嫌ならやめていい
「ねえ、ロアちゃん」
木陰の下で村の様子を眺めていたシーリントルが、興味なさそうに飛ぶ鳥を見ているロアに聞く。
「何だ」
「あそこ、何なの?」
「言わん。お前も絶対見に行くなよ」
「イライアちゃんは気にならない?」
同じく村の様子を見ていたイライアは突然話を振られてきょとんとする。
「見ないって約束したし、私はいいわ」
「えー」
「世の中には知らなくていいことだってあるでしょう」
「じゃあ、何があると思う? 考えるだけならいいでしょ?」
「考えるって言ったって、どう見ても畜舎じゃないの」
「畜舎?」
「羊とか豚とか飼うところよ」
「人に見せられないようなものを飼ってるってこと?」
「そんなこと言ってないわよ。でも、きっとそういうことでしょうね。気になるだけだし、考えない方がいいわ」
この村の産業が何であるか、村の様子からは全く伺いしれない。
完全な自給自足ではないと言っていたから、何かを売って生活しているはずなのだが、そのための設備も見当たらない。
あの畜舎に秘密があるのは間違いなく、そこで違法なものが作られている可能性もある。
しかしそれを知った結果、今よりも気を遣うことになるのなら、見なくていい。
それに、優しいナズナを困らせたくない。
イライアはシーリントルの誘いとも言えぬ誘いを断り、村の観察に戻る。
数分もしないうちに、シーリントルがまた口を開く。
「ねー、何かやろうよ」
「何なのよ。飽きたの?」
「うん」
悪びれもせず頷く。
退屈したと言われても、今この平和な村で派手なことはできないし、魔法の練習だって控えた方がいい。
「ねえ、ロアちゃん。何かできることない?」
「そうだな。この前渡したアレがあるだろう」
「『精霊の檻』のこと?」
イライアの知らないワードが飛び出す。
わからないが故の疎外感が寂しい。
精霊術も習うべきだろうか。
「三角錐の中に精霊の光、魔力の塊が見えるようにはなったか?」
「うん。青い光が見える」
「ならば、次はその形が見えるようになることだ。感覚強化の次の段階になる。これができるようになれば、またひとつ、世界の見え方が一変する」
言葉を受けて、シーリントルはその場で座り込んで修行を始めた。
「……あの」
「何だ、お前もか」
「だって私も何かしないと時間がもったいないじゃない」
「何かしないといけないということはないぞ。休養をとることも修練の一部だ」
「でも……」
「焦る気持ちはわかる。しかしお前の系統とシーリントルの系統は全くの別物だ。よってやるべきことも違う。お前には休養が必要だ。魔法は体調の影響を受けやすいからな。当面はゆっくり休め」
「なんか、納得いかない」
「納得は必要ない。事実だ」
むう、とむくれてみるも、確かに精霊術と魔法は、共に魔力を使う技術でありながら、全然違うものだ。
諦めて、また視線を村に戻す。
平和で、喧噪もなく、ただただ退屈な景色だ。
思えば、今まで訓練を欠かさなかった日はほとんどない。
エッジアンへ入ってからだってそうだった。
こうして何もしないことを能動的に行うことに退屈を覚えるのは、過ごし方がわからないからだろう。
「じゃあ、私、ナズナさんのところに行ってくるわ。家事を手伝うくらいならいいでしょ?」
「それが休養となると思うのならやるといい。だがくれぐれも、首を突っ込みすぎるなよ」
「……? よくわからないけど、わかったわ」
イライアは日射しの中へ出て、ナズナの家へ向かう。
木陰から屋敷までの間に、ふと、村の入り口から二台の幌馬車が入ってくるのが見えた。
イライアは何を思ったわけでもないが、近くにあった小屋の裏に隠れた。
(誰だろう。商人かな?)
