。

人の営みに関心のない彼女は、精霊の様子から物事を判断する。


生活は水準が上がれば上がるほど良いとされているが、彼女にとっては不変であることが最も良いことなのだろう。

今更、価値観の違いを持ち出すつもりはないが、それでも彼女に見えている世界がイライアとは全く違うものであることを受け入れるのには、まだ時間がかかる。

シーリントルはもっとすんなりと受け入れられているのだろうが、新しい町につくと彼女は決まって落ち着きがなくなるので、それが人間のせいなのか精霊のせいなのか見分けがつかない。


「図書館に直行でいいのよね? 何か用事があれば言ってよ?」

「いい。儂らが王都に来た目的は観光ではないからな」

「観光してもいいのに」

「終わってからな」


終わってからなら付き合ってくれるのか、と少し嬉しくなる。

王都には見て回れるところがたくさんある。

水の魔法を使った大きくて綺麗な噴水や、色とりどりの花々や、魔力石を加工する宝石屋さんや、可愛らしい手作りのアクセサリーのお店などもある。


と、そこまで思って、それが彼女たちにとっても魅力的であるかどうか少し不安になる。

しかし、気にすることはないだろう。

自分の“好き”を彼女たちに知って欲しいという気持ちの方が重要だからだ。

まだまだ話していないことはたくさんある。

魔法以外のことを、たくさん。


そんなことを考えながら、浮足だって歩いていると、ふと不思議なことに気がつく。

大通りには多くの人が行き交っているのに、知っている人がひとりもいない。


ここを離れて何年くらいになるか、考える。

思い出そうとしてもひどく曖昧で、はっきり覚えているのは母親と喧嘩して家を出たことと、あとはベルツェーリウスに着いてからだ。


見慣れた景色と見慣れない人たちの中を進み、やがて白い箱型の施設へとたどり着く。

この国で出版されたほとんどの書物が収集されている、国立図書館だ。


木製の茶色い扉の他に装飾はなく、窓もない。

日射しが中に入るのを防ぐためだと、昔に習ったことがある。


木の扉を開くと、入り口近くのカウンターに座っていた白髪の女性がこちらを見て目を丸くする。


「――そんな、あなたは、イライアお嬢さま……」

「久しぶり。ミトさん」


イライアが会釈をすると、ミトは戸惑いながらも会釈を返す。


イライアは昔から本をよく読む子供で、図書館には通い詰めていた。

特に、この司書のミトが勧めてくれるお伽話を好み、朝も晩もなく読みふけったものだ。


「えっと、ロア、シー、こちらの方が司書のミトさん。ずっとこの図書館で働いている人で、彼女が知らない本はないわ。ミトさん、こっちはロアとシーリントル。私の友達です」

「そ、それは、どうもはじめまして」


ミトはまだ状況をよくわかっていないようで、慌てながらふたりに会釈をする。

事前に連絡をしておいた方がよかったな、と少し反省する。


「お嬢さま、ケイティアさまには会われましたか?」

「私たちはさっき王都に着いたの。お母さまにはまだ会っていないわ。どうかしたの?」

「何から申したらいいものか……。お嬢さまは、なぜ王都へ、来られたのですか?」


言葉を選ぶようにして、彼女は言う。


「なんか、変ね。来たらおかしいことでもあるのかしら?」

「いえ、そうではなくて。すみません、私も混乱していて……」


まごつくミトの前に、ロアが手で話を遮る仕草をしながら割って入る。


「いくつか、聞きたいことがある。本の話ではなくてな。――ここは魔女文字に守られている土地だな?」

「ど、どうしてそれを?」

「儂が書いたものだ。ありとあらゆる事象の変化から守る力のある文字をここへ刻んだことを思い出した。図書館になっているとは思わなかったが、知の宝庫を守ると考えれば妥当だな」

「書いたって……。あなたは一体?」

「さっき名乗っただろう。ロアだ。名前くらい聞いたことあるんじゃないか?」


ミトは一瞬考えたあと、目を丸くして、上ずった声で言う。


「ロ、ロアって、もしかして、あの、天蓋の……」

「そうだ。わけあってこんな容姿になっているが、今は関係あるまい」

「あ、あ、あの、私、あなたのファンで、精霊術の研究書、全部持ってます! 古の魔女文字を記した本も……! 全部読みました! 世界の理を理解したって、本当だったんですか!?」


徐々に少女のようにヒートアップしていくミトをなだめるように、ロアは首を振る。


「今、その話はしない。事実、儂はそういうことが煩わしくて社会から去ったのだ。だが、用事が終わればいくらでも相手をしてやってもいい。――お前は一日中ずっとここにいるのか?」

「は、はい。警備も兼ねているので、住み込みでほとんど外に出ることもありません。ですが、それが何か……」

「『――――』は知っているか?」


ロアが発音できない言葉を発する。

世界改変によって消えた概念のことを言っているのだ。


「……はい。私だけ、ですが」

「なるほど。『不変』の魔女文字は過剰かと思ったが、やってよかった。そこで聞きたいことがある。今までいくつ、改変があった? この国の外側が消失したこと、宗教が失われ、悪魔の存在が記憶からのみ消えていること。これらは明確な意図の元に行われたものだな? 誰がやったかは問わない。しかし、それ以外に何があったか、知りたい」

「……世界の縮小が行われ、月の扉の向こうに何があるか。その知識はほとんど全ての人民から失われたようです。ここには本が残っていますから、調べれば出てきますが、改変の影響を受けた人には読むことができません」

「だとすると、扉を開くことに誰も疑問を抱かない世界がすでにできあがっているということか。『――――』は生きているか?」

「お言葉ですが、王族は、消えました。これも改変です。全ての人は王族が何か理解できていません。王国の王が何をさすのかもわからないままになっています」

「すると、鍵は向こうの手に落ちているか。あとは魔力のみ……。やられたな。儂らが運んできてしまった」


魔力大結晶のことを言っているのだろう。

しかし、それを譲る気は毛頭ない。

ならば、どうあっても扉を開くことはできないのではないか。


「ねえ、私たちが大結晶を持っている限り大丈夫なんじゃなかったの?」

「それは鍵が向こうに渡っていなかった場合の話だな。正直、そこまでやっているとは思っていなかった。一敗だな」

「そんなに簡単に言っていいことじゃないでしょ!?」

「まだ大丈夫だ。魔力大結晶の守護者はお前だ。お前が向こうに協力すると思わない限り、大結晶の力が作用することはない。意思の力で抑えられる」

「だって、そんなの、向こうもどういう手で来るかわからないんでしょ?」

「まあな。しかし、何が起きても心変わりさえ起こさなければそれだけで大丈夫だと思うと、少しは気も楽だろう?」

「それは、まあ、そうだけど……」

「お前の思考を操作するにあたって、やってきそうなことはいくつか想像がつく。最も有効なのは人質だろうが、儂とシーリントルが捕えられることはありえないだろう。加えて、お前の親族であるシュナはすでに故人となった。あとはお前の母親くらいか。母親と魔力大結晶、天秤にかけた時にどちらをとるかが重要になってくるだろう」

「物騒なこと言わないでよ……」

「心構えなく、その場面に遭遇した時、お前は動けるか? 可能性があることは全て考えておいた方がいい。幸い、向こうにこちらの動きはまだ知られていない。追跡もないようだからな」


ロアの言葉に即答できない。

世界と母親、天秤にかけて、どちらかをとるなんて、できるはずがない。


「……みなさんお疲れのようですし、お茶にしませんか?」


張り詰め始めた空気に耐えかねたのか、ミトが精一杯の笑みを浮かべて、そう提案した。

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