大丈夫
夜のストックリーは、昼間とはまるで違う町になっていた。
イライアの目に飛び込んできたのは、色とりどりの魔力灯と、陽気な人たち。
あちらこちらで音楽が鳴り、人々の笑い声も聞こえる。
ここはある種、楽園のような場所なのかもしれない。
「やっかましい町だ」
『ガダモン』入り口の階段に座っているロアが本当に嫌そうに言う。
彼女が言うには、昼は昼でうるさかったが、夜は夜でまたうるさいらしい。
「シーリントルはどう?」
イライアはフウゲツに作ってもらった甘いベリーのジュースを飲みながら、隣で町の様子を眺めているシーリントルに聞く。
「もう慣れちゃった。すごいところだね。人がこんなにたくさん来る町があるなんて」
「来る?」
「うん。みんな、匂いの色が違う。遠いところからでもここを目指してやってきた人たちがいるみたい」
「全然わからないわ」
イライアはシーリントルほど人の違いに敏感な方ではなく、たくさんの人がいる以外にわかることはない。
言われてみると多種多様な人がいるようにも思えるが、判別がつくほどの違いはわからなかった。
「それにしても、狂死郎さん、いつ帰ってくるんだろう」
「腕試しの相手を連れてくるって言ってたわよね」
「これから探すのかな」
「まさか」
そんなどうでもいい会話をしていると、人ごみの向こうから狂死郎が抜け出て来た。
その後ろには、身長二メートルはある巨体の男がついてきている。
厳つい顔をしており、腕には無数の傷跡がある。
誰が見ても、ひと目で武人だとわかるほどに、その男が放つ雰囲気は重々しいものだった。
「待たせたね。こいつはホダツ。槍の名人さ」
「貴様、まさかこの娘らと戦えと言うつもりではあるまいな」
向こうからすれば馬鹿にされているととられても仕方がない。
ホダツの怒りは顔に表れており、今にも掴みかかってきそうだ。
「あんた、見かけで判断してると痛い目見るよ」
「……それよりも、俺との約束、確かだろうな」
「あァ、あの子に勝ったら今月二回戦ってやるよ」
「フン、良いだろう。――小娘ども、貴様らのうちの誰が我が槍の餌食となるつもりだ?」
ホダツは背にした大槍を取り出し、構える。
イライアにはその姿が、ベルツェーリウスで出会った金の仮面をした男と重なる。
槍の先端を向けられることが怖い、と素直に感じた。
「はい、私です」
シーリントルは何の緊張もしていない様子で、手を上げて立ち上がり、飲み掛けのジュースをイライアに手渡して、ズボンについた土を払う。
「貴様が装っているものが虚勢か否か、俺の目にははっきりと見える」
「どっちだと思います?」
シーリントルが眼鏡をとって、イライアに渡す。
「――俺は今までに五十を超える死闘を行ってきた。その中にはお前のように現状を把握できていない者はいくらかいた。その全てを、俺はこの槍で叩き殺してきた。貴様も同じだ。子供だから加減してもらえるなどとは思うな」
最終警告だ、とイライアは思った。
それ以上進めば殺すという宣言だととってもいい。
しかし、シーリントルが気にしている様子はない。
彼女がいくら強いとはいえ、対人兵器のような武人を相手に、無事で済ませられるはずはない。
「シー!」
イライアが止めようとすると、シーリントルが手で制した。
「大丈夫」
笑顔でそう言って、オオカミの仮面を被る。
以前に見た時よりも磁場の歪みが激しいが、流れそのものはとても穏やかで、彼女が精霊を乗りこなしているのがすぐにわかった。
ホダツという槍の達人も、気配を感じたようで、槍を握り直す。
今日のシーリントルは獣の体勢をとることなく、いつもと同じく二本足で立っていた。
背中を少し丸めてはいるが、まだ戦う姿勢に入っているとは思わない。
ホダツが、先手必勝とばかりに間合に踏み込む。
素手のシーリントルと、二メートルもある槍を持つホダツとでは、間合いの差が顕著だ。
どう見ても勝ち目がなく、最悪の想像が頭をよぎる。
しかし、そうはならなかった。
ホダツの放った鋭い突きを、シーリントルは手の甲で、力任せに上方向へ弾いてみせた。
ホダツは目を丸くする。
素手に弾かれるとは思っていなかったことだろう。
その後ろで狂死郎が笑っているのが見えた。
「貴様、精霊纏いか!」
ホダツが叫び、跳ねた槍を振り下ろす。
シーリントルは横に跳んで避け、またじっと立っていた。
ホダツの額に青筋が浮かぶ。
イライアは彼がシーリントルを相手に手加減をしているのだと思っていたため、気が気ではない。
「俺を疲れさせることが目的なら感心せんなッ!」
ホダツの槍が雨あられと迫る。
もはや壁と言っても過言ではない連続した素早い突きを、シーリントルは全て躱している。
