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100歳の魔女、不老不死のロリになる。  作者: 樹(いつき)
第三章 エルフと風の魔力大結晶
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二千三十六回

ボンバイは新たな情報を得るべくネズミたちを送り出し、その帰りを待っていた。

本来必ずボスの護衛のために、近くに壱式か弐式を置いておくのだが、今は彼らですら使わねば手が足りない。

ボスの守りはボンバイがいれば事足りるが、それでも完全とは言えない。


フェアレスの人員はボンバイやネズミたちを除くと、手足のついた木偶としか言いようのない人間ばかりだ。

そんな人間ですら、センの捜索のために方々へと散らせている。

中にはフェアレスに見切りをつけ、もう帰って来ない者もいるだろう。


医療協会から少なくない金をもらったとはいえ、フェアレスの受けた損害は、分断や解散が予測できるくらいに重大なものであった。

しかし、ボンバイにはここを離れるわけにはいかない理由があった。


――――ボンバイが、フェアレスのボスであるホールイートと出会ったのは、十年程前のことだった。

ボンバイは、狂死郎の元で剣を習い、十分に育ち、そして試し切りの相手を探しては、風来坊のごとくあちこちを旅していた。

力比べとあれば、それぞれ、色々な町で様々な人間にも出会う。


とある町で、地下闘技場というものがあった。

命のやりとりを見たいやつらが集まり、殺し合いを見る。


強者との戦いを求めていたボンバイはそこに参加して、戦い続けた。

狂死郎の弟子であることは隠していたのだが、猛者の集まる地下闘技場の王者に君臨していれば、嫌でも目敏い人間にはわかってしまう。


「――月光の技だな?」


試合直後の控室で、車椅子に乗った人間にそう話しかけられた。

背後にはふたりの巨漢を引き連れていたが、ボンバイの基準で言えば強そうには見えない。


だが、彼がこの闘技場の客の中でも別格であろうことは、彼がここへ入ってこれたことからも見て取れる。


「アンタ、誰だい?」


ボンバイは彼からの質問へは答えず、逆に質問を返した。


「俺はホールイートと言う。ただのジジイだ」

「ただのジジイが選手の控室へ入れてもらえるものかね?」

「ほう、頭も回るようだな」


彼は手下のふたりに合図をして、部屋から退出させた。

ボンバイから見れば、分かりやすく対等の立場であると思わせるための演出にしか思えない。

よって、彼がこれから何を話そうとしているのか、簡単に予測がついた。


「単刀直入に言おう。部下になれ」

「私にメリットは?」

「名誉では不満か?」

「私は名誉なんていりませんね。すでに持っている。アンタもよく分かっていることだろう」


「こんな薄汚れた野良犬どもの王になって何の意味がある? こんなものに価値があると本当に思っているのか?」

「さて。私は完全に無価値だとは思いませんがね。アンタだってそう思っているから、その野良犬の王である私に声をかけてきたんじゃないですか?」

「口の減らないやつだ。ますます気に入ったぞ」

「アンタがどれだけ私を評価したとしてもね、私は興味が――」

「ナズナを知っているか?」


言葉を遮ってまでしたその質問に、どれだけの意味が含まれていたのか、ボンバイも一瞬では理解できなかった。


ナズナという名は知っている。

ボンバイの妹の名前だ。

孤児になった時、ナズナは人買いにさらわれていった。


「動揺したな?」


ホールイートは見透かしたように笑う。


「……だから、何だって言うんで? 私とはもう無関係だ」

「お前のことを知ったのは彼女からだ。さっきも言った通り、俺はこんな闘技場には興味がない。お前の妹は生きている。偶然ではあるまい」

「二度言わせないでくださいよ。私とは無関係だ」


「無関係ではないぞ。少しややこしい状況になっていてな。お前の妹は精霊に見染められた」

「精霊ねえ。そんな作り話で……」

「エルフの苗床となっている。その意味はわかるな?」


