邪魔はいけませんよ
九式雷魔法、玖の雷撃『瞬雷』。
魔力を使って体を放ち、雷のように素早く移動する。
見える位置と正確な距離が分かれば移動できる便利な魔法だが、その分身体にかかる負荷も馬鹿にならない。
シュナは物影に入ると、壁に手をついて立ち止まった。
魔力で感覚器官を騙しているため苦しさは感じないが、身体の体力的な限界だけはどうにもならない。
(子供の前でひざをつくわけにはいかないしね……)
さっき、シーリントルに触れたおかげで体内の電流は整っている。
もう少しだけなら正常に動けるはずだ。
瞬雷を繰り返して港まで行くと、ちょうど漁師たちの船が帰ってきているところだった。
きょろきょろと辺りを見回していると、タンタンと屋根の上を走る足音が聞こえた。
(何の音?)
そう思って顔を上げると、昨晩会った銀髪の小さな女の子になったロアが、屋根を駆けていた。
「ん、おい! シュナか!?」
「ロア? 何をしているの?」
「ちょうど良かった! あの逃げているやつを捕まえてくれ!」
屋根を走っているのはロアだけではなく、その前を誰かが駆けている。
マントのせいもあって、ここからではその影しか見えない。
「触雷」
シュナの杖から細い糸状の雷が風になびきながらも真っ直ぐに先を走る人物へ放たれる。
雷の糸で足首に輪をかけて引っ張り、転ばせた。
「ちょこまかと逃げ回りおって……。ウンディーネ!」
ウンディーネがその人物を水の塊を手の形に変えて持ち上げ、シュナの前へ放る。
その顔には家で見た謎の人物と同じように金の仮面がつけられていた。
「呪いの装具……」
「知っているのか?」
ロアが屋根から飛び降りてきて聞く。
「仕組みはわかる、程度かしら。一般には流通していないものでしょうね。あなた、今回は誰と喧嘩を?」
「知らん! そもそも喧嘩をふっかけてきたのはこいつだ。急に儂を掴もうとしてきたのだ」
「掴まれた?」
「いや、水で顔を覆って窒息させようとしたが、止まらなくてな。ならばと思い、魔力を内側から断ってやろうとしたら逃げ出したのだ」
「……ふたり揃って力づくなのね」
「何の話だ?」
シュナは簡潔に自分の家を吹き飛ばした男の話をした。
シーリントルは校舎へと向かったと聞くと彼女は何か思い出したのか、手をパンと叩いた。
「そうだ、儂はな、夜の内に校舎へ行こうと思っていたのだ。昨日、妙なやつがいたのが気になってな。見た目は老婆だが、若すぎる魔力を持っている人間だ」
学校で老婆にあたるような人物はひとりしかいない。
校舎の清掃をしているマーガレットのことだろう。
彼女は昔からずっと学校に勤めていて、シュナもまだ教員だったころに助けられたことも何度かある。
だから、彼女が言っていることはにわかに信じられない。
しかし、可能性だけなら考えられる。
「つまりそれは、中身が入れ代わっていると?」
「それを確かめるために夜中出かけたのだ。そしたらお前のとこの家政婦が使い魔を飛ばしてきて――――。ん? なんでお前はひとりなんだ? あいつは?」
「見かけないのよ。こいつは何か知らない? あなた、記憶を読み取れたはずよね?」
「……儂の腕を握ってからこいつをよく見てみろ」
ロアの腕を握ると脳に電気が流れ、思考がすっきりとする。
いつの間にか認知能力が歪んでいたようだ。
論理的な思考どころか自分が老婆であることすらしばしば忘れてしまう。
半分は、ロアが昔の姿をしているせいだが。
冷静になって仮面をつけた男を見てみると、様子がおかしいことに気がついた。
男はすでに息絶えていた。
死んだ人間はただの肉の塊だ。
いくらロアでも記憶を読み取れない。
「衰弱死だ。この仮面では食事もとれまい」