商人にしては柄の悪い男たちが三人降りて来た。
この平和な村には似つかわしくない短刀を腰に下げており、見るからに荒事を専門としている者たちだった。
荒々しいが、彼らなりに丁寧な言葉づかいで村人と何か会話を交わしている。
やがて馬車は村の奥にある畜舎へ向かった。
(出荷……? 何が運ばれてるか見られるかも)
目を凝らして見ようとするも、村人たちが上手く中が見えないように動いていて、何が行われているのかわからない。
別にイライアたちがいなくても、普段からそうやっていることがわかる連携の取れ方だった。
諦めてナズナの家を訪ね、扉をノックしたが、何の返事もない。
もしかすると、彼女も畜舎の方へ行っているのかもと思いながらも、そっと中を覗く。
――テーブルに突っ伏して泣いているナズナがいた。
「あ、あの、すみません」
こちらに気がついていない様子だったため、小さく声をかける。
イライアを見て、驚き慌てふためていた様子で、彼女は涙をぬぐった。
「ごめんなさい。みっともないところを見せちゃったわね」
「いえ……」
「いつもなの。胸が張り裂けそうになる」
イライアが馬車を見たことを知っているかのように、彼女は言う。
「でも、ああしなきゃ、私も彼らも、彼女たちも、全員が生きていけないのだから、そうするしかないの」
「……この村で何が行われているのか、私は知りません。でも、ナズナさんがつらい思いをしているのはわかります。だって、そんなに泣いているから……」
「そうね。私はとてもつらい思いをしている。ここに本当に私と一緒に生きている人はいない。とても寂しい。だから、泣いている」
彼女は徐々に無感情になっていきながら、言葉を紡いだ。
まるで自分とは違う自分に言い聞かせるようだった。
その様子が、イライアには既視感があった。
精霊纏いをして、暴走気味になったシーリントルと雰囲気がよく似ている。
イライアはそっと彼女の手を握って、とても弱い電気を一瞬だけバチッと流す。
「――っ!」
彼女は短い悲鳴をあげると、目を丸くしてイライアを見た。
「荒っぽいことをしてすみません。大丈夫ですか?」
「……すごく、世界が澄み渡って見える。霧が晴れたみたい」
「たぶん、またすぐ曇ると思います。私に精霊を剥がす力はありませんから……」
力不足を悔やんでつい出てしまった言葉だったが、言葉の意味に気がついた時には、すでにナズナはのけ反るようにしてイライアから距離をとっていた。
「どうして、精霊のことを?」
「あ、その、表情が、友達が精霊に乗り移られた時とよく似ていたので」
信じてもらえたかはわからないが、ナズナは口をきゅっと結んで、テーブルについた。
「話を、聞いてくれる?」
「いいんですか?」
「誰にも話せないことを誰かに聞いてほしいって気持ち、わかると思って」
彼女はこちらと目を合わせなかった。
外部の人間が訪れることのない村で、秘密を抱え続けているのだ。
彼女の様子からもう限界なのだろうと思った。
イライアは決心をして、反対側のテーブルにつく。
「誓って口外しません。今この屋敷の近くには誰もいません。なので、話が漏れる心配もありません」
「そんなことがわかるの?」
「そうですね。何となく、ですけど」
磁場の感知が及ぶ範囲だけだが、確かに、近くには誰もいない。
「それで、何の話を聞いてほしいんですか?」
「私の罪の告白。懺悔を」
彼女はつらつらと語り始める。
「私はある日突然、精霊――エルフの苗床として選ばれた。理由はまだわからない。奇跡だと呼ばれた。私は金の卵を産む鶏となるか死ぬか、どちらかしか選ぶことができなかった。他の人にとって、私はとても価値のある人間になった。でも、同時に私は私の価値を失った。兄とは離れ、伴侶を持つことは許されず、特定の誰かと関係を繋ぐこともできなくなった。私は一体、何者なの? ここにいる人たちは誰も私のことを知らない。彼らにとって私はエルフの苗床でしかない。人と関係を持てなくなった人は、この世界に存在しないのと同じ。私はあの日、生きる選択肢を選んだつもりだったけど、死んでいるのと同じになった。私は私を助けてくれた人たちを救ったつもりでいた。でも、自分の存在をはした金で売ったのと同じことだった。私はその瞬間から、どこにも存在しない人になった。助けてもらったのに。私は、私を殺した」