エルフの苗床。

人間の愛玩精霊であるエルフ。

その苗床となる意味。

瞬時に様々な情景が脳内を駆け巡る。


「……保護、してもらえているんですかい」

「ああ。エルフはウチとは違う組織の管轄だが、ナズナの所有権はウチにある。苗床の管理は慎重でなくてはならん。そこらの人間よりよっぽどいい暮らしをさせている」


ボンバイは重い腰を上げた。


「まずは、確認させてもらえますかい? 今後の話はそれからだ」

「良かろう。それでお前が納得するのならな」

「もし納得しなかったら?」

「またここに戻って来るだけだろう?」


お前の組織を潰すことになるぞ、とまでは言わなかった。

彼の瞳には確信の光があった。

実際に会えばボンバイが折れる自信があり、その準備もしてきたのだ。


ボンバイはその日のうちに荷物をまとめ、彼らと共に辺境まで移動した。

豪華な金の装飾のついた黒い馬車も、笑みを絶やさない付き人も、ボンバイにとっては大して価値があるものではない。


ボンバイにとって価値のあるものはただひとつ。

今を生きている意味、未来を生きていく意味。

空虚であった人生に中身を与えてくれる存在だ。


狂死郎から、強さは目的ではなく手段でしかないことを学んだ。

その先のことは自分で考えろと、最後の師事を受けた。

だから、身につけた強さを振るうに値する理由が欲しかった。


馬車は大きく森を迂回して、エッジアンの奥地にある、小さな集落へついた。

通れるギリギリの大きさの道が、うねりながら続いていたのは、この場所を隠すためだろう。

整備をしていないように見えるよう、きちんと整備されていた。


集落は害獣避けのような粗末な柵で覆われており、中には数件の家屋と何やら家畜小屋のような大きな建物も見える。


「……ただの村じゃないですかい」


ボンバイは馬車から降りて集落の様子を見て言った。

こんなところに彼らの組織――フェアレスの大切な所有物であるエルフの苗床がいるというのだろうか。


「ただの村に見えても守りは万全なんです」


ボンバイに同行するよう言いつけられていたホールイートの手下の男が言う。


「エルフは生み出されると、すぐにオークを生みます。そのオークたちは、エルフの害になるものを排除しようとします。だから、守りはオークから設備を守るだけでいいんですよ」

「この程度の柵でオークから村を守れる?」


「はい。これは精霊が嫌がる材木なので、近寄ろうともしません」

「なるほど……」


ボンバイも精霊にはさほど詳しくない。

彼が言うことを信じたのは、それ以外にこの状況の説明がつかないからだ。


「ナズナさんを呼んできます」

「待て。彼女には何も言うな」

「なぜですか? 妹さんなのでしょう?」

「私は確認をしにきただけですよ。勝手に見て帰るだけで十分ってもんです」

「そういうことなら、了承しました」


付き人は納得したようで、集落の人をひとり呼びつけて、荷物を宿へ運ばせる。


「ナズナさんはあの大きなエルフ舎にいます。覗いてはいかがでしょう」

「そうするとしますかね。道案内感謝しますよ」


ボンバイはひとりで村の中の様子を見ながら、エルフ舎と呼ばれた大きな家畜小屋へ向かう。

中からは、小さな声が無数に聞こえていた。


何を言っているのだろう、と壁にそっと耳を当てる。


「助けて、助けて――」


全身が粟立つ。

その声は間違いなく妹の声で、なのに壁の向こうにはそれが何人もいて、助けを求めて小さく呟いている。


窓の端から中を覗くと、ひとりの女性に群がるたくさんの裸のエルフたちがいた。

その姿が異様だったのは、全員見た目がほとんど同じだったことだ。


中心にいる白くて軽やかなチュニックを着た女性がナズナで間違いない。

しかし、その周囲にいるエルフたちは、耳が尖っている以外はナズナと同じ容姿をしており、その中には男性も女性もいる。

そして、それらが、助けてと呟きながら、ナズナに群がっている。

ナズナは馴れた様子で、まるで子猫でも撫でるかのように、彼らを順番に愛で、柔らかな笑みを浮かべていた。


(なんて光景だ……)


