ロアに魔法を習いなさい
晩餐会は意外にも滞りなく進んだ。
普段病床に伏している曾祖母が普通に会話して笑っているところ見るだけでも、イライアは感動していた。
「ユーリとか言ったか。お前の料理、なかなか美味だぞ」
「ふふっ、ありがとうございます」
ユーリは頬に手を当てて照れている。
ユーリもロアのことを知っているのだろうか。
それとも、シュナの知り合いという話をそのまま信じているのか。
少なくとも、彼女が来てシュナの体調が良さそうに見えるのは間違いない。
だから嬉しくなっているのだろう。
「ね、ねえ、そろそろ何がどうなっているのか、ちゃんと教えてくれない?」
イライアは進まない匙を置き、ロアに聞く。
「ん? ああ、気になっていたか? 儂とシュナはな、同級生なのだ」
「はい?」
「幼少期を同じ学校の教室で過ごし、やがて目標の違いから別れた。そういう関係だ」
全く言っている意味がわからず、手をぶんぶんと振る。
「……いや、いやいや。だって、そうすると、あなたと大ばあさまが同じ年齢ってことになるじゃない。ありえないわ」
「儂は若返りの薬と不老不死の薬を作って、自分自身に使用したのだ」
「そんな与太話を信じろっていうの?」
「いいや、信じなくてもいい。ただ真実なのでな。そう言うしかない」
彼女は真面目に言っているようだった。
シーリントルも普通に振る舞っているし、どうやら彼女たちの間では常識らしい。
「その、あなたが仮に不老不死で若返った老人だったとして、何をするためにこの町へ?」
「もう何度も言っただろう。シーリントルの治療のためだ」
ロアは呆れたように言う。
「本当に? 別の目的があるんじゃないの?」
「儂は隠すなら全部隠すし、話すなら全部話す方だぞ」
あっけらかんと彼女は言う。
そうは言っても、今日会ったばかりの彼女のことを信用できるはずもない。
「――ロアの、言っていることは、本当よ」
「大ばあさま!?」
シュナが今にも消えいりそうな声で言う。
呼吸器が弱くなっているのだ。
大きな声など出せるはずもない。
「おい、無理はするな」
「あなたの言葉じゃ信じてもらえないでしょう」
シュナは優しく微笑む。
本当なら喋ることも辛いはずなのに、まだこの空間に馴染めていないロアの擁護をするために喋っている。
イライアは、それが少しショックだった。
「大ばあさま、どうして……」
「雷の魔法を使えば、魔力で喉を震わせて話すこともできるのよ。認知症の方も魔法で抑えることはできる。それでも一時間ほどが限界だけど、どうしても、あなたたちと一緒に食事がしたくてね……」
「それは、ロアと?」
「ロアも、イライアもよ。話をするにはこれ以上ないタイミングなの」
「……話って?」
「ユーリ」
シュナが声をかけると、ユーリはシュナの手から橙色の宝石がついた指輪を外した。
それは曾祖母が昔から身につけていたという、杖の代わりとなる魔法の指輪だ。
魔法石という名前がつく前から、曾祖母は使っていたのだと聞いたことがある。
「イライアに」
「はい、奥さま」
ユーリに指輪を差し出され、イライアはしばしの間固まった。
(え、何、どういう意味? 指輪を私に?)
戸惑いながら、ユーリの手の平に乗った指輪を受け取る。
気のせいかもしれないが、指輪からは不思議な力を感じる。
それは暖かくて重みのあるものだった。
「イライア、ロアに魔法を習いなさい。きっと、あなたの助けになるわ」
「大ばあさま、急に何を……」
「彼女は私が知っている中で、一番信用できない人間だけど、信頼できる人間でもあるのよ。世間に名高い天蓋の大魔女なのだから」
「天蓋の大魔女って、あの……?」
シュナは頷く。
天蓋の大魔女といえば、精霊術、薬学、錬金術に精通した、昔ながらの魔女の在り方の集大成のような存在で、たったひとりで各学問を百年進めたと言われている。
天才の中の天才であり、シュナに比肩しうる数少ない人間である。
「おい、お前たち。儂の話をするのは結構だが、雑談はあとでやれ」
「――ええ、そうね。久しぶりにお話しできたものだから、つい、調子に乗ってしまったわ。イライア、ロアのことは彼女自身に聞いてちょうだい。彼女は嘘は言わないわ。話は、全部本当のことだから」
「……はい。わかりました」
話ができるのは一時間ほどと言っていたことを思い出して、イライアは引き下がった。
「イライア。あなたは魔法ができないと言っていました。だから家には帰れないと。しかし、私はそうは思いません。だからと言って、このままでもいいとは思いません。本当なら私が教えるべきなのですが、この身体ではあなたの先生はできない……。本当に悔しいことです」