「…………」
かける言葉が見つからない。
彼女の言葉は断片的で、何があったのか知るには情報がまるで足りない。
それでも、彼女が彼女の下した決断に後悔していることだけはわかる。
「そんな簡単なことにすら気がつかなかった。人が人でいるためには、誰かと繋がっていないといけない。でももう帰ってはこない。友人も、家族も、兄も、全て。私に残されたのは、誰かの命令で私を守る彼らだけ。その彼らだってずっとここにいるわけじゃない。仕事で来ているだけだから。彼らには彼らの家族がいる。私も家族が欲しい。ずっと一緒にいてくれる人がほしい。あなたは私を助けてはくれないの?」
話を聞くだけ、では済まなさそうだ。
イライアは少し間をおいて、言葉を選びながら喋り始める。
「えっと、結論から言うと、助けるというのは難しいかもしれません。私はまだ、あなたがどういう境遇にいるのか、完全には理解していませんし、それに、何より、私はこの件に深く関わらないと、約束しました。それを違えることは、あなたとの誓いも破ることになります。私は、それだけは絶対にしてはならないと思っています」
「約束なんて、そんなのどうでもいい!」
彼女は感情のままに拳を机に叩きつけた。
「今! 変えるには今しかない! 次に外部の人間が現れるのは十年先か二十年先かわからない! それがわからないわけじゃないでしょう!?」
「……正直に言います。変えられるだけの力があったとしても、その後のあなたの人生を、私たちは保証できません。今は、私たちは、自分たちのことで精いっぱいで、他人のことを背負えるだけの余力がない」
イライアは心苦しくなりながらも、本音を語る。
ちゃんと言わないと、彼女には伝わらないと思ったからだ。
「それに、あなたの話を聞く限りですが、私はあなたが無価値だとは思いません。あなたは自分で選んで道を歩んで、この場所を選んだ。自分の意思で決めたことに、価値がないとは、私は思いません」
「じゃあ、私はいったい何なのよ! こんなところでエルフを産み続けて! 死ぬまでこのままで!」
彼女は半狂乱になっていた。
その気持ちは、イライアにも痛いほど分かる。
家を出る前の自分に、よく似ている。
だからこそ、彼女は彼女自身の力でどうにかしなくてはならないと思った。
その結果、誰かの助けが必要になったとしても、初めの一歩だけは自分の力でやらなければならない。
でなければ、またきっとどこかで、前に進めなくなってしまう。
「……私はまだ、人生を語れるほど長く生きていませんが、それでも、変えたいと思うのなら、変えちゃっていいと思います」
「変えても、いい?」
「はい。どれだけ大変でも、どれだけ周囲に迷惑がかかっても、そんなの、気にしなくていい。自分を守ること以上に大切なことなんてない」
「でも、私がここからいなくなったら、エルフを欲する人たちが――」
イライアは興奮気味に語る彼女へ、人さし指を立てて止めさせる。
やらない理由をつらつらと述べて逃げたくなるのは、よく理解しているのだ。
「嫌ならやめていいんです。何だって、誰だって、代わりがいるんですよ。絶対に自分がやらないといけないことなんて、ない」
「…………」
確固たる自信を持って、イライアは言った。
ナズナは明らかに思いつめた顔をしていた。
「ちょっと言い過ぎました。でも、私は本当にそう思っています。あなたが助かりたいと思うのなら、行動しなくてはならないのは、私たちではなく、あなたなんです」
「……どうしたらいいの」
「わかりません。それに、今すぐしなくてはならないことだとも思いません。ただ、そういうことを考えるのは必要だと、私は言っただけです」
イライアはこれ以上彼女に肩入れするのはやめて、話を切って立ち上がった。
「――えっと、ナズナさん。私、家事を手伝おうと思ってきたのですけど、お昼ごはんは私が作りましょうか?」
ナズナは困惑した顔をしていたが、やがて、こくりと頷いた。




