私の拳でも死ぬ
ライトはベルツェーリウスでの襲撃に失敗し、ロアたちがいなくなったあと、行商人に紛れて病院から半死状態の男の身体ごと金の仮面の破片を回収した。
シュナが死に、イライアへ魔力大結晶が渡ったのはボンバイが予測していた通りだったが、その原因が自然死であるとまでは予測していなかった。
ライトは荷馬車を引きながら、仮小屋を目指す。
そこで他のネズミと情報交換を行う手筈になっている。
ライトはボンバイの手足となって働くネズミの内のひとりであり、ライトというのは本名ではない。
本当の名は『参式』という。
仮小屋はベルツェーリウスから西へ伸びる大街道から少し南にそれたところにある。
荷馬車が違和感なく隠せるよう、大きな馬小屋のあるあばら家だ。
(まったく、行商人を装うのも楽じゃないよ)
荷物は本物でなくては疑われた時に言い逃れできないし、許可証もちゃんとしたものだ。
だからこそ手続きに時間がかかり、次の行動を起こすまで待つ時間も長くなる。
ベルツェーリウスにロアたちが滞在している間、隙があれば殺しても構わないと命令は受けていた。
しかし、シュナの磁場感知は広範囲故に避けがたく、ロアはネズミの気配を察知することができる人物だともわかっていたため、結果として何の手出しも出来なかった。
シーリントルという娘も、ノークロースにいたころとは全くの別人だった。
あれはもはや怪物の一種と言ってもいいかもしれない。
いずれはイライアもそうなるだろう。
これから先のことを考え、憂鬱になりながらもライトは荷馬車を小屋へ納め、馬を繋ぐ。
小屋へ入ると、薄暗くて誰もいない。
追跡対策として、待つ方のネズミは外でしばらく小屋を監視して、安全確認を終えてから入るのが決まりだ。
三十分ほど経つと、入り口の扉が軋む音を立てた。
ライトはそちらへ視線を向けることなく、机の上にある蝋燭に火を灯す。
「――参式より報告。作戦は失敗。仮面は半壊したものを回収。以上」
ネズミの弐式が、黒い頭巾を外し、ライトの向かいに座る。
弐式は顔に大きな傷のある女だ。
「肆式を捕まえた相手に、よく生きて帰った」
「だって僕、直接接触してませんもん」
「あ?」
弐式は身を乗り出してライトの胸倉を掴む。
「冷静に考えてくださいよ。肆式は隠遁にかけて僕らの中でも一番だった。それが簡単に捕まる相手なら、近寄るのだってそれだけでリスクだ」
「何もしないことの理由にはならない」
「なるさ。頭だって可能ならって言っただろ」
弐式は舌打ちをして手を離す。
ネズミにとってボンバイの命令は絶対だ。
聞いたことは全てそのままの意味で遂行するのがネズミだ。
「それで、そっちも調べたんでしょう? 風の魔力大結晶と狂死郎について」
「……やはり、狂死郎が風の魔力大結晶の守護者で間違いない。そのため魔力大結晶の接収は不可能だった」
「失敗したってことですか?」
「……失敗ではない。あの狂死郎が守護者である以上、手出しすることができる者などいない」
「それって、何もしないことの理由になってます?」
「貴様!」
憤る弐式に、ライトはおどけて見せた。
「しかし、まあ、残念ですね。フェアレスはうまくいけば魔力大結晶をふたつ手に入れて、それを元に五星団をゆするつもりだったでしょうに」
「勝手な憶測で喋るな。私たちはただ命令通りに……」
「できなかった。少しくらい傷のなめ合いしましょうよ。僕だって落ち込んでるんですから」
それは間違いない事実だ。
ユーリと鉢合わせしたことは些細なアクシデントだったが、それ以上にシーリントルやイライアのような普通の娘ですらあの短期間であれだけ成長させられたロアの手腕には、ただただ驚嘆するしかない。
成長する前に摘むつもりが、すでに大きく育ちすぎており、暗殺することすらままならない。
「だいたいな、お前はやる気がなさすぎる。本気でやれば関係者全員を殺すことくらい簡単だっただろ」
「そんなことありませんよ。それに、それをやったあと、どうやって逃げるんですか」
「その場で死ねばいいだろ」
「無茶苦茶言わないでくださいよ。僕たちの命は頭のためのものなんですから」
「フン」
弐式は納得できない様子でふんぞり返る。
「ああ、そうだ。壱式のことだが――――」
弐式はそこで会話を止める。
それと同時に、ライトは灯りを消した。
何者かが、この周辺に近づいている。
「つけられていた、わけではないな。私が確認したのだから」
「まあ、行商人装ってますからね。護衛無しで、荷物も安物とはいえ本物。役人に情報を売る奴がいてもおかしくはありませんよ」
気配の数は、五人か六人。
野盗のようで、徐々にこの小屋を取り囲む輪を狭くしている。
「おちおち話もできませんね」
「無駄口を叩くな」
ふたりは黒い装束を身に纏い、頭巾を被る。
直後、小屋の扉が乱暴に蹴破られた。
「おい! 命が惜しければ――――」
最初の侵入者は、一瞬にして首がねじ切られ、頭が逆さになっていた。
