最悪
――どういう交渉をしたのか、イライアにはわからない。
真夜中の学校の、精霊舞踏を行った場所にイライアは立っていた。
四隅に松明が立てられ、正面に立つシーリントルの姿を照らし出す。
炎の光が当たっているところ以外は真っ黒で、まだ始まってもいないのに、なぜだか威圧感を覚える。
準備を終えたロアは、イライアとシーリントルの間に立った。
「シーリントル、儂からは何も言わん。ただ、変に気を遣って手を抜くなよ。それでは『納得』してもらえないからな」
わざわざ強調して言う。
その件に関しては謝ったのに、ずっと言うつもりなのかもしれない。
「ルールは簡単、背中が地面についたら負け。大昔の決闘のルールだが、異論はあるか?」
「……ないわ」
イライアの手が緊張で震える。
右手の人さし指には曾祖母からもらった指輪をつけている。
杖と同じように使えることは試して確かめた。
今日は長い一日だ。
今朝見たシーリントルの姿をもう一度脳内に思い描く。
全身で感じた、雄々しく気高い熱気の圧力。
アレを正面から受けることが怖くないはずがない。
ロアがイライアの隣につき、シーリントルへ合図を送る。
「さあ、仮面をつけろ! イライアも準備はいいな?」
「と、当然じゃない」
「弱々しいな。ひとまず、お前のやり方を見せてもらう。魔法を習う以上、魔術決闘は習ったことがあるだろう?」
「何度か、授業ではね」
「お前はあらゆる手段を用いて奴を倒せ。ちなみにだが、生命を奪うくらいの気合がなければ、倒せんぞ」
「わかってるわよ、それくらい……」
シーリントルはもう準備万端のようで、松明とは明らかに違う、あの時の熱気が、ここまで伝わって来る。
「――――開始!!」
ロアの号令と共に、シーリントルが駆け出した。
転ぶことなど考えていないほどの前傾姿勢で、とてつもなく速い。
「でも、雷ほどじゃない!」
九式雷魔法、参の雷撃『軽雷』。
細く矢の形になった雷を彼女へ向かって放つ。
相対速度を考えれば、とても通常の動体視力で捉えられるものではあるまい。
そう思っていたのだが――――。
「躱した!?」
闇雲に跳ぶでもなく、すれすれのところを、少しだけ身をよじって躱したのだ。
つまり、彼女には完全に視えていたということになる。
「呆けてる場合か?」
「……クッ!」
速さで勝てないのなら、ひたすらに狙い撃つしかない。
近ければ近いほど、向こうも避けるのが難しくなるはずだ。
イライアは諦めずに『軽雷』を放ち続けた。
この魔法は軽さ故に威力も低いが、その分最速で飛ぶ。
思った通り、シーリントルは十メートル付近で足を緩め、回避行動に専念し始めた。
「体力勝負をする気はないわ! 伍の雷撃『磁雷』!」
彼女の足を砂鉄の波が捕える。
「捕まえたわよ! 肆の雷げ――」
固まったはずの砂鉄が跳ねあがり、イライアの喉元に白く小さな手が伸びる。
「イライア! 後ろへ跳べ!」
声を聞くと同時に後ろに下がると、手は空を切ってシーリントルはうつ伏せに転んだ。
「自力で外せるなんて……」
野生動物くらいなら簡単に自由を奪える磁雷がこうも簡単に克服されるなんて想像もしていなかった。
「イライア、判断が遅い。魔力の練りも遅い。やはりそのやり方はお前向きではない」
「だったら、どうしろって言うのよ! 私はこれしかできないの!」
「できないと思っているだけだ。今のを見ていてわかった。お前に繊細な魔力操作はできん。次は儂の言う通りにしてみろ」
シーリントルが服についた砂鉄を払って、こちらを向く。
「まずは軽雷に全力を込めろ。作れる限りの本数を同時に作れ」
「はあ!? どうやって!?」
「いいからやれ! 魔法は想像だ!」
硬く目を閉じ、頭の中で自分の周囲に雷の矢を思い浮かべ、それを実現するために全身の魔力を総動員させる。
こんなこと、習ったこともなければ試したこともない。
「そうだ! よくやった!」
「え?」
目を開くと、自分の周囲に無数の雷の矢が浮かんでいることがわかった。
「なに、なにこれ!?」
「放て!」
「は、はい!」
シーリントルめがけ、無数の雷が、矢継早に放たれる。
その大多数は目標へ当たらず周囲の地面へ突き刺さるが、何本かは彼女も避けきれずに当たっている。
シーリントルはいつまでも鳴りやまない雷から遠ざかるようにして、大きく後ろへ跳んだ。
「あ、え、つ、次はどうしたら!?」
「全力で壱の雷を使え」
「はい!」
今までは微妙な魔力調整で作り出していた魔法を、全力で作る。
イライアの目の前に現れたのは、人間よりも大きな雷の球だった。
「もうわけわかんない! いけ、壱の雷撃『雷豪』!!」
雷豪はゆっくりと、しかしシーリントルを追尾するようにして、進み始める。
こんな速さじゃ、簡単に躱されてしまうだろう。
「もう一度、参の雷だ!」
そう言われて、イライアは気がついた。
(そうか! 一度放ってしまえば、次の魔法は撃てるんだ!)