「人は水分をとらなければ三日で死に至る……」
「精霊纏いであれば人外の力も出せようが、この規模の精霊ならせいぜいが馬ほどだ。こやつらはそう遠くないところから放たれたのだろう」
「あなたの敵は、この町の近くに来ている、と?」
「そういうことになるな。とはいえ、これを見ればわかる通り、大した奴らじゃない」
「あなたにとっての大した奴らって何よ」
「……悪魔とか?」
「紀元前の?」
ロアは肩をすくめる。
今はそんなことを話している場合ではない。
「さて、儂にとっては造作もない相手だが、この町の人間の手には余るだろう。まだ他にいるとすれば厄介だぞ」
「このくらいならあの子たちでも十分に勝てるでしょう」
「随分と信頼しているな」
「そりゃあ、私のひ孫だもの」
「……そこに関しては貴様に文句を言いたい部分が山ほどあるが、まあ、今はよそう。――儂らは家政婦を探そう。奴は内通者だった。詳しい話を聞かねばならん」
「それもそうね。ここにいないとなると、危ない目にあっているかもしれないし」
「お前がババアでなければ任せるのだがな。ちょっと待て」
そう言うと、ロアは目を閉じて息を深く吸った。
その瞬間、彼女の中で、何かが変わった。
「お前眩しいな。魔力を抑えろ」
「……感覚器官を強化したのね」
言われた通り、身体から外へと発せられている魔力の流れを閉じる。
「不老不死になると身体の機能を限界まで使えるのだ。羨ましいだろう?」
「いいえ、全く」
「そうか。――漁師どもがやかましくて正確な位置はわからんが、おかしな息遣いが聞こえる。まるで手負いのような、浅い呼吸だ」
「どっち?」
「港の――向こうの倉庫の方だろうな。だが、騒ぎは起こしたくない。正面から入れるか?」
「私を誰だと思っているの? 施設の封鎖と緘口令くらい簡単よ」
「生まれて初めてお前が頼もしく見えたぞ」
ロアは悪どく笑った。
港には商船が荷積みを保管するための倉庫がある。
この町で最も暗く静かで、内密な話をするには適した場所だ。
ユーリはロアへ使い魔を飛ばしたあと、彼らの作戦のことを考えるとじっとしていられず、刺客を送り込んでくるなら人目のないここだろうと考えて見張っていた。
物影に隠れて、一時間ほどした頃だろうか。
月明かりの中、一隻の小舟が港に停泊した。
人数は四人で、全員が密書を届けてきた男と同じ、深緑色のローブを頭まで被っている。
三人は小船から港へ飛び移ると、すぐさまばらけて走り始めた。
残ったひとりは小船を漕いで沖へ出て行く。
状況から考えるに、この三人が言われていた刺客で、去って行く者も仲間だと思って間違いないだろう。
ユーリは少しでも多くの情報を得て、ロアへ渡そうと考えていた。
どっちつかずな自分の立場への責任や後ろめたさを感じていたのだ。
たとえ暗示か催眠の魔法にかかっていたとしても、自由行為を阻害するほどの強さはない。
もしあれば、こんな考えを思い浮かべることすら困難なはずだからだ。
とはいえ、直接妨害しようとすれば何らかの制約がかかることはわかっている。
ユーリ自身は、彼らが五星団の手の者だと理解してしまっているため、催眠の効果によって手を出すことはできないだろう。
ユーリは刺客のひとりを追おうとして、それを強く確信した。
(足が動かない!)
追うことも許されないのか、とほぞを噛む。
足はぴったりと地面に縫いつけられたようにして剥がれない。
ユーリは悔しさに一筋の涙を流す。
こんなわけのわからない連中を町に引き入れることが五星団の意志であったとしても、主の愛したこの町が汚されるのを黙って見過ごすわけにはいかない。
(……足は動かないけど、手は動く!)