彼は死んだことにすら気がついていないだろう。
弐式は死体と化した彼を蹴飛ばし、野盗たちの前に歩み出る。
「な、なんだ!?」
どよめきが走るのも無理はない。
弐式の手には武器など握られておらず、ただ肌色の素手だけが見えている。
しかしその素手は、まるで革の手袋のようにごつごつとしており、柔らかさは欠片も感じられない。
「あと四人か」
弐式は小さく呟き、指の関節を鳴らした。
四人、とわざわざ口に出したのは、ライトに伝えるためだ。
今、敵の注意は全て弐式に向いている。
「お前、女か?」
「馬鹿野郎、さっきの見ただろ。油断するな」
野盗たちは警戒しながらも、弐式の声を聞いて少し気が緩んだ。
そして、その隙を、戦闘経験の豊富な弐式は見逃しはしない。
最も近くにいた屈強そうな男の喉に、親指を突き刺す。
悲鳴を上げるまでもなく、彼は倒れ込む。
「お前ら、こいつただもんじゃねえぞ! 武器を構えろ!」
彼らは各々の剣や斧を手に持つ。
そんな様子を見て、弐式は嘲笑して、言った。
「――最も強い武器とは何だと思う?」
「うるせえ! 死ね!」
切りかかられた弐式は、振り下ろされた剣の刃を掴み、握力だけでそのままへし折る。
「最も強い武器。それは素手だ。森だろうが、町だろうが、海だろうが、戦場を選ばずに活躍できる。腕力に敵うものはない」
「だが剣で刺せば死ぬ!」
そう叫んだ男の胴を、弐式の拳が貫く。
「私の拳でも死ぬ」
残るひとりは逃げ出そうとしたのか、手にした斧を投げ捨てて走り出そうとした。
そこを、今度はライトが捕える。
ライトの得意とする武器は極めて細く、頑丈な透明の糸だ。
『天蚕糸』と呼ばれる糸で、人間三人くらいまでなら平気で持ち上げられる強度を持つ。
逃げ出そうとした男にはテグスが巻き付き、まるで身動きが取れなくなった。
「く、ぐわ!」
「無理に動かない方がいいですよ。身体、バラバラになっちゃいますから」
「ふざけ――」
力任せに糸を切ろうとした彼の身体は、大小様々な肉片となってそこらに散らばった。
「汚い」
「仕方ないでしょう。彼のせいですよ」
ライトは弐式の殺した男の持ち物を漁り、一枚の書状を見つける。
内容はもちろん、ライトのことだ。
やはり情報を横流しされていた。
「まあ、これくらいはあることでしょう」
「行商人の姿で旅をするのはやめた方がいいんじゃないか?」
「山の中を走るの苦手なんですよ」
ライトの適当な返しに、弐式はわかりやすく大きなため息をつく。
「――私はこれから頭のところへ一度戻る。情報を伝えなくてはならないからな。お前は命令を受けているか?」
「……まあ」
「ならば、良い。せいぜい死なないようにやれ」
「嫌だなぁ。僕、ネズミの中で一番死なない自信がありますよ」
ライトは軽く笑う。
実際、最も臆病で用心深いのは自分である自信がある。
次の命令は、ストックリーでロアたちを監視すること。
風の魔力大結晶は狂死郎が守っている場合、手は出さなくてよく、その動向を記録にとってボンバイへ伝えるのが今度の指令だ。
彼女たちを見たことがあり、なおかつ無理をしないライトが適任だと判断したのだろう。
「ああ、そうだ。荷台にアレが乗ってるから、荷馬車をそのまま持っていってくれると助かります」
「あ? 私に馬を引けと?」
「仕方ないでしょう。ロアの力で金の仮面と完全に適合したようです。半身不随ですが、上手く使えるように直せれば、貴重な戦力になるかと」
「……なるほどな。たしかに、今うちは人手不足だ。使い捨てできる武力はボスが欲しがるだろう。これを手土産にするか」
「どうぞ。僕は次の命令があるので、そいつの処遇は任せます」
荷台で袋に詰められている男は、半身不随で会話もろくにできない。
ただ、爆発の精霊が完全に適合している。
さながら、常時精霊纏いしているような状態だ。
これはロアの施術を受けたシーリントルと酷似している。
もしかすると、ここから何か新しい発見があるかもしれない。
真っ暗な中で馬の準備をしながら、弐式は言う。
「――これは独り言だが、センが各地で出没している。まだ頭にも報告していないことだが、ほぼ同じ地域にいるにも関わらず発見できないのは、我々の動きも読まれている可能性が高い。油断するな。アレは素性が知れん」
「彼については壱式が調べているんでしたよね。まあ、向こうから来ないのなら特別気にする必要もないと思いますよ。頭の判断に従いますが、個人的にはね」
「無警戒だな。お前、死ぬぞ」
「あなたよりは遅いでしょう?」
ライトは立ち去りながら、弐式に手をひらひらと振る。
ロアたちは真っ直ぐストックリーには向かわなかった。
現状、魔力大結晶を追っていれば自然と現れるだろうという理屈に基づいてフェアレスは行動している。
だから彼女たちが今どこで何をしているかは知らない。
そこへさける人員がいないのが、悔しかった。
「後手後手、ですねえ」
ライトは誰に言うでもなく、夜闇に向かって独り言ちた。