今まで一発ずつに集中しすぎて、連続で使う方法など考えることもなかった。
巨大な雷の球と無数の矢がシーリントルに降り注ぐ。
「もしかして、勝てるかも……」
防戦一方なシーリントルを見て、そう呟く。
今までの練習は無駄ではなかった。
本当に、ただ、やり方を間違えていただけだとわかった。
「気を抜くな!」
ロアの声で我に返る。
そうだ、まだ勝負はついていない。
「次! 漆の雷!」
「なんであなたがそれを知って――」
「早くせんか!」
「九式雷魔法、漆の雷撃『触雷』!」
回避に専念していたシーリントルが方向転換しようとした瞬間を狙い、指先から一筋の雷を放つ。
漆の雷撃『触雷』は、雷魔法を紐状にすることによって対象を捕える魔法だ。
本来ならば糸ほどの細さしかないはずのこの魔法は、イライアが全力を注いだせいで、漁師が使う網ほどに太く頑丈になっている。
雷の綱がシーリントルに触れると、彼女は大きく痙攣して、その場に倒れ込んだ。
「あっ!!」
思わず声をあげた。
いくら未熟な魔法とはいえ、生き物に使う強さの電力ではない。
「ねえ、もう背中ついてるでしょ!? 終わりよね!?」
「そうだな。シーリントルの負けだ」
「何を呑気に!」
イライアが駆け寄ろうとすると、シーリントルは勢いよく起き上がった。
「え!? 私、負けた?」
「え、え、あの、大丈夫なの?」
「うん。すごかった。バチッてして動けなくなっちゃった」
シーリントルは雷の衝撃で焼け焦げた服の裾を気にしている。
「あーあ、ロアちゃん、これ、直せるかなあ」
「待って待って。体は? あんなに大きな電気を受けたら体中がボロボロになるはずよ?」
「んー、でも、大丈夫だった。当たった時はちょっと気を失いそうになったけど」
「失ってたわよ!」
「え?」
本当に、信じられない。
確かに、人間相手にこれだけの雷を使ったことはないけれど、野生の動物相手なら何度も感電死させている。
人間なら大丈夫などという話も聞いたことはない。
その点において、何ひとつ『納得』ができない。
「おい、勝ったぞ。感想は?」
「……最悪」
理屈のわからない勝利がこんなに気持ちの悪いものだとは、思いもよらなかった。
現実味のない勝負の後、イライアはそのまま宿舎に戻った。
ロアとシーリントルはシュナの家に泊まることになっていたらしく、明日から本格的な訓練を始めることに話は落ち着いた。
夢の中で、たくさんの思い出を見た。
魔法を習い始めたころのこと、家族のこと、曾祖母の家を訪ねた時のこと。
ずっと無我夢中で、自分がどうしたらいいのか、何を目指せばいいのかもわからないまま、ひたすらに歩み続けた。
それが正解かどうかすらわからなかった。
師匠とは、ただ技術を教えるだけの人のことではないのかもしれない。
しかし、多くを望み過ぎては裏切られた時につらい思いをするだろう。
それでも、なぜだかロアは、イライアの感じていた全ての苦痛から救ってくれるような気がした。
朝、目が覚めて、昨晩のことが夢でなかったことを確認するように、指輪を眺める。
本当に、長い一日だった。
色んなことを一気に頭に詰め込んだせいで、理解できていないところもたくさんある。
理解を諦めたところだってある。
ロアが天蓋の大魔女であるとか、不老不死であるとか。
真実はいくら考えたってわからないものだ。
大切なのは、今、彼女がイライアよりも、イライアのことを分かっていることだ。
彼女の指示による魔法は、今までとは感覚が全く違っていた。
繊細な魔力操作と全力の魔力操作による差。
一本の雷の矢を作るよりも百本の雷の矢を作る方が簡単だと、誰が思うだろうか。
ほんのわずかに心に残る昨晩の余韻に浸りながら、学校へ向かう。
これからどうなるのだろう、と期待と不安を胸に抱いていた。
――――思い返せば、浮かれていたのだ。
寝不足だって、原因のひとつだっただろう。
普段なら見逃さなかったはずの些細な変化にも気がつかなかった。
重大な異変に気がついたのは、教室に入ってからだった。