ユーリは杖を取り出して、自分の足へ向けた。
危険な魔法だが、やらないわけにはいかない。
「服従せよ、マリオネット・ジェッペット」
足が地面から離れる。
操る魔法を操る魔法で上書きすることは可能だ。
だが、操作の難度は高く、自分の身体であるために三者的な視点から限界を考えることも難しい。
つまり、具体的には、関節を限界以上に曲げてしまうようなことが、簡単に起こりえる状況だということだ。
人間を操ったことなどそう多くないが、これでも名家のメイドだったのだ。
人並み以上の才能がなければとうてい務まらない仕事をやっていたのだから、これくらいはできて当然だ。
自分にそう言い聞かせながら、ユーリは地を蹴って、仮面の男のひとりを追う。
港の倉庫から出る前に、ひとりくらいは足止めしてみせる。
視界に入った瞬間に、ユーリは杖を向けた。
「ファイアボール!」
ユーリの放った三つの火球は、前方を走る男へ放たれた。
仄かに周囲を照らしながら進んでいたが、やがて、男に当たる直前でかき消えた。
「そんな、どうして……」
他のふたりは別の方向へ走って行ったのを見ている。
とっくに港から抜け出しているはずだ。
他に仲間がいたのか、と考えた時、目が自然と海の方へ向く。
さっきまで小船を操っていた人影がおらず、船は月に照らされて、墨汁のような真っ暗な海を漂っていた。
「――邪魔はいけませんよ」
ユーリは急に腕を掴まれて、驚きに声をあげそうになった。
いつの間にか、自分の隣に、三十代くらいの若い男がいた。
キツネのような鋭い眼つきをしており、全体から狡賢そうな印象を受ける。
彼は人さし指を口に当てて静かにするように合図すると、去って行く仮面の男を指さす。
「アレは攻撃されることで反撃をするように設定されているんです。上級魔法使いのあなただって、ただじゃあすまない」
「あなたは、どなた?」
「申し遅れました。僕はフェアレスという組織のしがない構成員で、名前はライトといいます。組織の命令でアレらをここへ連れてきました。仕事はそれで終わりです。あとは帰るだけ、なのですが……」
「早く帰ったらいいじゃないこと? 巻き込まれる前にね」
「そう思うのだったら、無茶をするのはやめてもらえますかね」
「放っておけるわけないでしょう?」
「それは参ったなあ。ボスは五星団とは話がついているって聞いていたのに」
「私は自分の意思でここにいるの。五星団とは無関係よ」
ライトは分かりやすく大きなため息をついた。
「あなたが完全に無関係だったらここまで来てないですよ。これが強行的な手段なのはこちらも承知しています。僕らに任せて引いてもらえませんか?」
「私が任務を失敗すると?」
「いや、守護者の寿命を待ってられなくなったってことじゃないですか? 僕は知りませんが計画を早めなければならないトラブルでもあったのでしょう。さて、どうしますか? アレらの邪魔をするのなら、僕はあなたをここで止めないといけない。しかしそれは非常に気は進みません」
「あなたのような小僧に私の相手が務まると思っているの?」
「戦争経験者ってどうしてこうも血の気が多いのですかね。言っておきますけど、僕がその気になってたら、あなたはさっき腕を掴まれた時に――」
「ファイアボール!」
「うわっ!」
ユーリが放った火球はまた吸い込まれるようにして消えた。
彼は呪文を唱えていなかった。
精霊への命令もしていない。
考えられるのは、特殊な魔法道具だ。
ライトは大きく距離をとって闇に紛れて消える。
「もう、知りませんよ。僕は手加減できるほど強くないのですから」
「さっさと来なさい。時間が惜しい」
「行くわけないじゃないですか。足止めできたら勝ちなのに」
ユーリは苛立ちながら、倉庫の暗がりへ向けて火球を放つ。
一瞬の灯りに、はためくマントが映る。
おおよその位置を頭の中で考え、その真上に向けて杖を振る。
「荒れ狂え、ウィンドウ・バースト!」
倉庫の隙間から全ての物を吹き飛ばすほどの突風を生み出す。
ゴミやネズミに紛れて、彼は転がり出て来た。
「さすがに火だけってことはないのですね」
余裕ぶっていられるのも今の内だけだ。
「沈め、グラン・ホール!」
彼の立っている辺りの地面が土の魔力によってへこみ、立っていられなくなり、手をついて倒れる。
「アシッド・シャワー!」
体勢を崩したライトに向かって酸の雨を降り注がせようとした途端、彼はうずくまってマントで身を覆った。