この世の地獄に値するものは色々と見て来たが、これはまだ、体験したことのないものだった。


エルフの苗床になることの意味は、知識としては理解していたつもりだった。

エルフの母となり、自分の分身を増やし続ける。

増やした分身は、愛好家たちに売られ、消費され、消え去る運命にある。

彼らは精霊で、それがエルフの本質なのだ。


しかし、ボンバイはその事実を簡単に飲み込めない。

今までの経験上、自分の妹と同じ顔と体をしたこの精霊たちが、どう扱われてきたかを想像することができてしまう。

狩りや的当ての練習台にさせられたり、暴力性のはけ口に使われたり、おおよそ人間が人間相手に倫理的な問題でしないであろうことをさせられている。


ボンバイはそれ以上、エルフ舎を見ることはなかった。

宿屋に帰り、付き人とは全く話さず、翌日にさっさとその村を後にした。


それから、何度も考え、思い悩んだが、フェアレスがなくてはナズナが生きていけないだろうことを覚悟し、組織へ入ることを選んだ。


だから、どれだけ斜陽になろうとも、ボンバイは最後の最後までフェアレスを離れる気はない。


それに、ここを死に場所と決めたのは、自分だけではない。

ボンバイに憧れ、手足となってくれた、ネズミたちもそうだ。

彼らもまた、フェアレス無しでは生きていけない。

ここは大切な場所なのだ。


隠れ家の窓から空を見上げる。

雲ひとつない晴天で、どこまでも澄みきっている。


「――いい天気だ。気持ちのいい風も吹いている」


突然背後から声をかけられ、ボンバイは飛び退いた。

つい数秒前まで、誰もいなかったはずだ。

それに、たとえ考え事にふけっていたとしても、自分が侵入者の気配に気がつかないはずはない。


「――セン!!」


その人影を認めると同時に、ボンバイは刀を抜いた。


「ちょっと落ち着けって。まだ何もやってないだろ」


自分が何をやったかすらわからない狂人か、と喉元まで出かかったが、なんとかこらえる。


「……アンタ、どうやってここに」

「方法の話? それともこの場所の話? まあ、どっちにしても知ってたからとしか……。そんなに問題にすることじゃないと思うが」


彼は至極当たり前のように言う。

それが余計にボンバイの気を逆なでする。


「何をしにきた?」

「そう焦って質問ばっかりするなよ。今ここにはお前と俺と、あとあの爺さんしかいないんだろ? 時間なんかたくさんある」

「……私にはネズミが」

「その嘘は無理だぜ。ネズミは出払ってんだろ。俺を探してさ」


センは不敵な笑みを浮かべている。

全て読んでここに来たのなら、目的は暗殺しかないのだが、腰や背中には武器の類を持っていないし、彼はそもそも荷物がない。

ボンバイが会話の前に彼を切り捨てられなかったのは、その不可解さからだった。

目的がはっきりとしない。


「――ならば、もう一度聞こうか。何をしに来た?」


先程よりも脅すような声色で言うと、彼はけたけたと笑った。


「ここに来るのに理由はひとつしかいらないだろ。俺がお前を消すにはこのタイミングしかないんだよ」

「私を、お前が?」

「そうだよ。邪魔だからな」


それも冗談を言っているようには見えないところが不気味であり、実際、背後をとられていた。


「疑問はいくつかあるが、今は置いておくとしましょう。それより、どうやって私を殺すつもりで?」


今のところ、爆薬や竜火草の匂いはしない。

彼がボンバイを殺すには、ノークロースでロアを殺してみせた、死を逃れられないほどの威力の爆発くらいしかないだろうに、自爆するために来たわけではなさそうだ。


「お前だって人の子なんだから、刃物なら何でもいけるだろ」


彼が取り出したのは、手の平サイズのナイフだった。

柄の部分の方が大きく、刃渡りは目測で八センチ。

人を殺すにはあまりにも小さすぎるナイフだ。


「この体には大きな剣を振る筋力がなくてね。それに、お前相手に正々堂々と同じ条件で戦うとなると、相応の準備期間が必要になるし、俺にはその時間もなかったからな。お前ならわかると思ってるが、この大きさでも理論上は殺せるはずだろ?」