シュナは苦しそうに息を吸う。
「詳しいことはロアへ伝えたし、彼女も了承してくれたわ。あなたはどう?」
「私は――――」
ロアの方を見る。
確かに、ロアが想像通りの人物であれば、これを断る理由はない。
シュナの願いを断る理由もない。
ただ、あとは気持ちの切り替えが必要だった。
「私が納得できてからでもよろしいですか? 言われてやるのは簡単ですが、身が入らなければ意味がありませんから」
「そうね。彼女からしっかり話を聞いて、それから判断してもいいわ。そろそろ、私は奥へ行くわ。あとのことはユーリに任せるから、好きにしてちょうだい」
ふらふらと立ち上がるシュナの肩を、イライアは支えた。
「私が連れて行きます。ユーリおばさん、いいですか?」
「ええ、お願いします」
イライアは一礼して、シュナと共に奥の寝室へ入って行った。
「なんだか大変なんだね」
シーリントルは食事の手を止めずに言った。
彼女が虚勢を張っているのはわかっていたが、内情を聞くと自分よりも大変そうに思えてくる。
「まあ、家のことはあまり口出しできんことでもあるからな」
「ロアちゃんはどうしてイライアちゃんに魔法を教えることになったの?」
「魔力大結晶の件で訪ねたのだがな。奴の面倒を見ることと大結晶を引き換えだと」
「なるほど。――って、魔力大結晶がここにあるの?」
「奴の指輪がそうらしい。あとで調べるつもりだが、こんな時につまらん嘘をつく女じゃないしな。イライアに手渡すから一緒に守り育てろということだろう」
「なるほど」
「お前、わかってないだろ」
「うん」
話を理解する気がないわけではない。
ただ、料理が美味しすぎて集中できないだけだ。
「でも、ロアちゃんは良かったの? イライアちゃんに教えるって……」
「話の流れで仕方なく、な。あいつ、寿命を盾に儂を脅してきやがった」
「寿命?」
「ああ、やつはもうじき死ぬ」
オブラートに包むでもなく、ロアは淡々と述べた。
話が聞こえているはずのユーリも反応しないところを見るに、三人で昼間に話したのだろう。
「……そうなんだ」
「なんだ、やけに素直だな」
「ううん、でもそんな匂いがした」
「匂い?」
「うーん、何て言ったらいいのかな。説明しにくいんだけど、あんまり良くない匂いがしたの」
シュナからしていたのは、おそらく病魔の匂いだろう。
町にいた他の人からはそういう匂いはしなかったから、余計に気になっていた。
「貪食の精霊の力が嗅覚にまで影響を及ぼしているのか」
「わかんないけど、前よりは色んな匂いがするようになった」
「玉ねぎは食べられるのか?」
「どういう意味?」
シーリントルは訝しみながらシチューの玉ねぎを口に運ぶ。
甘味があって美味しい。
「お前が人間でなければ解剖して調べたいところだ……」
「怖いこと言わないでよ。――あっ、イライアちゃん。おばあちゃんはどうだった?」
部屋に戻ってきたイライアの肩は落ち込んでいた。
「やっぱり、無理をしていたのよ。寝床に入ったらすぐにお休みになられたわ。ユーリおばさん、あとはお願いします」
「お任せください」
イライアは大きなため息をひとつつくと、ロアに歩み寄った。
「私が納得したらって言ったけど、とても安直で失礼な言葉だったことをまずは謝罪させてちょうだい」
「儂は気にしておらん。お前もそんな小さいことをいちいち気にしていたらストレスで早死にするぞ」
「でも、気になるのは仕方ないでしょう」
「お前、その日にした会話を布団の中で思い出して呻くタイプだな」
「い、いいでしょそんなこと! とにかく! 私は納得がしたいの。あなたが本物の大魔女である証拠なんてどうでもよくて、あなたが私の師に足るところを見せてちょうだい」
今度はシーリントルもわかった。
これはまた寝る前に後悔する言葉だ。
「精霊舞踏では不満か。まあ、よい。どれ、シーリントルと手合わせでもしてみるか? その場で、お前の悪いところを口頭で直し、勝たせてみせようか」
「……え?」
他人事だと思って聞いていたシーリントルは目を丸くした。
「シーと戦えってこと?」
「そうだ。シーリントルの技はお前も精霊舞踏で見ただろう。今のお前でもアレに勝てると言っているのだ」
イライアが唇を強く結ぶ。
やる気になっているのが見てとれる。
熱のような匂いもする。
「……本当ね?」
「ああ、本当だとも。それで納得したら、儂の下についたらいい」
シーリントルが入り込む余地もなく、とんとん拍子に決まっていった。