マントに当たった部分の雨が、効力を発することなく霧散する。
あれが先程から魔法をかき消している、防魔マントのようだ。
「それ、便利ね。昔はそんなものなかった」
「うちは最新鋭の技術を取り入れることに熱心な組織なのですよ。しかし流石ですね。四元素の魔法の切り替えも早く、立て続けに放てるのは才能です。素晴らしい」
「馬鹿にしているようにしか聞こえませんが!」
ファイアボールを三球放つ。
当然かき消されるだろう。
しかし、その種が分かっていれば、対策は可能だ。
着弾の直前に翻ったマントの魔力により、炎は消える。
しかしその内には別の魔法で作られた水球が仕込まれている。
「考えましたね。でも無駄ですよ。これくらいじゃ……」
「あなたの弱点はもうわかりました。そのマント、魔法以外は防げるのかしら?」
水球は破裂する。
その飛沫は着地と同時に飛沫の数だけ無数の風の柱となって彼に襲い掛かる。
そしてその風は、地に潜り、石や瓦礫を巻き上げてライトへ襲い掛かった。
「グランド・サイクロン!」
初めは必死に避けていたライトも、数の多い礫全てに対処しきれるはずもなく、やがて頭を抱えて身を丸めて、嵐が過ぎ去るのを待つ体勢へと移った。
あまりにも無様なその様子に、勝ちを確信したユーリの魔力が少しだけ揺らいだ。
――その瞬間に杖を握るユーリの腕が、まるで刃物で切られたかのように大きく裂かれる。
痛みよりも早く、血があふれ出る熱を感じた。
「さすがの五星団の魔法使いでも、怪我をすれば魔法は鈍りますね」
傷に気をとられた一瞬のうちに、彼は目の前まで迫っていた。
手にはナイフが見え、ユーリは咄嗟に左手でその刃を握る。
「危ないですよ。指、落ちますよ」
「どうやって、あそこから私の腕を?」
「教えられません。まあ、簡単に言えば、僕らは魔法を使わない武闘派組織なんです。魔法使いや精霊使いに対する防衛術、対人間用の近接戦闘術はよく学んでいる」
ナイフを押し込む力が少し強くなった。
ユーリは苦し紛れに、まだ微かに動く右手の杖を振るおうとする。
「それです」
「あっ!」
杖が独りでに、彼の左手に吸い込まれるようにして、手から離れた。
彼は受け取った杖を、躊躇なく海へ投げ捨てる。
そして、自分の握っていたナイフからも手を放し、ユーリの傍に投げ捨てた。
「魔法使いからは杖を奪えば勝ちです。もうあなたには何もできないでしょう」
「ま、まだこのナイフが!」
「ナイフ、使えるんですか?」
ナイフを拾うと、彼の目が鋭くなる。
先程までとは違い、明らかに殺意を孕んだ目だ。
目の前に現れた形のある死に恐怖を感じ、身がすくんでしまった。
ユーリは彼と対峙することが恐ろしくなり、ナイフを落とした。
すると、彼は優しそうな笑みを浮かべる。
「賢明です。それじゃあ、僕も退散するので、助けを呼ぶなり何なりと、お好きになさってください」
「私を殺しておかなくていいの? あなたのことをみんなに言って回るかもしれないのに」
ユーリは震える声で言う。
少しでも彼をこの場にとどめておくための挑発であったが、ライトは柔らかな笑みを浮かべた。
「構いませんよ。僕がここであなたを殺すのは簡単ですが、それをすると不要な恨みが生まれるじゃないですか。僕は仕事以外での殺しは面倒なのでしたくないんですよ。それじゃ、お達者で」
彼はそう言うや否や、海へ飛び込むとそのまま姿を消した。
ユーリはふっと緊張の糸が切れ、地面が足から離れていく感覚を味わった。
気を失うわけにはいかないと思い、手をついて耐えようとするも、力が入らず、血だまりの中に横たわった。
(これ全部が私の血……)
もうほとんど色もわからないくらいに視界が霞む。
こんなことなら、シュナに相談してからくれば良かった。
余計な心労をかけまいとしたことが裏目に出た。
次第に鈍くなっていく思考の中で、ユーリは何度も悔やんだ。
どうすればよかったのだろう。
何もしなければよかったのか、それともみんなに相談してからくればよかったのか。
いくら考えても答えはわからない。
もしも、家を出る前に戻れたら、もっとうまくできただろうか。
「――おい! しっかりしろ!」
霞の向こうから声が聞こえる。
「おいこいつ息してないぞ」
「どいて」
胸の中心にひやっとする杖の先端を当たられた感触がする。
次の瞬間、破裂するような衝撃と共に、ユーリの意識が現実へと強制的に引き戻された。