あの長さでは内臓まで達する刺突は難しいだろう。

であれば、正確に頸動脈を切るしかない。

それができる自信があるようで、彼はナイフよりも小さなそれを、構えた。


「簡単に切らせると思ってるのがおかしいんじゃないですかい?」

「簡単に切れると思っていたらすでに背後から襲ってる」


彼の言う通り、もし背後からの攻撃が行われていたら、ボンバイは殺気を感じ取り、無意識に擦り込まれた反射によって、彼の胴を両断していたことだろう。


「お前さ、本当に強いんだよ。だって俺のことを舐めないだろ。こうして手ぶらで現れたのに、今もまだ俺が何か隠していると疑ってる」

「それは当然でしょう。あれだけの騒ぎと損害を単独犯で行った男だ。警戒しないはずがない」


彼の一挙手一投足に注意を払った。

視線から息遣いまで、小さな変化でさえ見逃さないつもりだ。


「気合十分って感じだな。じゃあ、いくぜ」


センは言うと同時にこちらへ向かって駆け出した。

構えも何もない、短距離走の走り方だ。


(どういうつもりか知らないが、間合いはこちらの方が長い)


ボンバイは躊躇なく彼の胴をふたつに別つため、刀を振る。

彼の呼吸を完全に掴んでいて、経験上、ここから避けられることはありえないことだった。

しかし彼は、ボンバイの脇を通りすぎ、壁にぶつかっていた。


「…………何だ?」


不思議なのは、当たらなかったことではない。

彼はナイフを刺すために距離を詰めたのだと思った。

しかし、全くその素振りすら見せず、ボンバイが剣を振る間も減速せずに、脇を走り抜けたのだ。

右側面を駆けられると、左から薙いで切るのは難しい。


実に奇妙な体験だった。

あれは意味不明な突進ではない。

ボンバイが左から胴を薙ぐと知っていなければ、できない。


「あぶねえ。分かっていても緊張するぜ」


センは深呼吸をしてそう言う。


「私のことをよく調べているようですが――今の無様な動きは何ですかい?」

「怒んなよ。こっちだって必死なんだ」

「その程度の技術で私を殺そうというのは、私を舐めているととられても仕方ないでしょう」


言葉では怒っているように見せるが、頭はいたって冷静だった。

警戒に値する不気味さを彼は未だ持ち続けている。


「確かに、俺に技術はねえよ。習おうとしたことはあるんだけど才能がなくてさ。死ぬほど努力したとしても、凡人は天才には敵わない。お前も分かっているだろう? 今までに切り捨ててきたやつらがどれくらいに鍛錬をしたか。そしてお前に届かなかったか。才能の壁は越えられない」