そして、タイミングを覚えたのか、槍を突き出したタイミングで、シーリントルが足を上げ、そのつま先が彼の腹部に入った。
「グッ――」
シーリントルの倍以上の重さがありそうな彼の体が少し浮く。
「ごめんなさい」
シーリントルは小声で呟くように謝ったあと、踵落としで彼の後頭部を踏み潰した。
ドン、と重みのある音がして、静寂包まれる。
「はァ……。躊躇なく頭を潰せンだ」
狂死郎がそう言って倒れたまま動かないホダツを仰向けに転がす。
「怖いねェ。先生が教えた?」
「儂が戦いのイロハなど知るか。そいつが自分で考えたことだ」
「あの、大丈夫、だよね?」
シーリントルが仮面を外して心配そうな表情をしてホダツの傍に座り込む。
彼に意識があれば怒鳴り散らすことが容易に想像できるくらい屈辱的な光景だ。
「大丈夫大丈夫。あれくらいじゃ死なない。こいつ、背後から襲い掛かられても全然戦うやつだし。流石に油断したんだろうさ。あんたみたいなちっこいのが徒手で戦うのは普通に考えたら無理だし、魔力で筋力増強しても体重足りないから逆に吹き飛んじまう」
「やっぱり体重って大事だったんですね。私もそう思って増やしたんです、体重」
「――は?」
さすがの狂死郎も首を傾げている。
イライアも最初に聞いた時は本当に驚いた。
「ここに来る前に、精霊を合体させて大きくなったものを見たので、それ使えないかなと思って。精霊纏いをしている間だけ、私の体重は百キロになるようにしました」
「どういう理屈で?」
「それは、内緒です」
シーリントルは口元に人さし指を当ててイタズラな笑みを浮かべる。
ちなみに、イライアはきちんとした説明を聞いている。
彼女は目に見えない微細な精霊たちを身にまとって、その総量によって物理的な重量を増やすことができるようになっていた。
ロアによって作られた人外の手足がそれを可能にしているらしい。
精霊に限定した話だが、いくつもの存在を自分の一部として扱うことができるようだ。
「……あんたら、一体何やってんだい?」
狂死郎が苦笑しながら聞く。
ロアはただ肩をすくめた。
イライアたちは雑談をしながら、『ガダモン』の店内でホダツが目を覚ますのを待った。
これまでの経緯や、シーリントルの境遇など、狂死郎になら聞かれても問題ないとロアが判断したのだろう。
狂死郎は興味深そうに話を聞き、一緒になって怒ったり、悲しんだり、様々な反応を見せた。
「じゃ、あんたはその小さい体で、三人分の命を持っているわけだ」
「四人だよ。マーナガルムもいるから」
「あァ、すまん。精霊を人数に数えるのになれなくて。しかしその話が本当だとしたらあんた、身体は自分、生命力は叔父と精霊、手足に母親ってとんでもねェ化け物だってことだろ? そんなんで心が持つのか?」
「今は安定してるよ。全部自分の一部だって感じる」
シーリントルは優しい笑みを浮かべる。
「へェー……。先生はその実験の経過をどうみてンの?」
「再三、実験ではないと言っているだろう。これは医療行為で、こいつは元の普通の生活に戻すつもりだと」
「そんなつもり、あるように見えないけどねェ」
「何が言いたい」
「いや、本当に戻れると思ってるのかなって」
ロアはムッとしたあと、腕を組んだ。
「戻す! 必ずな。こいつはこいつが歩むはずだった道がある。儂は手を貸した以上そこへ戻るためなら何だってやるつもりだ」
「さすが先生だ。徹底してる。……あたしもそっちの組に入りたかったなァ」
「五星団はつまらんか」
「つまんない。面白いわけないでしょ。あたしに高い志があったら潰してるくらい嫌い。今からやろうかな。手札はあるし」
「やめとけ。その方がつまらん。それに、今この国を従えているのは奴らだろう。ただのクーデターになるぞ」
狂死郎は悩まし気な表情を浮かべて頭を掻く。
「……あァ、そっか。もう当たり前になりすぎてて伝えるの忘れてた。五星団はこの国を支配しているんじゃなくて、この世界を支配してる」
「それはまた大きな話になったな」
「比喩じゃない。あたしも後から知ったことだ。この国の名前、覚えてる?」
「そんなもの『――――』だろう」
ロアが口にした発音が、イライアの耳には聞こえなかった。
理解できなかったわけではなく、音そのものがかき消えたのだ。
「そう、その『――――』はなくなった。隣国もね。この大陸ってみんなが呼んでいるこの世界は、この国の内にしか存在しなくなった」
「……改変に手を出したのか?」