「……だったら、どうするつもりです?」

「俺のやり方で勝つまでよ」


センはまた、ボンバイに向かってくる。

今度はナイフを立て、突き刺す姿勢を見せている。


ならば、その手首ごと切り落とす。


ボンバイは恐らく自身に出せる限界の速さで、彼の右手を切り飛ばそうとした。

しかし、その刀の軌跡に、彼の腕がない。


彼は、ボンバイの刀が当たる直前に、腕をほんの数センチ下げたのだ。

たったそれだけのことだが、それは幾百、幾千もの立ち合いをこなした、達人の技であることは疑いようもない。


『空蝉』と呼ばれる技がある。

ボンバイの剣技――月光剣とは別の流派の技であり、相手の攻撃を見切り、まるで霞を切ったかのごとく、必要な分だけ動き、回避した行動すらも見せない。

その様子はまるで攻撃がすり抜けたようにすら錯覚させる。


今の動きも、ボンバイの太刀筋を見て避けたのなら、絶対に間に合わない。

つまり、ボンバイと同じように、技術が無意識にまで擦り込まれている。


ボンバイは思考を加速させる。

本能的に、彼を強敵だと認めた。


ボンバイのがら空きになった胴へ、彼はナイフを突き刺そうとするだろう。

その瞬間に、たとえ相打ちになったとしても、彼の首を跳ね飛ばす決意をした。


過集中により間延びした時の中で、刀を返し、振り始める。

しかし、センのナイフはボンバイへ伸びなかった。


彼はナイフを突き刺さず、身を屈め、肩でセンを押し飛ばした。

それと同時に、右足をすくわれ、ボンバイは背中から倒れる。


「くっ……!」


すぐに起き上がったが、センは追い打ちをせず、けらけらと笑っていた。

何か変だ。

変であることはわかるのに、その実体がまるで掴めない。


「おいおい、刃物だけを注視するなよ。相手の全体を見ないと、あっという間に死ぬぜ」


彼は声色を変えて言う。

その言葉はボンバイの脳裏にも強く焼きついている。

師――狂死郎がボンバイに剣を教える時、いつも言っていたことだ。


「……それは、先生の言葉だ」

「正解だ。お前に剣を教えた狂死郎の言葉だな。あの人は本当に強いよな。常人が正面から倒すのは不可能に近い。俺もあの人だけは倒すのを諦めた」


倒すのを諦めた。

また不可解な言葉が飛び出す。


「そんな話を聞いたことはないが……」

「今はまだ、起こっていないことだからな」


その一言が決定的だった。

ボンバイの中で散らばっていた奇妙な情報たちが、ひとつの形を得た。


「……そうか。お前の正体がわかった」

「ほう?」

「精霊だな。それも、人間に近い……」


精霊は先に起こることを知っていると言われている。

ロアの著書に『精霊は未来のことを知っているが、その記憶を引き出す手段を持たない』と結論付けられていたのを覚えている。

信じ難いことだが、彼は精霊の身でありながら、その記憶を引き出す手段を持っていて、未来に起こる出来事を知っている。


普通なら信じられないことだが、現状を説明するにはそれ以外にない。

ボンバイはそう判断した。


「半分は当たっている。正直なところ、俺も自分のことはよくわかっていない。だが、やらないといけないことのために、思いつく限りのことはやった。その中で、ここでお前を消すことが、一番確実な方法だとわかった」

「何回、試した?」

「二千三十六回」


センは淀みなく答える。

どうやったのかはわからない。

しかし、ボンバイの立てた仮説の通りなら、彼はこの戦いをそれだけの回数行ったことになる。

そうでなくては、あの回避の仕方は説明がつかない。


「つまり、アンタは私に二千三十六回殺されているというわけですかい?」

「いや、違う。お前のことは千五百二十四回目に無傷で攻略できている」

「残りの回数は?」

「無傷で勝って、計画を次へ進めた回数だ。つまり、お前はどの技を使っても俺に勝てない」


センの言葉に驕りや過剰な自信のようなものは感じない。

事実を淡々と述べているだけだ。


「これからお前は月光の剣技を使うだろう。俺は最速の技を次々に対処する。そして最後は頸動脈に俺のナイフが刺さる。これは確定事項なんだよ。強いとか、弱いとかじゃない。どうあがいてもここでお前は死ぬ」


彼の瞳が薄暗く、殺しを生業としている者と同じものに変わる。

急激に空気がひりついた。


ボンバイは全力で彼を切り伏せることに集中した。

月光の剣技は全部で十六ある。

しかし、彼はそのことごとくを見切って来るに違いない。

組み合わせによって、逃げられない状況を作ることが必要だった。


ボンバイはゆっくりと、刀を下段に構える。


「お、本気だね。それでいい。これを引き出すまでも長かったことが何度か――」


彼が話している最中に、ボンバイは動き始めた。


『下弦』によって、脛を狙うも、読まれていては当たるはずもなく、彼はまた数センチ動いて躱した。

続いての『三日月』は振り上げた刀を斜め下へ向かって袈裟切りにする技だ。

それも、ほんの少し身をよじって避けられる。

しかし、足を上げ、身体をよじることで、彼の体のバランスは大きく崩れた。


『十六夜』によって、今度は彼の軸足をすくい上げる。

技の回転は明らかにこちらが早い。

彼に手を出させる暇を与えない。


倒れたところに全力の幹竹からたけ割りである『満月』を放とうとした。

防御が意味を持たず、その剣筋に存在するものは全て断つ、剛の技だ。


しかし彼はバランスを崩した姿勢に逆らわず、自分から倒れて、反動をつけてすぐに起き上がり、ボンバイの正面に立つ。

近すぎると『満月』の十分な威力が出ないことを知っており、大振りであるため防御しやすいことを知っている彼だからこその動きだった。


普通なら、まずは受け身、もしくは距離をとるために後ろへ跳ねる。

それをしなかったということは、彼の言った通り、無傷で勝利したことが何度もあるのだ。


しかし決まった型や技術によるものではなく、経験による回避行動は、こちらからしてみれば、身体の使い方にムラがあり、次の行動が読みづらい。


攻めているはずのボンバイの方が精神的に追い詰められ、仕切り直すために距離をとることとなった。


「アレ、やってよ」


彼は唐突に言う。


「『新月』。お前の切り札だろう?」


ボンバイは新月の構えをとる。

挑発に乗ったわけではない。

この数度のやりとりでわかった。


作戦を立てて連携をとっても、彼はそれを知っていて、対処法も確立している。

連携は繋がる技と繋がらない技がある。

つまり、十六の剣技を知っているなら、次に来る技も予測できるのだ。


一撃で仕留めなくては、技を放ち続けて体力が切れたところを狙われる。


認識を改めざるを得ない。

彼は強い。

本来ならば一度逃げることを考えるくらいの難敵だ。

しかし今は護衛であるため逃げることはできず、部下がいないため応援も望めない。


彼はボンバイを殺すには今しかないと言った。

こんな状況は稀も稀であり、今後二度と起こることはないだろう。

全て彼の言う通りだった。


――新月は見たことがあるくらいで躱せるものではない。

来ることがわかっていても、回避が不可能なほどの速さの突きだから、必殺の技として存在している。

これから放つぞと宣言したとしても、防げる者は狂死郎くらいのものだろう。


呼吸を整え、ボンバイは神速の突き技である新月を、彼の喉元めがけて放つ。

正面から見れば、刃物の姿は全く見えず、迫りくる点にしか見えないはずだ。

だから、避けられるはずがない。

そう確信していたのに、彼は手にした小さなナイフで、いとも簡単に力の方向を逸らし、突きの予測線から外れるようにして弾いた。


「なっ――」

「パリィ。知ってる?」


そう言いながら、大きくバランスを崩したボンバイの体に、彼はそっと近寄り、ナイフで正確に、頸動脈を切り裂いた。


動脈からの出血は派手で、今瞬時に止血するには上級治療魔法の使い手が必要だ。

しかし今ここにそれはいなければ、応急処置をするための医師もいない。

手で抑えているものの、血が、止まらない。


「なっ……がっ……」

「最後に何かひとつだけ、何でも答えてやるよ。何かあるか?」


様々な疑問はある。

しかし、何よりも優先して聞きたいことは、ただひとつだ。


「い……」


妹はどうなる。

言葉が、出なかった。

しかし、センはその質問があることすら知っていたようで、くくく、と笑いながら、答えた。


「ロアが向かってる」


頸動脈を切られて意識を保っていられる時間はおよそ十五秒。

ボンバイの意識が凄まじい速さで暗黒の底へと落ちていく。

最後に怒りも後悔も浮かべることすらできず、彼の生はここで幕を閉じた。


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