「そうみたい。あたしも詳しく調べてないんだけどさ。世界の改変と、そこに住む人間たちの認識に介入した。五星団は人間から宗教を消し去って思想を奪い、魔力石ってものを作って魔法の力も奪った。逆らう力を持つやつももういないし、逆らったところで、あたしに元の世界に戻す手段はない。虚しいもんさ。だからこうしてくだ巻いて、何か新しいことでも起きないかって、待ってるだけになっちまった」
「儂ならできる、とでも言いたそうだな」
「できないの?」
「手段を知っているだけだ。それに一度手を染めてしまえば、儂自身もどうなるかわからん」
「またまたァ。本当は試したことあンでしょ?」
「言い直す。試すと言えるほどのことはしていない。儂はこの世界の 理 に従うと決めたのだ」
「精霊王への忖度?」
「そんなわけあるか。理は誰かが作らなければならんが、それは儂ではないというだけだ」
「精霊王ってさ、なんで理なんて作ったの?」
「意図して作られたものではないと思っている。この世界は偶然作られて、まだ壊されることなく続いている」
「精霊王が壊そうと思ったらすぐ壊れンの?」
「やつがそう思うことはないだろうが、可能だろうな」
もしかして、とイライアはここまでの話をとなりで静かに聞きながら質問する。
「その、ゲイザーさんって精霊王からこの世界を奪いたいんじゃないですか?」
それを聞いた狂死郎が肘をついて目を細める。
受け答えしてくれたのはロアだった。
「どうして、そう思う?」
「え、だって、自分の住んでいるところが、自分よりも大きな何かに支配されてるのって、不安じゃない? それも、話が通じるかどうかもわからない相手だと、なおさら」
間違っていることを言っているつもりはないが、ふたりの顔を交互に見ていると、悪い笑みを浮かべた。
「――いや、まったく。先生がこういう感性の娘を引き取るなんてね」
「シュナのひ孫だ」
「シュナって、あの?」
ロアは頷く。
狂死郎は感嘆の声をあげて、イライアをまじまじと見つめる。
最近は忘れていた嫌な視線に、イライアは俯いて顔を隠した。
「すごいじゃん。あんた、苦労してるでしょ。シーリントルはまだこっち側っぽいけど、あんたはそっち側の人間だ」
「こっちとかそっちとか、よくわかりません」
「ははは。まァ、気にするこたないよ。ほんと、面白いことやってンな……。フウゲツ、お酒飲みたい。お酒ちょうだい」
運ばれてきたのは、瑠璃色の液体の入った透明なガラス瓶だ。
イライアもお酒には詳しくないが、その見た目の麗しさに思わず目を輝かせる。
「興味ありそうだねェ。飲むかい?」
「コラ」
ロアから苦言が入り、狂死郎は笑って誤魔化す。
「――む」
ホダツが呻き、上半身を起こして四人を見たあと、悔しそうに額にシワを寄せる。
「……無念」
「あんたが弱かったわけじゃない。気にすんな。――さて、こいつの意識が戻ったから、そろそろやるかい?」
狂死郎はお酒を口に運びながら言う。
「お酒飲んでいいんですか?」
シーリントルが心配そうに聞く。
さすがにイライアも同じことを思った。
「酔うと弱くなるなんて期待はすンなよ。手加減できなくなるだけだから」
「それ余計酷いでしょ……」
「手加減してほしかった?」
酒を飲み、立ち上がる。
「外行こうぜ。ちょいと暗いけど、いいだろ」
「え、もう夜中ですよ?」
「眠たいとでも言うつもりかい? 子供だからさ」
イライアは当たり前のことを言っただけなのに、まるで弱味を見せたかのように返され、ムッとする。
シーリントルはイライアとは違って、愛想笑いのような緊張感のない笑みを浮かべていた。
「私はいいですよ。眠たくないし」
「そうこないと!」
シーリントルも、フウゲツから渡されていたホットミルクを飲み干して戸口へ向かう。
戦うこと自体は、ロアもシーリントルも認めているから口を挟める立場ではないが、さっきホダツと戦ったばかりなのに、何も今日でなくてもいいではないか。
そんなイライアを止めたのは、意外にもホダツだった。
「お前もあの娘の仲間だろう。ならば分かるはずだ」
「何を言ってるんですか?」
「あの娘、俺と戦いながらも、最低限の動きだけで制した。狂死郎へ実力を見せつけるためだ。あの若さでよくここまで闘争心の制御ができている」
「あの、何を言っているかわからないんですけど。止めないのは何でですか?」
「戦士の闘いを止めるのは無粋だろう」
「はあ?」
戦士というものにシーリントルが当てはまるかはわからないし、その価値観もわからない。
「見守ろうではないか。心配せずとも狂死郎は強い。命まではとらん」
「あなたね……」
生きるか死ぬかでしか物事の判断ができないのか、と言いかけるも、そうなのだろうと勝手に納得して、イライアはため息をついた。




